原井宏明のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ終末医療のあり方について、実例を踏まえながら書かれていた。人間は誰しもが死ぬわけであり、それは自分自身にも当てはまることであるため、「どう生きるべきか」というよりも「どう死ぬべきなのか」ということに関して考えるきっかけが欲しいと思いこの本を読んだ。読み進めるうちに高齢者の実情が見えてきて、胸が締め付けられるような感情に襲われると同時に、やはり死という現実から目を背けてはいけないのだろうということを感じた。長く生きることによる快楽を苦痛が勝ってしまった時点で、おそらく生きることが辛くなっていくのだろう。当たり前なのかもしれないが、人生はただ長く生きていればいいということではない。どのように生きて
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Posted by ブクログ
これまで読んだ本の中で、もっとも深く考えさせられる本。私たちは「何が原因で死ぬのか」を考え恐れるが、「どのように死ぬのか」、つまり「どのような経過をたどって死を迎えるのか」についてはあまり考えない。そして実際に死が避けられないとわかった時に混乱し、不安のどん底に突き落とされ、決して平穏とは言えない時期を長く過ごす。さらに悪いことに、その場所は病院や施設であり、ほとんど見込みのない(ことが多い)奇跡的回復を信じて、どんな苦痛や屈辱的な状態であっても、最新の医療技術(ただし、その人や家族に最適とは限らない)を受け入れたりする。「死」という不吉で縁起の悪い最悪な話題ではあるが、自分にとっても家族にと
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Posted by ブクログ
死すべき定め
数多くの死を見続けた医療従事者が自らの医療体験ならびに家族の死から、現代の高度に医療が発達して寿命が延ばせる時代に死とは何か?幸福な死とは何かを問う本。
現代医学の介入がない時代は人々は命にかかわる病気に自分が冒されていると気がつくのと死ぬまでの間隔は数日から数週間の単位であった。
しかし現代はCTスキャンなどの早期発見や延命技術によって年単位にまで伸びている。
それだけ、その余命期間は人や家族は思い悩むことになる。
重い病気にかかってる人は単に長生きしたい以外に大切なことがあり、調査によると、苦しまないこと、家族や友人と絆を深めること、意識をたもつこと、他人の重荷にならない -
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Posted by ブクログ
いちばん大きな学びになったのは、
「共同の語り手としての聞き手」の部分
実験の中で、聞き手が話を聞いているふうなのに、頭の中で別の課題をしているので話に対する反応がちぐはぐになり、それを見ている話し手はオチの部分で言いよどんでしまうという、なんとも不思議な結果でした。
話を聞いていますよ、という聞き手の態度を含めて、会話が成立するということかな。
「会話はキャッチボール」とよく言われるけど、言葉だけでなく、態度も投げ返しているのですね。
たしかに、自分が話しかけている相手が、「聞いていますよ」という姿勢を見せてくれたら嬉しいし、話していてノってくるかんじがする。
たとえば大勢に向かって話 -
Posted by ブクログ
普段から過度に心配性な気がしていて、この本を読んでいた。
不安症ってなんだろうとなっていたけど、多分理解できた!
不安症は未来を想像して悩むこと。鬱は過去を思い出して悩むことなので、違いがある。
不安症には、全般性不安症、社交不安症、強迫症、パニック症があって、不安症に気づく指標としては、「日常生活に支障があるかどうか」。
不安を止めるには、不安になる行動をやめていく必要があるので、認知行動療法の進め方も書かれていた。
「どうして不安になってしまうんだ」と思ってしまうけれど、原因を考えないことが大事(原因が分かっても対処できないことが多いから)。
不安になってしまう自分を受け入れていこ!