宮崎智之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この悩ましい、実に愉快な、あるがまま。
弱いまま強く生きる人びとのエッセイアンソロジー。
ご自身の虚弱をありのまま書くことで、そのひとそれぞれの健康観というものも、浮き上がる。
虚弱を知ることで健康が身に沁みる。
アンソロジーを読みながらわたし自身もふりかえって、わたしの生活や持病を再考する機会を得られている。
言いよどむような、明瞭に説明し難い虚弱は今の時代、より身近な話題となりつつある。
虚弱はコントロール不能な、横暴で、特定の原因がはっきりしない、肉体と魂からの時をこえた叫びだとわたしは思う。
上手く聞き取りたくても、叫び声が耳を障る。
この叫びは声だ。
声は、社会の中で生き抜くための摩擦の結果なのかもしれないし、自分自身の身体の仕組みの不具合さを健気にあらわしているのかもしれない。
誰もが大なり小なり健康に容易にはたどりつけないリアルを書いているし、ご自身の虚弱さにいかに向き合うかを押しつけがましくなく書かれている。
アンソロジーなので、虚弱の色彩もその向き合い方も、それについてわたしたちになにを訴えかけるのかも、人それぞれに豊かに文章として書かれていて、わたしは好感をもてた本。
『虚弱人生の振り返り、ならびに新たな幕開け』
渡辺 優
『脳みそグニャグニャ人生の半生』
トミヤマユキコ
『異常なし』
ヒオカ
これらのエッセイが特に共感した。
個人的には小中高の学校の先生におすすめの本。
虚弱もいろいろ、子どももいろいろ、成長もいろいろ。
道もいろいろ、だと思う。
社会もいろいろには現実まだなっていないからこそ、学校の中の多様性を視ることから虚弱について考え始められることがあるのではないか、とわたしはこっそり思う。
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Posted by ブクログ
宮崎智之さんの『平熱のまま、この世界に熱狂したい』を読みました。
一見、どういうことかと首を傾げたくなるタイトル。
著者の独特な世界観を予感させます。
特に“平熱”という言葉をどう捉えたらよいのか。
冒頭から努めて冷静に書こうとしている姿勢がにじむ。
それが“平熱”というタイトルに込められた、
宮崎さんなりの態度表明だと感じました。
そして後半になるにつれて確実に体温が上がっている。
その筆致は、私もついついノートに書き出したくなるような一節ばかり。
反省を込めながら、日常生活を大事にすることこそが挑戦的な生き方であるというメッセージは、大きく心を揺さぶり、弱さを受け入れる勇気をくれます。
まさにこの本の流れが、平熱のまま熱狂する体験でした。 -
Posted by ブクログ
昔はエッセイ好きだったけど、近年は著者のエゴの匂いが気になって読めなくなっていた。本書は、解説でも指摘されているが、著者が自意識との距離感がうまいので、読める。
例えば、アルコール中毒が原因で離婚した話、東京の西の郊外出身であること、35歳問題(同世代なのでよくわかる)、フィッシュマンズや東畑開人の引用など。背伸びしていないし、小手先ではなく、ちゃんと自分が身銭を切ったもの、人生の時間をかけたものというフィルターをかけてから書いていることがわかる。
ただ、不満もあって、①自分は弱いみたいな認識は、あえて表明することではないように思う。上に書いたことと矛盾するけど、②背伸びをしな過ぎと思う。その慎ましいスタンスは同時代の自分も取りがちだが、そこが鼻につく時もある。
解説が山本貴光・吉川浩満という意外性。たしかに、引用うまい。 -
Posted by ブクログ
晶文社のマークってサイ?と思いつつ購入。こういう日記が好きなのだ。そして分厚い。500ページ弱。著者はフリーライター。アルコール中毒から脱出して断酒中とのこと。そんな感じはあまりしない。
飼犬への愛情が微笑ましい。僕はここまで犬を愛してなかったなあと反省した。
鎌倉文学館は『豊饒の海』の松枝公爵別荘のモデルなのだそうだ。今度行ってみたい。
著者も「頷きすぎて、首がもげそうになった」と書いている長井短さん(モデル、女優さんらしい)の言葉の引用。
「ちょっと疲れたからもう全部やめて寝たい」とかすぐにでも大きな声で言いたいのに
「いやでも、今の私の状況は誰かにとってもとても羨ましいことであって、つまり、私が今の自分を放棄したがるのは良くないですね」
頭の中にいる常識が早口で捲し立ててくる。こいつは誰だ。どうして、適当に何の気なしに弱音を吐かせてくれないんだ。
僕の首ももげた。 -
Posted by ブクログ
人がもがきながら生きている感じがして良いエッセイだった。
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以下抜粋
つまり「何者か」というのは本来、beの話だったのにもかかわらず、どこまでも目的達成的で、存在そのものを顧みない「実感」に乏しいものになっているがゆえに、焦燥感、空虚感にさいなまれるdo的な時間感覚に追われる状態になってしまっているのではないか、ということだ。そのねじれが、ぼくをより焦らせ、より困惑させる。
いわゆる「あがり」という状態がない今の時代は、常に成長し変化するdoが求められる。無目的に集まったり、なにかをやったりする場や時間を設けることが難しく、beがままならない時代だとも言える。だからこそ、そこにいるだけで無条件に「何者か」になれる場や時間を確保することが大切なのではないか。
それは後世にも残らないし、偉大でもないし、強くもない。「平凡」なままでも、
自分の存在に確かな「実感」が得られる避難所だ。
静寂から掴み取れるものはたくさんある。それはほとんどの場合、すでにあるものを、もしくはあったものを確認する作業であり、「常に正気でい続けることの狂気」を受け入れること、ありのままの世界をありのままに生きること、不確実な現実から確実な切れ端を少しでも摑もうともがくこと、その勇気を持ち続けることでもある。
だから今は、こんなことを心から願っている。
ぼくは平熱のまま、この世界に熱狂したい。