チェ・ウニョンのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
女性どうしの関係を扱った短編が多い。いずれも、近づいては、離れていく。共通点を見出したと思ったのに、ふとした事で、違いに気づく。かといって、断ち切った関係にはならず、どこかで相手の事を覚えている。そんな曖昧な関係が多く登場する。
『ほんのかすかな光でも』
ヒウォンは、社会人編入で大学に入った。英文でエッセイを書く講座を担当する女性と、ひょんな事から親しく話をするようになる。ところが、ある一言で二人の間に隙間風が。
社会の中で、まだまだ女性が軽んじられているのは、韓国も日本も変わりない。共闘して、それぞれの地場を固めていくのが理想だが、その理想を汲んだ、分かり合って終わり、という終わり方ではなく、分かり合えない所もあるが、それでも分かり合おうとする思いがある、という話。そのきっかけとなるのが、ヒウォンが求める光である。
『役割』
こちらも女性対女性の話。語り手があなた、と呼びかけるのは大学時代の友人ヘジン。彼女は大学の先輩ジョンユンを慕っていた。ジョンユンは校内誌の編集で、女性問題に鋭く切り込んでおり、ヘジンもそこに惹かれた。もう一人の学生ヒヨンも、ジョンユンを慕っており、次第にジョンユンはヘジンよりヒヨンに目をかけるようになる。ところがジョンユンとヒヨンの間もまた、疎遠に。
女性と女性同士ならばよくても、そこに男性が割って入ると関係性が変わる。関係を断ち切っても残る相手への切ない思いが心に沁みる。著者の自伝的作品というから、ヘジン=著者なのか。それとも、本編の語り手で、全く行動が見えない、名前のない人物=著者なのか。
『一年』
私は、病院で、かつて同じ会社でインターンとして働いていたダヘと再会する。正社員の私のアシスタントとしてダヘと接するうち、同い年でもあり、プライベートを知る機会も増えて、互いに親近感を持つ。ところが、ある時、私はダヘが「無理をしている」と感じるようになり、ダヘは私のある言動に傷つく。
うまくいくように見えた関係でも、思いがけないきっかけで、相手への見方が変わる。修復の道筋が見えればいいが、こじれていく一方ならば、それぞれに諦めるしかない。全てをありのまま語るだけが解決の道ではない。
『返信』
『役割』同様、語り手の語り掛け形式。
「あなたは今、どんな暮らしをしているのかな(p110)」
という言葉から、届くはずのないメッセージだとわかる。母が出ていき、父は子供に関心はなく、大叔母の元で姉妹は育つ。優秀だった姉は銀行員を目指していたが、高校時代の恋愛により結婚、主婦となる。しかし夫となった男性は支配的で、語り手は不満を抱く。
語り手に向かって言っていることは、全てもう一人の女性に対する話だった。しかしその女性とは絶対に分かり合えないだろうということも、語り手はうっすら感じている。相手をわかり過ぎているからこその切なさが伝わる。
『種まき』
「私たち」から始まる本篇も、やはり女性どうしの話。今度は親子関係。娘ソリが疲れていることを、教師から知らされたミンジュは、かつて自分を救ってくれた兄を思い出す。これは珍しく、登場人物どうしがお互いを理解して終わる話。
『伯母さんへ』『消える、消えない』も女性同士の微妙な関係を描いた話。 -
Posted by ブクログ
9歳の時に初めてヒリョンの祖母の家に行ったジヨン。初めて出会った祖母が自分を受け入れてくれていると感じたジヨンはすぐになつく。そして再びヒリョンに向かったのは夫の浮気で離婚を決めソウルを離れた31歳の時だった。ヒリョンに引っ越して2か月経った時に、母が訪ねてきた。母は祖母と疎遠だった。母親の人生を見ていて納得できなかったジヨンは「キム君(元夫)はやさしい」という母の助言にも素直に頷けない。
白丁という身分だった曾祖母ジョンソンと良家の夫パク・ヒスは、駆け落ち同然に家を飛び出した事から近所の人に噂される。娘ヨンオクはその事を母親に話さず、ある日結婚相手を連れてくる。ジョンソンは「あの男はお前の父さんに似ている」からと反対するが最後には
娘が結婚して正常な家族を持つという事実に満足しようと気持ちを切り換えた
