高妍のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ【歴史は現在に生きていると気づくこと】
村上春樹さんの本では、たくさんの史実的描写が出てきて、細かい描写に感心する。過去への好奇心と想像力は、どこから来るのかなと思ったりする。
この本では、村上春樹さんの父親の経てきた過去について、一緒に猫を捨てに行った、自身の記憶にある出来事から始まり、90歳になった父親、そして母親などに聞いた、自身がまだ生きていなかった、主に戦時経験についてつづられている。
「僕がこの文章で書きたかったことのひとつは、戦争というものが一人の人間ーごく当たり前の名もなき市民だーの生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということだ。そしてその結果、僕がこうしてここにいる。」
東日本大震災から13年。震災を経験していない子どもたちが、この経験を語りつぐ活動をしているというニュースを見た。
私は私のとても身近にいる人の経た体験も、その体験から今に続く世界の見方も、きちんと知らないなーと思った。
「・・・歴史は過去のものではない。それは意識の内側で、あるいはまた無意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。そういう意味合いにおいて、ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある。ごく微少な一部だが、それでもひとつのかけらであるという事実に間違いはない。」
一般的な歴史を個人的な話として知ることで、歴史が生きた現実のものになる。
歴史と現在のつながりを作って行く作業って、他者への想像力を養うことでもあるんだなーと思ったり。
社会には、それぞれの現実が混在する。隣にいるひととさえもなかなかうまくやれないことも多い。生きてきた環境や時代が違うと、考え方や世界の見方は違うのは当たり前。摩擦を起こしながら人と関わり、ときに通じ合い、ときに自分の考えについて問い直し、相手について思考をめぐらす。他者との違いへの好奇心を持ち続けること、他者に影響され、出来事に影響され、自分の考え方が変わることを許すこと、それが世界への見方を豊かにし続けたいと思ったり。 -
Posted by ブクログ
「このマンガがすごい!オトコ編」第9位。
日本・台湾同時発売(コミックビーム21-22年連載)、台湾を舞台に描かれた台北の繊細な女性のお話。元は32ページの自主無料出版のマンガが、500頁超の本格単行本になった。それだけを聞くと、なんか特別センセーショナルな内容のマンガに聞こえて仕舞うが、読むと、極めて真っ当な不器用なほどの、細野晴臣が大好きな少女と、同じ音楽が大好きな男性の、「若いからこそ見えている・見えていない世界」のお話だった。
音楽があるから、私たちの間に、言葉はいらない
1枚の真っ白な紙に
どうすればぎっしりと文字が書けるだろう?
言葉にすれば難しい感情をー
もし簡単に、この思いをあなたに、伝えることができたら
どんなにいいだろう(下巻193p)
マンガを描く前はイラストレーターだったらしい。
繊細で精密な風景と
常にアップ顔で、常に頬を赤らめている全登場人物と
ストレートな女性の心理描写と
何を考えているのかわからない男性と
女性を的確な言葉と行動で助ける女友だちと
そして「風をあつめて(収集群風)」(はっぴいえんど)から
始まる日本の音楽への憧れ
ひいては若者台湾文化に息づく日本文化と
少し前の日本の都会の様にしか見えない台北風景。
日本のマンガ編集者が彼を見出し
日本の読者が一定彼を評価して
「第9位」になったのは、
とっても良くわかる気がする。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ【あらすじ】
文化への渇望、そして“バンドをやってる友達”・南峻の後押しを受けて、初めての海外、日本・東京を訪れた少女・緑(リュ)。レコードショップで手に入れた、はっぴいえんど『風街ろまん』と細野晴臣『HOSONO HOUSE』を握り締めて、台湾に帰国した緑(リュ)は、音楽と物語への想いを、そして心に芽生えた南峻(ナンジュン)への恋心を、一層募らせていく。そんななか、敬愛する細野晴臣の台湾・台北でのコンサートツアーが決定して……。
細野晴臣デビュー50周年記念ドキュメンタリー映画『NO SMOKING』台湾版で、イラスト&デザインを担当した台湾在住の漫画家が贈る、初連載作品、完結巻。大切な音と大切な時間を隣で共有してくれた、大切なあなたへ。魔法の夜よ、どうか……。
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最も純粋でまだ綺麗な部分しか知らない、初恋の頃を思い出させる作品でした。全てが輝いていて、切なくて、30代後半のおじさんである私にとっては記憶の彼方になりつつある感覚で、ちょっと苦しかった。だって、絵の描写と語りの言葉が綺麗すぎるんですもん。涙が出そうです。この作品を敢えて「オトコ編」の9位に持ってくるマンガ大賞のセンスに脱帽です。
恋愛もそうですが、やっぱり一生の趣味や好きなものを見つける時間として、大学生の時期はとても重要だなと再認識しました。時には悩むことも、モラトリアムも大事です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ村上春樹の父親のことをまとめた自叙伝ならぬ父叙伝?で、戦争の時代を生きた父親のことを、その息子である村上春樹が、あやふやな記憶とたくさんの文献から整理したもの、、という(どちらかというと)村上春樹にしては味気ない印象を受けた。
個人的には、村上春樹の本に対して自分は、彼の考えたこととか感性に触れる、ということを求めているのだな、と再確認できた。
ちょっと毛色の違うものを、、と思って手に取ってみたが、いささかばかり事実の整理という側面が強く、途中からは流し読みになってしまった。
(そのために書いた、と著者自身が言っている本なのだから、それを承知で読み始めた自分が悪いのだけれど)
いちばん印象に残ったのは、やはり最後の締めのところでの文章だった。
「...我々は、広大な大地に向けて降る膨大な雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。」
なんでもない自分が、なんでもない平々凡々な人生を生き切ることの意味を、ここに見出せる気がしている。
記憶というのはとても曖昧であやふやなもの、、というのを、最近、読んだ本や自分の経験からひしひしと感じていた。
