岩内章太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
デカルトとかフッサールとかの解釈を土台に、
SNSとかフェイクニュースとか陰謀論とか現代的なテーマの問題提起と提案をしている。
これまで自分は哲学に対して勝手なイメージで
小難しい言葉遊びばっかりするわりに、出てくる結論はめっちゃ普通でつまらんと思ってた。
他人の意見にも耳を傾けよう
事実と意見を区別しよう
分からないことを、すぐ分かったことにしないようにしよう
とか。
この本を読むなかで改めて認識したのは、結論が社会に受け入れられた後の世界に住んでるから普通に感じるんだなぁ、ということ。
この本の内容とは関係ないけど。
この本の主張は乱暴にまとめるとネガティブケイパビリティ大事にしようね。自分の思い通りにならないことも大事にしようねという事。
まーた哲学が小難しく普通のこと言ってると思った。
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Posted by ブクログ
ネタバレ本質観取は、「○○とは何か」を問うような、そもそもを考える営み。
あらゆることに関して、「人それぞれでは?」のような考えもあるが、それで済ませるのではなく、きちんと辞書的な意味ではなく「本質」を問い、「共通了解」を得ることがユニークネス。
哲学の歴史的には、「人それぞれ」的な考え方をするソフィスト連中に対し、プラトンが物事の本質を追求したのに端を発する。但し、プラトンは彼岸にイデアを置いてしまった(本質を、現実世界とは離れたところに位置づけてしまった)。それに対して、デカルトが、「我思う、ゆえに我あり」で示されるように、疑いようのない〈私〉から出発したことで前進し、そこからフッサールによって確立。具体的には、まず客観的な正解があることを疑い、〈私〉が物事をどう「確信」しているかを問う、というところから、それを積み重ね、〈私たち〉の間に普遍的な確信を見出すアプローチとして成立した。
以下は、具体的な手法となる。
0.テーマ決め。ポイントは、「答えを得られる問い」として設定すること。(→論点設定!!)形而上学的な問いは不適。
1.問題意識の確認と目線合わせ
2.体験例や具体例の出し合い
3.キーワードを見つける
4.本質を言葉にする
5.見つけた本質と、問いなどとの整合性のチェック
何もかもビジネス文脈に結びつけるのは好きではないが、とはいえ本書の発想は、ビジネスと哲学の交差点として、山口周などが訴える領域としてエントリーになりうるのでは、と思った。ハウツー的に映るが、哲学的に物事を考えるきっかけにはなるのではなかろうか。 -
Posted by ブクログ
現代は、外部から絶えず提供される情報に注意を奪われて、自分自身について考える時間が減っている。何故そうなっているかという背景と、その弊害、そして対抗策について論じた本。
自己とは何かについて論じられている部分が多かったが、個人的には、何故、多くの人が陰謀論にはまるのかを考えるきっかけになった。思うに、
① 他者より優位と思い込みたい願望
② 判断を保留できない気早な性格
これらを持つ人が、陰謀論を信じやすくなるのだと思う。
両方の特性を促進しているのは、SNSや動画配信プラットフォームではないだろうか。つまり、常に他者と表面上の優位性を競わされ、短い間隔で次々と新たな情報をインプットされることが、安易な他者への優位性の模索と、待つことへの耐性の低さを促進し、陰謀論への脆弱性を高めるのだと考える。対策としては、以下が有用な気がする。
① 謙虚さを持つこと
②ただ何もしない時間に慣れること
③ 世界の複雑性を理解すること
つまり、何かの問題の責任が特定の組織や人物の責任だという言説がある場合、自身がすぐに判断できる問題でないと認識し、分かった気になり得られる快感を我慢し、世の中の多くの問題は複雑な要因の連鎖で起こっていると考えることで、判断を保留でき、安易に陰謀論を信じることを避けることができるのではないだろうか。
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Posted by ブクログ
哲学系の書籍を読んだり、勉強したことがほとんどなかったため、出てくる単語や概念を頭に入れることに終始していたが、哲学に興味を持つよいきっかけになる一冊であった。現代思想の基本的な事柄について詳しく丁寧に書かれており、デカルトの哲学との関係性や、構築主義や相対主義、ポストトゥルースの落とし穴を理解することができた。
