飯塚容のレビュー一覧
-
-
Posted by ブクログ
新型コロナウイルスの世界最初の感染爆発が起こった武漢。武漢に住む小説家が1000万都市が封鎖されてから、解除が発表されるまでの60日間を克明に綴る。市民の生活、医療、行政・・・直接の観察、友人からの情報、ネットを飛び交う様々な情報から現状を記録していく。武漢市民の抑制されたそして我慢強い行動、医療従事者とエッセンシャルワーカーの献身が記される一方、特に初期の対応における行政や病院トップへの鋭い批判と責任の追及。多くの犠牲者のためにも、責任を明らかにし、責任を取らせなければならない、との追及はするどい。
ここには、2021年1月の今から日本の大都市でおそらくなされるであろうロックダウンとそ -
Posted by ブクログ
方方(ファンファン)氏は、1955年に南京市に生まれ、2歳のときから武漢市に住む作家。本名は汪芳(ワンファン)。湖北省作家協会主席も務め、2010年に『琴断口』」が中国で最も名誉ある文学賞の一つ魯迅文学賞を受賞するなど、「新写実小説」の担い手として高い評価を受けている。
本書は、武漢が封鎖された60日間に、著者が毎日発信したブログをまとめたものである。
私は、歴史上例がないと言われる1,000万都市の完全封鎖が如何なるものであったかには、大いに関心を持っており、9月に相次いで出版された本書と郭晶氏の『武漢封城日記』は気にはなっていたが、徹底した情報・言論統制下にある中国において、どこまで真実が -
Posted by ブクログ
一言で言えば、たくましい。
65才、武漢で一人暮らしの女性作家が、コロナによるロックダウンの直後から、封鎖解除直前までネットに一日一編発表した記事の集成。
コロナに対する理解も今ほどは無く、先も見えず、いきなりで準備もなく、嘆いたり不安になったりしてもいいところだが、冷静に判断し、自分を守り、前を向いている。
武漢の人々もまた、たくましいのだ。外出が制限されて買物が難しければ、共同購入グループが作られ、代表が買い物に行き、分配が難しければ、時差やボランティアによる配布でなんとかする。多くがネットを駆使し、意見を交換し、行政府への批判もする。中国は、近現代の中では今が一番いい時期なのかも知れない -
-
Posted by ブクログ
見えないものを定義し、制度化する事は難しい。多義的な解釈が働き、時に分断を起こす。物理的に見えない存在だけではなく、物理的に見えるが理解できないもの、見えない観念的な存在もそうだ。物理的に見えず、未知の存在である新型コロナウイルスに対し、観念的な社会制度で物理的な制限を決める。こうして封鎖された武漢における当事者の日記だ。凄惨な感じはないが、当時の混乱を思い出す。
武漢から世界に蔓延した。真実はよく分からないが、我々は大方そのように認知し、武漢人に被害者ぶるなと思ってしまいがちだが、当然ながら、彼らも被害者である。人人感染はない、と言う誤報が感染を更に助長した事もこの日記で思い出す。至る所に -
-
-
Posted by ブクログ
ネタバレお気に入りの小説家余華の比較的古い作品。
翻訳がでたので読んでみた。
兄弟や活きるの方が完成度は高いが。余華らしさは随所にみられる。
主人公にふりかかる理不尽なできごと、決して高潔とは言えない登場人物達、そして日常の喜び、恐れ、青春の戦慄き、著者。余華の実体験に基づく様々な思い出がパッチワークのように結晶化した作品といったところか。
小説の筋は盛り上がりがあるわkではなく、どちらかというと退屈な小説ではなるが、随所随所でみられる気のきいた表現、思いがけない展開、どうしようもない親族など余華の要素はいっぱいつまっている。
そして、なんといっても中国っぽい。 -
-
Posted by ブクログ
ネタバレロックダウンした武漢内部で書かれた日記です。
閉鎖された町の中でも多くの情報を得て、多くの情報を発信していることに驚きました。
自分のイメージでは、もっともっともっと情報統制されていて、市民が本当のことを知るのは難しいのかと思っていました。
著者が情報の正誤を熱心に確認し、事実だけを発信しようと努力している様子を読むと、自分が「努力しないで得た情報を信じ過ぎているのでは?」と思えてきます。
日本のジャーナリストにも武漢のジャーナリストにも、権力におもねる人とおもねらない人がいるだろうと思います。きっといるでしょう。
どの情報が正しいか見極める努力は、武漢でも、日本でも必要だと思いました。 -
-
Posted by ブクログ
世界を揺るがせている新型コロナウイルス禍は、2019年12月、中国・武漢に端を発する。原因不明の肺炎患者が発見されたのだ。コロナウイルスであるらしいとの情報が出てきたのはその月末だった。だが当局はこれをSNSで発信した医師らを処分した。加えて、当初は「ヒト-ヒト感染はない」とした。
初動が遅れ、年をまたいでそれは野火のように広がっていった。1月上旬には政治集会が開かれ、中旬には春節が始まった。大勢の人が料理を持ち寄る伝統的な大宴会も催された。
国家衛生健康委員会リーダーの医師が、当該疾患は「ヒト-ヒト感染する」と明言したのは1月20日のことだった。
1年で最も多く人が動くといってもよい時期を経 -
-