カート・ヴォネガット・ジュニアのレビュー一覧
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普通、物語のはじまりが思い出からだったり、思い出がはさまれたりすると情緒がただようのである。が、この小説は「けいれん的時間旅行者」という思い出の進行、なんとも読者は不思議な気持ちにさせられる。
主人公ビリー・ピルグリムは現在、過去、未来を行ったり来たりしている「けいれん的時間旅行者」。そうなったのは戦争に召集され、襲撃を受け敗退、逃げ出した森の中で死ぬ思いをした時。
そこから過去に行くのだが、その過去が現在や未来へ続き、また現在へ戻るという複雑な経過。夢かうつつかまぼろしかということになるのだが…。
過去現在未来は一瞬、一生は一瞬。つまり、中国のことわざ「一炊の夢」、だから一瞬一瞬を大切 -
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1945年2月。捕虜としてドレスデンにいたカート・ヴォネガットは、連合国軍によるドレスデン爆撃を目の当たりにした。長年その体験を小説にしようと考えてきた彼は、ビリー・ピルグリムという男を創造する。ビリーは同じくドレスデン爆撃を生き残ったが、帰国後にトラルファマドール星人に捕まって以来〈けいれん的時間旅行者〉となって、過去・未来の区別なくランダムに時空を飛び回ることになった。PTSDに悩まされる帰還兵の心理をSFに落とし込んだ反戦小説。
あからさまに兵士のトラウマからくるフラッシュバックを題材にした作品なので、「SF…?」と疑問符を浮かべながら読んでしまったけど、本文中に「二人とも人生の意味 -
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他の多くのヴォネガット作品と共通して、エリオット・ローズウォーターの行動原理は第二次大戦でのトラウマに端を発している。軽く可笑しく展開している物語のなかで、戦争中に誤って少年を刺し殺してしまう述懐だけが異様に生々しく、温度が違っているように感じた。終盤でエリオットが大勢の子どもを持つ、という第三の選択は、唐突なアイデアのようでいて、実は最初から追い求めていた救済のかたちだったんじゃないだろうか。
最後の最後で病んだ資本主義社会が転覆する爽快感を味わった後で、ここのところディストピアな妄想ばかりたくましくして、魅力的なユートピアなんて全く思い描けていなかったことに気づき、なんとなく淋しい気持ち -
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ネタバレ貧しき人々に惜しみなく財を与える億万長者・ローズウォーター氏」を狂気の塊として扱うこの作品。他のヴォネガット作品よりはあっさりしているなあと読み進めていたけど、以下のフレーズは、「生産性」という言葉に揺れる今の日本にとって暗示的な内容だった。
「規模は小さいものだけれども、それが扱った問題の無気味な恐怖というものは、いまに機械の進歩によって全世界に広がってゆくだろうからです。その問題とは、つまりこういうことですよ──いかにして役立たずの人間を愛するか? いずれそのうちに、ほとんどすべての男女が、品物や食糧やサービスやもっと多くの機械の生産者としても、また、経済学や工学や医学の分野の実用的な -
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わたしはキリスト教的決定論を信じるタイプである。
運命はすでに決まっていてあとは神に導かれるまま生きるだけ だからこそ臆せずに自らをしっかり持って貴重な一日を生きることができるから。
あの時ああしていれば、わたしがこうしたせいで、という後悔の仕方はしない。自分がどのように行動しても遅かれ早かれその出来事は起こったのだとおもう わたしが後悔するのは失われてしまったものを大切にできなかったことについてだけであり、愛情とか、穏やかな時間とか、そういうものを十分に受け止められなかったことは心に引っかかり続ける
ビリー・ピルグリムはそのような後悔さえしない。それは運命を先に知っているからということにな -
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ネタバレ機械が高度に発達し、コンピュータEPICACによりIQと適性を認められた極小数の管理者と技術者が支配する未来のアメリカ。大多数の人間は職を失い、自尊心をも失いかけていた。
第三次世界大戦中に人手不足のため機械への依存が高まると、機械は飛躍的に進歩し、EPICACと呼ばれるコンピュータにより全てが決定されることとなった。この組織を作り、発展させたジョージ・プロテュース博士の息子、ポール・プロテュース博士は高い地位にあったが、このような世界を徐々に疑問に感じ始めた。ポールより出世が早かったがその地位を投げ打った旧友フィナティー、夫を出世させることにしか頭に無く、何事に関しても口出しする妻のアニー -
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序盤、エリオット・ローズウォーターがなぜこのような慈善の人になったのか、また彼を取り巻く貧しく不運な多くの人々の描写などが、まるで演劇の舞台を基礎から創っていくかのように細かく丁寧に描写される。この状況説明を読みこむのに時間がかかり、「この作品はタイタンの妖女みたいに自分には向いていないのか?」と思いきや、中盤から愛すべきエリオットという人が掴めるようになる(それまでの丁寧な描写がここで効いてくる!)と、どんどん面白くなっていき、最後高みに飛び立って、ストンと終わる。
でも。
私にはエリオットのような人間愛はきっと寂しく思えてしまうだろう。彼の妻が、彼を愛していても寂しかったように。彼の父が -
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ヴォネガットの小説はいつも話の筋になかなか掴みどころがない。
そしてこの作品は今までにましてストーリーが掴めなかった。
読んでいて、いるのかいないのかも分からない透明のウナギを捕まえろ!と命令されている気分。
狂った登場人物たちによる、でたらめな事実が箇条書きで続いていく。
訳者のあとがきによると、“ヴォネガットが書いた最も直接的なアメリカ批判の書”なのだという。
確かにその通りで、“ヴォネガットらしい”宇宙を感じさせられる途方もない視点から見たアメリカという国を、
かなり痛烈な言葉で批判したり皮肉っている文章が多く目に付いた。
例えば、コロンブスがアメリカ大陸を発見した“1492年”について -
Posted by ブクログ
もしも完全に利他的な人間が、働かなくてもお金の手にはいるような大金持ちだったら?
これはヴォネガットのいつものユーモアと皮肉と笑いをまじえて大金持ち、エリオット・ローズウォーターの生き方を描いた小説。
エリオットの周囲にいる人間たちを同じ人間とも思わないような俗物らしいエリオットの父親は、誰をもを愛していると言っているエリオットに対し、特定の人間を特定の理由で愛する自分たちのような人間は、新しい言葉を見つけなければいけないと嘆く。
エリオットが「役立たずの人間」に奉仕するときの「愛」とはどんなものなのか?
住民たちのもとを離れ、もう戻りたくないと思いながらも、まだ見もしらぬ子どもたちのために