濱野ちひろのレビュー一覧
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等身大の人形に自身を投影し、物語を作り出すことで満たされるという感情に馴染みがなく、とても興味深く読みました。
筆者が取材者として距離を取るのではなく、どんどん懐に飛び込み関係を結んでいき、(ときには怪しげなパーティに参加して体験までしたり)自身の過去も合わせて透過したものを書き込んでいるところも特徴的に思えました。他者のプライバシーに踏み込むテーマだけに、ただの取材者ではいられなかった事情もあるのかも。感じたことをとても率直に伝えてくれている印象を受けました。
顔の見えない取材記ではなく、この著者でしか表現できないものを読ませてもらったように思いました。 -
Posted by ブクログ
ロボットやラブドールなど無機的なモノを性愛の対象とする人たちのことは認識はしていた。しかし、ここまで彼ら・彼女らの性愛について真摯に考えたことはなかったので、本書を通して一部分の人のことだけでもその実態が知られたことがよかった。印象に残ったのは、ラブドールにパーソナルな情報を与えている人とそうではない人がいること。どちらもセックスの対象ではあるが、ラブドールに人格を持たせるかどうかの選択肢があることが興味深かった。彼らは心の繋がりを求めていて、自分が傷付かないようにドールとの関係性を築いている。愛と性はイコールではない。イコールではないからこそ、そうした関係性の違いが人間同士と同様に生まれるのだろうが、その違いを誰にでもわかるように噛み砕き説明することは難しそうだ。愛が個別な物語のメタファーであるのと同じで、言葉では語り尽くせない人間の心の奥行き、複雑さを感じた。
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Posted by ブクログ
(2026-04-11 2h)
ドイツの動物性愛者コミュニティを中心とした開高健ノンフィクション賞受賞作品。
動物性愛者のみならず、ドイツの性文化についての掘り下げがあって興味深かった。裸族の文化とか。
日本では違法ではあるけどハプバーがあって、エクスプロア・ベルリンの「セックス・ポジティブ・ムーブメント」という社会運動の潮流に近いものがあるのではないかと推察する。性の問題ってセンシティブで隠されるものとされがちだけど、ドイツのこういう文化って良いなあと思う。日本と比較的(厳格さ?)国民性が近いと言われているドイツで、こういう開放的な運動があるのは意外と思いつつ、日本でも性産業が盛んなのは抑圧的な社会背景が近似しているからかなと思ったり。
愛と暴力について、今テーマと関連づけて論じられている点も良かった。ペットと子どもを同列として扱っているという視点もおもしろい。
解説で松浦理英子氏が評価していたように、小説的な読みやすさがあり、人物に親しみが持てるし、実在感があるからこそ、心のなかで対話できる。
朝井リョウ『正欲』と一緒に読むのも良いと思う。 -
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生死・無機と有機・セックスという三つのテーマが強く印象に残った。
中でも一番考えさせられたのは「生と死」について。
生きている/死んでいるという区別は、心臓が動いているかどうかといった単純な事実ではなく、葬式や手続きなどを含めて「生きている側」が形式的に決めているものなのではないかと思った。その意味では、生死は自然現象というより社会的な線引きに近い。
この線引きは、人間だけでなく、有機的な存在・無機的な存在すべてに当てはまるのではないかとも感じた。
人間同士であっても、他者を100%理解することはできない。結局は受け手側が勝手に相手の「パーソナル」を作り、その人を物語として理解しているだけなのかもしれない。無機的な存在を愛する人が人形に人格や物語を当てはめる行為は、構造としては人間関係と大きく変わらないようにも思える。
セックスについても、この作品を通して考えさせられた。セックスは人間が人間でなくなる瞬間でもあり、正直に言えば怖さを感じる行為だ。だからこそ、人形の方が楽だと感じる気持ちも、認めたくはないが理解できる部分がある。一方で、だからこそ本来のセックスは、お互いを尊重する行為であるべきだとも思った。
さらに「許容」という問題も浮かび上がる。ペットの葬式は今では多くの人に受け入れられているが、人形となると一気に許容されなくなる。その線引きに自分自身も違和感を覚えつつ、完全には否定しきれない。
100%納得はできないが、多少理解できる——その宙づりの感覚こそが、この作品を読んだ正直な読後感だと思う。 -
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人間と動物の性愛に関して、当事者の家に泊まり込み,共に生活をしながら執筆をした書籍
動物も繁殖をする生き物であるから性欲はあるとは思っているが、人間へサックスの誘いをすること、同意して行為に臨むことについては疑問が残る
巷でLGBTなどの性的マイノリティに関する保護や容認を持つべきという話がある以上、このような人たちに対しても容認すべきかどうかの議論はあって然るべきだと感じた
コミュニケーションが取れることが必須要件なので対人間のみを対象としているが、例えばAIのような人間ではないがコミュニケーションが取れる存在や人と犬がコミュニケーションをとることができるような補助装置が開発される可能性も多いにあるので、これらの人々も踏まえて議論すべきなのだろう -
