あらすじ
犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。大型犬を「僕の妻だよ」と紹介する男性。七匹のねずみと「群れ」となって生活する男性。馬に恋する男性。彼らはときに動物とセックスし、深い愛情を持って生活する。過去に十年間にわたってパートナーから身体的、肉体的DVを受け続けた経験を持つ著者は、愛と性を捉えなおしたいという強い動機から、大学院で動物性愛を研究対象に選び、さらにズーたちと寝食をともにしながら、人間にとって愛とは何か、暴力とは何か考察を重ね、人間の深淵に迫る。性にタブーはあるのか? 第17回開高健ノンフィクション賞受賞作。
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◎最近読んだ本で最もよかった。
動物性愛というテーマで、こんなにも自己と他者の対等性を考えさせられるとは思わなかった。
◎「言葉を交わせない動物との間に合意はない」という非難が出てくるが、言葉が必ずしも対等な関係性を担保するわけではないだろう。
言葉が本当の感情や想いを表すことは少ないわけで、機微を取り零したり、そもそも本心とは裏腹のものであったりすることが多い。
また、言葉を発する前の関係性で、言葉には制限ができる(支配者―被支配者のような関係性では対等な言葉を交わせるわけはない)。
むしろ相手との対等性をおざなりにしてしまうのが、見せかけの言葉によるコミュニケーションなのではないか。
それに比べ、五感を研ぎ澄ませて、パートナーである動物の感情や欲望を察知し、対等な存在として共生しようとしているズーたち(動物性愛者)のほうがよほど他者に対して誠実だと感じた。
◎日本での家庭動物(ペット)は、性欲をもたない「子ども」として扱われるという話もなるほどと思った。
◎最後の、「友人」のくだりがとてもよかった。
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価値観を揺さぶる本。本書中のあるズーが語るように、セックスの話題はセンセーショナルだからどうしてもズーの話を性行為に限って取り上げてしまう。そのために動物愛護団体との対立も生じる。しかしズーたちの問題の本質はセックスではなく「動物や世界との関係性」にある。異種への共感、愛情。人間と動物が対等であるべきとの考え。性愛と対等性というテーマが、著者がかつてパートナーから受けていた性暴力の記憶と結びつき、愛とは何か、性とは何か、関係とは何か、人間とは何か、という問いになっていく。
著者も書いているが本書によって動物の性欲について知ってしまったあとでは、今後の人生で動物を飼うことに抵抗を覚えてしまう。性欲も含めた彼らの存在を丸ごと受け入れるだけの覚悟を持てる自信がない。
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動物性愛の取材というテーマもおもしろいし、さらに筆者のバックグラウンドも合わさってスパイラルのように進む考察もまたおもしろい。
大学院の論文がベースのようだけど、こんなに面白い論文が書ける筆者にはただ脱帽。
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動物性愛についてという、センセーショナルな題材のノンフィクション。とにかく文章がうまく、ぐいぐい読んだ。
いやらしさは全くなく、むしろ真摯で感動的。動物、考え方の違う他者との関係性について考えさせられる。
この本を読んだ後、動物をただ可愛がって性欲を無視する方が、ある意味虐待じゃないかとも思った。
文庫版あとがきに、「人間は共感すべき対象を無意識にあらかじめ選択しているのかもしれない」という問題提起もあり、興味深かった。
そっちの方面の研究を押し進めた本も、ぜひ著者の濱野さんに書いてほしい。
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動物性愛者をめぐるノンフィクション。著者の体験からセックスのことを理解したい、という強いおっもいがあり、ただのびっくりノンフィクションとは全然違う、切実な内容。
対等、ってなんだろうなあ。愛がないとセックスってしちゃいけないのかな。etc...
