あらすじ
衝撃の読書体験! SNS、ネットで話題沸騰!! 2019年 第17回 開高健ノンフィクション賞受賞作。「2020年Yahoo!ニュース 本屋大賞 ノンフィクション本大賞」「第19回 新潮ドキュメント賞」「第42回 講談社 本田靖春ノンフィクション賞」「第51回 大宅壮一ノンフィクション賞」各賞ノミネート!
犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。そして、戸惑いつつ、希望のかけらを見出していく──。
【開高賞選考委員、驚愕!】
・「秘境」ともいうべき動物との性愛を通じて、暴力なきコミュニケーションの可能性を追い求めようとする著者の真摯な熱情には脱帽せざるをえなかった。――姜尚中氏
・この作品を読み始めたとき、私はまず「おぞましさ」で逃げ出したくなる思いだった。しかし読み進めるにしたがって、その反応こそがダイバーシティの対極にある「偏見、差別」であることに気づいた。――田中優子氏
・ドイツの「ズー」=動物性愛者たちに出会い、驚き、惑いながらも、次第に癒やされていく過程を描いたノンフィクションは、衝撃でもあり、また禁忌を破壊するひとつの文学でもある。――藤沢周氏
・人によっては「#Me Too」の「先」の世界の感性があると受け取るのではないか。この作品を世間がどのように受容するのか、楽しみである。――茂木健一郎氏
・多くのファクトに翻弄された。こんな読書体験は久しぶりだ。――森達也氏
(選評より・五十音順)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
うーん面白かった。セックスやセクシュアリティについて考えていたことと交差して、思考が刺激され続けた。これはおすすめ。
人間のセクシュアリティやセックスに善悪はつけようがない、と私は思っている。人々が求めるセックスの背景には、さまざまな欲求がうごめいている。…考えるべきは、人間の本能的な部分が社会とのかかわりのなかでどのようにして齟齬をきたすかということ、また、社会の一部分であるはずの私自身が、なぜ特定の性的実践を受け入れられないのかということだ(p.29)
…相手のパーソナリティは自分がいて初めて引き出されるし、自分のパーソナリティもまた、同じように相手がいるからこそ成り立つ。つまり、パーソナリティとは揺らぎがある可変的なものだ。相互関係のなかで生まれ、発見され、楽しまれ、味わわれ、理解されるもの。…背景にともに過ごした時間、すなわち私的な歴史があって、その文脈のなかで想起されるものが、パーソナリティではないだろうか。…人間同士の関係であってもキャラクターとは異なるパーソナリティが生じていることに気付かされる。誰かにとって、ある誰かが特別なのは、共有した時間から生まれるその人独特のパーソナリティに魅了されるからだ。それが揺らぎ続け、生まれ続けるからこそ、私たちはその誰かともっと長い時間を過ごしたくなる。そして同時に、その人といる間に創発され続ける自分自身のパーソナリティにも惹かれる。(p.65)
セックスを誘導することはすなわち動物をセックス・トイのように扱うことであって、それはズーとして許されない行為だと彼らは考えている。そんなことをすれば、動物との対等性が一瞬にして崩れ去るからでもあるのだろう。
…「そうだね、僕たちは対等だった。お互いにセックスをしたいと思った。YESとNOを互いに表明し、受け入れ合うことができた。そういう意味でその犬と僕は対等だったよ」(p.91-92)
果たしてセックスに誘導することはトイのように扱うことと同義なのだろうか?それはグレーな境界線がある話なのだと思う。人間も同じではないか、誘導と誘惑、誘惑に乗ることは何が異なり、それは対等性の観点から問題があることなのか、私はどのような関係においても、対等なんていうものは幻想なのではないかと思ってしまう。それが与え与えられることが入り組み合うことでプラマイ均衡することはあるかもしれないにせよ。
性という生に欠くべからざる要素をも含めてパートナーを受け止めたい、とズーたちは言う。(p.97)