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動物性愛者という聞いたことのない単語。自分のこれまでの人生では出会った事のない人々、感情の描写に読み進めることに拒否反応が出る部分も多々ある。
ただ読み進めるうちに、病気・変態という言葉で簡単に終わらせてはならないという気持ちにはなる。
言葉を持たない動物と愛なんて育めるのかと思いつつ、人間同士も真実かもわからない言葉で愛を育んでいるつもりになっているから同じことか。
一方、動物は言葉を持たないため、相手側が都合よく感情を汲み取っている可能性が人間同士より高く、ズーがパートナーと間違いなく愛があると考えている点には納得できない。
動物の意思とは関係なく避妊手術を行う事は自然の摂理に反することというのは理解するが、動物の性欲を人間相手で処理する必要はないし、なんなら動物の周りに同種の動物を準備せず、人間で処理しようとするのはその飼い主の都合すぎる。 -
Posted by ブクログ
国内外の等身大人形と暮らす人々に取材しながら愛とは何か、性とは何か、パートナーとは何かを問う。
ドールを生きた人間のように見なす「ドールの夫」たちと、フェティッシュ的にドールを所有する「オーナー」の違いが興味深い。ドールメーカーは基本的に修理を受け付けていない。だからメンテナンスは自分でするしかない。それには高度な技術が要る。時間もかかる。「夫」が愛はあってもメンテはできないのに対し、「オーナー」は物体として扱うがゆえに綺麗にメンテできる対比が面白かった。
等身大人形と暮らす人々は現実や社会から逃げているとか、現実の女性に相手にされない負け犬と思われがち。だが実際には違う。彼らは生身の女性との交際経験があったり、交友関係があったり、社会とつながっている。メーカー曰く、顧客は負け犬とは言えないような経済的に豊かな層であるという。この中国のドールメーカーの話は裏話的でかなり面白い。女性向けはまだ開発途上とか。日本のオリエント工業は廃業したと思っていたが本書を読んで事業継承が行われていたのを知った。
等身大人形と暮らす人々への偏見は、世の中が異性間の性愛を神聖視しすぎているせいではないかと著者は見る。性愛を抜きにすれば、人間より動物や人形が好きな人のことをバグであるとか逃避行動であるとは言わないのではないか。
「性愛の特別視、神秘視から離れてしまえば、人間以外の存在と濃密に関わる人々への理解が一気に進む。彼らは人間社会や人間から逃げているわけではなく、人間ではない存在とも共存する人々なのだ」 -
Posted by ブクログ
動物にも性があるってことを、今まで考えもしなかった。
ペットとして飼うことはあっても、対等なパートナーとして動物をみたことはなかった。いくら同じ家族だといっても、ペットは子どものような存在、癒してくれる存在でしかない。
読んでいてうっすら嫌悪を感じてしまったけどそれは、子どもとしての犬を性的な目で見ていると思ったから。でも違う、と読み終えた今では思う。ズーは犬などの動物たちを、私たち人間と等しく尊い存在として認め受け入れている。性的な目で見ているのではなく、彼らの性も含めて丸ごと全てを受けとめる。そこにこちら側の期待の押しつけがないとは言えないし、この本の中では綺麗な部分を選んで描かれているとは思った。
でも本音が分からないのは、人間同士のコミニュケーションでも同じことかもしれない。私たちは動物とは違い、言葉で自分の気持ちを表現できるというのに、いったいどこまでお互いのことを分かり合えているのだろう。
動物性愛について、理解はできなかったけど、知ることはできた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ最初にこの本について知った時、正直言って気持ち悪かった。
本屋大賞のノンフィクション部門にノミネートされたからには読まなくては、とは思いつつ、気が重かった。
動物性愛者なんて、小児性愛者と同じくらい許せないと思った。
マイノリティの性癖だから気持ちが悪いと排除するわけではない、と思いたい。
許せないのは、合意を得ることのできない相手に、一方的に自分の性癖を押し付け、さらには相手に痛みや苦痛をを与え身体を損なうような行為を強要してまで、自己の快楽を優先するという心理。
ところがこの本を読んで、それは全くの思い込みであったことがわかる。
「動物性愛者」という言葉が呼び起こすイメージが、「性」の押し付けを思わせるのがそもそも違っていたのだ。
「ズー」と言われる彼らは、特定の一匹(一人)の相手をパートナーとし、お互いをかけがえのない相手と認識し、決して性行為を強要しない。
たまたま彼らのパートナーは人間ではなかっただけ、なのかもしれない。
それにしても、最初に感じた「気持ち悪い」という感情は、私だけが感じるものではなく、著者も「ズー」の人たちも、世間のそういう目にさらされる。
しかし、ヨーロッパに限って言えば、それはキリスト教によって戒められている行為であることも大きいらしい。
『旧約聖書』に、「近親相姦をするな、月経中の女性とセックスするな、姦通するな、男性同士でセックスするな」と並んで「動物とセックスするな」と定められているのだそうだ。
しかし、ということは、それ以前はさほど珍しいことではなかったということなのか。
石器時代の遺跡の中にも、そのような絵が残されているらしいので、古来人間と動物の間にそれほどのタブーはなかったということなのか。
性行為を伴わない「ズー」の人も最近は増えているようなので、「動物性愛者」という呼び方は、もっと現実に即したものにした方がいいような気はする。
私には理解のできない性的志向ではあるけれど、それはそれで尊重はする。
そこまでしか、今の私には言えないなあ。
でも、読んでよかった。