岩内章太郎のレビュー一覧
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宮台真司・東浩紀・國分功一郎と、日本の現代思想史上の三人を辿り直し、終わりなき日常・動物化・退屈というそれぞれのキーワードを再解釈したうえで、私たちはそのなかでサイバースペースが提供してくる世界に埋没し<私>を見失っている、と著者はいう。その上で、新デカルト主義の立場に立ち、まず自分自身とじっくり向き合い、拙速に決めつけるのではなく判断を保留することや、<私>を大切にするのと同様に、<私>の周囲やサイバースペースで出会うたくさんの<私>のことも大切にすることで<私>がゆたかになっていく、と論じられる。あとがきで「本書を書いている途中で、私はこれを家庭の中で実践できているのか、と何度も反省した
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メタバースという現象が一般化する前から、アバターを使って仮想現実に入る体験を少しだけしたことがある。ただそれはあまりにも非現実的で、人物造形も極めて荒かったためにすぐに飽きてしまった。最近のものは知らないが、メタバースというくらいだから、仮想現実というにふさわしいものになっているのだろう。
最近は現実社会に直視していないのではないかと思われる言動に出会うことがある。分かりやすいのはこの前の選挙である。日本人ファーストを主張した政党は、少なくとも末端の街頭演説では外国人が不当に優遇されており、日本人の職を奪っていると主張していた。確かにコンビニの店員はカタカナの名前の店員ばかりだし、駅で外国 -
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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』がとても面白かったので、似たような本として、こちらを読んだ。
最後のページまで、大変興味深かった。
多様性――“人それぞれ”という考え方に、違和感を抱いている人は多い。
「それって本当に自由なのかな?」と。
いや、確かにそれは自由なのかもしれない。
が、“人それぞれ”という考え方で得られる自由を、はたして私たちは本当に求めているか。相対主義を徹底した先に、何があるのか、そこに希望があるのか。“孤独”しかないじゃないか、と。
それに対し、新デカルト主義をもとに、<私>と<私>の共生について、間主観的な共通理解、新たな道筋を示してくれる。
なんというか、 -
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思考を重ねていくという表現が正しいか、思考を深めていくという表現が正しいか、哲学の王道を見るような本。著者と一緒にその道を歩くのだが、所々深さや厚みが一致せずに躓きながら、その過程もエキサイティングで楽しかった。
言葉を厳選し、そこに意味を凝縮する。その凝縮した言葉から敷衍したり、イメージをコンパイルする。例えば、「常時接続と過剰接続」というキーワード。今の社会は人間関係がスマホにより、常時、そして過剰に繋がっているという話だ。そのために、いつでも誰かからの情報を気にしてしまい、自分だけの余暇に他者の価値観が侵出する。それは、「過剰」だというのだ。単に、気が散ると言っても良いかも知れない。何 -
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サイバースペースへの接続によって情報摂取をし、コンテンツを消費し続けるのは退屈が原因であるが、情報を消費することにも退屈を感じ結局自分が何なのか、何をしたいのかわからなくなる。そこに「私」について、考える隙がない。うまくスマホ依存を言い表している。
デザインされた「私」からネガティブな部分を排除することで、人間的な本質が見えてこなくなる。人間は持ちつ持たれつで支え合いそこからつながりが生まれる。ネガティブな事柄にもポジティブな役割があることを忘れてはいけない。全く同感だ。無難なコンテンツばかり公開される中で、パッケージ化された善が氾濫し、我々はどこに向かっているのだろうかと時々不思議に思う。ど -
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現代は、外部から絶えず提供される情報に注意を奪われて、自分自身について考える時間が減っている。何故そうなっているかという背景と、その弊害、そして対抗策について論じた本。
自己とは何かについて論じられている部分が多かったが、個人的には、何故、多くの人が陰謀論にはまるのかを考えるきっかけになった。思うに、
① 他者より優位と思い込みたい願望
② 判断を保留できない気早な性格
これらを持つ人が、陰謀論を信じやすくなるのだと思う。
両方の特性を促進しているのは、SNSや動画配信プラットフォームではないだろうか。つまり、常に他者と表面上の優位性を競わされ、短い間隔で次々と新たな情報をインプットさ -
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哲学系の書籍を読んだり、勉強したことがほとんどなかったため、出てくる単語や概念を頭に入れることに終始していたが、哲学に興味を持つよいきっかけになる一冊であった。現代思想の基本的な事柄について詳しく丁寧に書かれており、デカルトの哲学との関係性や、構築主義や相対主義、ポストトゥルースの落とし穴を理解することができた。
構築主義や相対主義が蔓延している現代に生きる私たちが私を見失わないためには、私という確かな存在を持つこと。サイバースペースでは、自分を都合の良いように取り繕うことで私という存在が私から離れていってしまう。そのためには、取り繕いたい自分の内面も相手にさらすことが時には必要である。それは -
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思弁的実在論の提唱者であるカンタン・メイヤスー、オブジェクト指向存在論を構築したグレアム・ハーマン、『なぜ世界は存在しないのか』の著書で知られるマルクス・ガブリエルに加えて、文化相対主義に抗して普遍性を擁護する試みをおこなったテイラーとドレイファスの思想を、わかりやすく解説している本です。
著者は、これらの思想家たちによって提唱された実在論の意義を、「高さ」(超越性)と「広さ」(普遍性)という二つの側面に注目することで考察しています。メイヤスーは、われわれが思考と存在の相関関係にのみアクセスできるというカント以降の「相関主義」を批判し、実在にかんする理説を復興させる試みをおこないました。著者