「タブー」とされることに切り込むのがノンフィクションの意義である。必読。
ペットの去勢も、これまでは動物の健康上の理由から当然のことと思っていたが、これを読むとまた考えてしまうな。
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愛の意味、所在を考えさせられる本だった。特にクルトという人物が出てくる章は深く共感した。そして、意外と日本のアニメは自由度が高いんだなと感じた。
愛は、自己嫌悪を紛らわすための麻酔なのかもしれないし、たとえそれが人ではなくても、その手を取り合うための通行手形なのかもしれない。
愛を使う人によって、その定義が変わるのが興味深かった。
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正欲を読んだあとと少し似た感覚がある。読む前の自分には戻れない感覚。動物の性欲を無視できなくなってしまった。
動物性愛としても、少数派の生き方としても、わたし個人にとってかなり興味深い本だった。おもしろかった。
"「病気」「変態」という言葉が示す排他性は危険だ。あの人たちは自分とは違う、という線引きをして、そこで思考を鈍らせる"
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衝撃の一冊だった。動物性愛をテーマにした、何とも静謐なドキュメンタリー。「動物性愛」という言葉から予想されるようなグロテスクな描写はほぼありません。
性の問題。個々の人格的尊厳を主題にしている本です。
政治運動として展開されるLGBTやフェミニズムには正直批判な目を向けているが、本書に描かれているパーソナルに問題としての性や尊厳の問題には真摯に向き合うしかありません。
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「正欲」(朝井リョウ)の次に読んだ作品。
「正欲」が性を取り扱った作品だからこそ、本書を選んだ。
単に可愛いというだけで犬や猫を飼うが、
どこまで真剣に動物の性を考えているだろう。
自分たちが人を愛するのと同じ感覚で、動物を愛して、動物にも性欲があり、それをどう受け止めてあげることができるか、を考える人たちがいる。
動物性愛。
これを動物虐待と呼んでいいのか。
動物の声や気持ちを正確に分からない人間が、「それ」が愛なのか、虐待なのか、「それ」を法律や社会が決める事はできるのか。
自分にまったく発想もできない価値観に出会えることこそ、読書の醍醐味。
どこまで真剣に自分たち人間の性について考えているだろう、というところまで踏み込んで書かれており、作者さんの粘り強い取材のおかげで、深く、多面的な見方を学ばせていただいた。
性を扱うからこそ、人間の本質に迫ることができていると思う。
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これは頭ぶん殴られた気分になる本。動物性愛といっても、さまざまにある。数週間動物性愛の「ズー」と共に暮らすことで、理解から入る。その愛が真実と語られるが、しかし、さまざまな視点からその性愛についてスポットライトを当ててゆく。どの立場の人たちの言葉にも理がある。反する立場の人たちにも別角度の理がある。そしてそれぞれに矛盾や都合の良い解釈がある。しかし、それは人間同士の性愛に対してもだ。遠い世界かと思っていたら、距離を詰められて殴られる感覚。一度読んでみてほしい。
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たしかTwitterでおすすめのような形で気になっており、たまたま書店で見つけたので一読。
今まで「動物性愛」について考えてきたことはなかった中で、日常生活でも溢れるペットの性欲の視点は今までになかった。
動物との対等な関係性を考えることは自分自身の他者へ関係の仕方を改めて考えるトリガーになりました。
すぐには答えが出ないし、考え続けるべきものであることは間違えない。
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夏休み-17
しらひなが、【私が読んだ中で一番ロマンチックで愛のことを真摯に考えた本】と推してくれたから、私は手に取れた。
