石塚裕子のレビュー一覧
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通称「世界の10大小説」と言われる古典的名著群で個人的にはついに最後の作品を読み始めている。フィールディングの『トム・ジョーンズ』があまり好みでなかったのがあって、似たような雰囲気で冊数も同じぬ多い『デイヴィッド・コパフィールド』は手をつけるのに腰が重かったのだが、読んでみるとなんてことはない。いつも通り安心安全のディケンズの作品だった。
母親の再婚相手が最悪という事例は珍しくなく、子供の立場からその様子が描かれることで更に母親が可哀想に見えて仕方がない。これから先、母親への異常な執着や義理の父親にせいで形成されたひねくれの性格などが悪い方向で発揮されないことを期待している。 -
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下巻はマグウィッチがイギリスに戻ってきて、ピップを紳士にしたということがわかる。イギリスから逃げそこない、死刑宣告を受けるが怪我で死亡し、ピップはジョーの看病で一命を取り留める。そしてジョーがビディと結婚したその時にピップが二人に会い、東洋での会社の事務員として採用されて去っていく。ハヴィシャム家にいたステラと懐かしい家で出会って別れていく。いかにも小説ということである。これが名著になったのは、イギリスの当時の状況がわかるということであるし、わかりやすい小説で話がどんどん展開していくということで読者が好んだからであろう。映画になったのはわかる気がする。
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モームの世界十大小説のひとつ。(読むのは、カラマーゾフの兄弟、戦争と平和、ゴリオ爺さん、赤と黒、自負と偏見、嵐が丘、に続いて7作目)
執筆は1850年。ディケンズの自伝的作品。
1867年版の序文でディケンズ自身が書く通り、作者が自作の中で一番好きな作品らしい。
一巻の内容は、主人公デイヴィッド・コパフィールドが、生まれてから、10歳で、継父が手配した下宿先(が更に手配した監獄裏の小屋)から脱出して、一度も会ったことのない大伯母のベッツィの家を目指す迄。
視点は主人公の一人称形式。成人後(のいつ時点かはまだ分からない)に自分の人生を振り返る、というスタイル。生まれた時のことは、のちにいろんな人から(親身に語ってくれる人は、母のクレアラと女中のペゴティーくらいだけど)そのときのことを聞いてからのデイヴィッドによる想像。語り口が軽妙なので、読者は、デイヴィッド・コパフィールドがどんな苦境にあっても、ちゃんと立派に成人することが分かっているので、安心して読むことが出来る。
継父姉弟を筆頭に、嫌な人物も沢山登場するが、女中のペゴティーがいつもしっかりとデイヴィッドを抱きしめてくれるのが救い。その際、少し太めのペゴティーの背中のボタンがすべて弾け飛ぶ、という描写が何度も出てくるのが面白い。(お笑いで言うと「天丼」に当たるのか。)
まだ、五分冊のうちの一冊目だが、続きが楽しみだ。(でも一気読みはせず、他の本を挟む。)
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ピップが善良過ぎないのがリアルでよい。
臆病だけれど、自分の心に正直な子供だ。
ジェントルマンに憧れ、自分の境遇を恥ずかしく思う気持ちが芽生える。
自由に使える金が手に入ると、見栄に心が染まってしまう。
エステラへの恋慕は募るが、重要な友人たちは思いを断ち切った方がいい旨の助言をする。
心に弱いところがある主人公だ。
金を持っていることがジェントルマンなのではない。
私の目には、ジョーは素晴らしいジェントルマンに見える。
下巻では、ピップがそのことに気づくことを期待して、読み進めて行こうと思う。
そして、遺産相続人はハヴィシャムさんではないだろうな。
第一部 全19章
第二部 1~12章まで (P336~) -
Posted by ブクログ
小説ってやっぱり面白いんだな~と安心する。
作中、コパフィールドが昔馴染みから「あんたの小説は眠くならない」と評されて、それは大切なことだって再認識する箇所があるが、その通りこんなにも長大な小説なのにいっぺんも眠くなるような難所はなかった。
それはどうしてか、考えるにつけて。
ひとつには非常にドラマチックな点。一人称で描かれたコパフィールド少年の有為転変の物語なんかハラハラドキドキが止まらない。
ひとつには、とてもフラットに描かれている点。実母の命を奪ったダーシー姉弟や体罰校長のクリークルといった同じ人間とはとても思えない冷血漢が続々出てくるけれども、そういった時の感情にはあまり深入りしない。コパフィールド少年がアンフェアな仕打ちをしたミル先生に対しても、実にあっさりと話をつけてしまう。(しかしまさか最後の最後でそれらの人物に決着をつけてしまうとは思いもよらなかった。ご都合主義の骨頂とも言えるだろうが、感情や思考の葛藤には深入りせずに、あくまで物語としてケリをつける潔さがそこにはある。ディケンズにとって一人称の小説を書く時、それによりバランスを保ったのかな?)
まあ色々と考えてみるけど、この小説を読み進めていく原動力は、「ここには何か大事なことが書いてある」という何か直観とか本能的なもののような気がどうもする。
言葉にするとすれば、「啓蒙主義的」ってことになりそう。美しい行いや正義、思いやりといった人間として「善」であることがここには描かれている。
啓蒙的な小説ってここ最近の本に探すのはちっと難しいんじゃなかろうか。
どうも「善」ははびこる「悪」に道を明けたようだ。
だからこそこの本には、時たま開いて読んでみる価値が絶対にある。
個人的には四巻の「新生活」と「家庭」といったドーラとの結婚生活のことが描かれた章がとても身につまされ、またついほろっとくるような話でした。