岩内章太郎のレビュー一覧
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相互承認の原則に基づき共通了解を図る「本質観取」。
この多様な世の中で、対話によって共に暮らしていくために、とても大切な考え方だと思いました。多くの方に読んでいただきたい一冊です。特に学校の先生など、教育に携わる方におすすめしたい。
子どもの頃から、対話を通じて相互承認と共通了解を得ようとする態度を育てることは、大袈裟ではなく世界平和にもつながっていくのではないでしょうか。
前半では、プラトン、デカルト、フッサールなどの哲学者が紹介されており、その説明もとてもわかりやすかった。
「哲学」と聞くと、小難しく理屈をこねくり回すものというイメージ?を持たれがちかもしれませんが、本書を通して、哲学が民主的な合意形成にも役立つものであることを実感しました。
本書の続編として本質観取の実践集をぜひ出版してほしい! -
Posted by ブクログ
他者の視点や判断に身を委ねるうち、〈私〉という自己イメージが曖昧になってくる感覚を覚える人は多いだろう。その〈私〉を取り戻すためには、逆説的だが、自分が自由にできる〈私〉という自己イメージを手放す必要がある、というのが本書の主張。全般的にやや繰り返しが多く少々くどい感じがするが、認識論、現象学、経験論などを幅広くカバーしている割には論旨が一貫しており、おかげで理解がしやすい。自身の身の上話から本書が始まるのも共感できる(本書の要諦を体現しているとも言える)。
かつて社会を支えていた共同体が果つるところで立ち現れた〈終わりなき日常〉(宮台真司)では、当該共同体で必要とされるコミュニケーション能力なき者は、ひたすらに自己の快楽のみを追求するしかない。すると、間主体的な批評の対象となるような「物語」よりも、それを構成するフェティッシュな個々の「要素」のみに着目し、共通理解を拒むかのような「自己のエロス」に閉じこもる〈動物化〉(東浩紀)が生じる。そのような「なんでもあり」の状況では、人間は克服すべき課題や障壁を見失い、理想や欲望の所在が不明瞭となる〈退屈〉(國府功一郎)に苛まれることとなる。
著者はこれらの背景に〈善への意志〉、すなわちもう一度他者との関係性の中で普遍性倫理を取り戻そうとする回帰的な欲望の作動を見る。マルクス・ガブリエルの新実在論を引き合いに、ポストモダン的構築主義に倦厭した人々が、自らの自由を手放し外部規範に隷属することを欲しているのだと喝破しつつ、これが自らの〈内なる声〉に耳を傾けることなく他者の評価に拘泥する、現代人の病理の根源であると指摘する。
この「自己の放逐と他者への依存がもたらす空疎さ」に対処すべく著者が提唱するのが、経験論哲学の系統を継ぐ〈新デカルト主義〉だ。畢竟、〈私〉は現象学的な「見え」から脱却することができない。〈私〉は〈私〉の自由には必ずしもならないのだ。そうであればとにかくこの「見え」から出発し、同じく個々の「見え」に依拠するしかない他者の認識を認めた上で間主観的な合意を探っていくしかない。その際重要になるのは、物事に対する判断を一旦保留するピュロン主義の〈エポケー〉である。複数の真実が暫定的に共存しているという状況を認め、安易な臆見を差し控える。そこにあるのは自己の認識能力の限界に対する強い自覚であり、これがデカルトの提唱した〈方法論的懐疑〉に通ずるというのだ。
自己と他者の認識が高々現象学的な「見え」に依存するという意味において対等である、という前提にたてば、「真実はいかなるものであるのか」という問いはその基盤が揺らいでくる。それよりは「私とあなたの認識がどのような意識体験から生じたのかを検討し、対話を通じて共通点を探ろうではないか。そのためには時間が必要だから即断は避け、問題を単なる信念対立から本質洞察に昇華させよう」と著者は提唱するのだ。
私の主観的・現象学的「見え」ではなく、外部の〈善のパッケージ〉に判断を委ねてしまうと、理性と情動に訴えかけてくる陰謀論に容易く取り込まれてしまう。そうではなく、この〈私〉がどう感じどう考えるかを観照し、同型の認識が他者でも成り立っていることを認めた上で共通理解を探る。その際、〈私〉が感じた違和感や摩擦が外部的対象の成立を担保しているのだから、そのようなネガティブネスから目を逸らしてはならないというのだ。
面白いと思ったのは、サイバースペースでやりがちな〈私〉のドレスアップを続けるうち、どうしても改変できないものが残るのだが、それこそが〈私〉のコアである可能性に言及していること。なるほどと思った。 -
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【主な目次】
第1章 デフォルトの〈私〉
――――動物になるか、善い人になるか
・ミニオンズの憂鬱
・パッケージ化された善に警戒せよ
・目を閉じて、〈私〉の声を聴く
第2章 〈私〉を取り戻すための哲学的思考
・「新デカルト主義」宣言
・判断しなくてよいという判断
・批判的思考のプロトタイプ
第3章 ポスト・トゥルースを終わらせる
・SNSを気にする学生
・「正しさをめぐる争い」は終わりにする
・陰謀論は理性と情動に訴える
第4章 ネガティブなものを引き受ける
・対話とネガティブ・ケイパビリティ
・アルゴリズムと自己消費
・「弱いロボット」から考える -
Posted by ブクログ
本書は間違いなく、私にとっての「座右の書」になった。
「高さ」と「広さ」は今の自分にとって、切実な問題だった。この世に、至高性と普遍性はない、と嘆く自分に嫌気がさしていた。
今を生き、今を嘆く自分。まだ嘆きがあるだけいいのだろう。いま、ここではない、どこかを望めるだけ「まし」なのだろう。
しかし、「まし」だという感覚だけでは生きていけない。絶対なものを持たない人生。また、共有は一時的な現象。そのような感慨は、憂鬱しかもたらさない。
エピローグで「エモさ」について、深めた論考が秀逸。
哲学は不可能性の論証から、新たな可能性の道を切り拓く。
素晴らしい「哲学」である。
タイトルからはうかがい知れないほどの可能性に満ちた本だった。 -
Posted by ブクログ
なかなか学習が進まないフッサール現象学の重要概念である本質観取をテーマとした対話本が出たということで気になって読んでみた。哲学対話を一歩進め、本質観取が旨とする共通了解をつくるということまで目指すというのが本書の基本的な内容。前半が本質観取の理論的な解説編で、後半は本質観取の対話を行うための実践編ということでファシリテーションのコツや事例紹介などが収められている。後半の実践編についてはまぁワークショップの解説本として特段目新しい内容ではないが「良いケアとは何か」「自律とは何か」など事例として挙げられているテーマ自体がそれなりに面白いのが良い。前半の理論編がこれ以上ないというぐらいのフッサール現象学の入門解説という感じになっており、個人的にはこの前半が興味深かった。個人的には対人支援における参加型評価などに本質観取の視点を取り入れたいと常々考えており、フッサール現象学のどこをどのように紹介するのが良いか頭を悩ませていたので、今後参考にさせてもらおうと思う。