児玉博のレビュー一覧
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トヨタ自動車の中国事業を牽引した服部悦雄のノンフィクション。
服部は戦前の満州で生まれ、官僚の父親の意思で戦後も中国に残り、27歳まで中国で過ごした。当時の中国は中国共産党が暴政を強いた時期。中国社会で生きてきた彼は中国人の本質を「好死不如懶活(きれいに死ぬより惨めに生きたほうがまし)」という。
トヨタ自動車入社後、奥田碩に認められた服部は日本人とは異なる手法で実績を上げていく。進出に遅れていたトヨタの中国事業においても、知己の合弁候補先や政府要人との折衝を通じ事業成長の道筋をつける。当時社長就任前のポジションでアジア地域を統括していた豊田章男には大きな手土産を残した結果となる。しかしながら伝 -
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出井さんが社長の時、あるいは退任した時、いい評価はされなかった。
むしろソニーを弱くしたとか、第二のウォークマンを作れなかったとか、
悪評の多い人だった。
しかし、この本はそれを否定している。
出井さんは10年先を読んで、ソニーを製造業からエンタテイメント業に変革する
礎を築いた経営者だと。
盛田さんにも大賀さんにもたてついて、自分の考えを通したと。
大賀さんに左遷もされたが社長に指名もされた。
「消去法で選んだ」というセリフは当時有名だったそうな。知らなかったけど。
製造業としてのソニーに危機感を持っていたのは間違いない。
その証拠に?今やソニーはパナソニックや日立とは全然違う道を歩んでい -
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面白い
世界の自動車メーカー トヨタ
その世界戦略の中で重要な中国
低迷していた中国でのトヨタを
トップに押し上げたのは
27年間中国で育ち
小鬼と蔑まれ 文革も経験し
厳寒の中労働し生き延びた男 服部
トヨタに中途採用から入社し
奥田という トヨタでは異才の上司に
見出され
才覚を現し中国でのてトヨタの礎を
造り
そして創業家の章男を社長にした男と
言われる
しかしその辣腕から
会社からは浮いた存在に
会長から感謝され伝えられた役員にも
遇されず
自家用ジェットも届かなかった
しかしトヨタの中にも
社長のポストに実力で異義を唱える
などした人物もいたんだ
これからこのマンモス企業が -
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中国で終戦を迎え大躍進政策や文化大革命を生き抜き、トヨタ中国の総責任者まで努めた服部氏のインタービューを基にしたドキュメンタリー。氏の生い立ちたどる中で、インタービューで引き出される凄惨な実体験の数々。中国の近代史のリアルで非情な実態が炙り出されている。中国建国の英雄とされている毛沢東は日本の歴史の教科書でもそのような紹介がされているが実態は大躍進政策や文化大革命といった失政によって1億人近い人民を死に追いやった虐殺者でもある。全土で雀を徹底的に駆除する事を推奨された結果、害虫が発生して作物が育たなくなり飢饉が発生し4〜7千万人もの餓死者を生んだといあれているが、同じ事を書いた体験談が、評論家
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これは面白い。
トヨタ自動車の中国市場を取り巻く歴史とそこに関わる歴代の社長陣を、服部悦雄という中国育ちの日本人で中国トヨタの立役者となった人物への対話から描いている。
ストーリー展開が秀逸で、あっという間に読み終えてしまった。
服部さんの生い立ちにも関わる、かつ、中国市場を語る上で欠かせないポイントが多いため、本の前半は満洲国解散〜近代における激動の中国近代史が記載されている。
その中で、中国人はどんな思いでどんな生活をしていたのかを服部さんが見た世界も含め記載されている。
何度も中国史は読んで来たがこんなにわかりやすく、イメージしやすく理解できるものは初めてだった。
後半ではトヨタ自動車 -
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ネタバレこれは面白いです! 自動車版『大地の子』で、タイトルとしては「中国の近現代史と自動車産業」のほうが正確かと思います(これだと売れないと思いますが…)。
中国で生まれ育った服部悦雄という元・トヨタ中国事務所総代表のインタビュー録です。「服部悦雄」は、『トヨトミの野望』では「八田高雄」で登場しますが、その『トヨトミの野望』も織り交ぜながら展開します。但し、こちらの本では全て実名。氏の経歴に合わせて、満州国解散から習近平時代までが描かれ、これを読むだけで中国の近現代史がわかります。
氏は、中国人の本質は「好死不如懶活(きれいに死ぬより、惨めに生きたほうがまし)」と言い切ります。毛沢東の大躍 -
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ネタバレ宇野さんは父親の存在が大きいと言う。
仕事で1-2ヶ月家を開けることもあった父が、すぐ飯や、早よ用意せんかい」と他人の都合など構わず言いたいことばかり口にする。
ちょうどその頃、宇野さんが高熱で、お母さんが父に「康秀が高熱で死ぬかもしれない」と言ったら「死んだらまた作れば良いやんか」と言ったそう笑
忘れ難いその一言を今も覚えているそう。
大阪有線が設立された1961年は、1960年に所得倍増を掲げて池田勇人が首相となった翌年。三種の神器を代表に、活気づいていた。
当時国鉄の初乗りが10円、コーヒー1杯50円と言う時代に、月額1500円と言う有線放送の契約が嘘のように取れた。
ヤーさんやらがた