内田百間のレビュー一覧
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寝ても覚めても、ノラやノラ。ノラはどこへ行ったやら。
家に居つくきっかけを作ったのは奥さん。風邪で弱ったのを看病したのは奥さん。喧嘩で加勢するのも奥さん。いなくなって、ほうぼうを探し回ったのは奥さん。似た猫がいるという電話に飛んでゆくのも奥さん。百閒先生ではない。主役は奥さんのようにも読める。
「今日もまた夕方になればノラに似たいつもの猫がお勝手の外でニヤアニヤア云う。それを聞くのが堪らない。家内はその猫に向かって、そんなにうちを離れたくないなら、ノラを連れて帰って来れば、一緒に飼ってあげると約束したそうである」。猫に話しかけている奥さんが目に見えるようだ。 -
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言葉の豊穣なことに脱帽
夫が楽しそうに読んでいて、時々私に漢字の読み方を尋ねてくる。どんな本かと思って、ちょっとだけ覗いてみた。
私もたちまちハマってしまった。芥子飯「カラシメシ」言葉の印象からドライカレーかと思ったけど、作者の生きた時代から察すれば、ここはやはりカレーライスであろう。などと考えながら読んでいる。
私が生きている今の時代からほんの3世代ほど前の日本の日常が、食べ物を通して活き活きと描写されている。時折り、私が子どもだった頃の祖父母の会話が蘇ってくるような気持ちになる。そういえば母の伯母に当たる人は変体仮名でサラサラと手紙をしたため私に送ってくださったことがあった。私にはそれが読めない部分があって、母に読み方を尋ねた記憶がある。
あの時代を生きた人々の強さや賢さに改めて脱帽。もうしばらく楽しんで読み進めていきたい。 -
Posted by ブクログ
内田百閒が、愛猫ノラが行方不明になってずっと泣いている一連の作品集。
昭和32年3月27日昼過ぎ、百閒の愛猫ノラは行方が分からなくなりました。翌日から内田は「ノラの事が非常に気に掛かり、もう帰らぬのではないかと思つて、可哀相で一日ぢゆう涙止まらず。やりかけた仕事の事も気に掛かるが、丸で手につかない。」と惨憺たる様子ですが、その後もノラは一向に見つかりません。
朝日新聞に猫探しの広告を出し、警察署にも届けを出し、NHKでも放送をしても見つからない。4月に見つかったとの報を受け、「うれし涙にむせて、声が途切れて、口が利けなかつた」と感涙するも結局違う猫でがっかり。心労で7kg以上痩せて、目も霞むほどになります。
(尚、内田の弟子の高橋義孝は、ノラは皮を剥がれて三味線になっていると酔っていたずら電話をしてしばらく内田邸を出入り禁止にされています。)
そんななか、5月16日に出会い、その後もしばしば目にするようになったのがノラによく似た迷い猫でした。翌月になって百閒は、名をクルツとつけています。クルツのおかげで、内田はノラが好物にしていたタマゴの寿司を出していた寿司屋の出前を取ろうという気にまでなりました。しかし、そのクルツも五年半ほど経て死んでしまいます。今度は内田と妻と女中が号泣する前での死でした。
愛猫家ではなく、ノラとクルツが特別な猫であったという内田の愛情がどこかユーモラスな雰囲気を交えながら、しかし必死に駆け回り泣き続ける悲劇性とともに一体となっている名随筆だと思います。
尚、三十二年秋に刊行された『ノラや』(文芸春秋新社)バージョンには、内田の敬愛する夏目漱石の鉛筆画の猫が1ページに挿し入れられているそうです。『クルやお前か』の装丁口絵は斎藤清画伯。愛猫家の斎藤が、猫の足裏に墨を塗って紙の上を歩かせた装丁も特徴です。 -
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戦時中の庶民の生活の記録です
戦時中の庶民の生活って、あまり記録がないんてすよね。
そこに興味を持っている人にはオススメです。
今の人とあんまり変わらないなぁという感じで、自分としてはとても面白かった。
なんでそこまで酒に拘るのかと突っ込みたくなりましたが(笑)
オススメですが、淡々と書かれているので、小説のようなドラマチックな描写を期待している人には肩透かしになってしまうかもしれません。 -
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誰ですか猫好きにオススメとか言ったの!
文庫の裏に愉快な連作とかあるけど、愉快じゃないですよ!!
1本目の「彼ハ猫デアル」以降、(所々でかわいい猫の所作の描写が含まれるものの)胸が苦しくなる話ばかりじゃないですか……
百閒先生、ネコは特別好きではなかったとか言いながらノラとクルのために東奔西走する姿に共感を覚えます。
先生の「ノラもクルもどこにでも、いくらでもゐる駄猫で、それが私には何物にも換へられない」っていうのはすべての愛玩動物飼い達の本心だなあとそう思います。
すごく良かったけど、ネコ可愛い!もふもふ!フフフッてほのぼの読める話ではないので、猫好きに紹介するときは一言添えて薦めようと思います。