津野海太郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ本来読み書きというのは、男性のみが行うことだった。
「男もすなる日記を、女もしてみん」と書いたのは男である紀貫之だったけど、それでひらがなが広まったというよりも、「女が書くところのひらがなを、男も書いてみん」というところなのではないかと私は思っている。
丸文字とかギャル文字など、若い女性は大昔もきっと、自分たちに通じる独自の文字を開発したのではないかと。
本が…というか、紙が貴重だったころは、数少ない本を貸したり借りたりして書き写すものだった。
その頃の大ベストセラー『源氏物語』
日本の家屋は寝殿造といって、広い板の間だけの建物を衝立で細かく仕切って使うような作りだったので、ひとりの時間をゆ -
Posted by ブクログ
●→本文引用
●「じぶんの本棚に好きな本がならんでるのを見ていると、なんとなく安心するんです」「本って記憶ですよね。夕方、どこかの町の喫茶店の窓際の席であの本を読んだなとか、本にはそれを読んだときの記憶がくっついてるでしょ」なのにインターネット経由、ケータイやスマートフォンで読む本(つまり電子本)には、そうした一切が欠けている。あれはやっぱり読書とは言えないんじゃないですか、というのですね。だから、やはり津村のいう「体を伴った読書」なのですよ。<紙の本>は一点一点が別の顔、べつの外見をもっている。しかし<電子の本>では、すべての表現が特定の企業や特定の技術者がつくったハードやソフトの平面に均 -
Posted by ブクログ
編集者、評論家出身、和光大学名誉教授の津野梅太郎(1938-)による、日本の読書史。
【構成】
Ⅰ 日本人の読書小史
1 はじまりの読書
2 乱世日本のルネサンス
3 印刷革命と寺子屋
4 新しい時代へ
Ⅱ 読書の黄金時代
5 二十世紀読書のはじまり
6 われらの読書法
7 焼け跡からの再出発
8 活字ばなれ
9 <紙の本>と<電子の本>
本書は構成の通り、前後半で内容が二分されている。
前半は平安時代からはじまる日本の読書習慣の形成過程である。
『更級日記』の菅原孝標娘とその先祖にあたる右大臣・菅原道真の二人を取り上げて、一人で部屋にこもって黙々とストーリーを愉しむ「小説読み」と、オ -
Posted by ブクログ
自分の生活に染み込ませるような、生きる力を静かに養うような、そんな読書
ほとんどジャケ買いのような形で購入したので、著者のことをまったく知らずに手に取りました。読み始める前に調べてみると、アングラ劇団の演出家、出版社取締役、小林信彦や植草甚一などレジェンド文化人との仕事と、”戦後サブカルの生きる地図”のような人なんだと知り期待が高まりました。
御年86歳の著者が自身で「最後のお祭り読書」と表現した、老年の読書について書かれています。ブックレビュー然としてなくて、読書記録や読書周辺のよもやま話など著者の生活や考えが見えてくる、とても読みやすいエッセイです。著者が今まで触れることのなかった30 -
Posted by ブクログ
著者、87歳。ネットで調べるとご存命。よく考えるとリアルに会えやしない著者が亡くなっていても、少なくとも手元の本を読むには影響ない。それが読書の良さとも言える。だが、既にこの世に居ないならば、そこに一入の感情が混じるのも正直な所で。なぜ、こんな出だしかというと著者がしきりに「死ぬまでのひと踊り」「もうすぐ死ぬ人」と自嘲するからだ。そのアンチテーゼとしての「生きるための読書」なのである。
もう一つ、著者が繰り返し放つ言葉がある。「お祭り読書」。打って変わって何だか楽しそうな響きだ。濫読のことなのだが、とにかく興味の赴くままに読む行為を続け、ざっくばらんに語る。
語る行為。またこれも感慨深い。 -
Posted by ブクログ
今はこの世にはいない多くの作家、芸術家達との出会いから記憶に残る言葉を日記のように綴った小説。その中から気になる言葉と自分なりの注釈を入れてみた:
・「人間って、どっか負けの部分があった方が素敵だ」「素のままに生きる」(人生の幸せを掴む心がけかもしれない)
・「どうしてもモノを知っている人間はモノを知らない人間に対して優しくない」(人は賢くなると誰もが理解できるレベルの言葉を忘れがちになる、人に教える事の難しさ)
・「日の当たる所を歩んで来た者は逆境に弱い」(政治家等の2世3世の逆境に対する無責任な国策)
・「何でもない事を見逃さない」(仕事・地位・年齢と人は同じものでも見方、考え方、行動が違 -
Posted by ブクログ
花森安治については全く知らなかった。『暮しの手帖』の創刊者と言われれば、その雑誌をどこかで見た記憶があるような気がする程度。名コピーライターと言われてもピンと来ない。そもそも私とは同時代人ではなく、同氏は明治生まれ。
では、何故、本書を読んだのかというと他の本で気になった、戦争中に大政翼賛会の宣伝部で「ぜいたくは敵だ!」という戦時標語を作ったのが花森安治だったという話(確かではないらしい)。もう一つは、『暮しの手帖』の目玉として、徹底的な商品テストを行い、買い手側に正確な商品の比較評価を提供していた事。日経トレンディや価格ドットコムの先駆けである。
どんなものかなと読み始めたが、いきなり写 -
Posted by ブクログ
今年最初の読書のタイトルが『最後の読書』というのは、もちろん狙ったところもある。ただ、それ以上に感じるところもあってさ。編集者、演劇人とのことだけど、齢80になろうとする時期に、読書周辺での年齢からくる苦労など、あれこれというのがね。なんとなく最近年取ってきたなぁという自分の親を観る視点と重なったところがあるんだろうね。
冒頭、鶴見俊輔が脳梗塞となって以降、話すことも書くこともできなくなり、亡くなるまでの3年ちょっとの期間、ただひたすら本を読んでいたという話。幸田露伴の晩年、目が悪くなっていき、読むのに忙しいから、もう書く時間がない、と言っていた話など。読書人の晩年というのは、なんのため -
Posted by ブクログ
広く一般の読書というものが、例えば車なんかのように、20世紀の大量生産、大量消費のうえに成り立っていた一過性のもので、永らくは特権階級のものであったし、その黄金時代は既に過ぎた、というのが、とてもよくわかる
読書の危機は100年前に映画によって既に始まってて、テレビの普及があって、ネット社会が今、やってきてる
本の危機なんて、凄く昔から何度も指摘されてたというのには驚く
あと、音読から黙読へ、と思ってたけど、ちょっと違った
音読と黙読から、音読しない時代へ、というのが正しい
それには、書院造にはじまる、パーソナルな空間の形成が関わってるし、筆者は言ってないけど、通勤電車というのは、つまりパ