性暴力を受け続けた著者が、セックスと愛を捉え直すために、ドイツで動物性愛について調査をする。ズーと呼ばれる動物性愛者と寝食を共にしながら、彼らの考えや、それを否定する愛護団体の声や、人間のセックスについても広く耳を傾けながら、考え続けるノンフィクション。
テーマが衝撃的/未知の世界すぎて、正直読むのが怖かった。(セックスという言葉が出てこないページがない)なんかまだ、自分の言葉で語れないけど、動物の性欲にも目を逸らさず、丸ごと愛す生き方を一貫しているズーたちの言葉が、なんかたしかに非現実的でどこまでもロマンティックだなと思ってしまった。
でも著者は一冊を通して(あとがきでさえも)常に冷静で、ズーのことを受け入れたい、理解したいという気持ちでありつつ、どれか一つのセクシュアリティを肯定したり、否定したりしない。自身の経験から何か一つの正解に縋りたい気持ちではあろうに(ごめんなさいこれは勝手な見解です)、ありのままの彼らの言葉を受け止めて、濱野さんなりの考察をすすめていく考え方/書き方が、とてもよかった。
朝井リョウ「正欲」を読んだときには、"水"に性的興奮を覚えるセクシュアリティ(言い方合ってるかな)が大きく扱われていて、でもこれは「どうしようもないもの」であり、それを受け入れられない世の中に閉口するしかない/諦めた当事者のやるせなさを痛感した。
セクシュアリティ関連といったらそうだが、この本の中には、「ズーという生き方を知って、ズーになった」という人物が出てくる点で、「正欲」とは全く違うと確信した。「これはクルトの個人的な、性差別に抗う政治活動なのだ」という文、これだ。私たちは(少なくとも私は)限りなく狭いセクシュアリティと性に対する価値観しか知らない中で生きてきたということを突きつけられた。
最後には、人間より明らかに短い動物の寿命と死、出会ったズーの一人一人と向き合い続けたことによってできたパーソナリティ、ここまできてなお、ズーのパートナーとなるのは言葉でコミュニケーションを必要とする/裏切る「人間」ではなく、言葉の要らない/一生裏切らない「動物」と感じていることなど、考え続けて何年経っても湧き続ける疑問や新しい現実が畳みかけてくる。ぜんぜんまとまらないけど、とにかく読んでよかった。しらひなありがとう。
Posted by ブクログ
・ドイツではかつてユダヤ人への虐殺が行われており、それに付随する形で同性愛者などへの弾圧も激しかった。そのため戦後のユダヤ人差別の撤廃運動に伴い、様々な「性」を背景とする人々の抗議活動が活発化し、ドイツ社会そのものが性に関する活動にも寛容?(ある程度受け止める、認めるための土壌が構成されるよう)になった。
→これまでドイツは性に寛容というか、SMなどを含む性活動に他の国よりも積極的なイメージがあったが、それが戦後の抗議活動を基とするものだとは思ってなかった。
・作者が「暴力は意外にも生産的な行為である(怒り、悲しみなどを産むから)」と述べていたが、上記の性に寛容な文化の形成のように、戦争とDVも規模が違うだけで同じ性質を持っているのだと改めて感じた。
・動物(パートナー)をありのままに受け止める・対等になることがズーの方たちの愛し方で、セックスはあくまで発生する事象に過ぎないというところが興味深かった。
セックスを愛に付随するものとして大切にしている人にとって、何かしらの理由・言い訳が必要な刹那的なセックスを肯定できないというのは動物性愛/人間性愛に関わらず理解できる価値観だと思った。
Posted by ブクログ
読んでよかった!!!
不思議な納得感とあわせて、最後愛について痛烈に批判した後、しかし果たして「愛なしで対等でいられたことがあったのか」「むしろ人間同士の方が対等であることの方が難しいのでは」と裏返っていくのが興味深い。
言及されているように、「対等性」が自分にとっても一番大きい問題点だったようにおもう。
言語や体格や種を凌駕して対等であるには、「動物は動物である必要がある」点こそ、「対等性」を解決しているようで、結局「支配」ともとれる余地を内包してしまっている。
>ズーたちにとって、ズーであることは、「動物の生を、性の側面も含めてまるごと受け止めること」だった。
これから生きていくにあたって、↑の文章が心に刻まれたのは間違いない!