対等性とは、相手の生命やそこに含まれるすべての問題を自分と同じように尊重することにほかならない。対等性は、動物や子どもを性的対象と想定する性行為のみに問われるのではなく、大人同士のセックスでも必要とされるものだ。(p.104)
アクティブ・パートの男性は語りづらい。なぜならば、挿入するという行為に伴う自発性が、動物を傷つけることと同義と捉えられやすいから。パートナーが馬であればその可能性は低いから話しやすいという考察、なるほどだった。(p.158)
パッシブ・パートの人々がセックスに置いて得る最大の喜びは、支配者側の立場から降りる喜びだ。そのときにこそ、彼らが追求するパートナーとの対等性が瞬間的に叶えられる。
しかし皮肉なことに、パッシブ・パートが、性も含めてパートナーの存在を丸ごと受け入れる素晴らしさを満面の笑で語ることができるのも、性的ケアの側面を強調できるのも、彼らが自分のペニスの挿入を避けて、暴力性を回避しているからだ。彼らはペニスの暴力性から解放されることで、まるで自分自身もまったく暴力的でないかのように語ることができる。
だが、性暴力の本質がペニスそのものにあるわけがない。短絡的にペニスに暴力性を見出していては、セックスから暴力の可能性を取り去ることはできない。…性暴力の本質はもっと別のところにあり、それは性別や性器の形状とは根本的に無関係なはずだ(p.162)
言葉での合意さえあれば性暴力ではないと、いったいなぜ言えるだろうか。言葉を使う私たちは、言葉を重視すればするほどきっと罠にハマる。言葉は、身体からも精神からも離れたところにあるものだ。それは便利な道具だが、私たち自身のすべての瞬間を表現しきれない。言葉が織りなす粗い編み目から抜け落ちるものは、あまりにも多い。(p.174)
人間は動物との間に設けてきた境界を隔てて、「人」というカテゴリーを生きている。人間と動物のセックスは、その境界を撹乱する。ズーたちが提起しているのは、セックスとはなにかという問いだけではなく、人間とはなにかという問いでもある。(p.194)
セックスの本能が先にあってセクシュアリティが発生するとは限らない。セクシュアリティを考えるとき、セックスとセクシュアリティの位置を逆転させることも可能だ。「このようなセクシュアリティのために、このようなセックスを選び取る」と宣言してもよいのだ。(p.242)
※セクシュアリティを「セックスにまつわるあらゆること」と定義した上で。
ある人にとってズーとは、身近な動物をまるごと受け止めながら、共に生きるための新たな方法であり、ある人にとっては愛すべき恋人や犬を受容する方法であり、またある人にとっては政治活動であもある。(p.244)
彼らは真剣だった。セックスや愛を通して、望む生き方について彼らは語っていた。
ズーたちのセックスは、それ自体が目的ではなく、パートナーとの関係のなかで対等性を叶えるための方法にもなっている。…セックスが、人間と動物の対等性を一瞬でも叶える力を持つなどとは思ってもみなかった。永久に体現できないかもしれないとも思える対等性を、ズーたちはセックスの瞬間に手にしている。
あるいはそれは、夢かもしれない。だが、なんていい夢なんだろうと私は羨んでさえいる。彼らはその瞬間に愛とセックスを一致させる。支配する側から、そのときばかりは降りることが許される。愛する相手を「丸ごと受け入れる」喜びを得ながら、ズーたちは種の違いを乗り越え、パートナーとの対等性を叶えようとする。(p.255)
Posted by ブクログ
すごく良い本だった。
自らの性経験から入り調査経緯を順々に綴っていくので、だらだらした書き方と感じた。が、結果として不可欠な要素になった。このような経験をした筆者だからこそ、そう感じたしそんな考察になったのだと分かる。
「獣姦って何」「どんな人たちがするの」という当たり前の疑問。そこから、「性を知らぬ子どもの立ち位置」「主人とペット」「言葉を介さぬコミュニケーション」等の周辺事情へ目を向ける。更には「人間にとっての性行為とは愛とは」と進む。
