濱野ちひろのレビュー一覧
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ネタバレラジオ「アルコ&ピースの#文化人が1番やばい」がきっかけで読んだ本!
おもしろかったー!!!
動物性愛と獣姦や虐待との違い、動物性愛者はどんな人たちなのか?その人達はどんな愛し方をしているのか?など気になる話題がいっぱい!
動物性愛者の人たちとそのパートナーの動物たちがお互いに愛し合っているかはわからない。でも動物たちがすごく丁寧に優しく扱ってもらっているのを知って安心したし、羨ましい。たまたま動物が愛する相手だったというだけで、優しい本当の愛を知ってる人たち。セックスが続いてるのがいい関係だと思われがちだけど、愛情表現は他にもたくさんあるよね。そう考えると日本の夫婦でほぼセックスはしないけど一緒に暮らしたり育児をするのと似ているのかも。 -
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聖なるズーを読み、衝撃を受け、濱野さんの新作ということで手に取りました。
今回も読んで良かったな、と思っています。
前回も感じたことですが、私は動物や無機物との「愛」が孕む暴力性を考えた時に、どうしても嫌悪感や訝しむ気持ちが多少なりとも出てきてしまいます。
しかし、濱野さんが相手のパーソナリティにどんどん入っていくため、私の中でもその人に親しみの気持ちが湧いてきて、当事者の方々を、悩んでいる身近な人のように感じられることで、ただ嫌だで済ますのではなく、なぜ嫌なのか、何が違うのか、私がそうでないというだけで尊重されるべきではないか、と思考が進んでいく感覚があり、それがすごく自分にとって良い体験だと感じられます。
きっとSNSなどで見かけただけでは、変な人もいるんだな、で終わらせてしまっていたような部分を、考えるきっかけにできたことを良かったなと思っています。
私は人に対して恋愛をしますが、たしかに自分の中の相手と愛を深めていることがあるし、相手の中の理想の私と相手が話しているなと感じることもあるし、お互いをを完全に理解することはできません。
この本を通して、人間同士の恋愛について考えられたことも面白かったなと思います。 -
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前作の「聖なるズー」で、タブーに切り込みつつもマイノリティにフラットな目線で寄り添う著者にとても感動したので、本作も楽しみにしていた。
本作は何より著者の体当たりの取材が凄かった。英語ができる方なのか?取材対象はほぼ欧米人なのだが、初対面にも関わらずラブドールで埋め尽くされた男性の家に数泊したり、現地の過激なイベントに参加して実体験したり。なかなか日本のノンフィクションライターでもこういうタイプの方はいないので、もっと評価されても良いのでは?と思った。著作がまだ少ないからかな。
怖いもの知らずというより、偏見がないからこそ体当たりな取材ができてる印象。すっかり著者のファンになってしまった。
そしてラブドールを愛でる人たちの思想というのはなかなか興味深かった。
自分を裏切ることがないドールをパートナーに持った人たちは、精神的にも落ち着いて健康的な人間が多かったという(著者が紹介を通じて出会った人たちなので、ある程度社会性がある人間に限られてるというのもあるが、、)。
果たしてドールとの関係性は自己対話なのか?実際に著者がドールと生活を共にするうちに無意識にドールに人格を作り出そうとしていることに気づく場面などもあり、単純に物珍しさで読み進めたのに、哲学的な問題についても考えさせられた。
常識的な考えを持った愛好家だけでなく、もっと過激な思想を持った方や日本の変わった愛好家など、様々なタイプに取材してほしかった気持ちもあるが、実際に会えるタイプというは限界があるのだろう。
「聖なるズー」の取材の時も、メス犬をパートナーにしている方と会うことはほとんどなかったらしく、「恐らく虐待だと思われるからオープンにしていないのだろう」と考察されており、まだまだ自分の視野外の世界は広いのだろうと思った。
共感した著者の言葉が「モノや動物を愛する人は認められるのに、それが性愛の対象となると途端に忌避されるのは何故か。LGBTQなど様々なセクシュアリティは認められ始めているのに、性愛の対象は人間であるべきという偏見はまだまだ根深い」というようなもの。
確かに、、と思った。人間以外を対象とした性愛への偏見がなくなる未来もくるのだろうか。 -
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本書でも取り上げられている、初音ミクと結婚した人の存在はなんとなくずっと頭の片隅にあった。偶然この本を発見し、興味を持ったので読んでみることにした。
