見田宗介のレビュー一覧
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永山則夫事件をとおして、都市に流入する若者の在り方を洞察した本。
とまとめておく。
高度成長期に都市に流入した「金の卵」の若者たちは、他者からの自らを規定しようという「まなざし」と、自己解放のための上京の間で苦しむ。
ましてや、その「まなざし」が否定的なものであれば、さらに苦しむ。
また、「新しい望郷の歌」では、ふるさとが、「帰る」ものから「作る」ものへと変遷していくさまを分析している。
この本の何がすごいのか、という解説がしっくりきた。
① 死刑囚の人生という極限値と、都市の若者の一般的意識の平均値を組み合わせることで一つの結論を導きだしていること。
前読んだ小熊さんの本でも、 -
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冷戦終結後に書かれた「情報/消費社会」についての本。
「情報/消費社会」を肯定的に捉えつつ、そのままでは資源、環境、貧困などの「限界問題」が解決されないことから、その「転回」を主張している。
その主張は現代のSDGsに極めて近いことは、以下の引用から分かる。
"転義としての「消費社会」についてはどうか? 転義としての消費社会(商品の大衆的な消費の社会)もまた、それが現在あるような形ではなく、その可能性について考えられるなら、「限界問題」をのりこえることがあるだろうという見とおしを、私はもっている。けれども、このためには「消費社会」が、原義としての<消費>というコンセプトを軸足と -
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ひとりの人生の体験を中心として、社会からの視線、家郷、帰る場所の再考を提起する作品でした。
少し読みづらい部分もありましたが、本編は120ページほどで分量としては読みやすかったです。
社会学的なテーマで、地方と都市のどちらも嫌な部分が上手く抽出されている。
社会の柵と言ってしまえば簡単だが、その社会を構成する人の集まり、その中で生まれる暗黙の了解、社会的望ましさなどが、アイデンティティを否定的に意味付け、若者の自由意志を潰し、逸脱を引き起こす。
犯罪者という先入観無しに読めなかったわたしもまた、社会のまなざしの中でしか生きることのできない危うい人間だと思う。 -
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この本はある方にお薦めしてもらった本だ。社会学というのは未開拓だったが、知識欲に駆られた私にとって良書だったと思う。
死刑囚N.Nと都市について。タイトルにある、まなざしの逃げ場なき地獄について。そして、解説にあったKとAのN.Nとは対照的でありながら類似性を感じた事柄。透明を欲するか、まなざしのない自由を欲するか。だが、N.NもKもAも犯罪を冒したからこそ辿り着いた居場所があった。精神があった。私にとってそれが悲しい。
この本は馬鹿な私にとって難解であったが、そのぶん読み返したいと思うし、社会学というものを真正面から見つめたい。そう思った。 -
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対談集だが、一部の記述はよく理解できないものもあったが、社会学者が広範に社会を見つめていることに驚いた.河合さんの発言で「現代社会の問題は、本来的祭りがものすごく少なくなったということではないでしょうか(p18).」そう思う.吉本隆明、廣松渉はよく理解できなかった.ラテンアメリカの国で「よい人生を生きた賞」(p193)がある由.瑞宝章のような公務員の賞より素晴らしいと思った.藤原帰一が第一次世界大戦、ロシア革命と第二次世界大戦と中国革命をセットにして考察しているのは面白かった.さらに1789年のフランス革命と200年後の1989年のベルリンの壁崩壊をリンクしているのも新たな視点だと感じた.新自
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「戦後思想のエッセンス」というシリーズを創刊するに当たり、第0号として、柄谷行人、見田宗介を取り上げたのが本書である。同シリーズは、一冊につき一人の戦後の思想家を取り上げて、後続の世代の書き手たちがその思想家について論じるというスタイルを取る予定だが、ここでは編者である大澤真幸が戦後思想の代表者としての二人にインタビューをする形を取っている。
インタビュー形式は、ことに聞き手が、対象の思考圏に嵌っていて(決して悪いことではない)、対抗的な異論を差し挟む余地が少ないときには、ことさら当たり障りのないものになりがちだ。至極、当たり前のことを言ったような気がするが、本書もそういった状況でのインタビ -
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日本人の意識の大きな変化として,①近代家父長制家族の解体,②生活満足度の増大,結社闘争性の鎮静,③魔術的なるものの再生 を挙げている.地球という限られた空間に住む現代人は,未来を失っているとも述べている.これらの事象はp122-123に上手く集約されていると感じた.曰く「日本の青年たちの価値の感覚が,シンプル化,素朴化,ナチュラル化という方向に動いていること,フランスの急速に増大している"非常に幸福"な青年たちの幸福の内容を充たしているのが,他社との交歓と自然との交感とを基調とする,"幸福の原層"の素直な解放であるということは,環境容量のこれ以上の拡大を
