山本昭宏のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
黒柳徹子に対し、こんな視点で観察した事が無かった。彼女の革新部分と考え方に脱帽。ザ・ベストテンの何気ない言葉ではあるが、彼女の思想の素晴らしさを思う。
土井たか子が、生活保護費の男女格差をなくした事、国籍法の父系主義をなくした事を知らなかった。凄い功績。
大橋鎭子は、とと姉ちゃん。10才で父を亡くし、起業、暮しの手帖創刊。
吉永小百合の代表作キューポラのある街を何故か鑑賞している。いつ、どこでだろう。
中山千夏が意見したら、国旗を法制化した時点で、国旗が陳謝なものとなるであろう。どう扱うか考え行動する事で、文化が生まれるのだから。
平野レミがシャンソン歌手とは、知らなかった。 -
Posted by ブクログ
アジア太平洋戦争敗戦から81年。アジア地域に死者2000万人とも言われる被害をもたらした日本の戦後、女性たちはどのように生きたのだろうか。家父長制、男尊女卑、女性差別が色濃く残る時代にあって、俳優、政治家、編集者、デザイナー、作家、アスリートなど様々な職業の女性12名にフューチャーする。女性12人の軌跡を束ねたときに、どのような思想や精神が浮かび上がるのか。そして、そこから我々は何を受けつぐことができるのか。彼女たちの営為を通じて、文化としての戦後民主主義を思考する。とりわけ、鴨居羊子の戦後1960年代の「下着革命」を読んで、前衛的な先見性には感嘆した。戦後80年経っても学生の下着の色まで指定する学校の管理教育に対して、この時代から実用性と個性を追求した「下着革命」。男性の固定概念の価値観から解放されようとし、また女性に受け入れられたからこそ、1970年代の日本のウーマンリブによって女性の社会的役割や権利が拡大した。しかし、今なおジェンダー平等への壁は厚い。この書籍から、今後を展望する手がかりの一つにすることが重要だ。
-
Posted by ブクログ
難しい内容だったので、丁寧にメモを取りながら時間をかけて読み進めてきた。1989年から現在まで平和主義がなぜどのように変質してきたかを、分かりやすく解説している。「力による平和」などという言説が、なぜ一部の日本人にも受け入れられるのか、全く理解できないで悶々としていたが、その答えがここにあったのだと多くの点で納得した。
日本の経済発展やグローバル化、新自由主義の進展などを経て9条を基礎とする日本の平和主義がなし崩し的に破壊されてきた経過も、納得できる説明がなされている。現実的な選択として日米安保、集団的自衛権、平和安全法制を成立させていて、それが自己欺瞞であったとしても、日本は平和主義を標榜しているし、これからもそうであって欲しいと思ってきた。しかし、今後はそんな甘い期待は抱けないのだと、悲観的観測ばかりが強化される。 -
Posted by ブクログ
平和主義の変質を議論する著作だが、あとがきで次のような要約がある.「戦争のない状態」としての「平和」に関する認識としては、九条の理想を掲げる戦後的な反戦・平和主義があるが、これは年長世代を中心に残存しているものの、その弱体化は疑えない.弱体化や影響力の低下をながらく指摘されながらも、確かに残っているという事実を軽視すべきではないけれども、それが弱体化することで、日本社会のより根底部にある生活保守主義に基づいたしたたかとも呼べる平和主義が目立ち始めた.230頁の内容をこのようにまとめる力に驚嘆した.その直後の解説に「したたか」が出てくるが、その通りだと思う.第二、三、四章で語られる歴史的事項はほとんどが記憶にあるもので、ベルリンの壁が崩壊した1989年からのスタートが最適だと感じた.民主主義を「生のあらゆる次元のコミュニケーションの場において作用する偏った権力関係に、批判的に介入する力を重視する思想」と位置づけているのも良い.宮﨑駿のアニメを絡めた解説も楽しめた.
