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Posted by ブクログ
ヨーロッパの歴史系の映画や、アニメのヨーロッパ風の街並みの風景は綺麗に描かれていたが、実際は窓からウンコや小便を放り捨てていたのでかなり汚かった。
しかし、アジアではウンコも小便も肥料にしており、道端が糞尿まみれにはなっていなかった。
江戸時代では居住人がウンコを回収する農民にお金を払うのではなく、農民が居住人からウンコを買っていたという話が大変面白かった。
ヨーロッパとアジアでウンコに対する向き合い方が異なっていて面白い。
明治維新以降は、都市部に人口が集中しすぎてウンコが大量に生産されてしまい余りすぎたために、肥料として使うことから段々と離れてしまったが、この再利用する姿勢はこれからも残り続けて欲しいと思った。
Posted by ブクログ
食べる事は生きる事
そんなフレーズがあった。
もちろんその通りだと思う。
母の看取りの時、母が食べられなくなった時に、その最期を思ったが、本当に最期の予兆は排泄出来なくなった時だった。
食べたら、出す。
生きていく上で、どちらかだけでは成り立たない。
食べ物の歴史は排泄の歴史とセットでないと、完全とはいかないのかもしれない。そして、私たちが食べている、牛や豚や鶏も食べて排泄している。
家の近くに、養鶏場も牛の牧場もあるので、風向きではその『香り』が漂ってくる。
視界に入る糞と、なんとも不快な香りに顔を顰めていたが、この本を読んで、なんと私は傲慢なのかと思った。
牛も豚も鶏も生きているので、当たり前に排泄をするし、臭いもあるのだ。
子どもたちが、肉をパックされた姿でしか知らないことが問題だと言う言葉を聞いたことがある。この肉がかつて生きていた動物であることを知ってもらうなら、それらの動物が食べて排泄して臭うことも知らなければ、食育とは言い難いのではないか?そんな事を思った。
今は、自分の排泄物すら見る機会も無くなってきている。臭いだけで、汚いと顔を顰める時代だ。
人糞が下肥として農地の肥料となり、育てられた作物を人が食べ、そして排泄物がまた下肥となって作物を育てる。
江戸時代のそのサイクルに戻そうという気にはならない。そこから切離した事で、救われた命もあるからだ。
でも、食べる事と排泄する事を切り離して考えては、より生きにくい世界になっていくのではないか?不快なものは世界から排除する、不寛容な世界観に繋がるのではないか?論理の飛躍かもしれないが、そう感じた。
Posted by ブクログ
ウンコという言葉をこの本以上に目にすることはないだろう。
そして、冒頭からいきなり、「はたしてウンコは『汚い』のだろうか」(13頁)と聞かれることも、またないだろう。
ウンコは汚いか?と問われれば、「そりゃそうでしょ」と答える人がほとんどだろう。
しかし、まずその常識を疑うのが学問である。
ウンコは汚いのだろうか?
さっきまで体内にあったものが排泄行為によって出た瞬間から気持ちの悪いもの、関係のないもの、となる。
それは、抜けた髪や切った爪、身体中から出る垢も同じだ。
もちろん感染症に敏感になっている今は、感染対策を取らなければならないものもあるだろうが、単純に不思議な気がする。
さっきまで、私の体であったものなのに、と。
ウンコが高値で買われ、肥料として使われていた時。
都市部に人が流入し、水洗トイレが出てきた時、ウォシュレットが使われた時…人はどんどんウンコから遠ざかる。
けれども、それでよかったのか?
私は東京育ちの人間だから、綺麗で高機能で臭わないトイレが当たり前だった。
昔田舎にあった「ボットン便所」はごめん被りたい(使ったことはある)。
しかし、子供のうんこを日々見て(嗅いで)いると、うんことは生きている証だと思う。。
ニラを食べれば臭くなるし、ヨーグルトを食べさせれば綺麗なバナナ型になる。
コロコロだったり、軟便だったり、「くっさ!」「ああー漏れているー!」「ぎゃぁ手についたぁーーー」も生きているからこそ。
あわやウンコ、なぜかウンコ。されどウンコ。
本書の最後でゴーギャンの話が出るなんて!
ウンコから人類の来し方を考える良書であった。
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ビジネス・実用
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