斬新な切り口で、親密な関係性の築き方選び方について、真摯に見つめた一冊だと思う。
Posted by ブクログ
動物性愛だけではなく、人間同士における「関係性」や「愛」、パーソナリティなど、様々なことを改めて考えさせられた。
動物を無意識的に子ども視してしまっていたこと、それ故に、動物にも存在し得る性的欲求やセクシュアリティについて見事なまでに見落としてしまっていたこと。迂闊、というか、稚拙、というか。自分の想像力の足りなさを痛感した。
「動物からは言葉の合意が得られない。だから、実際に動物が人間とのセックスをどう感じているかは想像できない。ゆえに、セックスを含む如何なる動物性愛も許されない。」という言説に対して、「言葉での合意があれば性暴力ではない、なんてことはない。」という著者の返し方には唸ってしまった。確かに、言葉ではYESと言っていても、それが本心からのYESなのか、雰囲気に流されたYESなのか、そう言わざるを得ない状況下で苦し紛れに発されたYESなのかは分からない。そもそも、言葉によって全ての関係性における問題が解決されうるなら、人間社会はこんなに腐っていないだろう。だからと言って言葉を軽視している訳では断じてないけれど、コミュニケーションは言葉だけでは完結されない、ということも肝に銘じる必要がある。
Posted by ブクログ
動物性愛(人間が動物に対して感情的な愛着を持ち、ときに性的な欲望を抱く性愛のあり方)をめぐるルポ。著者がドイツの動物性愛擁護団体「ゼータ」に所属する動物性愛者達と実際に会い、寝食を共にしながら話を引き出していく。
動物性愛と聞くと著者も指摘するように「獣姦」のイメージがつきまとうが、本を読むと動物性愛とは明らかに峻別されていることが分かる。そしてページを繰るごとにイメージがどんどんと刷新され、新たな世界が垣間見える。
Posted by ブクログ
多様性という言葉が広く認識されるようになった昨今、その多様性がどれほどの幅をもってしてそう呼ばれるのか考えさせられました。私はズーフィリアという言葉を著書にて初めて知り、性愛の対象が言語能力の無い動物であるということに非常に驚きました。ゼータの人々の言う「動物が誘ってくる」という言葉への疑念はありつつも、否定も出来ないなと思いました。ノンフィクションならではの臨場感をひしひしと感じました。
Posted by ブクログ
動物性愛というキーワードに、まずは嫌悪と興味を同時に覚える。が、読むと、筆者のDV被害体験、フェミニズムとは?虐待とは?ありとあらゆる問題についてわからなくなってしまった。大変良いノンフィクションです。是非。
Posted by ブクログ
読み終えて、何かを考えるよりも、
動物のパーソナリティ、ペットとしての動物の性といった今まで感じ出なかったけれど、あって然るべきことを感じる感覚を研ぎ澄ますように促されていることを感じました。
動物と人のみならず、人同士の性愛についても新しい視点を提供してくれる作品でありながら、非常に読みやすい作品です。
作者の短い期間でありながら挑戦的で、未知のコミュニテイへ分け入っていく過程に引き込まれます。
人のペットに対する子供視がその性を無視するということに、現代のペットに対する違和感を少し説明してもらえた気がします。
愛における対等性、性愛において言語的同意以前にある意思疎通、、、
旅行先でこの本を勧めてくれた方に感謝。
Posted by ブクログ
まず文章が素晴らしい。
とても読みやすく、随所に筆者の上品な知性を感じる。
動物性愛というものの真実を筆者なりに理解し、
それを誇張無く伝えようとする情熱が伝わってくる。
この題材を研究テーマにする事自体、かなりの覚悟を必要とするはずだ。研究自体の価値をはなから否定されたり、
研究者自体が差別的な目で見られたりする可能性があるだろう。
調査も容易ではなく、社会から批判的な目にさらされるコミュニティの信頼を取り付け、彼らと体当たりで深く交流する筆者の姿勢には神々しささえ感じられた。そこには明らかに研究者以上の思いを感じた。
ではなぜそれを題材とするのか?