ラブドールと愛を育むだなんて、私は思いついたこともなかった。しかし、本書に登場する人物のうち、ラブドールと愛を育む者は全員本気でそれら(彼ら/彼女ら)を愛している。その愛への向き合い方は真摯で、誠実である。それが(いささか当事者に対して失礼だが)興味深く、面白かった。
ラブドールにアイデンティティを与える。そして、そのアイデンティティは所有者(ラブドールのパートナー)のどこかの一面と共有している。自分の理想をラブドールに投影し、それを楽しむ。これは等身大という大きさと30kg近い質量を持つラブドールに対して行われるからその特異性が目立つだけであり、二次元キャラクターを創作している人なども行なっていることであるから、意外とありふれたことなのだろうと感じさせられた(というか本書中でもそのようにそう書かれているので、改めて気付かされたというほうが適切かもしれない)。特に興味深いのは、筆者が実際にラブドールと過ごした際に、それに対して感情・設定を「抱かされた」というような場面。二次元キャラクターとラブドールという二つの作られたものに対して抱く感情の違いとは、このように感情を反射的に「抱かされる」かどうかと考えさせられた。しかし、運命の二次元キャラクターに出会った時にもこのようなことは生じるかもしれない。しかし、キャラクターの心情とその背景について考える情報量の多さは、ラブドールの方が圧倒的に多いのだろうと感じる。
また、前作『聖なるズー』でも一貫している、愛とは何か、セックスとは何か、という問いにはやはり引き続き考えさせられる。一般的に意思疎通ができないとされる対象にたいして恋愛感情を抱く人たちを通して、恋愛が持つ「押し付け」の側面を感じさせられる。「押し付け」と書くと強引な印象があるので、「投影」と記すべきかもしれない。とにかく、対象が人間であろうとそうでなかろうと、あるべき姿などの理想を押し付ける。そして人間の場合、理想は多くの場合裏切られる。しかし、そうでない場合は裏切られることは少ない。人間側が都合よく解釈してしまえば、裏切られるといった事態は生じようがない。著者が言うように、ここが人間とその他の対象との恋愛を分つものだと感じさせられる。その理想が凝縮した行為こそがセックスなんだろうとも感じる。だから、レズビアンに対して「矯正」と称したレイプが行われたりするのだろう。セックスをしたら、女性はその加害者である男性を好きになると言う、ある種の神話であり加害者の理想が投影されているのだろう。
この感想の多くが本書の内容の反復でつまらないものになってしまったが、本は大変興味深く面白いものだった。セクシュアルマイノリティを取り巻く環境の問題に関心がある人はもちろんだが、そうではない人が読んでも面白い本だったと思う。なんだか上から目線な書きっぷりになってしまったが、本当に面白かったと思う。 -
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ネタバレ『聖なるズー』に続き。動物性愛から、無機物の方に移行したのは、時代的にも自然で今後も引き続き彼女が書く本が楽しみだ。
以下好きだったところ
…愛するとは、自分ではない存在と共在すること。そして、その存在の様子を日々、くまなく観察すること。観察を続けることによって、私たちはその相手を知ることができる。そしてその相手に対し、適切な行動を取ることもできる。
また同時に言えるのは、愛とは美しいだけのものではないということだ。…だが愛というものは、ときには暴力の言い訳にさえ使われるほど、危険をも孕む語彙である。愛は巨大な口を開けて多くの感情を呑み込み、ときに横暴に人を説得する。(p.15)
世界中の多くの人々が、異性愛規範と人間性愛規範のなかで、生涯をともにするパートナーを探すことに苦労している。それが同調圧力であるとしても、人生に課される難題のひとつが、「誰と過ごし、誰と分かち合い、誰と生きていくか」というものだろう。若いうちになんらかの方法でその問題を解決できた人は幸運だが、そうでない人もやまほどいて、出会いや別れを繰り返しながら「誰か」探し求める。(p.52)
…人間同士の関係でも、理想を相手に投影することはよくある。そこに誤解と幻想はつきものだ。理想や幻想、誤解の上に立って、相互理解をしているとは必ずしも確信が得られぬまま、関係は進行する。それがいつしか傷を生むことがある。(p.57)
関心の移り先が人間であれ人形であれ、自分自身には心が向けられていないという事実にこそ、人は傷つく。人形だから浮気にはならないかと言われると、そうではないのだ。人間関係のなかに、等身大人形は堂々と入り込む。…彼が「女はすべて同じ」と話すところに私は彼の女性に対する不遜な無関心さを感じる。(p.105-6)
