穏やかに読む。
**凪の生き方。**
「凪」という考え方。
できるだけ詰め込んで、コスパとタイパを上げるように迫る社会的風潮の中で、空白を恐れない余裕を確保するためにも、ひとつ、ためになる考え方です。
__無風状態のなかで世界を見つめ直すことにより、すでにそこにあったものの豊かさに気がつく。凪は、なにかが溢れ出し、なにかが変わる前兆でもある。
変化の激しい世の中で、凪の状態に身を置くこと。それは退屈な人生を意味したり、日常に埋没して思考停止したりすることではないのだ。日常にくまなく目を凝らし、解像度を高める。そして切り替わった瞬間の風を全身で、肌で感じとる。そういう生き方である。
**欲しいのは、自由、ではない。**
福田恆存という、昭和の時代に活躍した保守系論客の方の言葉がところどころ引用されています。この、自由を問う文章は、とても共感しました。
__また、ひとはよく自由について語る。そこでもひとびとはまちがっている。私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞するーーほしいのは、そういう実感だ。ー 「人間・この劇的なるもの」
**人の痛みは決して分からないけれど。**
身体をもって感じる、痛み、は、それぞれの人間の中でのみ生じる。勝手に共感することもできるけれど、それはまたその人の中で感じていることであり、決して同じ痛みを感じられる人はいない。それをわきまえたうえで、どのような姿勢で生きられるか…。共感しました。
__生きている限り、無意識に誰かを傷つけてしまうことがある。誰かの痛みをそのまま感じることもできないし、完全に寄り添うこともできない。だからこそ思うのが、相手のことを簡単に「わかった」と思ってはいけない、ということだ。相手のことは理解できないし、 自分のことも伝わらない。それでも想像しようとすることをやめたいとは、ぼくは思わない。
たとえ、想像することをやめない胆力を持ち続けることしかできなかったとしても、そういら姿勢を崩さないでいることしかできなかったとしても、その態度を「伝える」ことはできるかもしれない。最近では、そんなふうに思っている。
**身近な実感。**
自分の実感が及ばない世界について論じられない、と著者は言っています。私も、実感を持てない物事を考えることは得意ではなく、だからこそ、身近な体験を大事に、自分の存在を起点に、世界とかかわっていきたいと思います。
__一足飛びに世界を掴もうとするのではなく、身近なことへの執着を積み重ね、想像することをやめないことによって、身近ではない世界や多様な他者への実感を掴むことができるのではないか。…もしぼくが見ている世界が、ぼくにとってどこか白々しいものであるとするならば、それはそこにぼくがいないからだ。 具体的な感覚を持って、そこにぼくが存在しないからだ。
**社会の言葉と個人の言葉。**
本音と建て前、みたいな、社会に出るとそういうことをサラッとできる人もいますが私はときにつっかかってしまいます。人間として、対話したい、したらいい、と思う時がある。社会の言葉を使う時、私たちは個をいったん捨てて、責任を組織に回している、ということなのかな。はっきり分けられていない場合もあるけれど、私たちはどうバランスをとっていくべきなのか…。
__ぼくの中にコロナ以後、ずっと同じ矛盾が存在し、いまだに接合することができずにいる。しかしあのとき、女性が個人の言葉を発してくれたおかげで、ほくがどれだけ救われたことか。
…
ぼくと女性の人生は「社会」の中で一瞬だけ交差したに過ぎない。普段はそれぞれの人生を歩んでいる、ただの偶然的な関係性である。にもかかわらず、おそらく年配であろうあの女性は、ぼくの質問に対して、子どもが孫を出産する時のような気持ちで応えてくれた。「個人」を複雑な「社会」に晒し、言葉を発してくれた。女性のたった一言で、ぼくはあの時、確かに救われたのだった。
**言葉にする。言葉を探す。**
著者は、日常で見たものや現象を概念化し、独自の言語をつくり出す癖があるといいます。言語化能力にたけている人は素晴らしいと思いますが、言葉にすることも、大人になったらみんなできる、というわけではなく、手段として、よりよい活用方法を模索していく、永遠の過程なのだろうと思いました。
__違和感を言語化しなければ、いつのまにかそれが是とされ、自分も周囲の人間も何となく受け入れてしまう。
__情報が溢れるこの時代に違和感を覚えるなら、言葉を荒らげるでも、ロをつぐむのでもなく、新しい言葉を探していく態度が必要だと、ぼくは思っている。「今」を表現する適切な言葉がないならば、周りにじっと目を凝らして、言葉を獲得していくことからやり直してみよう。