セックス、セクシュアリティにまつわる問題は彼女の心の中に強く引っ掛かっていて、それを解決しなければ彼女の人生が前に進めない状況にあったからだ。
そのためにこの題材を研究している事が分かり納得した。
この本は新しい価値観を私達に教えてくれる。
またそれと同時に動物性愛というテーマに限らず、
他の様々な事象についても物事を掘り下げ
真実を追及する姿勢の美しさ、強さを教えてくれた。
全てを自分に都合良く解釈し、既知の常識にだけ当てはめて捉えようとすれば真実は指をすり抜けて行く。
全ての前提を捨て、ただ純粋に真実を求めんとする筆者の姿勢に何より感動した。
Posted by ブクログ
愛ってなんなのか、より一層わからなくなる本だった。私は動物と触れ合う機会はあまりないので、完全に他人事として、興味深く読んだけれど。
めっちゃ面白かったし、未知との遭遇だったけれど、これはもう生理的に無理という人もいるだろうなと思う。
Posted by ブクログ
あまりにも(私の信頼する界隈からの)評判がいいので電子書籍を購入。
だけど、やはり内容から購入を決断するまでに多少時間がかかった。それだけで、私の中に大きな偏見があったことが分かる。
読んでみれば、(少なくともここに紹介される)ズーたちへの間違った偏見はなくなり、それどころか私の中の動物(犬や馬)に対する感情と、バラエティ番組などでの動物の扱いとの間の違和感がスーッと解決されて目から鱗だった。
こうやって、思いもしなかった考え方をくれる本に出会えると本当に嬉しい。
自分の中の性的なマイノリティの部分もまた深く考えるきっかけになった。
また濱野さんの著書が出たら是非読みたい。
Posted by ブクログ
衝撃、とともにものすごく興味深い内容だった
“動物性愛”
物心ついたときから家には犬や猫がいて、
いろんなことを教えられた
人間の方が優れてるなんてまったく思ったことはない家族であり、兄姉であり、弟妹であり、先生、ともだち、仲間…愛すべき大好きな存在だけど、彼らとセックスをしたいなんて、彼らから快楽を得ようなんて
一度も思ったことはない
動物とセックスすること=獣姦、それはおぞましい行為だと思ってきた
ほとんどの人がそうだと思う
でも、この本に登場する動物性愛者“ズー”は、大好きな犬とのセックスを崇高な性愛と語る
ズーたちは、犬たちからの「誘い」がわかるという
たしかに犬たちにも性欲はあるはず、種の保存目的として、でもそれが異種の人間にも向けられているなんて考えたこともない
ショックすぎた
著者は自ら夫のDVに苦しめられ、「人間のセクシャリティとは何か」を探し求めてズーと出会う
ズーも自身のセクシャリティをなかなか公言せず、唯一のズー団体“ゼータ”に会いにドイツへと赴く
ナチスに抑圧されたドイツに唯一のズー団体があるというのも面白い
こんなカルチャーがあるなんて…
街で大型犬見ると「彼らの性欲?」って
ついつい見ちゃう
ズーは間違っているかもしれないし、間違っていないかもしれない
もっとズーの世界が知りたくなった
著者は素晴らしいテーマを見つけた
動物好きの人は読んでほしい
果たしてどんな感想をもつか?
Posted by ブクログ
「とてもいい本に出会えた」
それが1番の感想です。
動物を性の対象とする
という人たちがいることに
初めは眉を顰めていたけれど
読み終えた今の自分は
「性」について色んなことを
考えさせられました。
「ズー」の人たちが社会から容認
される日が来るとは思えないけれど
人間と動物のあり方を再認識する
には素晴らしい本でした。
Posted by ブクログ
私たちは自分以外を見るのが下手すぎるのかもしれません。人も動物も。もっと向き合わなければ相手のことを知らずただ傷つけてしまうだけかもしれません。
人間は言葉を持っている。とても便利だけど、それだけを信用していては本当に理解することはできない。表情を視線を動きを匂いをもっと敏感に捉えなければならないと本を読んで私は思いました。
性交について、愛について考える手助けを『聖なるズー』はしてくれると思います。
Posted by ブクログ
性や生に対する個々の考え方は十人十色で、国の文化や歴史、法律などが密接に関わっていて、ズーの知識への入り口がひらけた気がした。
でもパーソナリティを大切にすることや、お互いに愛を感じること、そして時には苦悩があることは、どんな性的指向でも何かを愛する限り変わらないことだと感じる。
マイノリティでもマジョリティでもさほど変わらない気がしてきた。
暴力性という視点は参考になった。
Posted by ブクログ
動物性愛やその欲望のありかたに対しては、そういうこともあるよなあ、という感覚で、衝撃をうける、という感じはあんまりなかったけれども、性暴力被害の記憶をかかえながら、ズーにラディカルさを期待していたことを省み、パッシブ・パートのズーの主張から読みとれるペニス嫌悪、ゼータのかかげる愛の保守性、動物は裏切らないと信ずる心に見える逃避性、といった点にもめぐらされる著者の揺らぐ視点が、独特の味わいをもたらしていると思った。
Posted by ブクログ
あまりに衝撃で
あまりに異種な愛?の形に、誰かとこの本について深く話がしたい
ここでの感想を見てても、
作者のいいたいことについて答えてるようなものがみつけられなかった
獣として、私はペットである愛兎を見ていない
けど、ズーフィリア程には見ていない
障害者や患者の性は、同じ人間として思うこともある
動物に対して、子供視は否めない
けど、生き物として当然とは思う
それを制限しようとは思わない
だって、彼らは逸脱しないから。
問題なのは、
ものの見方としての人間の方だと思う
同様に、
ズーフィリアを否定はしないがそこまでする必要があるのかと思う
動物も人間も気に入ったら、
心許すのは普通だろう
問題は私の体感でも思うが、
それを理解できない人がいる
誘われたから?