私たちが誰かを愛していると言うとき、そこにはその人と過ごす居心地の良さや、その人といる時の自分自身への肯定感があるように思う。もしかしたら、ドールの夫たちだけでなく私たちも必要としているのは、自分たちの思考を投影する鏡としての他者なのかもしれない。私たちは相手の反応によってなにか情報を引き出し、理解をしたり、思考したりしているのではないだろうか。私たちはどこまで他者をありのままの他者として受け止め、受け入れられているのだろうか。(p.119)
いまは推測しかできないが、自分の日常を思い返さないでいられるフィクショナルな性的コンテンツに興奮を掻き立ててもらい、自慰を手軽に済ませる人のほうが圧倒的に多いのではないだろうか。自慰は、自己と身近な他者との関係性にはまったくかかわらない形で、ある意味エンターテインメントとして進化し続けているように思う。そして、多くの人にとっては自慰する自分と、身近な他者を愛する自分の像は矛盾しない形で共存している。(p.133)
「でも、いいと思うんですよ、逃げても。なにに対しても立ち向かわなければならないってこともないじゃないですか。すべての人間から逃げたらまずいですけど、いじめっ子と向き合う必要はない。立ち向かうことが正義で、逃げることが悪である語られがちですが、そうじゃない。いいんですよ、恋愛市場から逃げても」(p.143)
彼らのパートナーとの関係性が本物だと感じられるのは、生身の人間同士の良い関係性と同じかそれ以上に、彼らがともにいることで新しい世界の扉が開かれ、その世界を彼らが一歩一歩、一緒に進んでいるように思われるからだ。(p.144)
トップスとブーツを貸してくれたサトミを、私は生涯忘れることはないだろう。それほど、分かち合うということは人間にとって大きな出来事なのだと私は思った。(p.163)
…私は縄師に身を預けた。私もまた、自分の身体を探そうとしたのである。(p.167)
…ところが性愛が絡むと途端に反応がややこしくなる。これは、性愛を特別視、神秘視しているからに他ならない。
性愛はそれほど特別なものだろうか。私はそうは思わない。…(p.188)
「どうせもの扱いされるんだったら、雑に扱われるものじゃなくて、かわいがられるもの、大切にされるものになりたいと思って」…人間として生きるのを休憩して、ものになってみたい。なにもしなくても、話さなくても、ただそこにいるだけで大事にされるようなもの。…(p.228)
無機物は、自然には死なない。だからこそ、無機物を愛する人は、無機物を殺す人にもなりうる。そのような愛し方は、もしかしたら、想像以上に複雑なものなのではないか、と私はいま、感じている。(p.237)
人間には物語が必要だが、そのなかでパーソナリティは生まれたり壊れたりする。ひとりでも多くの人がその事実に気づき、自分に相応しくない物語からは一刻も早く去り、少しずつでも理想的な物語を紡ぎ出せるようにと、私は祈っている。…セックスは人間の根本的欲望のひとつではあれ、他人に依存してまで叶えなければならないものではない。ましてや人を傷つけてまで叶えるべきものではない。相手を十分に観察しながら、そのパーソナリティを愛おしむ活動である限り、セックスは素晴らしいものだと私は考えている。(p.244) -
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今回もすごかった〜〜
聖なるズーで心を撃ち抜かれたので待望の第2弾
動物性愛に比べるとそこまでタブー感がないように思える、人形を愛する人たち。
聖なるズーは最終章を読んだ時なぜか涙が止まらなくて、今回はわりと穏やかに締められそうだなと思った矢先の。。新さんと濱野さんのやり取りのところと、供養されるラブドールに読む別れの言葉のところがすごすぎてまたしても泣いてしまった。
人形を愛するって愛なのか?という問いかけからはじまる今回のフィールドワークだけど、本質的なところは、生きることそのものへの問いなんだなあ。
そして、濱野さんを信頼して、たくさんの秘密を共有してくれた調査対象者の方たちにまたしても敬意を。
ラブドールとお出かけして一緒に写真を撮って…という営み、極論いうとぬいやアクスタと一緒に写真を撮る行動と理論は一緒なんだなと思った。