-
Posted by ブクログ
ちょうどこの瞬間、バイデン大統領と菅首相と日米首脳会談が行われています。なぜアメリカ新大統領の最初の会談相手が日本なのか?それは中国の専制政治に対する民主主義の国家の連携強化というアメリカの戦略により実現したとの解説を聞きました。今や世界の中で民主主義が根付いている国の代表として日本が選ばれている、ということでしょう。その我が国の民主主義が1945年の敗戦以降に「戦後民主主義」としてどのように育まれどのように論ぜられどのように疎まれていったかを一望する意欲的な新書です。なにしろ最終章のひとつ手前の章が「限界から忘却へ 一九九二〜二〇二◯」と来て最後が「戦後民主主義は潰えたか」ですから。ではアメリカに民主国家として選ばれている日本の民主主義は「戦後民主主義」でなければ、どんな民主主義なんだろうと考え込んでしまいました。著者は一般的な民主主義の議論はさておき「戦後民主主義」の特徴として3点挙げています。第一に、戦争体験と結びついた平和主義。第二に、直接民主主義への志向性。第三に平等主義、です。そして著者は「戦後民主主義という言葉が論壇やジャーナリズムで積極的に使われたのは、一九五〇年代半ばから二〇〇〇年代初頭までの約五〇年間に過ぎない。」とも言っています。社会に戦争体験が残存する時代の民主主義、ということなのでしょうか?太平洋戦争を実体験として持つ世代の退場が日本の在り方を大きく変えると常々思っていたので、もう始まっているポスト「戦後民主主義」時代の民主主義についてのもっと深い考察がなされなくちゃならないと改めて思いました。加えて本書が意欲的なのは論壇のみならず文学、マンガ、映画、アニメという広い裾野に目が行き届いていることです。まさに自分が吸って来た時代の空気が蘇り、自分がなぜ、今のような考え方をするのか、も、ちょっとわかったような気がします。そして、このCOVID19時代、民主主義自体が激しく揺れています。日本に外から民主主義を持ち込んだアメリカが民主主義の代表国として日本をフューチャーする事自体に民主主義脆弱時代を感じます。香港、台湾、タイ、ミャンマーの問題だけではなく日本の民主主義を参考するための踏み台としてこの新書は貴重だと思いました。
-
Posted by ブクログ
何となく題名に惹かれたという程度で済まないような、濃密な読書時間を本書と共に過ごすことになったような気がする。非常に読み応えが在る労作であるように思う。
漠然と思うのは「戦後」というように言う場合、「1945年8月」の以前と少し「切り離されている?」ということと、「既に数十年経つ中、漠然と一括りのように?」というようなことだ。今や「戦後」と呼ばれる「1945年8月」の後だけでも75年も経った。これは「明治元年から昭和20年」という期間の年月と既に大差が無い。だから所謂「戦後」にも既に様々な経過、変遷というモノが在るということになる。
本書は、「“戦後民主主義”という、時々聞く用語は一体何なのか?」ということを底辺の軸に据えながら、1945年から極々近年に至るまでの長い期間に亘る、社会の様子を伝える思潮、映画や文芸作品、話題になった論、政治の動き、注目された事象等々を拾い上げて、「“戦後”と呼ばれている期間の日本国という社会の変遷」を織り上げているような労作であると思う。
本書に取上げられている出来事等に関しては、「XX歳位であった頃か…」と自身の記憶の隅に引っ掛かっているような事柄を論じている例が多い。更に少し注目された論を展開したという人達に関する言及を視れば、自身が学生であったような頃に「〇〇で有名だった人」と紹介され、色々と発言しているのを何かで見聞したような記憶が在る人物が沢山在る。
本書を読むと「半ば以上、自身の人生と重なっている、または歩んだ時間を“歴史”として見詰める」というような、些か不思議な経験をすることになるような気がする。
「好い」と思うモノを護ろうとするばかりでも「好くない」は残る。「好くない」を正そうとするばかりでも「好い」を捨てざるを得なくなってしまうかもしれない。既に「戦後」と括り得る時期が「明治・大正から昭和20年頃へ」という程度の期間になってしまっている中、知り、考えるべきことも多くなっている。