乗らなければいい話だと思う
けど、
異種と見れないから、そうする
人それぞれだ
愛と性
それはそれぞれ
女にとっては常に受容で
男を暴力と感じる
それは否めない
鶏はメスをつつきまわって血みどろにして
交尾する
、、、あれが男の本能か
でも、変わらない永遠の愛を求めるのは
男も女も変わらないようだ
動物はどうか知らないけど。
ふーん、、、
動物は変わらないから?
えー
エゴで動物を飼うことで世間を知らせないのに
作った「変わらない」は純愛なのか?
動物はそれを求めてるのか?
、、、そこ、どうなんだろう。
色々考えると、あくまで人間社会においてがベースにある限り、本当の意味での対等ではないように思う
究極的には人間のエゴを抜けることはない
愛と性は別なんじゃないか?
色々な意味で。
けど、それいい出すとこの作品の意味がない
、、で、なんで指導教官は獣姦を提案したんだろう?
理解力なくて、すみません(_ _;)
人間の結婚制度は
制度や宗教的常識等に縛られたもので、無理があると思う
或いは人間の愛と性に無理がある?
Posted by ブクログ
これまで聞いたこともなかったズーファイル=動物性愛者という世界。自身の欲望を満たすためだけの獣姦とは似て非なる、むしろ対極にあるかもしれない世界。動物にも性欲は存在し、動物を愛するが故に、性も含めて受け入れようとする世界。完全に理解できるわけではないが、それでもこれまでなら恐らく軽蔑と忌避の対象にしかならなかったであろう人たちを、頭ごなしに否定するのではなく、そういう世界もあるかもしれないと思わされた。
Posted by ブクログ
動物性愛の人々をズーと呼ぶ。彼らは世間の偏見や法律の改正の影響を受けて自身のセクシュアリティーを著者に打ち明けるまでに時間を要した。
ズーの中には自分を偽りうつ病を発症した人もいる。
実際の彼らは動物を心から愛しペットとしてではなくパーソンとして対等性を重視して接していた。
動物と人との有り方を考えさせられるノンフィクション。
Posted by ブクログ
こちらも一気読み!
動物性愛とは…
非常に新しい視点、新しい価値観だった。
嫌悪感というよりもズー達の人生ではあり得る世界なのだ、幸福な世界なのだと思わせる、ルポの進め方が素晴らしかった。
ドイツのナチス後の反動、性愛に対する自由主義化という知らなかった側面も知ることができ、多文化を知るという観点でも読み進める手が止まらなかった。
興味本位なのではなく、著者の方の傷が癒えていく旅だった。(毎回一部の男性の自己本位性や暴力性には、物凄い嫌悪感を催す)
キリスト教の洗礼を受けご両親に大切にされてきたであろう女性がなぜそんな酷い男から逃れられなかったのかという矛盾を感じた。悪い形で共依存になってしまっていたのではないだろうか、とも。
大きな傷を受けた人間が再生する物語が好きかもしれない。
Posted by ブクログ
獣姦。理解不能。おぞましい。気持ち悪い。読後、この感覚が変わったという事はない。ただ、読む前とは、少しだけ嫌悪感の質が違う。色々と考えさせられる。考えながら思考が散漫となるが、読む価値あり。中身は真面目なフィールドワークだ。
自らも歪んだ性経験をもつ女性研究者が、体当たりで、動物性愛も含むドイツの団体ZETAを中心に取材する。性行為が主ではなく、あくまで動物との生活における一部であり、必ずしも行為は必要とはしないと言い切る彼、彼女らは、動物を性玩具のように用いる性指向とは一線を画す紳士的な団体。しかし、動物の欲求を半ば介護の如く解き放つために、自らのアナルを差し出す男を、私の脳は「なるほど。分かります」とはならない。玩具か否かという次元の前に、共感できない。だからこそ、彼らは偏見に晒されるだろうし、読書にも意味があった。
