宮崎嶺雄のレビュー一覧
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ネタバレ訳のせいか元の文章のせいなのか判断できないけど、だいぶ読みづらく感じる部分もあったし、中だるみに感じてしまう部分もあって途中気分がのらなかったりもしたけど、終盤は泣ける場面もあり爽やかながらも不穏さの残るラストまで一気読みだった。よかった。
私はドストエフスキーが好きで特にイワンやキリーロフが好きなのだけど、どうもリウーはイワン、タルーはキリーロフ、パヌルーはアリョーシャの影がみえてその部分でもとても楽しめた。
リウーの「子どもたちが責めさいなまれるように作られた世界を愛することはできない」というのはイワンの思想と同じだし、リウーとパヌルー神父の問答はカラマーゾフの兄弟の大審問官に近いもの -
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フランス領アルジェリアの港町オランで、突然ネズミの死骸が街にあふれ、人々は正体不明の病に倒れていく。病名はペスト。町は封鎖され、外界から孤立した住民たちは、それぞれの立場や信念でこの未曾有の災厄に向き合う。医師リウーを中心に、苦悩と希望、葛藤と連帯が交差する中、人々の本性と生き方があらわになっていく。
アルベール・カミュの『ペスト』は、単なるパンデミック小説ではなく、人間の本質をあぶり出す哲学的な物語だ。舞台は閉ざされた町・オラン。突然訪れた死と混乱の中で、人々は選択を迫られる。逃げるか、残るか、信じるか、絶望するか。
登場人物たちの選択はさまざまだ。病に倒れた妻を別の都市に残し、医師とし -
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舞台はフランス、スタンガースン博士が住んでいるグランディエ城の《黄色い部屋》で博士の娘マチルドが何者かに襲われる。部屋は内部から鍵がかけられおり、ドアを壊して踏み込んでみると、そこに犯人の姿はなかった……。
密室の古典ミステリとしては、かなり有名な作品です。
最初の事件だけでなく、その後も庭と廊下といった、状況的密室から犯人が消える事件が続けて起き、密室というキーワードが好きならば、楽しめる……と言いたいところですが、展開に強引さを感じたり、犯人ならこれぐらいはやってのけただろうといった説明で終わらしたりと、引っかかるところはあったものの、全体を通すと楽しんで読めた作品でした。 -
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もったいぶった言い回しや表現が多く、ややくどいように感じますが、
読み進める妨げになるほどではありません。
むしろ、ページ数の多さにしてはさくさくページが進みます。
密室の謎自体は、出版から100年以上経ち、
トリックや伏線を組むのが巧みなミステリー作家の著作も増えた今となっては、
驚くというよりも、そうなんだぁ、という感じでしたが、
キャラクター造詣が巧みで、細かな描写が多く、
まぁ、よくも頭がこんがらがらずに、こんな話を書いたわ!と感心しました。
乱歩先生が選抜するのも頷けます。
解説にもありましたが、この『黄色い部屋の謎』と、続編の『黒衣婦人の香り』は、
ふたつでひとつといってもいい -
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「オペラ座の怪人」で有名なガストン・ルルーの古典的名作。100年も前の密室トリックとしては本当に見事です。逃げ出せるはずのない密室からいなくなってしまった犯人、廊下のT字路で3方向から追いつめたのに消えてしまった犯人…。
ややアンフェアなところやアラもあるとはいえ、伏線もそれなりに回収してるので個人的には満足でした。探偵同士の推理合戦や犯人の意外性など、現在の推理小説に多大な影響を与えた記念碑的作品と言えそう。
18歳の新聞記者である主人公が裁判所で大勢の聴衆の前で謎解きをする場面はまるでアニメ・ゲーム的展開で思わず笑ってしまった。逆転裁判のなるほど君かと。 -
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ネタバレ新型コロナの流行とともに再注目された作品だが、古い作品だけあり言い回しも難しかったりして、読むのに時間がかかった。しかし日本語としての不自然さはほとんどなく、機微な心の動きを表す比喩などはしっかり翻訳されている感じがわかり、患者が苦しみながら亡くなっていく様子などはあまりに壮絶だった。街が封鎖されて愛する人と引き離される人々の苦悩や、当てのない不安に抑え込まれる街の様子が、時代は違えど現在の世界と重なったのは、歴史は繰り返すということ、また時代が変わっても人間はそうは変わらないということを感じさせた。ペストが収束した駅での人々の再会シーンのような世界がまた来るように願いたい。
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デフォーのペストの後に拝読。
デフォーのそれがドキュメンタリー的に語られるのに対し、カミュのそれは観念的で、なかなか入り込みにくい感じがした。
カミュのペストが出たのは1947年。第二次世界大戦後の荒廃からどう生きるか模索されていた時期であり、そういう社会情勢を鑑みれば、観念的であるのは当然と言えるだろう。
カミュといえばキリスト教ともコミュニズムからも距離をとった異邦人的な「第三の立場」を思い浮かべるが、その思想がいかんなく表現されている。
現代の私たちはコロナ禍でもネットがあり、コミュニケーションは取れるし、いくらでもエンターテイメントがあったので、多少息苦しさは紛れたが、100