構築主義や相対主義が蔓延している現代に生きる私たちが私を見失わないためには、私という確かな存在を持つこと。サイバースペースでは、自分を都合の良いように取り繕うことで私という存在が私から離れていってしまう。そのためには、取り繕いたい自分の内面も相手にさらすことが時には必要である。それはネガティブケイパビリティの考えにも繋がる。この考えや、なにかを判断する際には、判断保留を意味するエポケーという選択肢を持つことも、私という存在を確かなものにするには必要な要素である。
しかし、この一冊を読んだだけでは理解が深まっていないので、千葉雅也さんの「現代思想入門」(講談社現代新書)を読んで基本的な部分を理解していきたい。 -
Posted by ブクログ
思弁的実在論の提唱者であるカンタン・メイヤスー、オブジェクト指向存在論を構築したグレアム・ハーマン、『なぜ世界は存在しないのか』の著書で知られるマルクス・ガブリエルに加えて、文化相対主義に抗して普遍性を擁護する試みをおこなったテイラーとドレイファスの思想を、わかりやすく解説している本です。
著者は、これらの思想家たちによって提唱された実在論の意義を、「高さ」(超越性)と「広さ」(普遍性)という二つの側面に注目することで考察しています。メイヤスーは、われわれが思考と存在の相関関係にのみアクセスできるというカント以降の「相関主義」を批判し、実在にかんする理説を復興させる試みをおこないました。著者は、こうしたメイヤスーの企図を全面的に肯定することはできないとしながらも、とくに「高さ」について積極的に語ろうとする彼の試みには汲むべき内容が秘められていると評価しています。そのさいに著者は、「大きな物語」に対する懐疑を積極的に展開する「ニヒリズム」と、そうした発想が蔓延する時代にあって実存的な根拠をうしなった「メランコリー」を区別し、「メランコリー」の時代にもう一度「高さ」を求めようとする精神史的状況において、メイヤスーの展開する議論が重要な示唆をあたえてくれるのではないかと論じています。
またガブリエルの「世界は存在しない」という主張には、独断的世界像、とりわけ自然主義が一種の形而上学となってしまった時代に対する批判的意義が認められるとしたうえで、彼の存在論的多元主義の立場がどのようにして新実存主義の主張へとつながっているのかということを解説しています。
現代の精神史的状況のなかで新しい実在論の意義を見定めようとする著者の試みは、やや通俗的な議論になっている印象もありますが、新しい実在論について概観することができるという意味では、入門書の役割をしっかり果たしているように思います。 -
Posted by ブクログ
マルクス・ガブリエルの「新しい実在論」って、なにが新しいのかわからんな〜と思いつつ、読んでみた。
「実在論的転回」は、ガブリエルだけではないとは聞いていたけど、違いがよくわからなかったんだけど、メイヤスとか、ハーマンとか、いるわけですね。そして、それぞれの主張の概要もわかった。
ポストモダーンの哲学がもたらした相対主義、「正しさ」はないという袋小路を乗り越えたいという動機はすごくわかる。
でも、それは単純に実在論にもどればいいというほど単純なものでゃない。ポストモダーンでは批判されてきた「実在」をもちだしても、それはポスト・ポストモダーンな議論にしかならないな〜。
なんだか、ポストモダーンよりもさらに屁理屈ぽくなっているような気もする。
多分、100年後の人たちが読むと、スコラ哲学での普遍論争とか、いわゆる神学論争にみえるだろうな〜。つまり、同じ穴のムジナだな〜、というのが印象。
そういうなかで、マルクス・ガブリエルの議論はちょっと突き抜けている感じはしたかな?
と言っても、ガブリエルの議論が新しいものにも思えなくて、これって、ポストモダーンな相対主義だよね、と思うんだよね。
ポストモダーンが、「社会的な構築だ」と言っていたのを「実在する」と言葉を変えているだけに思える。
でも、同じことをいっていても、「構築だよね」というより、「実在だよね」というほうが元気がでるわけで、そこが面白い。
自分は、もしかすると、ガブリエルと近いことを考えているのもかもしれない。
自分と同じようなことを考えている人にであうと、すごく盛り上がっちゃうこともある一方、ガブリエルにあんまり盛り上がらないのは、たんにそんなもんだと思っているからかな〜。
「新しい実在論」、もうちょっと付き合ってみるかな?
世界に統一的な意味をあたえる「世界」は存在しないと腹をくくること。だけど、私たちの周りには、いろいろな「意味」が満ち溢れていて、それを楽しみながら生きていけばいいじゃん、みたいな。
「現代実在論」の議論のわかりやすい解説はとても刺激をうけたけど、プロローグとエピローグの著者自身の考えの部分は、なるほどと思いつつも、「現在実在論」の解説部分とややニュアンスが違う感じもある。その辺のところは、別の本に切り分けて論じたほうがいいかなとか思った。