福澤一吉のレビュー一覧
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目からうろこの感がした。議論がいくつかの論証からなり、「論証」は「主張(結論)」が最初に提示され、それを支える「根拠(データ、事実)」、さらに根拠に近いが常にはあまり意識しない「論拠(隠れた根拠、暗黙の仮定)」から構成されるという。しかし日本人は議論の訓練に慣れていない。国会での質疑ですら体をなしていない。▼論拠の説明も面白かった。同じ根拠から出発しても異なった論拠を有すると異なった主張・結論に達する。論拠とは常識に近いもので、各人の有する論拠は異なっていることが多い。論拠の違っている人を議論で説得するためには、相手に論拠をどう認めてもらうかが重要だが、難しいと感じた。▼読後はスッキリした感じだったが、新聞の社説を読むと、何が主張で、何が根拠で、何が論拠なのかよく分からない。やはり日本人の主張が曖昧なのだろうか。また以前学校で習った作文における「起承転結」、「序破急」との関係はあるのだろうか。疑問は残る。
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議論は、大なり小なり毎日行っていることでいるところだが、それが、思いつきのおしゃべりや、いわゆる雰囲気や勢いのようなものに流されることも多く、そして、それが重要な方針の決定につながったりしていることもよくあることではないか。
「フォーマルな議論」は勝ち負けを目的とするものではなく、よりよい結論を求め、その後決定された方針への参画につなげていくことを目標に置いている。しかし、これを行うにはその人のスキルと、守るべきルール、注意事項の遵守(議論の対象を絞る、など)などが必要である。そして、スキルアップのためには、この本や、野矢茂樹さんの論理トレーニングなども参考にしつつ「日々の訓練」を積み重ねていくことが求められる。 -
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議論のわかりやすさのためには、一定のルールが必要という考え方から、議論は「主張・根拠・論拠」から成立するというルールを明確化し、そのそれぞれのポイントをまとめた一冊。一般的なロジカルシンキングでは、ピラミッド・ストラクチャーというようなツールを使って、主張とそれを支える根拠を階層的に構造化することで、わかりやすく伝わりやすい主張が構築されるとされる。本書が優れているのは、主張に対して客観的な事実・データなどで根拠を構築したとしても、その両者を実は結び付けている隠れた前提たる「論拠」が共通化されなければその主張と根拠は繋がらないという点を重点的に示している点にある。例えば、1つの客観的事実があったとしても、それを眺める視点により、全く異なった主張が成立する例は数多とあるし、そもそも「論拠」という形で客観的事実に意味づけをする方向性がなければ、客観的事実の収集自体が困難になる(か、もしくはただ単に意味のない事実も含めて膨大な時間を事実収集にかけてしまうことになる)。
また、この「論拠」を語る際に、「やはり」という言葉をビッグワードとして使う人は多いが、意味合いをぼやけさせてしまうので使用に留意すべし、という意見は自分としても耳が痛かった。議論の中で何気なく「やはり~だ」というような言い方をしてしまうことが自分自身多い気がしているが、著者によれば「やはり」は主張と根拠をつなげるはずの「論拠」に自信が持てなかったりする際に、「偶然」・「無意識」・「直観」というような便利な言葉を用いるのと同じ感じでその「論拠」に妥当性を無理やり与えようとする言葉だとされる。こうした言葉に依存せずに、隠れた前提たる「論拠」を明言化し(必ずしも言葉にしなくても、きちんと言語化して表現できるレベルまで思考されているか)、考えることが重要だと感じた。
ただし、全体を通じて議論の構造がビジュアルで見えない表記になっているので、多少のわかりにくさがある。後半で、新聞記事での社説を分析し、その議論の論証を試みる場などはピラミッド・ストラクチャーなどによるビジュアル化がなされないと、わかりにくさがあり、そうした点でピラミッド・ストラクチャーのようなツールの意味合いを再確認することもできた。 -
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ネタバレ■大学一年次の「入門セミナー」の教材
【議論のルールとしての「トゥールミン・モデル」】p65
by イギリスの分析哲学者スティーブ・トゥールミン
「暗黙の仮定」(主張と根拠または事実を結合させる役目をする=「論拠」p75
【議論の3つの主役「主張」「根拠」「論拠」】p79
主張=「自分と異なる先行意見に対して発せられる反論」Cf. 香西秀信『反論の技術』p90
