あらすじ
「小鳥に夢中になっている間の面白さは、小鳥を飼った事のない者には迚も解りません」(表題作)。鶯の鳴き方が悪いと気に病み、衝動買いした訓狐のために眠れない夜を過ごす。漱石山房に文鳥を連れて行く……『ノラや』の著者が小動物たちとの暮らしを綴る掌篇集。〈解説〉角田光代
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Posted by ブクログ
鳥を中心にした小動物に対する百閒先生の、愛情にあふれる…、というか、熱が入りすぎたかと思えば、急に醒めたり、と、まあ、何と言うか…。不思議な随筆集である。
愛でる気持ちと、その真逆の気持ちが表れる、人間の矛盾性。
「魚の死ぬのを上がると云い、小鳥の死ぬのを落ちると云い」。
鶏の鳴き声がうるさい。二階の書斎にいて我慢していてもあまりに騒がしいので、癪に障り、わざわざ庭に出て棒で追い出す始末。余計に鳴き声が激しくなるwそして余計に頭にくるwww
このエピソードは、百閒先生の姿が思い浮かぶ。
Posted by ブクログ
おや、百閒先生のアンソロだと手に取って買って帰ったら家にもう一冊あった…。そうか、後で読もうと買ってあったのか…
それにしても百閒先生は精神年齢が幼い気がする。物凄い素直で嘘のない人だけれども物事に対する接し方というか生き物に対する接し方があまりにも幼い。欲しいと思うとどうしようもなくなってしまう衝動のようなものを大人になっても抱えている人ってのは大変だろうなぁ。だからこそ彼の文章は今も読まれているのかもしれないけれども。
私はノラやを読む前に他の随筆を読んでいたので元々は猫キライの小鳥飼いな先生の方が印象に残っていたのでそうか、百閒先生というと猫好きってイメージを持っている人も居るのかぁなんて後書きを読んで思いました。それにしても作中、ネコ二匹失っただけで辛くてやりきれないのに何頭も飼っている人が信じられない、みたいなことを先生が書いてらしたけどご自分は小鳥を30も40も飼っている割に変なことを言うお方だな、と思いました。まあ昔の旦那さんなんてご自分で生きものの世話をなさるなんて言ってもするのはせいぜいエサやりぐらいだろうし後の事は家の者にやらせているんだろうなぁ…なんて事が透けて見えるからちょっと冷ややかな目で見てしまうってのもあるのかもしれないけど。