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「本はだまってひとりで読む、自発的に、たいていは自分の部屋で」。私たちがごく当たり前に「読書」と名づけてきたこの行為は、いつ頃生まれ、どのように変化してきたのだろうか? 菅原道真の時代から、まだ見ぬ未来へ。書き手・読み手・編集者として〈読書の黄金時代〉の真っ只中を駆け抜けてきた著者による、渾身の読書論!
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Posted by ブクログ
20世紀読書、マンガ、視覚情報(テレビなど)の台頭、電子書籍元年2007 読書型人間は視覚型人間より忍耐強い
津野海太郎の力作 日本に読書史がないはまさにその通りで、活字離れを調べていると科学的または歴史的な文献が少ないことがよくわかると思います。この本に出会うまで日本人がなぜ識字率の高い民族として成り立ってきたのか、そもそも日本人で本が読まれたのっていつからといった起源に関することまでわからない人が多い...続きを読むのが現実だと思います。 それらを文献を辿り調べるにあたり、たとえエッセイであったとしても、形にするのにどれだけの時間がかかっただろうかと考えると途轍もない力作であっただろうと感じます。 これを書いた作者、津野海太郎にはただただ感謝します。 ぜひ時間をかけて読んでいただきたいです。
「出版と権力」を読んだ後、同じ本を読んだ友人から「なぜ、いま若い人は本を読まないのだろう?」という、おっさん臭い質問をされ、若い人=本を読まない、って決めつけについて異議申し立てをして、お互い主観的な噛み合ないディベートになったのですが、そういえば、NHK Eテレのswitchインタビュー、鈴木敏夫...続きを読む×津野海太郎の回で紹介されていた本書、積読のままだったな、と思い出して開いたら、まさにジャストミートでした。「出版と権力」も講談社110年の歴史で出版という産業を語る大きなモノサシでしたが、この本は九世紀の初めの菅原道真の「書斎記」、そして13歳の少女が「源氏物語」を読みふける様を記した十一世紀の「更級日記」、ふたつの始まりから〈読書〉という行為を巡る物語でスケールが大きい。そのなかでも二十世紀が〈読書の黄金時代〉という特殊な時代なんだ、という主張が、とても腑に落ちます。「だれであれ本を読むということは基本的にいいことなのだ」という常識、これって長い間かかって育まれたものであり、それが今後、常識じゃなくなっていく…早速、友人に、読むように伝えました。長い歴史、各方面からの視点、ざっくばらんな文体、まるで津野さんが隣で話してくれているような新書でした。
平安時代から現代にかけての、日本の読書史。菅原道真と菅原孝標女との読書風景の対比が描かれた第1章から、引き込まれた。出版業界の構造不況が言われて久しいが、そもそも不況前の「読書の黄金時代」が、読書史全体の中でいかに特異な時期であったかがよくわかる。本のこれからを考える手がかりとなる1冊。
「読書」という文化が日本においてどのように育ってきたのかがよくわかる。 文字は昔から中国でも貴族階級の特権であったが、日本もそのご多分に漏れず、読書はほとんど江戸時代までは貴族や武士のみで全てであった。 一般大衆においては識字率字体は低く、働いて生きることで精一杯だったのだ。読書というのは、やは...続きを読むりある程度の余裕がないとできないようだ。 そのうち下層武士や農民でも裕福な者や村を管理するような立場にある者にも読書が普及しはじめ、江戸時代からは民衆にも次第に読書が広がっていった。 武士階級では「素読」といって音読をし、寺子屋の普及によってなどで、貧しい者でも勉学することで身を立てることができるようになっていった。 その最たる例の一人が二ノ宮金次郎である。今でも八重洲ブックセンターには二ノ宮金次郎の像が立っている。 このようにして読書文化は文字が日本に入ってきた6世紀から徐々に徐々に時間をかけて広がってきた。 ここで、明治以降になって読書文化が日本で爆発的に飛躍する。 それは、識字率の向上である。 そして、識字率の向上によって読者層に、「子供」「女性」「民衆」という今までになかった読者層が加わることによって、出版数もそれに伴って増えていった。 よく、教養主義というのが昔はあったと言われるが、これは、この読書文化の爆発に輪をかけた「円本」という一円で教養書が買えて読めるブームが到来し、それに伴い世界文学全集、世界大思想全集などの全集ものが矢継ぎ早に出版され、 そういった古典を知っているのが当たり前で、知らないことは恥だと見なされるような時代があったようだ。 だから読んでもないのに本棚に教養書を並べてはったりをかますことも可能だったのだろう。 それは読んでいることが当たり前で読んでないことは恥だとされる状況、つまり教養書を読んでいることに価値があるということが、万人に共通認識としてあったからこそ通用することである。 昨今は読書ばなれと言われるが、大体の場合で比較されているのはその読書の黄金期と呼ばれるような時代に対してであり、ある意味では文字導入期からの長い読書の歴史を俯瞰してみれば、現代は読書ばなれが進んでいるとはいっても出版数も多く、歴史的にはよく読まれている時代だといえる見方ができそうだ。
