津野海太郎のレビュー一覧
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津野海太郎の力作
日本に読書史がないはまさにその通りで、活字離れを調べていると科学的または歴史的な文献が少ないことがよくわかると思います。この本に出会うまで日本人がなぜ識字率の高い民族として成り立ってきたのか、そもそも日本人で本が読まれたのっていつからといった起源に関することまでわからない人が多いのが現実だと思います。
それらを文献を辿り調べるにあたり、たとえエッセイであったとしても、形にするのにどれだけの時間がかかっただろうかと考えると途轍もない力作であっただろうと感じます。
これを書いた作者、津野海太郎にはただただ感謝します。
ぜひ時間をかけて読んでいただきたいです。 -
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「出版と権力」を読んだ後、同じ本を読んだ友人から「なぜ、いま若い人は本を読まないのだろう?」という、おっさん臭い質問をされ、若い人=本を読まない、って決めつけについて異議申し立てをして、お互い主観的な噛み合ないディベートになったのですが、そういえば、NHK Eテレのswitchインタビュー、鈴木敏夫×津野海太郎の回で紹介されていた本書、積読のままだったな、と思い出して開いたら、まさにジャストミートでした。「出版と権力」も講談社110年の歴史で出版という産業を語る大きなモノサシでしたが、この本は九世紀の初めの菅原道真の「書斎記」、そして13歳の少女が「源氏物語」を読みふける様を記した十一世紀の「
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「読書」という文化が日本においてどのように育ってきたのかがよくわかる。
文字は昔から中国でも貴族階級の特権であったが、日本もそのご多分に漏れず、読書はほとんど江戸時代までは貴族や武士のみで全てであった。
一般大衆においては識字率字体は低く、働いて生きることで精一杯だったのだ。読書というのは、やはりある程度の余裕がないとできないようだ。
そのうち下層武士や農民でも裕福な者や村を管理するような立場にある者にも読書が普及しはじめ、江戸時代からは民衆にも次第に読書が広がっていった。
武士階級では「素読」といって音読をし、寺子屋の普及によってなどで、貧しい者でも勉学することで身を立てることができる -
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読書と名付けられた営みの変遷について、土岐は平安時代「源氏物語」「更級日記」といったあたりからさかのぼり、現代そして未来にいたるまでを述べた一冊。
ここまで日本人による読書の方法論と日本の読書の歴史について、詳しく述べられた本はないのではないかと思う。
はじめに、平安時代あたりの読書の方法として実際に読み上げながら文字を追い、意味の解釈を加えないという、いわゆる素読と呼ばれる方法による読書が主流であったことを知った。そこから、明治維新などにより時代は近代に向かうことで、教養的読書として、人々は本を読むようになる。そこから、部屋で一人本を読むというスタイルが確立されたという。しかし、このスタイル -
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ネタバレ本来読み書きというのは、男性のみが行うことだった。
「男もすなる日記を、女もしてみん」と書いたのは男である紀貫之だったけど、それでひらがなが広まったというよりも、「女が書くところのひらがなを、男も書いてみん」というところなのではないかと私は思っている。
丸文字とかギャル文字など、若い女性は大昔もきっと、自分たちに通じる独自の文字を開発したのではないかと。
本が…というか、紙が貴重だったころは、数少ない本を貸したり借りたりして書き写すものだった。
その頃の大ベストセラー『源氏物語』
日本の家屋は寝殿造といって、広い板の間だけの建物を衝立で細かく仕切って使うような作りだったので、ひとりの時間をゆ -
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●→本文引用
●「じぶんの本棚に好きな本がならんでるのを見ていると、なんとなく安心するんです」「本って記憶ですよね。夕方、どこかの町の喫茶店の窓際の席であの本を読んだなとか、本にはそれを読んだときの記憶がくっついてるでしょ」なのにインターネット経由、ケータイやスマートフォンで読む本(つまり電子本)には、そうした一切が欠けている。あれはやっぱり読書とは言えないんじゃないですか、というのですね。だから、やはり津村のいう「体を伴った読書」なのですよ。<紙の本>は一点一点が別の顔、べつの外見をもっている。しかし<電子の本>では、すべての表現が特定の企業や特定の技術者がつくったハードやソフトの平面に均 -
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編集者、評論家出身、和光大学名誉教授の津野梅太郎(1938-)による、日本の読書史。
【構成】
Ⅰ 日本人の読書小史
1 はじまりの読書
2 乱世日本のルネサンス
3 印刷革命と寺子屋
4 新しい時代へ
Ⅱ 読書の黄金時代
5 二十世紀読書のはじまり
6 われらの読書法
7 焼け跡からの再出発
8 活字ばなれ
9 <紙の本>と<電子の本>
本書は構成の通り、前後半で内容が二分されている。
前半は平安時代からはじまる日本の読書習慣の形成過程である。
『更級日記』の菅原孝標娘とその先祖にあたる右大臣・菅原道真の二人を取り上げて、一人で部屋にこもって黙々とストーリーを愉しむ「小説読み」と、オ -
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今はこの世にはいない多くの作家、芸術家達との出会いから記憶に残る言葉を日記のように綴った小説。その中から気になる言葉と自分なりの注釈を入れてみた:
・「人間って、どっか負けの部分があった方が素敵だ」「素のままに生きる」(人生の幸せを掴む心がけかもしれない)
・「どうしてもモノを知っている人間はモノを知らない人間に対して優しくない」(人は賢くなると誰もが理解できるレベルの言葉を忘れがちになる、人に教える事の難しさ)
・「日の当たる所を歩んで来た者は逆境に弱い」(政治家等の2世3世の逆境に対する無責任な国策)
・「何でもない事を見逃さない」(仕事・地位・年齢と人は同じものでも見方、考え方、行動が違 -
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花森安治については全く知らなかった。『暮しの手帖』の創刊者と言われれば、その雑誌をどこかで見た記憶があるような気がする程度。名コピーライターと言われてもピンと来ない。そもそも私とは同時代人ではなく、同氏は明治生まれ。
では、何故、本書を読んだのかというと他の本で気になった、戦争中に大政翼賛会の宣伝部で「ぜいたくは敵だ!」という戦時標語を作ったのが花森安治だったという話(確かではないらしい)。もう一つは、『暮しの手帖』の目玉として、徹底的な商品テストを行い、買い手側に正確な商品の比較評価を提供していた事。日経トレンディや価格ドットコムの先駆けである。
どんなものかなと読み始めたが、いきなり写 -
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今年最初の読書のタイトルが『最後の読書』というのは、もちろん狙ったところもある。ただ、それ以上に感じるところもあってさ。編集者、演劇人とのことだけど、齢80になろうとする時期に、読書周辺での年齢からくる苦労など、あれこれというのがね。なんとなく最近年取ってきたなぁという自分の親を観る視点と重なったところがあるんだろうね。
冒頭、鶴見俊輔が脳梗塞となって以降、話すことも書くこともできなくなり、亡くなるまでの3年ちょっとの期間、ただひたすら本を読んでいたという話。幸田露伴の晩年、目が悪くなっていき、読むのに忙しいから、もう書く時間がない、と言っていた話など。読書人の晩年というのは、なんのため