Posted by ブクログ
動物にも性があるってことを、今まで考えもしなかった。
ペットとして飼うことはあっても、対等なパートナーとして動物をみたことはなかった。いくら同じ家族だといっても、ペットは子どものような存在、癒してくれる存在でしかない。
読んでいてうっすら嫌悪を感じてしまったけどそれは、子どもとしての犬を性的な目で見ていると思ったから。でも違う、と読み終えた今では思う。ズーは犬などの動物たちを、私たち人間と等しく尊い存在として認め受け入れている。性的な目で見ているのではなく、彼らの性も含めて丸ごと全てを受けとめる。そこにこちら側の期待の押しつけがないとは言えないし、この本の中では綺麗な部分を選んで描かれているとは思った。
でも本音が分からないのは、人間同士のコミニュケーションでも同じことかもしれない。私たちは動物とは違い、言葉で自分の気持ちを表現できるというのに、いったいどこまでお互いのことを分かり合えているのだろう。
動物性愛について、理解はできなかったけど、知ることはできた。
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動物性愛についてはそこまで衝撃ではなく、こういう人達もいるよねとすんなり受け入れて読むことができました。それ以上に、動物性愛者が優しい人達なんだなと感じました。
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最初にこの本について知った時、正直言って気持ち悪かった。
本屋大賞のノンフィクション部門にノミネートされたからには読まなくては、とは思いつつ、気が重かった。
動物性愛者なんて、小児性愛者と同じくらい許せないと思った。
マイノリティの性癖だから気持ちが悪いと排除するわけではない、と思いたい。
許せないのは、合意を得ることのできない相手に、一方的に自分の性癖を押し付け、さらには相手に痛みや苦痛をを与え身体を損なうような行為を強要してまで、自己の快楽を優先するという心理。
ところがこの本を読んで、それは全くの思い込みであったことがわかる。
「動物性愛者」という言葉が呼び起こすイメージが、「性」の押し付けを思わせるのがそもそも違っていたのだ。
「ズー」と言われる彼らは、特定の一匹(一人)の相手をパートナーとし、お互いをかけがえのない相手と認識し、決して性行為を強要しない。
たまたま彼らのパートナーは人間ではなかっただけ、なのかもしれない。
それにしても、最初に感じた「気持ち悪い」という感情は、私だけが感じるものではなく、著者も「ズー」の人たちも、世間のそういう目にさらされる。
しかし、ヨーロッパに限って言えば、それはキリスト教によって戒められている行為であることも大きいらしい。
『旧約聖書』に、「近親相姦をするな、月経中の女性とセックスするな、姦通するな、男性同士でセックスするな」と並んで「動物とセックスするな」と定められているのだそうだ。
しかし、ということは、それ以前はさほど珍しいことではなかったということなのか。
石器時代の遺跡の中にも、そのような絵が残されているらしいので、古来人間と動物の間にそれほどのタブーはなかったということなのか。
性行為を伴わない「ズー」の人も最近は増えているようなので、「動物性愛者」という呼び方は、もっと現実に即したものにした方がいいような気はする。
私には理解のできない性的志向ではあるけれど、それはそれで尊重はする。
そこまでしか、今の私には言えないなあ。
でも、読んでよかった。
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新たな世界
獣姦というではなく動物の意思をくみとり向こうがその気になればする
性的なことはタブー視とされるが最も原始的で感覚的なことだと思います
そういう嗜好がない人も読んでみてほしいです
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動物性愛者「ズー」を取材したノンフィクション本。ペット等と暮らした事がないので、最初は具体的な動物への性愛についてどこか遠い世界の事の様に読んでたけど…読み進めていく中で抽象度は高くなり、それは動物と人間の関係性だけでなく、人間と人間の関係性にも通じていき面白かった。愛とは何か?どうやって相手との対等性を維持するか?など、「愛」についての考え方の土台が揺らぎ、再構築された気がする。
愛は創造的である事を知った事や、新たな価値観をインプットできた事が良かった!
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ズーや性に関する、筆者のインタビュー活動を基にした文章はまるで論文を読んでいるかのよう。
性にまつわる過去の傷があったからこそ、ズーを通してそれを考え直すことを選んだそう。
動物にも性欲があるのか…。「彼らがそう主張しているだけでは?」と思ったが、確かにたまに発情期とか見る。
これから拡大し、議論が起こっていく性的指向であることは間違いなさそうだ。
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ドキュメンタリーであるが、筆者の文章や描写が非常に上手く小説のように読めた。
愛や対称性ついてなど…いろんな角度から考えることの多いテーマだけど、読む価値あり。おすすめできる一冊。
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著者の渾身の文章に引き込まれた。
動物の性欲を尊重し、動物と性行為をする人々が存在するということに驚かされたが、読み進めていくうちにそういうこともあるのかも知れないと思えた。
セックスとは何なのかということに対してもう一歩踏み込んで欲しかったが、自分の常識が覆される貴重な体験が出来る本だった。
Posted by ブクログ
星2.5くらい。興味深い体験談がいくつかあったが、そんなに想定外の話はでてこなかった。きれいな部分、見せられる部分のみを抽出した印象を受けた。
多くの人が衝撃と言っていることが衝撃。
獣姦や動物性愛は言及してないだけで多くの人が抱えているセクシャリティであるという認識が自分はあった。
犬やケモノの発情期には、飼ったことがある人なら遭遇したことがあると思う。動物の性欲を考えもしなかったというのは本当に?と思った。
海外ではケモナーやファーリーは日本より格段に多く、論文もたくさんある。せっかく途中でケモノキャラクターに興奮する人の話がでてきたのに、ケモナーやファーリーといった話には一切触れなかったのは寂しい。話が複雑になるのを避けてわざと言及しなかったのか、知らなかったのかはわからないが、まったく触れないというのは不自然に感じた。
自分の体験談が中心で、結局自身のメンタルケアのために研究したんだなと思ってしまった。
Posted by ブクログ
色々と複雑すぎて、よくわからなかった。
動物性愛者がいる。動物を強姦するわけではなく愛がある関係性の上でセックスをする。けど動物とコミュニケーションを取れるわけではないから実際のところどうなのか。
すごく簡単にまとめるとこういうこと?
