岩内章太郎のレビュー一覧
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岩内さんの『〈普遍性〉をつくる哲学』に敗北感を味わったこともあり、新書ならさすがにもう少し歩み寄れるだろうと、今度はこちらを手に取ってみました。
帯にあるように、なぜスマホを見続けてしまうのか、と私は日々スマホを長々とスクロールした後に自分が嫌になっております。
なぜスマホを見続けてしまうのか、それはタイトルからも想起させるように、自分(つまり、〈私〉)がないからです。
いやいや、待って、私は〈私〉があると思ってるんだけど…。
そんな気持ちで読み進めていくと、どうやらタイトルにある〈私〉は、私がまだたどり着けていない〈私〉かもしれないと思うようになりました。
自分自身、退屈を防ぐため -
Posted by ブクログ
〈普遍性〉という言葉に惹かれて読んだものの、読後の素直な感想は「完敗」。
それぐらい今の自分には内容が難しくついていけなかったです。。。
ただ気になって付箋貼った箇所だけもう一度読んでみると、あら不思議、意外とわかるかもしれない。そして納得度も高い。
〈普遍性〉、つまり、世の中には絶対的な善的幸福があって、人間はそれを求める自由を持っている、そして、その精神でいれば、周りに振り回されることなく自分の自由もみんなの自由も守ることにつながるんだよね、ということだと理解しました。
この考え方は、最近触れたアリストテレスの哲学とも通ずるし、何より人間は自由のために学ぶし、幸福のために生きてるんだ -
Posted by ブクログ
宮台真司・東浩紀・國分功一郎と、日本の現代思想史上の三人を辿り直し、終わりなき日常・動物化・退屈というそれぞれのキーワードを再解釈したうえで、私たちはそのなかでサイバースペースが提供してくる世界に埋没し<私>を見失っている、と著者はいう。その上で、新デカルト主義の立場に立ち、まず自分自身とじっくり向き合い、拙速に決めつけるのではなく判断を保留することや、<私>を大切にするのと同様に、<私>の周囲やサイバースペースで出会うたくさんの<私>のことも大切にすることで<私>がゆたかになっていく、と論じられる。あとがきで「本書を書いている途中で、私はこれを家庭の中で実践できているのか、と何度も反省した
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メタバースという現象が一般化する前から、アバターを使って仮想現実に入る体験を少しだけしたことがある。ただそれはあまりにも非現実的で、人物造形も極めて荒かったためにすぐに飽きてしまった。最近のものは知らないが、メタバースというくらいだから、仮想現実というにふさわしいものになっているのだろう。
最近は現実社会に直視していないのではないかと思われる言動に出会うことがある。分かりやすいのはこの前の選挙である。日本人ファーストを主張した政党は、少なくとも末端の街頭演説では外国人が不当に優遇されており、日本人の職を奪っていると主張していた。確かにコンビニの店員はカタカナの名前の店員ばかりだし、駅で外国 -
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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』がとても面白かったので、似たような本として、こちらを読んだ。
最後のページまで、大変興味深かった。
多様性――“人それぞれ”という考え方に、違和感を抱いている人は多い。
「それって本当に自由なのかな?」と。
いや、確かにそれは自由なのかもしれない。
が、“人それぞれ”という考え方で得られる自由を、はたして私たちは本当に求めているか。相対主義を徹底した先に、何があるのか、そこに希望があるのか。“孤独”しかないじゃないか、と。
それに対し、新デカルト主義をもとに、<私>と<私>の共生について、間主観的な共通理解、新たな道筋を示してくれる。
なんというか、 -
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サイバースペースへの接続によって情報摂取をし、コンテンツを消費し続けるのは退屈が原因であるが、情報を消費することにも退屈を感じ結局自分が何なのか、何をしたいのかわからなくなる。そこに「私」について、考える隙がない。うまくスマホ依存を言い表している。
デザインされた「私」からネガティブな部分を排除することで、人間的な本質が見えてこなくなる。人間は持ちつ持たれつで支え合いそこからつながりが生まれる。ネガティブな事柄にもポジティブな役割があることを忘れてはいけない。全く同感だ。無難なコンテンツばかり公開される中で、パッケージ化された善が氾濫し、我々はどこに向かっているのだろうかと時々不思議に思う。ど -
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ネタバレ本質観取は、「○○とは何か」を問うような、そもそもを考える営み。
あらゆることに関して、「人それぞれでは?」のような考えもあるが、それで済ませるのではなく、きちんと辞書的な意味ではなく「本質」を問い、「共通了解」を得ることがユニークネス。
哲学の歴史的には、「人それぞれ」的な考え方をするソフィスト連中に対し、プラトンが物事の本質を追求したのに端を発する。但し、プラトンは彼岸にイデアを置いてしまった(本質を、現実世界とは離れたところに位置づけてしまった)。それに対して、デカルトが、「我思う、ゆえに我あり」で示されるように、疑いようのない〈私〉から出発したことで前進し、そこからフッサールによって確 -
Posted by ブクログ
現代は、外部から絶えず提供される情報に注意を奪われて、自分自身について考える時間が減っている。何故そうなっているかという背景と、その弊害、そして対抗策について論じた本。
自己とは何かについて論じられている部分が多かったが、個人的には、何故、多くの人が陰謀論にはまるのかを考えるきっかけになった。思うに、
① 他者より優位と思い込みたい願望
② 判断を保留できない気早な性格
これらを持つ人が、陰謀論を信じやすくなるのだと思う。
両方の特性を促進しているのは、SNSや動画配信プラットフォームではないだろうか。つまり、常に他者と表面上の優位性を競わされ、短い間隔で次々と新たな情報をインプットさ