この本の中でも、そんな場面がいくつかあった。まとまった言葉や文章になっていれば、なんとなく確かなもののように感じるが、実際にはさまざまな文献を辿って、整理して、そこで初めて記憶という形になるものだと読んでみて思った。
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Posted by ブクログ
村上春樹さんが、お父様が亡くなったことをきっかけに、自分の父親について、そして村上さんとの関係性について、時代背景である戦争について、実際に書きはじめてみることで考えを深めていったエッセイです。台湾出身の高妍さんが担当された表紙と挿絵は、なんだかぼんやりとした思索を静かに呼ぶような絵でした。
村上千秋さんという人が春樹さんのお父様で、京都のお寺・安養寺の次男として誕生します。安養寺の住職が村上さんの祖父ですが、もともとは農家の子だったのが、修行僧として各寺で修業を積み、秀でたところがあったらしく住職として安養寺を引き受けることになったようです。
僕は読む作家を血筋で選ぶことはないので(多くの人もそうだと思います)、作家と言えば全般的に、無から生まれた有に近いようなイメージで受け止めているところがありまして(もちろんそうではない方もいらっしゃいますが)、本書のように村上春樹さんのルーツが具体化していくと、また違った世界が開けたかのような、宙ぶらりんだと思っていたものが地面に根を張っていたことに気付かされたような現実的な感覚を覚えました。やっぱり過去ってあるんだ、という至極当たり前なことを知らしめられた驚きみたいなものでしょうか。
さて。やっぱり千秋さんは徴兵されているんです。それも3度も。戦争から生き残ることも数奇な運命を辿ってのことでしょうし、運命の気まぐれのように通常よりもずっと短い期間で除隊されることも、のちに生まれる子孫のことを考えれば、紙一重みたいな運命の揺れを感じます。春樹さん自身、次のように書いています。
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そしてこうした文章を書けば書くほど、それを読み返せば読み返すほど、自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われることになる。手を宙にかざしてみると、向こう側が微かに透けて見えるような気がしてくるほどだ。(p107)
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自分が誕生したというその出来事は、ほんとうに偶然であって、ちょっとした加減でそれは実現していないもののような、吹けば飛ぶような「事実」であると感じられる。これは、村上春樹さんだけの話ではなく、万人がすべてそうですよね。微妙で繊細な、1mmほどの運の加減で、僕らはそれぞれ、幸か不幸かこの世界に誕生している。そういった大きな運命観を感じさせられる箇所でした。
それでは、再び引用をふたつほどして終わります。
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いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼き付けられることになった。ひとつの情景として、更に言うならひとつの疑似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを――現代の用語を借りればトラウマを――息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。その本質は<引き継ぎ>という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?(p62-63)
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→ここで言われていることを家族の間でいえば、「世代間連鎖」にあたるでしょうし、歴史という大きなものにも当てはまることとしては「連続性」にあたるでしょう。これらは、ある意味でフラクタル的(全体と部分がおなじ形になる)なのだな、というイメージが上記の引用から浮かぶと思います。なんであれ、人の営み上、負の要素も正の要素も、引き継いで僕たちは生きています。たとえば「世代間連鎖」の暴力なんかは、それを止めるのがとても難しい。でもきっと、<引き継ぎ>にはその度合いがあると思うのです。どこまで深く受容して引き継げるか、自覚的であることができるか、そういった姿勢が、<引き継ぎ>によって自らが侵食されコントロールを失う状態に陥らないためにはやったほうがいいのだろうな、と僕は考えていたりします。
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父の頭が実際にどれくらい良かったか、僕にはわからない。そのときもわからなかったし、今でもわからない。というか、そういうものごとにとくに関心もない。たぶん僕のような職業の人間にとって、人の頭が良いか悪いかというのは、さして大事な問題ではないからだろう。そこでは頭の良さよりはむしろ、心の自由な動き、勘の鋭さのようなものの方が重用される。だから、「頭の良し悪し」といった価値基準の軸で人を測ることは――少なくとも僕の場合――ほとんどない。(p68)
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→お父様は京大の大学院までいって、家庭の事情で中退されたそうです。それはさておき、ここで春樹さんがどういう価値判断をする人かが見えています。たしかに、小説を書くのに心の自由な動きがままならなかったら、説明だらけの小説になってしまいそうな気がします。勘の鋭さのようなものも、ストーリーの要となるものがどこにあるのか、それがそれまでに書いた中で後につながる要素としてもう書かれていることに気付くことができるか、みたいなことはあると思います。それとは別に、頭の良し悪しで人を判断しないという職業的性質が、他者を見る目として柔らかな目となって機能すると思えるのですが、それって、人をモノ扱いせずちゃんと人間扱いする目でしょうから、こういったところはみんなが養えるように学校教育に組み込めばいいのに、なんて考えたりしました。創作の授業をやったらどうか、ということです。
というところでした。100ページちょっとの分量の、淡々とした短いエッセイです。でも、村上春樹さんの作品をたくさん読んできましたから、知らずにできあがっている心の中の「村上さん領域」を埋めるパーツがひとつ手に入ったような感触のある読書体験になりました。こうやって最後になってからやっといいますが、「猫を棄てる」エピソードが、些細な微笑ましさを含んでいて、それが小さなちいさな救いになっていると思いました。