ところが結婚相手ナムソンは北に家族がおり、ヨンオクは娘ミソンを育てる代わりに夫の戸籍に入れることを余儀なくされる。ミソンもまたいびつな家庭環境から抜けるために結婚に逃げる。ところが、三兄弟の嫡孫と結婚したため、旧盆や旧正月にも実家に帰れない。『82年生まれ、キム・ジヨン』 で描かれる、あの忙しい嫁の立場である。不自由な環境から抜け出すためミソンは娘ジヨンに期待をかけるが、その期待がジヨンには重く、彼女もまた逃げるように結婚する。しかし
自分が特権を享受しているとわかっていたから、私は黙らなければならなかった。娘の声に耳を傾けてくれない両親のもとで育ちながら感じた寂しさについて。私に関心のない配偶者と暮らす寂しさについて。口をつぐんだまま仕事に通い、上辺だけとはいえ続いている結婚生活を回していきながら、理解されたい、愛されたいという感情に目を向けないようにしなきゃならなかった。私は幸せな人間なのだから。すべてを手に入れた人間なのだから。
という我慢にも限界が来て、やはり結婚は破綻する。
よしながふみの『愛すべき娘たち』で、美貌を鼻にかける学友を見てきた母親が、自分の娘はああいう性格にさせまいと、わざと容貌をけなして言い続けたという話が出てくる。しかし娘は戒めと取らず、娘には「可愛い」と言い続けて育てる。成長するにつれ、親の欠点を見抜いた子供が、いざ親となった時に自分だけはそうなるまいとする。うまくいけば順繰りにいい母娘関係が築けていくはずなのに、そうはならない。本編でも、母のバックグラウンドを知らない娘が母の育て方に反発し、家というより母から逃れたくて結婚を選ぶ。経験上失敗の予感を感じた母の反対も押し切っての結婚であったため、予想通り破綻しても、更に母娘関係はいびつになる。本来配偶者や家父長制を善しとする韓国社会に告げるべき不満不平が、「同じ女性なのにどうしてわかってくれないのか」と最も近い母・娘に向かう。出口のない迷路である。
母娘の愛情が満たされていればどうなっていたか。その答えとして彼女の一族と対比的に描かれるのが、駆け落ちしてきたジョンソンの唯一の友となる女性セビおばさんの娘・ヒジャだ。セビおばさんの一生も幸福続きだったわけではないが、娘ヒジャは祖母のやりたかった事を全て叶え、結婚ではなく学究の道を選ぶ。彼女の生き方は、女達の迷路の出口の一つである。
表紙絵は佇む二人の女性。裏表紙は走り出す女性を見守る女性。表紙は母娘女性同士の共闘。裏表紙は自由を求めて走る娘を見守る母と見える。走り出す女性の先と、二人の女性が見上げる空は明るい。迷路から出た女性が見る空は、こんな色をしているのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
終生誓願をして修道士になる直前の男性の打ち明け話として語られる『告白』。男性ジョンウンは、一時期つきあっていたミジュに「神は殺人者も自殺者も等しく許すのか」と聞かれたことを思い出す。ミジュにはかつて三羽烏のように仲良くしていた友人ジニが自死した過去があった。ミジュの話の中にある殺人者とは自分、自殺者とはジニのことだ。ジニがある事を打ち明けた時に、もう一人の友人ジュニは率直な感想を口にし、ミジュは何も言わなかった。しかし「表情が全てを物語っていた」と後でジュニに言われたことで、彼女は直接手を下したわけではないが、自分がジニを追い詰めたことを悟る。
ジョンウンは誓願をする前に「被造物(人間)に話さず慰めも求めてはならない。神に語り掛けよ」と言われるが、必ずしもその言葉に従えない時があった。誰かに話せば、もしかしたらその時は、相手にとって自分は“無害”でなくなっているかもしれない。相手の反応によっては相手も“無害”でなくなっているかもしれない。それでも話してみたい、聞いてみたいという欲望を棄てられないのが人間であり、その反応の方が自然ではないかと感じたからだ。
『告白』は言葉が足りず後悔した女性が登場するが、逆に言い過ぎて後悔することもある。家族ならば、特に相手への遠慮を忘れて感情に任せて口走る事が多々ある。『過ぎゆく夜』は優等生の姉と落第生の妹というよくある取り合わせだ。母が早くに亡くなり、つい道を踏み外しがちな妹に口うるさく言ってしまう姉だが、必ずその後に来るのは後悔だ。謝るには時期を逸し、澱のように心に溜まってゆくものを長年抱え続け、久々の帰国で再会する。
