カート・ヴォネガット・ジュニアのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ヴォネガットの小説はいつも話の筋になかなか掴みどころがない。
そしてこの作品は今までにましてストーリーが掴めなかった。
読んでいて、いるのかいないのかも分からない透明のウナギを捕まえろ!と命令されている気分。
狂った登場人物たちによる、でたらめな事実が箇条書きで続いていく。
訳者のあとがきによると、“ヴォネガットが書いた最も直接的なアメリカ批判の書”なのだという。
確かにその通りで、“ヴォネガットらしい”宇宙を感じさせられる途方もない視点から見たアメリカという国を、
かなり痛烈な言葉で批判したり皮肉っている文章が多く目に付いた。
例えば、コロンブスがアメリカ大陸を発見した“1492年”について…
“先生たちはこの国にこの大陸が発見された、と子供たちに教える。ところが、1492年のこの大陸には、すでに何百人もの人間が、充実した、想像力豊かな生活を送っていたのだ。この年は、海賊たちが、その人間たちをだましたり、略奪したり、殺したりしはじめた年でしかない。”(p26)
僕はヴォネガットのこういった、国や地球から飛び出したような、俯瞰的な視点から皮肉った文章が好きだ。
読んでいる自分も一緒に異空間に連れて行ってくれる。見たことのない景色を見せてくれる。自分が宇宙人であるような気分すら味わえる。
他にも、黒人奴隷問題やベトナム戦争についても、ブラックユーモアを交えて書いてある。
そんなヴォネガットの伝えたいエネルギーは凄く感じられるのだけれど、いかんせんストーリーが意味不明。
ついには語り手である作者自身も、創造主として小説の中に登場して、もはや『ソフィーの世界』的混乱状態。
“なにがアメリカをこんなに危険で不幸な国、実生活でなにもすることのない人びとの集まった国にしているのか、いったんそれを理解したとき、わたしはストーリーテリングを避けようと決心した。人生について書こう。どの人物にも、ほかの人物とまったくおなじ重要性を与えよう。どの事実にもおなじ重みを持たせよう。なに一つなおざりにはすまい。ほかの作家たちには、混沌の中に秩序を持ちこませておけ。わたしは逆に、秩序の中へ混沌を持ちこもう。自分ではそうしたと思う。”(p264)
こんな弁解めいた文章もあって、でもこの一節がこの作品をよく表してる。
ヴォネガットの小説はどの登場人物も狂おしく、愛らしく描かれているのだ。
なんじゃこりゃとしか言えないのは、まだ僕の読書経験、ヴォネガット経験の不足が致すところでもある。
しかし、頻繁にはさまれる作者自身によるヘタウマな挿絵も一役買っているし、
キルゴア・トラウトやローズウォーターといったほかの作品でなじみのある登場人物も出てくるし、
他の作品も含めて何度か読めばヴォネガットの世界がより楽しめると思う。
作中に出てくるトラウトの『いまこそ話そう』という架空の小説の、
自分だけが自由意志を持っていて、他のみんなはなにも感じない機械だ(p317~)という表現は、
現代社会の人間関係を言い当てているようで面白いけれど、怖さも感じる。
ひと言じゃ言い表すことができない
“その他いろいろ”
そこに人生の実質があるのかなぁ?
今まで読んだなかで良くも悪くもいちばんデタラメな小説だと思う。
日本語では際どい(てかアウト!?な)ワードも多いので、原文で読んだほうが楽しめるかも。 -
Posted by ブクログ
もしも完全に利他的な人間が、働かなくてもお金の手にはいるような大金持ちだったら?
これはヴォネガットのいつものユーモアと皮肉と笑いをまじえて大金持ち、エリオット・ローズウォーターの生き方を描いた小説。
エリオットの周囲にいる人間たちを同じ人間とも思わないような俗物らしいエリオットの父親は、誰をもを愛していると言っているエリオットに対し、特定の人間を特定の理由で愛する自分たちのような人間は、新しい言葉を見つけなければいけないと嘆く。
エリオットが「役立たずの人間」に奉仕するときの「愛」とはどんなものなのか?
住民たちのもとを離れ、もう戻りたくないと思いながらも、まだ見もしらぬ子どもたちのためにお金を与えるのはどうしてか?