著者がズー(動物性愛者)に対して肯定的なのか否定的なのかわからないまま読み進めていたけれども、この本では著者がどちらの意見を持っているというよりは、両方の意見を持っていてその上で読者に議論を促しているのだなと、解説を読んで納得。
それを理解した上でもう一度読みたいけれども、情報量が多いのですぐには読み返せないと思う。
使っている言葉自体は簡単というか理解しやすいのに
あまりにも非日常、自分の知らない世界すぎてなかなか読み進められなかった。難しかった。
知らない世界を知れて面白かった。ただ読むのは疲れる(笑)
Posted by ブクログ
こんな世界があったとは、読む前と後で動物性愛者「ズー」の印象がずいぶん変わった。
動物とセックスする人、についてこれまでの私の人生で耳に入ってきた情報といえば、岩井志麻子さんが5時に夢中で「田舎育ちは獣姦経験がある」と話していたことぐらいである。かなり昔のことだが、強烈すぎて忘れられない記憶だ。番組上ではネタとして扱われていたし、”現代ではありえない”と思っていた。
しかし、実際に愛情を持って犬や馬をパートナーとする人がいるという。人間の一方的な快感のために動物を利用するものと思っていたが、そういうことではないらしい。
ズーはパートナーの動物との対等な関係性を重視している。相手がしたくて、自分もしたいときにはセックスをするし、必ずしもパートナー関係にセックスは必要ではないようだ。そもそも餌をあげる側ともらう側で対等って成り立つの?というのが疑問ではあるが、誰に迷惑をかけるわけでもなく、本人と動物とが幸せに暮らしているなら外野が批判などする権利はないと思った。
ただ、私自身のセクシャリティの観点から気になることはいくつかあった。これはズーを否定するものではない。
ズーはセックスの始まりについて、「動物が誘ってくる」「自分にだけ特別な行動をとる」と言っているが、その人がいない時には他の人間を誘っている可能性はある。動物に対して共感性が高い人だけが、そのサインに気づいて、さらには動物を受け入れても良いと考えている人だけが、最終的な行為に及ぶ。
この本に出てくるズーの多くは、動物のペニスを肛門に受け入れる男性だ。その始まり方は動物の欲求のために共感性の高い人が利用されているようにも感じてしまうのだが、逆に動物が人間の欲求を嗅ぎ取って行動しているのかもしれず、動物の本音が聞けない以上、人間の解釈で物事は進んでいく。そしてズーたちが語るのは、パートナーとの関係は「愛」で成り立っているというものだ。
著者も触れているとおり、ズーのパートナー(多くの場合犬)は人間に惜しみなく愛をくれるし、常に人間を必要としている。だからこそズーは、自分の身体を、全てをパートナーに捧げられるのだろう。
人間同士の場合、粘膜と体液の接触で染症する病気が色々あるけど、人間と動物の場合はどうなるの?「犬の精液で子宮が満たされて幸せ」と語るズーの話があって、自分の感覚としては怖いなと思った。人間と動物、両方が性の対象となる人もいるそうなので、その辺りは気になるところである。