本書は“現代社会史”というようなことで、若い人達が学ぶ場合の格好の材料になりそうだ。自身も「若い人達が…」等と綴ってしまうような年代になってしまったと苦笑も漏れるのだが、当然ながら自身の世代にとっても興味深い一冊である。
本書は広く御薦めしたい労作だ!! -
Posted by ブクログ
原爆投下と終戦後、日本人が核と言うものにどう関わって来たのか、社会運動、報道、大衆文化を徹して詳細に説明されいる。
著者は原爆あるいは原発に偏ることなく『核』に対して、国民の意識がどうだったかを歴史をおって説明してゆく。それは読者としての私には『かなり悲しい』内容だった。
国民は原爆の後、こぞって『核』に反対していたが、次第に『核の平和利用の安全神話』即ち原発に毒されていったのだと思っていたが、そうではなくて、『平和利用』には当初から漠然とした安心感があったということを知らされた。もちろん、原発の危険性が大きく取り上げられて、世間の潮流となった事もあったが、一種の流行でしかなかった。
また、核の危険性への甘い認識は大衆文化を代表する漫画、映画でも分る。
原爆実験で生まれたゴジラは放射線を口から吐き猛烈な破壊を行うが、そこに被爆の実体が描かれることはない。漫画、北斗の拳も核戦争後の世界が舞台だが、詳細な被爆はそこには無い。
「唯一の被爆国と言いながら日本人は一体なにをして来たのだろう」と思う。
『安全神話』という言葉にについて著者は以下のように定義付ける。
『マンガやテレビ番組、映画のなかで原発は危機に瀕してきたが、それはあくまで空想の世界の出来事であると思われてきた。実際に原発災害が海外で起こっても、日本ではきっと起こらないはずだと信じ込んできた。いや、信じるというよりも、そもそも原発は多くの人びとにとって意識の外にあった。資源の少ない日本には必要なのだろう。世界に知られた技術と勤勉の国である日本では事故は起こらないはずだ。危険だというなら現状維持にとどめておこう。そういえば自分は原発を見たことがないな、そもそも原発ってどこにあるのだろう--。「安全神話」とは、このような無関心の別名でもある。』(231頁)」
果たして、日本人は福島原発事故後、所謂『核後』を正しく生きられるのだろうか。短期的に経済成長追い求めるのであるなら、やはり原発を今後も続けていく、せめて現状維持するのが、手っ取り早いだろう。原発を止めるということは『脱原発』のみならず『脱成長』を選択することだ。しかし、東京都知事選で小泉細川連合が敗れた事を思うと、日本人にその覚悟は無い様に思える。
結局は『反原発』『原発推進』の対立は答えなくそのまま安定してゆくのだろう。著者はそれを懸念する。
そして、また知らず『核前』に戻る。新たな『安全神話』が構成される。
暗澹たる思いで読書を終えた。辛い。 -
Posted by ブクログ
日本の総理大臣として初めて女性としてその地位に着いた高市早苗氏。女性の社会進出が遅れ、先進国中でも男女不平等な国として見られる日本であるが、漸く漸くといった感じだ。だが、社会を広く見れば、企業における女性管理職の数にしても、政治家の女性比率にしても、給与面の不平等にしても、何をとっても日本はG7中最下位であるだけでなく、世界全体から見ても男女の不平等を表すジェンダーギャップ指数は圧倒的に低い(世界経済フォーラム「Global Gender Gap Report 2025」より)。確かに私の所属する会社でも、女性役員や部長職は男性のそれと比べるとまだまだ少ないし、所属部署には100名近い人員が居るが、残念ながら女性管理職はゼロという極めて男性職の強い組織になっている(女性社員数は多いが)。
その様な現代においても尚、女性の社会進出という点では未成熟とも言える状況にある中、1945年以降の戦後日本社会に於いて、目覚ましい活躍を遂げた女性たち12名にフォーカスを当てているのが本書である。名前を挙げれば、「おたかさん」の愛称で政治の世界で活躍した土井たか子氏。「白い巨塔」や「大地の子」「沈まぬ太陽」など数々の名作を生み出した山崎豊子氏。私も愛用しているが料理愛好家(料理研究家ではない)の平野レミ氏。日本のお昼時に欠かせない「徹子の部屋」から毎日楽しいトークを提供し続ける黒柳徹子氏など、誰もがその名を知る女性たち12名を題材に、その生い立ちやその後の活躍を振り返っていく。
