見田宗介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
言葉が手に取るように分かるとき、意味は胸に浸み込む。本書を読むと、ビジネス本の堅い言い回しが空疎に感じられてならない。本書は1968年周辺の世相を題材に取り、田舎から「金の卵」として大量に都市へと送り込まれた若者たちの孤独を鋭く抉り、『無知の涙』で知られる連続ピストル射殺事件の犯人の実像に迫る。1968年は僕らが現代日本を考える上で重要だ。それは、安田講堂落城、3億円事件、連合赤軍といった歴史的な事件があったせいではなく、貧しかった僕らの両親が青春時代を過ごしたからだ。本書で指摘されているように、「金の卵」と呼ばれた若者たちは従順な労働者として重宝されたのであって、自由意志を持つ者は「生意気だ
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Posted by ブクログ
大学時代のバイブルです。最近読み返したら、鉛筆で線がいっぱい引いてあって、無い頭を捻りにひねって考えながら読んだことを思い出しました。
・・・どうやら「構造」というものがあるらしい。それによって世界はまわっていて、「南」の貧困、あるいは「北」のなかの貧困を固定しつつ、様々なリスクを生み出しながら、危ういバランスのうえで、ぼくたちは大学やバイトに行ったり、日々を生きている。
「途上国の8人家族が飢えに苦しみ・・・」というニュースを聞くと、何でそんなに子どもつくるんだよ自業自得!
「コーヒー豆がスタバに買い叩かれるんだ!」と荒ぶる農民をみて、じゃあ別の仕事しろよ依存してるだけやっぱり自業自得 -
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「永山基準」で有名な、1968年に起きた連続射殺事件の本人・永山則夫が立脚していた意味世界を、見田宗介が鮮やかに描いた論考。
集団就職の時代、郷土から上京してきた青年は転職を繰り返した挙げく逸脱行為に走る。しばしば背景は、「都市が不可避的に課す孤独でや労働の問題である」と語られる。親密圏の形成や、労働疎外は現代でも無縁社会論や派遣の問題との布置連関で語られる。だけど、物事はそう単純ではない。
見田宗介が指摘するのは、「孤独」ではなく翻って「濃密な人間のまなざし」。上京青年を対象に行なった当時の統計資料をもとに、彼らが最も欲しかったものは、自分独りの空間と時間。
永山則夫を逸脱に走らせたのは -
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まずは論理学の野矢先生の言葉から。
「私は、『入門書』というものには少なくとも二種類あると思っています。ひとつは、これからもっと進んで勉強していくひとのために、その第一段階の基礎を教える入門書。(中略)私が考えるもうひとつのタイプは、少し唐突な言い方ですが、『哲学』です。つまり、その学問の根本的なところ、その本質を、つかみとり、提示する。(中略)表面的なあれこれを拭い去って、根本を取り出そうとするその態度は、まさしく哲学です。」(野矢茂樹『入門!論理学』中公新書)
本書はまさしく、「哲学」型入門書です。社会学の根本問題、社会とは何で、どのように形成され、どのようにあるべきか、という問題が、人 -
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「まなざしの地獄」、副題は「尽きなく生きることの社会学」。
この本は1960年代後半から70年代へと至る時期のの本社会にスポットを当てていて、その中でも連続射殺事件を起こした当時19歳の少年N・Nの境遇を基軸を置いている。少年は網走の刑務所で生まれその後青森に渡りそこでで母親に冬の間捨てられた経験を持っている。それゆえ彼は中学校を卒業すると同時に東京に上京する(故郷を捨てる)少年は東京で、“尽きなく生きようとしていた”、つまり自分自身の不可欠な存在としての確証を得ようとしていた。だが東京という都市が彼に提示したのは、社会的上昇と確固たる存在性という甘美なものではなく、「まなざしの地獄」であっ -
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「GNPを必要とするシステムの中に投げ込まれてしまった上で、GNPが低いから貧困なのである」
新書だからといって読者に迎合なんかしない。考えるままに書いているから、著者の思考と同じぐらい難解で難しい。
難しすぎるから、一番肝要な、情報化・消費化社会のこれからに対する著者の見解がわからなかった。消費という概念を転回する必要があるってことだろうか。
日ごろから否定的な言説で語られる情報や消費だけど、資源や環境の限界性を乗り越えるためには、情報や消費で回る無限性の社会が不可欠。ブランドのマークがついてるだけで、何倍もの値段がつけられる市場なんだから、同じ利潤を稼ぐために必要な資