読書と名付けられた営みの変遷について、土岐は平安時代「源氏物語」「更級日記」といったあたりからさかのぼり、現代そして未来にいたるまでを述べた一冊。 ここまで日本人による読書の方法論と日本の読書の歴史について、詳しく述べられた本はないのではないかと思う。 はじめに、平安時代あたりの読書の方法として実際...続きを読むに読み上げながら文字を追い、意味の解釈を加えないという、いわゆる素読と呼ばれる方法による読書が主流であったことを知った。そこから、明治維新などにより時代は近代に向かうことで、教養的読書として、人々は本を読むようになる。そこから、部屋で一人本を読むというスタイルが確立されたという。しかし、このスタイルは明治以前から行われていたとされるが、自分一人の居室という概念がまだない住居形態ゆえに、このスタイルはまだ定着されていなかったとされる。 これら、平安から明治にかけての日本人が考える読書という営みやその方法論は非常に興味深いものだった。
リアル『本好きの下剋上』。 日本の読書の歴史に迫る本。音読か黙読か、“学者読み”か“小説読み”か。木版か活版か。そして、大量生産されるようになった本。電子書籍の登場。面白かったです。
●→本文引用 ●「じぶんの本棚に好きな本がならんでるのを見ていると、なんとなく安心するんです」「本って記憶ですよね。夕方、どこかの町の喫茶店の窓際の席であの本を読んだなとか、本にはそれを読んだときの記憶がくっついてるでしょ」なのにインターネット経由、ケータイやスマートフォンで読む本(つまり電子本)...続きを読むには、そうした一切が欠けている。あれはやっぱり読書とは言えないんじゃないですか、というのですね。だから、やはり津村のいう「体を伴った読書」なのですよ。<紙の本>は一点一点が別の顔、べつの外見をもっている。しかし<電子の本>では、すべての表現が特定の企業や特定の技術者がつくったハードやソフトの平面に均されてしまう。 近世の書見台での読書や素読は、遅読論でも述べられていた。
編集者、評論家出身、和光大学名誉教授の津野梅太郎(1938-)による、日本の読書史。 【構成】 Ⅰ 日本人の読書小史 1 はじまりの読書 2 乱世日本のルネサンス 3 印刷革命と寺子屋 4 新しい時代へ Ⅱ 読書の黄金時代 5 二十世紀読書のはじまり 6 われらの読書法 7 焼け跡からの再出発 ...続きを読む8 活字ばなれ 9 <紙の本>と<電子の本> 本書は構成の通り、前後半で内容が二分されている。 前半は平安時代からはじまる日本の読書習慣の形成過程である。 『更級日記』の菅原孝標娘とその先祖にあたる右大臣・菅原道真の二人を取り上げて、一人で部屋にこもって黙々とストーリーを愉しむ「小説読み」と、オープンスペースで学究的に複数の書物と首っ引きで読む「学者読み」の源流を見いだす。 筆者は、自室でゆっくりと本が読めるようになる時期、そして書物の読み手が爆発的に増えた時期を、書院造が発達した室町時代だとする。そこには読書空間だけでなく、印刷技術の飛躍的進歩が寄与している。 「五山版」で培った木版印刷原板の彫刻技術が「きりしたん版」に受け継がれ、江戸時代末期に漢字かな混じりの木版印刷が行われ、安価で大量の書物が世に出回った。これが江戸期の庶民向けの読本隆盛につながっていくわけだが、明治に入るとこれが、洋紙への金属活字による活版印刷へ切り替わっていく。 面白い指摘だったのは、江戸期には複数の文字を続ける「続け字」までも活字にして組んでいたので、手書きと同じ程度に読み進めづらい印刷だった。しかし、明治に入ると、活字が一文字ごとに切り離され、文字の字体の揺れがなくなり、読書のスピードが上がったという。 後半は、二十世紀が読書の黄金時代であった、という作者の思いを、自らの読書体験にひきつけながら語られる。大正期の大衆総合雑誌の発刊にはじまり、大正期に「円本」として売られた各種文学全集の量産、大学生を中心とした教養主義の隆盛が、戦火を経ても戦後の出版文化を支えた。十分な量・質の出版物が世に出され、中流家庭にはかなり後半にそういった本が配架された本棚が据えられることになった。 その後の話は、紋切り型となる。1970年代に入ると、教養主義で称揚されていたようなアカデミックであったり古典的な「かたい本」は衰退し、小説やエッセーといった「やわらかい本」が中心となっていく。 「やわらかい本」や雑誌が「かたい本」を凌駕し、そしてさらに「紙の本」に対して「電子の本」が出回るのが現在。活字離れ論から電子書籍の立ち位置を敵対的なものにせず、活用していくのはこれからというあたりで締めくくり。 後半は、竹内洋『教養主義の没落』の劣化版という印象だが、竹内の著書は「かたい本」だが、本書は語り口も含め「やわらかい本」であるので、竹内本がとっつきにくい人にはよいのだろう。 本書で語られている歴史がどれほど実態に即しているのかわからない。 ただ、二十世紀という時代が読書習慣の形成という意味で、画期的な時代であったという切り口は面白いと感じたし、納得できる。
前半は日本の読書史が書いてあり、本に対する読者や出版業界の成長の過程が良く分かった。しかし少し難しかったのでなかなか読み進められなかった。後半は現在の事になり、固い本や柔らかい本の地位の逆転や電子書籍との今後についての考察。為になったと思う。
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