濱野ちひろのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読んでよかった!!!
不思議な納得感とあわせて、最後愛について痛烈に批判した後、しかし果たして「愛なしで対等でいられたことがあったのか」「むしろ人間同士の方が対等であることの方が難しいのでは」と裏返っていくのが興味深い。
言及されているように、「対等性」が自分にとっても一番大きい問題点だったようにおもう。
言語や体格や種を凌駕して対等であるには、「動物は動物である必要がある」点こそ、「対等性」を解決しているようで、結局「支配」ともとれる余地を内包してしまっている。
>ズーたちにとって、ズーであることは、「動物の生を、性の側面も含めてまるごと受け止めること」だった。
これから生きていくにあたって、↑の文章が心に刻まれたのは間違いない!
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Posted by ブクログ
各国に取材に行き、聞きにくいこともヒアリングしていく積極性が素晴らしい。
本題は非常にいい。ラブドールなどの非人間に対する愛の形を、違うタイプの複数の人たちにアクセスして浮き彫りにしていくことにとても価値がある。
同じドール愛好者でも差異があることや、ドールに対しても葬儀を行うケースがあること、さらに自身がドールと一定期間共に過ごすことによって意識を持っている可能用に感じることを体験することなど、貴重な情報、発見、体験が多くある。
今後のAIを人をどう捉えるようになるかを推し量る上でも、大きな発見がある。
ただ、本題とは別の部分に、どこかモヤっとする部分が残った。ここではそこを書こうと思う。
最近読んでいる本の中でちょくちょく、「異性愛規範」「恋愛至上主義」「人間性愛規範」への批判を目にする。本書の中でも、軽くではあるが複数回登場した。
これにすごい違和感を感じる。
私は多様性への理解は重視しているし、どちらかというと推奨、擁護する立場だ。
しかし少なくとも現代日本社会が、”意識的に”異性愛を押し付けている、恋愛以外の異性間関係性を低位にみる、人間以外へ性愛を持つたことを批判しているとは感じない。
宗教道徳や一部の国家体制では多様性を認めないことを明言する面が多いとはいえ、例えば映画、漫画、小説などの創作作品では、創作者の意図は大体「自分が思う感動、興奮、情動を表現したい」あるいは「売れたい」が目的なはずだ。
自らの信条と異なる意見を受け入れられない人、他者の価値観を指摘せざるを得ない人は確かに存在する。それを創作作品やメディア、組織での活動、政策など様々な方法で、発信する人も存在はする。しかしその割合は少数なのではと思う。
多くの発信者は、人間性愛者で異性愛者の人、恋愛を好ましいと思う人をターゲットにしているものだと私は思う。つまり概して「異性愛じゃない人など、ターゲットに当てはまらない人」を攻撃する意図で発信をしているのではないんじゃないか。
そして「私はそのターゲットに当てはまらない!疎外だ、差別だ、迫害だ」と騒ぐのは、Twitterなどでよく目にする、「言及してない部分を、不足だ!と批判するクソリプ」に近しいものだろう。
不運な経験をした人がその体験を全体的なものへと拡張して社会問題化しようとしていないだろうか?
