イタロ・カルヴィーノのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
なぜ読むのか、と言われてもそもそもなかなか手が伸びにくいものではある。あまりにも膨大で変なところに手をつければ崩れて埋もれてしまうんじゃないかと腰が引けてしまう。
そんなことはカルヴィーノも分かっている、ただ古典のほうから呼びかけ続けるものだから手をとるより仕方がない。ここで紹介される様々な古典はしたがって、書物のそれぞれの気候と眺望から描かれる。
彼の「見えない都市」と同じような手触りで、読めるようで読めないが、非常に楽しませてくれる。ぐいぐい手を引っ張りながらそれぞれの書物を訪問させてくれる。
訳者あとがきで述べられてるようにごつごつとわかりにくいところも多いけれども、また、古典の入門書でもまったくないが、読むことの愉しみがしっかりと詰め込まれている。
っていうか、訳者が須賀さんなのはわかってたけど、その上に池澤氏まででてきちゃうんだから、はぁ、僕のこの文章はそのうえのお節介なんてことになってしまうじゃないか。 -
Posted by ブクログ
「東方見聞録」をベースにした幻想小説。元の皇帝フビライにマルコ・ポーロが世界の都市の有様を語るという体裁で、フビライとマルコ・ポーロの対話をはさみつつ様々な都市が描写される。マルコ・ポーロが語る都市の姿は、実在する都市であり、記憶の中の都市であり、かつて過去に存在した都市であり、やがて未来に存在するであろう都市。あるいは、ひとつの都市の姿ではなく多くの都市の姿から帰納された都市であるかもしれないし、ある概念に基づいた演繹された都市、ある都市が別の都市へと反映された姿かもしれない。またマルコ・ポーロが語りフビライが聞くのであるが、その語りは常に一方向ではなくフビライからマルコ・ポーロへの働きかけも存在し、それがまたマルコ・ポーロの語る都市の姿に影響を与える。彼らが紡ぎだす都市の姿は常に一様ではないと同時にどれもが似通っている。語ること語られることから編み出される無限に増殖する都市の姿。
「東方見聞録」に着想を得た作品と言えば楠見朋彦「マルコ・ポーロと私」もまた語り語られる関係からの無限の増殖を扱っている。そこではマルコ・ポーロの語りが受け手に無数の東方見聞録を生み出しそれがさらに無数のマルコ・ポーロを生み出すという無数の、そしてより開かれた連環を示す。楠見自身、創作にあたって「見えない都市」を参考にしたであろうことは容易に想像がつく。とするならば、「東方見聞録」→「見えない都市」→「マルコ・ポーロと私」という連続がここにも存在する。そうした連続はあらゆる創作に大なり小なり存在するわけで、創作とはすべてマルコ・ポーロの子孫だとも言っていい。 -
Posted by ブクログ
戯れの中に秩序が芽生えている。
マルコ・ポーロの見聞録として構成された
この都市カタログは奇形児ばかり集められたような印象ではある。
けれども、過剰も欠落もそこにはない。
ありのままの都市が確かにある。
水道管だけで成り立つ都市にしろ、
郊外しかない都市にしろ、
旅立つことしかできない都市にしろ、
それらの描写は緻密だが、その合間には空虚しかない。
語られたものがすべてで、都市は外側に屹立する。
見えない都市であるのは、彼らが目を閉じているからだ。
目を閉じ、身をおいているのだ、言葉の都市に。
目を開けば、この日常こそが
過剰と欠落の充溢であることが感じられるよう。
もちろん、都市カタログとしても十分に楽しめます。
あと、解説もなかなか気が利いている。