他の短編『あの夏』『六〇一、六〇二』『砂の家』『差しのべる手』『アーチディにて』とも、総て登場人物が過去を振り返る形式になっている。所詮“たられば”にならざるを得ないが、言葉にもしなければ、後悔も相手への想いもただ忘れるだけだ。そして大抵の場合、被害者より加害者の方が容易く忘れる。言葉が武器になりうることを知っている作家だからこそ、物語という形で弱者の痛みを語り続けることに決めた著者。今後の挑戦に期待したい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ日本の統治下にあった時代、そして朝鮮戦争を生きて命を繋いできた女四代の物語。
弱い立場に置かれた女性たちの苦しみが直に伝わってくるようで、私も苦しかった。何度も憤り、悲しみ、時には目を潤ませながらの読書となった。
被差別民や男尊女卑のさまざまなエピソードを読むと、日本のそれととても似ていると思った。差別や偏見をなくすように努力し続けていくことが大事であり、こうやって小説の中で語られることには大きな意味がある。
怒りの矛先を間違い、虐げられている人同士でぶつかり合うことはよくあることなのかもしれない。自分のことを諦めたつもりでも、溜め続けた負の感情は死ぬまで重い荷物となって離れないのだろう。いつかはそれをおろさなければ望むところには行けないし、周りの人々を傷つけることにもなるのだなと思った。
もう修復不可能なのではないかと思ったけれど、主人公をきっかけにして少しずつ氷解していくのを祈るようにして見守った。生きていれば回復もできるという希望が見えてホッとした。
大事な思い出を抱えて人は出会いと別れを繰り返している、でも心の底では温かい気持ちで繋がっていると信じられる、時を超えて生き続ける思いがある、そんな物語だった。
特にミョンスクおばあちゃんのエピソードが切なかった。 -
Posted by ブクログ
自分と瓜二つの曽祖母。
9歳から会っていなかった祖母に
曽祖母の話を聞くと
それは、今では考えられない過酷な人生だった。
女性が虐げられてきた時代に
曽祖母や祖母たちがどのようにして生きてきたのか。
そして、その時代を生きてきた上で呪いのように蓋をしてしまった心を私は覗く事ができた。
こんな扱いがあって良いのか。
女性というだけで、差別民というだけで、同じ人であるのにも関わらず、物理的にそして精神的に傷つける人たちがいる。
『この世には心からの謝罪をしてもらえなかった者たちの国があるはずだ』
私はその国を知っている気がする。
きっとその国を知っている人たちはたくさんいるはず。
久しぶりに涙が出た本だった。 -
Posted by ブクログ
各作品がいちいち胸に刺さるし、なんちゅうフレーズやねんていうパンチラインが頻繁する。
ほとんどの登場人物が寂しさ、孤独をまとい、同じような苦しみを持った人々と交わるのに、それは一瞬はポジティブな関係を築けても、やがて小さく砕けていく。
はっきり言って自分は恵まれてたのかなって思う。
これほどまで社会に苦しめられた感覚はなかったなって思う。
それでも彼らに共感してしまうのは、これまでの人生の中のいくつもの後悔やもう連絡もとらなくなったたくさんの人々の顔が浮かび、懐かしく思うからなんだと思う。
大きい何かが起こる話ではなくて、心の動きや関係性を正直に言葉にしてしまう今作のような作品は、やっぱ好きなんだなって思う。
また必ず読み返すだろうし、人に勧めたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレそれぞれの短編で語り手の立場は異なるものの、似たようなバックグラウンドが度々描かれている。みな何らかの暗い過去を背負っていて、心の傷に敏感な人たちだ。どちらかといえば傷付けられた痛みよりも、自分が誰かを傷付けた(または救えなかった)という罪の意識や、無力感をよく知っている人物の視点で話が語られる。
語り手が過去を回想し、自らの間違いを見つめる時、読者も同じように自身の過去を振り返ってしまう。誰にも話せない秘密や後悔を嫌でも思い出すことになる。まるで自分を罰するかのように、語り手が過去を見つめる視線には誤魔化しがない。