LGBTのようにマイノリティと言いながら少しずつ市民権を得てきた性的指向に対し、小児性愛やスカトロジストなどは、やはり嫌悪の対象だ。私にとっては、どれだけ物語を美化した所で、残念ながら、動物性愛も同じ次元。しかし、そうした人たちが存在する事は理解している。だけれど、自分のペットと恋に落ちるとかは受け容れられないし、受け容れない権利だってあるはずだ。欲しいと言われて愛犬を友だちの妻として差し出すだろうか。想像自体が狂っている。
人間の性的指向は、幅広い。ダイバーシティが主に性に特化して、如何に難しい事を目指しているのかが分かる。両者の合意を前提に多様性を認めようというのがルールだとしても、相手が動物だからこそ、彼らの中でもルールや葛藤があるようだ。尚、本著に出版禁止を求める声もあるようだが、全く禁止にする必要がない。ルールは守る必要はあるが、その範囲で、リアルな人間やその多様性を認知しておく事こそ、本の役目だろう。
Posted by ブクログ
自分には遠い世界のものと思っていた、動物とのセックスについての本。 最初はあまりにも異質と言っていい世界の話の連続だったけれど、著者の観察者に徹しようとしながらも、ズーの人たちとの関わり方、それを踏まえた考え方の…上手く言えないけど、人柄みたいなもののおかげで、最後まで読むことができた。 ズーの人達が伝えたい、叫びたいことが著者を通して、自分なりに理解ができたと思う。 動物が裏切らないと言う彼等の話や、一定の考えは凄く納得いくものだった。
多様な生き方が推奨されている今なら、どんな生き方だって、考え方だって自分が共感できる場面があるならば、少しでも寄り添えられるんじゃないかな。 読み終えた今も、色々な考えで頭がいっぱいだけど、目線を変えた愛の先を考える良いきっかけになった。
Posted by ブクログ
文化人類学者が書いた本で、動物性愛者との関わりを通して愛とは、セックスとは何かを追求していく1冊。
私は当初この本を読みながらどうしても過去の経験から生物学的な視点を入れてしまうため、ズーが言う「犬がセックスに誘ってくる」とか「舌が入って大丈夫かどうか」とかは生物学的に自然なのでは…なんて思ってしまった。(私自身が昔買っていた雄の柴犬は去勢をしていなかったのでしょっちゅうイライラしていたし、家の中で立場の弱い私と祖母にばかり腰を振りに来ていたし、歯磨き粉の味が大好きだから歯磨きのあとは毎回口の中を舐め回そうと下を入れてきたので)
ただ、それでこの本に出てくるズーのパートナーの愛情表現を否定するのではなく、クルトのように受け止め、うちの犬は私に愛情表現をしてくれていたけど私がズーではなかった、それだけの事なのかなと思える。
作者の過去の性体験が非常につらいものであったため、今作を書き上げるためには自身の過去と向き合う葛藤もあっただろうが、それを抜きにしても素晴らしいフィールドワークだと純粋に思う。
Posted by ブクログ
人間以外の動物とのセックスといえば獣姦という頭しかなかったが、動物性愛というもの、獣姦との相違、動物性愛者たち(ズー)の考え方がよく理解できた。文章は上手だし、自分のDV経験をカミングアウトすることで、動物性愛の考え方をよりわかりやすく導く手法も良かったが、自分の経験に縛られ過ぎた価値観を前面に押し出しすぎなところは気になった。いずれにしろ勉強にはなった。
Posted by ブクログ
最初はいろんな性志向があるのだなと思ったけれど、この本で語られている当事者たちの話しを読んでいると、なるほどねぇとちょっと納得してしまったりして。
Posted by ブクログ
著者の経験から、動物性愛者というセクシュアルマイノリティを紐解いている。この本では動物性愛者をズーと呼んでいる。ズーであることを「動物の生を、性の側面も含めてまること受け止めること」と著者の調査や経験からまとめている。動物と対等な関係の先に、愛があり、性がある。当たり前のことなのにそれが全く議論されていない。偏見や偏った知識で批判することは簡単だ。しかし、著者やズーの人達のように、色んな考え方を独自の方法で理解しようと努め、行動することが大事だ。これには大きなエネルギーを要することがこの本から伝わってくる。そして、自分のアイデンティティ、セクシュアリティ、人間とは何かということを考えていく先には、自分が居心地が良く堂々と生きられる世界が待っているのではないかと感じた。ただ、私も完全にこのズーのことを理解できたとは思えない。理解しようとする姿勢が大事だと思う。疑問が良い意味で残る本だった。