どの女性にも共通しているのは、素直に感じたこと思い描いたことをそのまま飾らずに表現し、実に明瞭に行動に移す姿だ。勿論そうした活躍した人を題材にしているから、当たり前の事だと思うかもしれない。だが激しい競争社会に身を置き、時には他者を蹴落としたり、騙しあったりする獰猛な男性社会の中には、中々見られない様な自然な姿がそこにはある。実に自然で身近で、どこにでもある感覚。それでいてここに紹介される女性たちが信念に導かれるままに強く生きている姿はとても美しく輝いている。
これから先、日本も女性活躍が進んでいく事は間違いない。高市総理を始め、歴史に名を残す女性が次々と現れるだろう。だが本来的な話で言えば、敢えて女性として取り上げるのではなく、性別に関係なく紹介される世の中が来る日も近い。まずはこれまでの必ずしも男女平等とは言えない社会に生きた偉大な女性たちを見ながら、将来の日本社会での女性の更なる活躍を楽しみにしたい。 -
Posted by ブクログ
戦後80年の日本政治を通観した本。55年体制→制度改革→ネオ55年体制という一つのストーリーによってわかりやすくまとめている。大量の史実がある中で一つのストーリーを描き重要な転換点を抽出するのは大変な作業だと思う。
自民党の誰がどの派閥に属していてその派閥がどのような思想を持っているのかがよくわからず、特に説明がなかったのでそこは読むのに苦労した。
また、政党を覚えられず苦労した。索引があれば良かったと思う。
改憲か護憲かの保革論争により、一大保守政党とまとまらない少数の革新政党が対立する55年体制が生まれた。90年代の政治改革(小選挙区比例代表並立制と首相権限強化)により初めて政権交代が行われたが、2010年代には再度改憲が争点となり、筆者が「ネオ55年体制」と呼ぶ構図が生まれた。
-
Posted by ブクログ
終章に「罰則をともなう規制ではなく、自粛要請を採ったのは、強い規制が基本的人権や自由を制限しかねないからだろう。そこに、ドイツと同様、戦後民主主義の残滓を読み取ることも不可能ではない。国や自治体の意図は措くとして、自粛要請という出来事は「自由で民主的な主体」とは何かを問いかけていたのだと理解できる。他者への配慮による自粛と、同調圧力とが混ざり合いながら、基本的には憲法の精神を大きく損なうことなく、多くの人びとが緊急事態宣言下を過ごした。」、とある。確かに事の善し悪しは別としても、(2回目の)緊急事態宣言下の現状が日本の戦後民主主義の1つの到達点だと思う。
ロックダウンするでもなく、かといって野放図である訳でもない何とも半端な現状ともとれるが、一人一人がもう一歩正しく恐れ自律的に動ければまんざらでもない結果をもたらす事が出来るのではないか?いつか歴史が戦後民主主義の総決算を開示してくれる。
谷島屋書店本店にて購入。 -
Posted by ブクログ
20210126-20210214
アジア・太平洋戦争の悲惨な体験から、多くの支持を集めた「戦後民主主義」日本国憲法に基づく民主主義・平和主義の徹底を求める思想だが、冷戦下のにおいて9条(と憲法前文)に基づく戦争放棄の主張は理想主義と、経済大国となってからは「一国平和主義」と批判され、近年は、コロナ禍にやや下火になっているとはいえ改憲論の前では守勢にある。本書は戦後の制度改革、社会運動から政治家、知識人、映画などに着目し、戦後民主主義の実態を描いている。
著者は1984年生まれとまだ若い研究者。彼にとっては久米宏も小林よしのりもかなり上の世代という認識なのだろうな、と思った。もう少し個々の時代の戦後民主主義のとらえ方を深堀してほしいな、と思ったがそれはこれからの著作に期待したい。本書は新書だから紙幅に限界があっただろうし。
戦後の論壇事情を出版界からとらえているのが興味深かった。何となく感じていた雑誌のカラーをよく整理している。これからはSNSやネットに論壇が移るのだろうか? -
Posted by ブクログ