助けてきた住民の名前も忘れてしまうエリオット。彼が愛するというとき、それは目の前の個人ではなく、人間という存在そのもの。特別な存在として自分を見てくれないエリオットを、他の人間は愛せないように思う。愛するにしてもそれは神への愛みたいなものか。
二つの愛という概念は、宗教をもっている人間ならわかるのかな? -
Posted by ブクログ
ネタバレ現代版の異邦人。
新自由主義社会において、人類愛を語ることは異端なのか。
カートボネガットのシニカルな問いかけがそこにはある。
異常という日常。
ボネガットの皮肉に満ちた文章の中で、
彼の純粋で無垢な人間愛が浮かび上がってくる作品。
「あんたがローズウォーター群でやったことは、断じて狂気ではない。あれはおそらく現代の最も重要な社会的実験であったかも知れんのです。なぜかというと、規模は小さいものだけれども、それが扱った問題の不気味な恐怖というものは、いまに機械の進歩によって全世界に広がってゆくだろうからです。その問題とは、つまりこういうことですよーいかにして役立たずの人間を愛するか?」 -
Posted by ブクログ
お金持ちは富を分配しろ!って庶民は思うけど、
本当に人のために尽くしたらどんなことになっちゃうのか・・・
中流階級以上にはキチガイと思われ、
貧しい人々には神と崇められ、
それでも本人は首尾一貫しているのが滑稽であり、切なくもある。
しかし最後の妻に会いに行くところからの超展開はすごかった。
え、火事?え、テレポート?記憶喪失?え、ケンカ?いつの間に???
ぜんぜんついていけなかった(笑)
主人公もなかなかついて行けてませんでしたが。
・・・ということは、狙い通りの効果だったのかもしれません。
彼のやったことは最後に他者の言葉によって説明され、そうしてようやく周りが理解できる意味を持つ。
だけどそれって本当の意味なんだろうか。
結局、芯の部分は誰にも理解されないまま、主人公は自分を貫き通したのだと思う。
他人なんて気にせずに自分の道を歩めという意味ではなくて、
他人を気にせず自分の道を歩めばどう見られるのか、どう見えるのか、
という皮肉なのかなあ。
全体的にシニカルな印象でしたー。
いちおSFになるのかな?
文章はフィリップ・K・ディックより素朴で読みやすいようだけど、
実は結構深くてイジワルでした。
いやーSFって本当にいいものですね! -
Posted by ブクログ
「第二次世界大戦ののち、わたしはしばらくシカゴ大学に通った。人類学科の学生であった。当時そこでは、人間個々人のあいだに(優劣の)差異というものは存在しないと教えていた。いまでもそう教えているかもしれない。もうひとつ人類学科で学んだのは、この世に、奇矯とか、性悪とか、低劣といわれる人間はひとりもいないということである。わたしの父が亡くなる少し前に私にこういった。「お前は小説のなかで一度も悪人を書いたことがなかったな」それも戦後、大学で教わったことのひとつだ」
(本書あとがきより、引用されていたヴォネガットの言葉)
ここにヴォネガットという作家の「素」とでも言うべきものが凝縮されている。悪人のいない世界。個々の優劣など存在しない社会。その中で巻き起こる、愚かしく滑稽で、愛おしい出来事の数々。私は確かに、そういったものに惹かれてこの人の本を読み続けて来たのだった。そんなことを思い出させてくれる読書でした。是非一度。出来れば「タイタンの妖女」とか「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を読んだ後に。 -
Posted by ブクログ
第三次産業革命により全ての生産手段が機械化、自動化され、一部の技術者や公務員を除く人々は皆閑職しか与えられずにいる、そんな近未来のアメリカが舞台。人事が全てパンチカードで機械によって振り分けられ、技術者や公務員と一般人との居住区が分けられているという、効率・能率優先主義の社会に疑問を持つ人たちが革命を起こすという話でした。機械化による雇用数削減という問題よりも、作中に描かれている格差が今の私たちにリアルに迫ってきます。SFというカテゴリーに入っていますが、それが好きな人も嫌いな人も読める作品です。むしろ、SFという枠を超えた作品であると言えます。長編ですが、すらっと読めるのでおすすめ。
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Posted by ブクログ
「タイタンの妖女」のヴォネガットによる半自伝的SF小説。
読み始めは内容が全く分からずやめようと思ったが、飛ばし読みで最後までたどり着いた後、解説を読んでこの小説のイメージがつかめたので、もう一度読んでみて少し理解ができた。
筆者がそれまで書いてきた小説を踏まえて、実際に経験した第二次大戦の連合国によるドレスデン無差別爆撃という悲劇について描いたものらしい。
「そういうものだ」という言葉が繰り返されることで、醒めた目線を感じさせるが、それはきっと怒りが溢れ返るのと同時に、同じことを繰り返す人間に対する呆れが感じられた。
村上春樹はヴォネガットの影響を受けていると福田和也の本にあったが、タイタンのようにあちこちに飛ぶ主人公は、ねじまき鳥を思い起こさせた。