あとがきに書かれた著者の言葉を借りるまでもなく、どの作品にも著者の過去や記憶が色濃く反映されている。とてもパーソナルな物語だ。昔のアルバムに入ったフィルム写真を見ていくような手触りがある。だから読者の記憶と共鳴するのだと思う。 繰り返し出てくるのは、傷付けられたと思っていた自分が、無自覚に大切な人を傷付けていたというモチーフだ。心ならずも相手をひどく損なってしまった後悔。取り返しのつかない間違い。村上春樹が「人生においていちばん深く心の傷として残るのは、多くの場合、自分が誰かに傷つけられたことではなく、自分が誰かを傷つけたことです」と書いていたことを思い出す。
唯一の中編といえる「砂の家」では語り手の心理が特に詳細に描かれていて、収録されている中で一番心に響く作品だった。風景の一つ一つも強く印象に残る。読み終わった後はしばらく余韻に浸っていた。
「告白」は「砂の家」とよく似た要素のある物語で、どちらも3人の友達グループ間での人間関係をめぐって話が展開する。最大の違いは「傷付けられた側」が辿る結末だろう。安易な希望が描かれていない点は共通している。
「わたしに無害なひと」とは、自分に関係ない人というよりは、人を傷つけない(傷つけられない)人という意味だと解釈した。だが読んでいると、果たして人を傷つけない人なんているのだろうか、と思う。人間関係では誰かが傷つき、傷つけることは避けられないのかもしれない。でも、傷付ける側ではなくて、理解する側に行きたいという著者の思いを感じる。だからこそ、傷付ける側の心理を痛いほど鮮明に書くのだろう。きっと個人的な反省がこもっているはずだ。「自分は人を傷付ける」ということについて、徹底的に自覚的であろうとする姿勢がある。
いくつか心に刺さった部分を引用して終える。
「人が私を失望させるのだといつも思っていた。でももっと苦しいのは、自分の愛する人を失望させた自分自身だった。私のことを愛する準備ができていた人にまで背を向けさせた、自分自身の荒涼とした心だった」(「砂の家」)
「互いを傷つけながら愛するのだとも、完全だからじゃなくて、不完全だから相手を愛するのだともわかっているのに、体がそう反応した」(「砂の家」)
「もし時間を巻き戻せるならあの瞬間に戻りたいとミジュは心の底から思う。あの瞬間に戻れたら、話してくれてありがとう、私はあなたの味方だ、もうそうやって寂しくつらい思いはさせないと言うだろう。でも当時のミジュは口ごもるばかりで最後まで言葉にできなかった」(「告白」)
「重力も摩擦力も存在しない条件下で転がした球は永遠に転がり続ける。いつかのあなたの言葉を私はたびたび思い返していた。永遠にゆっくりと転がり続けるボールについて考えた。その粘り強さを想像してみた。(中略)でも私たちは重力と摩擦力のある世界に生きているからラッキーなんだ。進んでいても止まれるし、止まっていてもまた進み出せる。永遠には無理だけど。こっちのほうがましだと思う。こうやって生きるほうが」(「砂の家」) -
Posted by ブクログ
あの時、あの言葉を言わなければ…
あの時、あの一言を言っていたら…
あの時、あの一瞬、
言葉にできない想いをたくさん抱えていた若い時。言葉にする力も勇気もなくて、どれ程後悔しただろう。
永遠だと思っていた友人や恋人との関係も、生活や環境の変化から変わってしまった。この本は、若い頃のあのヒリヒリとした感覚を思い起こさせる。
七篇の中短編はどれも過ぎ去った時間を痛みと共に振り返る。繊細に描かれる主人公たちの気持ちの中に自分の姿を見つけては、鋭い痛みが走る。
子どもの痛みには、胸がかきむしられる。
「子どもはある年齢まで無条件に親を許すから。許さなければという義務感もなく、ごく自然に。」
大人の都合を受け入れ、その中に愛を探す子どもの気持ちを思うと切なくて、辛くて堪らない。
人の愚かさや弱さ、醜さを描きながら、人と繋がる素晴らしさを描いている。
あとがきでチェ・ウニョンが「無害なひとになりたかった。苦痛を与える人になりたくなかった」という。
けれど「そういう人間になれなかった」と。
だからこそ「難なくじゃなく辛うじて、楽にじゃなく苦しんで書く作家になりたい。その過程で人間として感じられるすべてを感じ尽くしたい。それができる勇気が持てますように」という。その真摯な姿に打たれた。
真摯に生きていきたいと思う。