「読書」という文化が日本においてどのように育ってきたのかがよくわかる。
文字は昔から中国でも貴族階級の特権であったが、日本もそのご多分に漏れず、読書はほとんど江戸時代までは貴族や武士のみで全てであった。
一般大衆においては識字率字体は低く、働いて生きることで精一杯だったのだ。読書というのは、やは
...続きを読むりある程度の余裕がないとできないようだ。
そのうち下層武士や農民でも裕福な者や村を管理するような立場にある者にも読書が普及しはじめ、江戸時代からは民衆にも次第に読書が広がっていった。
武士階級では「素読」といって音読をし、寺子屋の普及によってなどで、貧しい者でも勉学することで身を立てることができるようになっていった。
その最たる例の一人が二ノ宮金次郎である。今でも八重洲ブックセンターには二ノ宮金次郎の像が立っている。
このようにして読書文化は文字が日本に入ってきた6世紀から徐々に徐々に時間をかけて広がってきた。
ここで、明治以降になって読書文化が日本で爆発的に飛躍する。
それは、識字率の向上である。
そして、識字率の向上によって読者層に、「子供」「女性」「民衆」という今までになかった読者層が加わることによって、出版数もそれに伴って増えていった。
よく、教養主義というのが昔はあったと言われるが、これは、この読書文化の爆発に輪をかけた「円本」という一円で教養書が買えて読めるブームが到来し、それに伴い世界文学全集、世界大思想全集などの全集ものが矢継ぎ早に出版され、
そういった古典を知っているのが当たり前で、知らないことは恥だと見なされるような時代があったようだ。
だから読んでもないのに本棚に教養書を並べてはったりをかますことも可能だったのだろう。
それは読んでいることが当たり前で読んでないことは恥だとされる状況、つまり教養書を読んでいることに価値があるということが、万人に共通認識としてあったからこそ通用することである。
昨今は読書ばなれと言われるが、大体の場合で比較されているのはその読書の黄金期と呼ばれるような時代に対してであり、ある意味では文字導入期からの長い読書の歴史を俯瞰してみれば、現代は読書ばなれが進んでいるとはいっても出版数も多く、歴史的にはよく読まれている時代だといえる見方ができそうだ。