決してマジョリティだからと言って、マイノリティを否定して良いわけではない。少数だからと言って、構造的な欠陥故に不遇を被っている人を見捨ててよいわけではない。
ただ、どうもフェミニズム活動家が復讐とばかりに攻撃的になったり、革命的に体制を変えようとしたり、勢い余ってミサンドリーに陥ったりしているような倒錯と似たような感じがする。
それとも私がそういう被害状況を実感しにくい思想、環境、経験であったから過剰に感じる可能性はある。
なので、可能ならば「異性愛規範」「恋愛至上主義」「人間性愛規範」であることを意図的に強要しようとしたことがあるか、そう感じるか、というインタビューあるいはアンケートのような統計的データを見てみたい。
「異性愛規範」「恋愛至上主義」「人間性愛規範」を批判をする人たちの主張からは、遺伝や進化論、考古学や生物学的な、科学的視点が抜け落ちているが多いと感じる。
異性愛、人間性愛、恋愛の重視派、生物学や進化論的に考えれば、各レイヤーでの生存戦略として至極当然の現象である。性愛・恋愛を重視するのはおかしい、という主張は繁殖にとっても逆行していて、無理を言っているように感じる。
マイノリティのために「恋愛至上主義を改めよ」という主張をするのは、個々人の総体としてもコストが高くつきすぎるだろう。
またそれをし始めるとすべての人が多様に持つマイノリティ的個性を慮る必要が論理的には生じてしまう。Aな人も居る、Bな人も居る、Cな人も居る…とすべてを「知っておくように」というのは難しい。よって「自分とは異なる性質、常識、慣習などを持つ人を尊重しよう」でよいのだ。
他者理解、多様性の理解というのはそういうものだろう。
本書は非常に良書だが、最近読んだ他の本でも出てきたような、「異性愛規範」や「恋愛至上主義」に対する疑義が本書でもチラホラ含まれていて、この主張は結構多いのか?と訝しんだ
社会学的な内容であるなら、生物学的・進化論的な観点をまず主軸に置いた方がフラットに感じる。
「性愛を特別視しすぎでは?」という問いかけについては、濱野氏の主張は、「性愛は食事や睡眠と同じものなので神聖視すべきではない」という主張なので、矛盾はしない。
ただ私としては、遺伝子を残すためには性愛衝動があることが有利だったが故に現在までその傾向が残っていること、その衝動はドーパミンやアドレナリンをトリガーに働き始めることを考えれば、特別に感じてしまうのはやむを得ないのでは、ということを前提におくべきと考える。
本書ではそもそも遺伝子云々の前に、無機物に対する愛について述べられているから、こうしたことは書かないのは、納得は出来る。
問題点は「理性の重要性」や「他者の尊重」にこそあると思うのである。
自らの信条に反することをする人を糾弾する人は少数であれど、やたらと声が大きく、攻撃的だ。
これはマナー違反を指摘する人、コロナ禍の頃のマスクの非着用者やワクチン未接種者に対する自警団、(ネット・リアル双方における)右翼などと多くのシーンでよく目にする傾向だ。
同根となるこれらを解消する上でも、「はみ出し者を粛正せよ」という意思を実行動に起こさないようにすること、そうした意思が他者に不寛容な苦しい世の中を創り上げてしまうことを自覚するような提言が、ドール愛好者などのマイノリティに対する救いにつながるだろう。 -
Posted by ブクログ
はじめは好奇心と、偏見もあったけど読み進めるとドールと暮らしている人にも色んなタイプの人がいるのが知れてとても良かったです。
ドール自体を人形やぬいぐるみの感覚ではじめは考えていたので、等身大故に重いので着替えや移動が大変だったり、関節をうまいこと曲げて体勢を整えるのも大変だったり、メンテナンスが必要だったり、健康な状態を維持して生活するのも案外大変なんだと知りました。
ドールに人格や背景を持たせるというのは興味深くて不思議でした。
そしてだんだんと私もドールに感情があるような気がしてきて、丁寧にケアされているドールは幸せそうだなぁとか、愛してると言っているがケアやメンテナンスがあまりできていない人には、もうちょっと大切にしてあげて!と思ったり。
初音ミクさんと結婚された人のことはニュースか何かで見たことがあったけど、本を読んでると、素敵なご夫婦だなぁと思えました。
意外と外で嫌な態度をとられない、妻が可愛いからだと思いますと言う旦那さんが微笑ましく思いました。たしかに可愛いです。
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Posted by ブクログ
ネタバレ・著者の悲惨な(と私は感じる)DV体験から始まり、ドイツの動物性愛者団体への取材を通じた実態の紐解き、という中々衝撃的な内容で、読み進めるのがなかなか辛かった
・ZoophiliaとBestialityの違い、動物性愛xヘテロ/ホモセクシュアル、動物からの行為の誘い、動物性愛への目覚め、妻/夫/パートナー/ペットの定義、ドイツ/西洋/日本の考え方の違い、など自身の創造を超えた切り口
・理解は出来たけど、「本当に色々な人がいるんだな、、、」以上の消化が自身では出来ていない気がする
・誤解を恐れずに書けば、「動物を対等のパートナーであるとなぜ言い切れるのか」「人間が動物の生活を定義している時点で対等ではないのではないか」「アニマルセラピーと何が違うのか」「動物の声を聴くことが我々は出来ないのではないか」・・・など個人的な疑問は尽きないが、それらの表層的(?)かもしれない疑問を脇に置いて考えてみることは必要ではないかと思う
・朝井リョウさんの『正欲』を思い出した -
Posted by ブクログ
星2.5くらい。興味深い体験談がいくつかあったが、そんなに想定外の話はでてこなかった。きれいな部分、見せられる部分のみを抽出した印象を受けた。
多くの人が衝撃と言っていることが衝撃。
獣姦や動物性愛は言及してないだけで多くの人が抱えているセクシャリティであるという認識が自分はあった。
犬やケモノの発情期には、飼ったことがある人なら遭遇したことがあると思う。動物の性欲を考えもしなかったというのは本当に?と思った。
海外ではケモナーやファーリーは日本より格段に多く、論文もたくさんある。せっかく途中でケモノキャラクターに興奮する人の話がでてきたのに、ケモナーやファーリーといった話には一切触れなかったのは寂しい。話が複雑になるのを避けてわざと言及しなかったのか、知らなかったのかはわからないが、まったく触れないというのは不自然に感じた。
自分の体験談が中心で、結局自身のメンタルケアのために研究したんだなと思ってしまった。
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Posted by ブクログ
色々と複雑すぎて、よくわからなかった。
動物性愛者がいる。動物を強姦するわけではなく愛がある関係性の上でセックスをする。けど動物とコミュニケーションを取れるわけではないから実際のところどうなのか。
すごく簡単にまとめるとこういうこと?