Posted by ブクログ
とってもショッキングな内容でした!ズーフィリア(ズー)というのは、動物性愛者のこと…動物をパートナーとしてその性も含めてかけがえのない存在として愛するということ…。今まで生きてきて、そんなこと考えもしなかったんです。偏見を持っていたんですよね、私…。
ドイツには動物性愛者の活動団体「ゼータ」があり、この作品はその取材内容に基づくものをベースとしています。筆者は自ら受けたDV被害から、性について、愛について知りたいと思ったことがきっかけになったようです。現在は多様性が重視される社会になっていますが、それでも…なんか受け入れがたい!でも、ズーたちは、自然の成りゆきだといいます。
動物は嘘をつかないし、ありのままの自分を受け入れてくれる…確かにそう、なんだけれど…、こういう世界もあるのか…と、知ることができました。この作品の表紙、犬だったんですね…ズーが愛する対象の動物で一番多いのが大型犬、次は馬なんですって…。
Posted by ブクログ
この本で言う"ズー"とは、犬やウマなどの動物をパートナーとする動物性愛者たちのことを指す。
彼らは動物とただ単に一緒に暮らして餌を与えるというようなことではなく、性処理も含めて動物の"生"を丸ごと受け止める、動物と対等な関係を築く、ということを自分たちのスタンスとしている。
昔と比べれば、さまざまなセクシュアリティを持つ人への理解が進んできた日本でも、動物性愛についてなかなか理解できない、そもそも知らないという人の方が多いのではないか。
私自身以前犬を飼っていたこともあるけれど、この本に書いてあるズーの人たちのことを理解するのはなかなか難しかった。
改めて感じたのは、セクシュアリティの問題の難しさ。著者はプロローグにて、このように書いている。
『私にはセックスがわからない。セックスとは、この世に存在するいきもののうち数多くの種にとって、それをしないと遺伝子を繋げない普遍的な行為のひとつだ。(中略)
セックスにそれ以上の意味がないと言われればそこで話はおしまいなのだが、セックスが生殖に限定されるものとは到底思えない』
筆者のこの言葉にものすごく共感して、この答えが見つかるかな、と思って読み進めたけど、さらに混乱が深まった感じがしている。笑
だけどそんなの当たり前で、一冊何か読んだだけでわかるようなことでもないよなと腑に落ちている部分もあり。
読みながら戸惑うことも多かったけど、知ることで偏見は少なくなったように感じる。
簡単に理解ができる内容ではなかったものの、そこにある彼らの愛は尊重したいし、されるべきだとは強く思った。
やっぱり知る努力は大切だし、怠らずに色々なものを読んでいきたい。
Posted by ブクログ
セクシュアリティ/ジェンダーフィールドでの修士論文のテーマとしてズーフィリア(獣姦)を選んだ著者が、そのコミュニティがあるドイツに渡る。彼らと生活を共にし動物を愛するとはどういう事なのかを知る過程でセクシュアリティ(性愛)とは?と自らの性暴力の体験を振り返りながら考察を深めていくノンフィクションルポです。
「ズーフィリア」というと暴力的なものや、気味の悪さを感じてしまうかもしれないけれど、この本では彼らに話を聞くことで「愛」とは、「愛する」とはどういうことなのか、相手との関係性やその愛情表現のひとつとしての性愛、更に広義の「性愛(セクシュアリティ)とは何か」を考えさせてくれるものでした。ズーフィリアの人達の思考を知るだけでなく、そこから著者自らの内省に働きかけて発展していく過程を興味深く読みました。