神戸市外国語大学専任講師の山本昭宏(1984-)による、映像・漫画を中心とした原子力をめぐるイメージ像の戦後史。
【構成】
第1章被爆から「平和利用」へ 占領下~1950年代
第2章核の現実とディストピア世界 1960年代
第3章原発の推進・定着と会議 1970年代
第4章消費される核と反核 1980年代
第5章安定した対立構造へ 1990年代から3.11後
「3.11」後、戦後日本の原爆・原発をめぐる受容・反発の過程を論じた出版は多い。その中で、本書の特色は、主として映画、漫画を中心とした大衆文化への投射のされ方を基軸にしてそれを論じているところにあるだろう。
視角、内容を見ると山本も執筆者に名前を連ねている福間ら編『複数のヒロシマ』(青弓社)が本書の下敷きになっているように思えるが、本書は広島原爆に限らず原発も含めた原子力のイメージを論じている。吉見俊哉は『夢の原子力』(ちくま新書)で本書と近似した問題意識に基づいて、日米関係の中での原子力イメージの輸出入を論じているが、本書は日本国内でのメディア分析が主体となっている。
内容に移ろう。
出版物がGHQ-SCAPの統制下にあった占領期の実にあっけらかんとした「原爆受容」が描かれる。すでに先行研究で種々指摘されている内容であるが、改めて今日の非核・反核意識との断層を感じる。
1960年代に入り、キューバ危機に代表される核戦争への恐怖が共有されるようになったわけだが、この時期に運転開始した原発に対する強い反発はまだ起こっていない。ただ、原爆に対するイメージの分裂が現れてくるのもこの時期である。1950年代のような原子力に対する素朴な期待を寄せられる(ex鉄腕アトム、8マン)一方で、被爆者の怨み・怒りの表出がストーリーに組み込まれる漫画(ex中沢啓治作品)も出てきた。
1970年代は、公害と原発があわせて論じられるようになったものの、まだ本格的な原発に対する疑義が生じていたわけではなかった。1970年代前半の特撮全盛期の中で原発破壊のプロットはSF的に消費されていたことは、裏を返せば現実には起こらないという安心感から来ていたと言えなくもないだろう。
評者にとっては、1980年代に関する分析が、本書で最も面白く感じた。79年のスリーマイルの事故では揺らがなかった原発の安全性への信頼が、81年の敦賀での事故、そして86年のチェルノブイリによって根底から揺さぶられる。平和利用である原発と軍事利用である核兵器についての態度は、進歩的知識人の中でも80年代の前半までは区別されていたそうだが、チェルノブイリ以降は平和利用に対する疑義が反原発ニューウェーブにつながっていく。しかし、興味深いことに、そのニューウェーブもファッションのように消費されてしまい、下火になった。『Akira』も『北斗の拳』も核戦争後の世界を舞台にしているが、リセットされた世界を創出するスイッチ以上の意味は持たされなかった。
90年代以降は残念ながら各論の点描であり、ストーリーとして語られているものはない。ただ、冷戦という核戦争を惹起すると思われていた最大の要因が取り除かれ、核軍縮の緊急性が下がった時代の「反核」論という視点はうなずける。
巻末に著者の主張は盛り込まれているものの、全体を通じて感情的、政治的な偏りはほとんどなく、社会学のメディア分析として量と質は一定程度担保されている。漫画が中心とはいえ多くの資料に目を通した上で、執筆されたことがうかがえる。
一方で、出版された絵を額面通り受け取っている印象もぬぐえない。つまり、ウルトラセブン第12話の問題が端的に示す通り、出版物の表現には社会的・政治的な規制・圧力が大なり小なり生じており、出版する側の自主規制・編集方針が介在する。本書ではこれについての言及が全くされておらず、それが著者の主張を平板なものにしてしまっているように思える。
中公新書の著者の中では最も若い層に入る著者であるが、まずはこの大きなテーマを一書にまとめたことに対して賛辞を送りたい。しかし、原子力の受容・反発という政治的問題と切り離せないテーマを、そこと切り離してメディア分析だけで論じることに限界がある。今後はぜひ複眼的な視点で立体的・構造的に本テーマを論じてもらいたい。