【飛躍をともなわない意見は主張ではない】p91
吟味するまでもなく意味内容が絶対に真理となるような表現内容を「トートロジー」とか「同語反復」と呼ぶ。
Ex. 「これは私のおふくろです。なぜなら、私の母だからです」
→野矢茂樹「前提から結論へのジャンプの幅があまりに小さいと、その論証は生産力を失う。他方、そのジャンプの幅があまりに大きいと、論証は説得力を失う。そのバランスをとりながら、小さなジャンプを積み重ねて距離をかせがなくてはならない。それが、論証である」(『論理トレーニング』)p92
主張の正当性:その主張がどの程度厳密な論証を積み重ねた末に導かれたか。p94
論証プロセスをつぶさに検討することで主張、結論の正否に関する判断が可能になる。
⇒主張の正当性は論証プロセスに依存している。
【「根拠」と「経験的事実(データ)」との使い分け】p99
根拠が効果をもつのは、それが主張よりも相手に受け入れられやすい内容であり、かつ主張と同レベルのものでないときです。
経験的事実(データ):ある程度裏づけのある根拠。誰にでも確認できる対象、または事実。より実証可能な根拠。(永遠に続く議論を避けるために。「なぜそう言えるの?」p105
【議論の3つの名脇役「裏づけ」「限定語」「反証」】p111
①議論をする際に、論拠についてはそれを支持する裏づけ(Backing)を明記すること。
②論拠の確かさの程度を示す限定語(Qualifier)をつけること。
③論拠の効力に関する保留条件としての反証(Rebuttal)を提示すること。by トゥールミン
【論拠がわかれば議論が分かる】
議論という思考プロセスにおいて「論拠はいつ登場するか」を問うことは、議論の核心にふれることにほかならない、と私は思っています。p129
私は「論拠とは仮定の集合である」と考えています。ですから、自分の持っている論拠に気づかないということは、自分が持っている仮定に気づかない、ということです。自分のとって「当然で、あたりまえのもの」に気づくとは、自分自身のもののとらえ方、自分のバイアスに気づくことに等しく、易しいはずはありません。論拠にはそんな性質があるのです。p130
【データの論拠依存性と論拠のデータ独立性】p133
Ex. 彼は有罪か無罪か
同じデータ:本人が自白した
論拠1: 自白は信憑性あり
論拠2: 自白は強制されたもの
⇒データに一義的な意味はなく、意味付けは論拠によって行われる。
【ロンドン市街地の爆弾とアドホックな論拠】p137
→認知心理学者トーマス・ギロビッチ「後づけならばどんな経験的事実(データ)でも最も特異な部分を見つけて、そこだけに都合のよい統計的検定を施し、自由に数値上の差を作り出せる。そして後づけで経験的事実(データ)を解釈すると偶然の要因を正しく評価できない。
⇒無意味な経験的事実(データ)から有意味性を読みとってしまう可能性があるということ。
↓
経験的事実(データ)の意味は論拠依存的であり、論拠は経験的事実(データ)から独立である、ということ。
【論拠と「やはり」の潜在パワー】p142
やはり≒「恒常的原理的なもの」Cf. 板坂元『日本人の論理構造』
議論における「やはり」に使用は、私たちが事象をうまく説明できないときに「偶然」「無意識」「直感」といった便利な概念を持ちだし、それによって事象を説明した気になるのと似ています。
一見これ以上分析不可能にみえる論拠の内容も、さらなる分析は可能です。もちろん易しいことではありません。自分が夢にも思っていなかった仮定が論拠の中に潜んでいるかもしれません。これを探ることが"分かりやすい議論"のはじめの一歩なのです。p160
《実践編 議論のトレーニング》
【分析のための下準備―分析チェックリスト】p170
①議論における論証の構造をつかむ=主張(結論)、およびそれに関連する根拠を探す。
②根拠が経験的事実(データ)として提示されているか検討する。
③可能な範囲で明示されていない根拠(論拠)を推定する。
④書きかえ案を提示する場合にはパラグラフ構造を書き方の基準とする。
⑤根拠を経験的事実として提示するための工夫を提示する。
⑥主張はなんらかの反論の形式になっているかを検討する。 -
Posted by ブクログ
『議論のルール』『議論のレッスン』『論理的に説明する技術』・・・、と、この人の本をここ数年、追っかけて読んできた。
これらの本は、いずれもトゥールミンの提出した議論のためのモデルを発展させているもの。
本書も、そうではあるが、これまでのより、ずっと整理されてきている気がした。
また、これまでとは違い、読むこと、つまり他者の意見を批判的に検討するためのものになっている点が新しいのかな、と思った。
パラグラフ・リーディングの構成法についても、具体的に説明があった。
これもまた、有用な方法だと思う。
(書くことを主眼とした本にあれば、なおよい内容なんだろう)