児玉博のレビュー一覧
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インテリジェンスの宇野さんとして知っていましたが、これを読んでUSENや今に至る出来事をちゃんと知ることができたのは良かったです。
大阪有線が大きくなる高度成長期、リクルートに代表するバブル期や、サイバーやソフトバンクに代表するITバブル期。ゼロ年代。それぞれの時代背景とその中での宇野さんの立ち位置というのがとても物語として心が揺さぶられました。
事業は一筋縄でいかないのはそうですが、その中で何を信念にして生きるのか、そこでどう振る舞うのか。自分は事業家では無いですが、考えるヒントにはなるかと思いました。経営者としての矜持をそこに感じたのは言うまでもないです。 -
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住友銀行に入行し伝説のMOF(大蔵省)担当として頭角を現し、一銀行員の枠に止まらず政官界にまで影響力を及ぼした怪物、国重惇史の物語。その生い立ちから入行の経緯、幹部候補として企画部に転属になり、巻き起こした伝説を追っている。
特に出色なのは、メモ魔である国重が残していた平和相互銀行事件のメモである。国重はその時々に起きたイベントを同席した人物と共にメモ書きとして残している。それは平和相互銀行事件の裏面史を余す事なく描き出している、第一級の資料だ。
良くも悪くも「タガが外れた」人間、国重。その人となりを会社側からではなく、人間側から泥臭く追っていった良書である。 -
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『大阪戦争や』
今では考えられないが、暴力団も入り混じる有線事業、昭和の時代。『誰よりも働くのが社長』という信念の元、ひたすらに働き、一代で巨大企業へと成長を遂げていった父親の話から物語はスタートする。
父親への反骨と尊敬が入り混じる中で、宇野さん自身も起業家への道を歩み始め、時に時代に左右されながら、時に死を前にした父の想いを引き継ぎながら、波乱万丈という言葉では表現しきれない茨の道が克明に描かれている。
数百億という金額が常に文字にあらわれ、借入先の銀行にも罵詈雑言を吐かれ、困難に直面しながら、それでもここでは終われないと再起してきた宇野社長。結果として、三社を上場させてきた。
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土光は社員らに、「チャレンジ」と「レスポンス」(素早い対応)を叩き込む。土光の言う「チャレンジ」とは、目標達成ができなかった場合、その原因を突き止め、その上でさらに挑戦するという意味だ。1977年発行の社史『東芝百年史』によれば、やがて「チャレンジ」と「レスポンス」は、組織と組織のコミュニケーションにも応用されるようになり、当時の東芝社内ではこれが「合言葉になった」と記されている。
「仕事十訓」とタイトルがついた紙には元ホテルオークラの副社長で数多くの著書を持つ橋本保雄の『感動を創る』(現在はPHP文庫に収録)から抜き出されたものが記されている。
1.バイタリティを持て
2.常に頭脳を酷 -
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一代で西武グループ(コクドグループ)を作り上げ、衆議院議長まで勤め上げた豪傑堤康次郎の子として生まれた異母兄弟の堤清二と堤義明。
2人は帝国の後継として、その生い立ちから注目が集まり、弟である堤義明に全事業が相続されるということから、マスコミの駆り立てあり、兄弟関係りに亀裂が走る。
堤清二は倒産寸前の池袋西武百貨店のみを譲り受けながらも、そこから破竹の勢いでセゾングループを作り上げ、天才の名を恣にする。
清ニに対し、康次郎の指針を愚直に守り、天皇へと化していく義明。この2人の骨肉の争いは、西武グループの崩壊という形で幕を閉じる。
堤家はあれだけの起業家でありながらも、どこか負の側面を持 -
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ネタバレ堤清二 罪と業
最後の「告白」
著者:児玉博
発行:2016年7月30日
文藝春秋
ノンフィクションライターの著者が、2012年7月~11月にかけて合計7回、のべ十数時間に及んで堤清二にインタビューした内容をまとめた本。〝最後〟という言葉が使われているが、実は朝日新聞の「証言そのとき」シリーズが、2013年1~3月に10回にわたって堤清二へのインタビュー記事を掲載している。堤清二が死んだのは2013年11月、どっちが〝最後〟なのか、よく分からない。しかし、この本で著者は堤との初めての出会いを2012年6月24日とした上、その10日後からインタビューがスタートした、7月中旬だった、と書いてい