著者がズー(動物性愛者)に対して肯定的なのか否定的なのかわからないまま読み進めていたけれども、この本では著者がどちらの意見を持っているというよりは、両方の意見を持っていてその上で読者に議論を促しているのだなと、解説を読んで納得。
それを理解した上でもう一度読みたいけれども、情報量が多いのですぐには読み返せないと思う。
使っている言葉自体は簡単というか理解しやすいのに
あまりにも非日常、自分の知らない世界すぎてなかなか読み進められなかった。難しかった。
知らない世界を知れて面白かった。ただ読むのは疲れる(笑) -
Posted by ブクログ
こんな世界があったとは、読む前と後で動物性愛者「ズー」の印象がずいぶん変わった。
動物とセックスする人、についてこれまでの私の人生で耳に入ってきた情報といえば、岩井志麻子さんが5時に夢中で「田舎育ちは獣姦経験がある」と話していたことぐらいである。かなり昔のことだが、強烈すぎて忘れられない記憶だ。番組上ではネタとして扱われていたし、”現代ではありえない”と思っていた。
しかし、実際に愛情を持って犬や馬をパートナーとする人がいるという。人間の一方的な快感のために動物を利用するものと思っていたが、そういうことではないらしい。
ズーはパートナーの動物との対等な関係性を重視している。相手がしたくて、自分もしたいときにはセックスをするし、必ずしもパートナー関係にセックスは必要ではないようだ。そもそも餌をあげる側ともらう側で対等って成り立つの?というのが疑問ではあるが、誰に迷惑をかけるわけでもなく、本人と動物とが幸せに暮らしているなら外野が批判などする権利はないと思った。
ただ、私自身のセクシャリティの観点から気になることはいくつかあった。これはズーを否定するものではない。
ズーはセックスの始まりについて、「動物が誘ってくる」「自分にだけ特別な行動をとる」と言っているが、その人がいない時には他の人間を誘っている可能性はある。動物に対して共感性が高い人だけが、そのサインに気づいて、さらには動物を受け入れても良いと考えている人だけが、最終的な行為に及ぶ。
この本に出てくるズーの多くは、動物のペニスを肛門に受け入れる男性だ。その始まり方は動物の欲求のために共感性の高い人が利用されているようにも感じてしまうのだが、逆に動物が人間の欲求を嗅ぎ取って行動しているのかもしれず、動物の本音が聞けない以上、人間の解釈で物事は進んでいく。そしてズーたちが語るのは、パートナーとの関係は「愛」で成り立っているというものだ。
著者も触れているとおり、ズーのパートナー(多くの場合犬)は人間に惜しみなく愛をくれるし、常に人間を必要としている。だからこそズーは、自分の身体を、全てをパートナーに捧げられるのだろう。
人間同士の場合、粘膜と体液の接触で染症する病気が色々あるけど、人間と動物の場合はどうなるの?「犬の精液で子宮が満たされて幸せ」と語るズーの話があって、自分の感覚としては怖いなと思った。人間と動物、両方が性の対象となる人もいるそうなので、その辺りは気になるところである。