あと、わりと調査対象者を否定しない濱野さんがロジャーには明確に批判的だったのも興味深い。それはロジャーがやや女性差別的な思考だったからだろう。そんな濱野さんが近藤さんにどう向き合うかなと思ったら、近藤さんのことは肯定的に描いててやや驚いた。近藤さんって結構女性嫌いなところがある人だと思うんだけど…とはいえSNSで見える部分って人間のごく一部なので、実際に会って対話を重ねた濱野さんには近藤さんの考えに批判的な部分は見当たらなかったということでしょうか。でも初音ミク人形をディズニーに連れて行くのには私も批判的で、あるIPの世界観に別のIPは混ぜるべきではないと思うからである。ディズニーランドにハリーポッターのコスプレしていかないのと一緒だよ!でも、近藤さんにはミクさんはIPでありながら「うちのミクさん」なので、パーソナリティーのある、IP以上の何かだから、ディズニーに一緒に行きたいという発想になっちゃうんだなあという気づきもあった。
偏見にさらされることもあるセクシュアリティ当事者に対し「人間同士の性愛が必ずしも正しいものだとは限らない」と濱野さんが言い切れる、過去におった傷の深さを考えると胸が痛くてたまらないけど、今回もすごくすばらしい調査と考察だったなと思った。
濱野さん、次は何をテーマに書くんだろ?楽しみです! -
Posted by ブクログ
ドキュメンタリーの醍醐味は、自分では聞けない見ることのできない人々の想いや感情の一端に触れること、世界を理解するきっかけになることだと考えている。本作も、「聖なるズー」に続き、性愛について、命がない、つまりは無機的な存在を深く愛す者たちのリアルな声を集めた貴重な論文である。特に印象に残ったのは人間ラブドール製造所でのサービス。人間が無機的なものになる、その後葬られ、また人間に戻る儀式を通して顧客は生まれ変われる、生きるための活力が与えられるのだと思う。愛する、という行為、感情、形とは何かを考えるきっかけになる重要な作品と思う。様々な人たちに読んで頂きたい作品だ。
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「正欲」(朝井リョウ)の次に読んだ作品。
「正欲」が性を取り扱った作品だからこそ、本書を選んだ。
単に可愛いというだけで犬や猫を飼うが、
どこまで真剣に動物の性を考えているだろう。
自分たちが人を愛するのと同じ感覚で、動物を愛して、動物にも性欲があり、それをどう受け止めてあげることができるか、を考える人たちがいる。
動物性愛。
これを動物虐待と呼んでいいのか。
動物の声や気持ちを正確に分からない人間が、「それ」が愛なのか、虐待なのか、「それ」を法律や社会が決める事はできるのか。
自分にまったく発想もできない価値観に出会えることこそ、読書の醍醐味。
どこまで真剣に自分たち人間の性について考えているだろう、というところまで踏み込んで書かれており、作者さんの粘り強い取材のおかげで、深く、多面的な見方を学ばせていただいた。
性を扱うからこそ、人間の本質に迫ることができていると思う。 -
Posted by ブクログ
◎最近読んだ本で最もよかった。
動物性愛というテーマで、こんなにも自己と他者の対等性を考えさせられるとは思わなかった。
◎「言葉を交わせない動物との間に合意はない」という非難が出てくるが、言葉が必ずしも対等な関係性を担保するわけではないだろう。
言葉が本当の感情や想いを表すことは少ないわけで、機微を取り零したり、そもそも本心とは裏腹のものであったりすることが多い。
また、言葉を発する前の関係性で、言葉には制限ができる(支配者―被支配者のような関係性では対等な言葉を交わせるわけはない)。
むしろ相手との対等性をおざなりにしてしまうのが、見せかけの言葉によるコミュニケーションなのではないか。
それに比べ、五感を研ぎ澄ませて、パートナーである動物の感情や欲望を察知し、対等な存在として共生しようとしているズーたち(動物性愛者)のほうがよほど他者に対して誠実だと感じた。
◎日本での家庭動物(ペット)は、性欲をもたない「子ども」として扱われるという話もなるほどと思った。
◎最後の、「友人」のくだりがとてもよかった。 -
Posted by ブクログ
価値観を揺さぶる本。本書中のあるズーが語るように、セックスの話題はセンセーショナルだからどうしてもズーの話を性行為に限って取り上げてしまう。そのために動物愛護団体との対立も生じる。しかしズーたちの問題の本質はセックスではなく「動物や世界との関係性」にある。異種への共感、愛情。人間と動物が対等であるべきとの考え。性愛と対等性というテーマが、著者がかつてパートナーから受けていた性暴力の記憶と結びつき、愛とは何か、性とは何か、関係とは何か、人間とは何か、という問いになっていく。
著者も書いているが本書によって動物の性欲について知ってしまったあとでは、今後の人生で動物を飼うことに抵抗を覚えてしまう。性欲も含めた彼らの存在を丸ごと受け入れるだけの覚悟を持てる自信がない。