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見田宗介氏(1937年~)は、現代社会論、比較社会学を専攻する社会学者。真木悠介の筆名でも多数の著書がある。東大の著者のゼミは抜群の人気を誇り、その出身者には、大澤真幸、宮台真司、小熊英二、上田紀行といった、現代日本を代表する思想家・社会学者がいるのだという。
本書は、初出2011年の序章のほか、いくつかの著作、学会やシンポジウムでの講演内容に加え、本書のための書下ろしをまとめたものである。私はこれまで見田氏(真木氏)の著作に縁がなかったのだが、本書の題名と上述のような構成から、著者のこれまでの論考のエッセンスがまとめられたもの、即ち「集大成」と考え、手に取った。
本書の論旨は以下のように明快 -
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1968年の連続射殺事件の犯人・永山則夫を対象とし、個からそれを取り巻く当時の社会構造と変動を総体とした社会学論考。
他者からのまなざしは個人の現在と、そして未来をも呪縛する。具象的であれ抽象的であれ、ある表層性において人間を規定するまなざしと、その記号化に囚われ、陥凹し、存在と離脱された一つの事例がN・Nである。その背景としての当時の社会として、高度経済成長期に合わせた集団労働力としての地方から都市への出稼ぎ者の流入、地方の貧困、家郷の喪失、といったことがある。
この内容を、個から総へ、そしてまた個へと行きつ戻りつしているのが本書である。社会学者ならではの表現と言い回しは、もっとわかりや -
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人間が誰かといればそれは社会と言える。いや、一人でもその「在り様」は社会の一部であろう。社会学というのは全く幅が広くて捉えどころがないのである。
序文にあるように、「社会というものの本体は人間であり、社会学は人間学」である。
さて、本書はその入門とあるが、さまざまな人の書評にもあるように後半(というか中盤)は読み解くのに困難を極める。文字が滑って頭に入らないという、圧倒的な情報を圧倒的な語彙で責められる。つらい。
ただ、前半は知的欲求を満たしてくれつつ社会学への扉を開いてくれている気がするし、最後6章と補章でパンクしている頭をなだめてくれる。
まさに「越境する知」を体感できる。再読したい一書。 -
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刊記を見ると、初版は1996年。
20年が経過しているので、もう時代遅れになった部分があるのでは、と思った。
たしかに、アメリカの経済状況は、あれからリーマンショックなど、本書では予見できない不況に見舞われたのは事実だ。
むしろ、今、やっと著者の描いた情報化/消費化社会のことが、リアルなこととして感じられる。
限界に達した現代社会を、問題だけ指摘して終わるのではないところも、本書のよいところだと思う。
ただ、バタイユを援用しながら述べる、「生の充溢と歓喜の直接的な享受」を可能にするような「消費社会」がやってくるのかは・・・残念ながら、現状ではそのようには思えない。 -
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これからの千年を人類はどう生きるべきか?千年の射程で人類のビジョンを示す、日本を代表する社会学者による奇蹟の対談集。
私の『社会と思想』に関わる思考の基礎は、見田さんとの出会い、見田さんの本から出来ていると思う。
そんな見田さんの対談集。全てを読み込むことは出来ていないけど、見田さんの思考の一部が、私の中に溶け込んでくる感覚が堪らなく好きだ。
『気流の鳴る音』、『現代社会の理論』、『社会学入門』…にして、何度も何度も読み返す中で、体に馴染んできたように思う。
この本も、何度か読み返しながら…『時間の比較社会学』、『自我の起源』も少しずつ読み進めたいとは、思っている…自分の思考の基礎を -
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社会学"入門"というタイトルではあるけれど、自分には充分に歯応えのある本だった。それは自分が初めて社会学に触れたからかもしれない。
自分の中で消化し切れていない部分が多分にあるけど、それを差し引いても、この本を読めて良かった。また数年後、数十年後に読み返したら理解はもっと進むだろう、という深みも感じた。
死者の日の「余分な一人分の食事」とマックス・ウェーバーの「プロ倫」の比較から見えてくる、人間が失ってきたもの、それはすなわち「目に見えないもの、測定できないもの、言葉では説明できないもの」だった。そしてこれらは人間が生きていく上での核心たり得ることが多い(P39)。