原井宏明のレビュー一覧
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もうよくなる見込みはない、という病状にある人たちに本当は何をするべきか?という問いを探るハードな本。多くの人は苦痛のない平穏な死を望みながらも、過酷な闘病生活の沼にはまって苦しみ、孤独の中で亡くなることになる。また、施設は安全と医療が行き届いてはいても孤独でプライバシーのない、尊厳を奪われた状態になりがち。いったい私たちは、科学と医療の進歩で何を追い求めてきたのか?どのようにすれば、死地に立つ人たちとその家族に現実を受け入れる勇気を与え、尊厳を取り戻せるのか?という話が、著者の家族を含め実在の人々のエピソードを通じて語られる。
その人たちの病状や生活を奪われる苦しみも克明に語られるので、読ん -
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名著だと思う。おそらく自分がICを至上主義とするような情報提供的医師として生きてきたのであればこの本が人生を変えてくれる本になっただろう。しかしこれほどまでにACPの意味や終末期の難しさが論じられている今読んでみると、この本によって医者人生が変わるということはなかった。
とはいえ、死が迫った患者と厳しい会話をすることによって本人や家族がいかに救われるのかということは内省的な気持ちも持ちつつ読むことができた。
多分bad newsの伝え方とか、予後の伝え方のようなものは、方法論で解決する問題ではない筈だ。
相手は患者であるまえに人間なのである。
だからやはりACPとは主治医がするべきなのだ。 -
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本書は医師と患者のコミュニケーションの重要性を訴える本。著者の主張を一言で表せば「コミュニケーションは医療に役立つ」。その主張には3つの側面がある。①「医師が話を聞いてくれない」という患者にとって最大の不満が消えて医療について患者の満足度が高まる。②患者をよりよく理解することで誤った治療や不要な治療をせずに済む。その結果、医師にとって時間の節約になる。③訴訟が減る。
薬の知識や手術の腕前などと比べてコミュニケーションが医療に果たす役割は過小評価されてきたと著者は言う。医学部でコミュニケーションスキルを専門的に学ぶことがないため、医師はコミュニケーションスキルを医療技術とは見ない。コミュニケー -
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NY在住の内科医による、医師と患者の間のコミュニケーションの問題を分析した1冊です。
最近ではAIが活用された事例なんかも聞きますが、今の医療診断の中心に位置しているのは、依然として「医師と患者の会話」です。
ただ、この会話というツールの難しさを実感させられたのが本著でした。こんなに簡単に使えるツールはないのに、なぜこうも難しいのか!
自身の医療経験や取材を踏まえた16章は、比較的読みやすいトーンではあるのですが、医療という人命がかかった現場における余裕のなさや、その状況下で少しでも良いやり方を求める医師の職業倫理の高さ(と、その患者向かいでの理解されなさ)を感じ、ままならない重いテーマだと -
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「生まれ落ちたその日から、私たち全員が老化し
はじめる。」(序P9)
人は生まれたからにはいつか死なないといけない。
「死ぬべき定め」に直面したとき、死に直面した
本人や家族そして医師はどのように終末期を選択し
その選択に従って実行していけばいいのか、を模索した
例が挙げられている。
前半は老いによる死、中盤は病気(主にがん)による死
後半は著者の父と著者の家族が「死すべき定め」に
対してどのような行動を取ったのかがつづられている。
現在、高齢者は敬われる存在ではなく希少価値を失った
ため、家族の在り方も変わってしまった。生き方の
自由と自立に恵まれた反面、家族システムの地位は
下がった -
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アメリカのインド系二世の外科医であるアトゥール・ガワンデ氏が、自身の父親の死についても触れながら老年期医療、終末期医療について書いたもの。
実は内容にとても心動かされるものがあり、何度も書評、感想を書こうとしたのだが、結局どれも薄っぺらなものになってしまう気がして、消してしまった。
老年期には病気だけではなく、自然な老いによる経年劣化で身体に様々な問題を持つようになる。医療はその問題に立ち向かうための技術だが、常に克服できるとは限らない。死という崖に追い詰められて、徐々に撤退するしかない、撤退のスピードをいかに遅らせるかというくらいしか出来ないときも多々ある。
そのときに医療は、医療従事者はど -
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医師である著者が医療現場での経験をもとに、終末期医療や老化、死に向き合う過程について考察したノンフィクション。この本では、現代医療の限界と、患者やその家族が直面する問題について深く掘り下げる。
いつかは来る自らの終末を想像しながら読む。医療の限界とよりよい人生の過ごし方におけるトレードオフ。生き延びられるなら、苦痛は耐えるべきか。それとも苦痛に耐えられなくなる前に安楽死を望むべきか。緩和ケアのあり方とは。死に向き合うことの意味や価値について深く考えさせられる。
― これは正常である。プロセスを遅くすることはできる。食事や運動によって差が生じるのだが、止めることはできない。肺の機能的な容量が -
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オランダでは終末期の不安を対象とした『傾聴』が医療保険コードとして承認されており、内視鏡検査やMRIと同じように保険請求する価値があるとされていることを知って驚きました。『共同の語り手としての聞き手』は新たな視点を与えてくれました。
会話の参加者のそれぞれが独自の知識と経験をもっており、どのようなコミュニケーションであってもそれぞれがもつ独自のフィルターを通過するということ、は覚えておきたいです。
〜もう一度振り返り読みたい章〜
第7章 チーフ・リスニング・オフィサー
第8章 きちんと伝わらない
第10章 害をなすなかれ
第13章 その判断、本当に妥当ですか? -
Posted by ブクログ
誰しも向き合わなければならない問題である。そしてそれは、本人だけでなく、家族のことも含めて。
衰えは人の運命である―いつの日か死がやってくる。しかし、人の中の最後のバックアップ・システムが壊れるまでは、そこまでの道を医療によって変えることができる。一気に下る断崖にすることも、緩やかな下り坂にして、生活の中でもっとも大切なことができるようにすることも可能である。医療に携わるわれわれのほとんどがこの可能性を考えていない。特定の個別の問題を取り上げるのは得意である―…しかし、高血圧と膝関節炎、他のいろいろな病気を抱えた高齢女性を担当させられたら―…―われわれは何をしたらいいのかわからず、しば -