【感想・ネタバレ】死すべき定め――死にゆく人に何ができるかのレビュー

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Posted by ブクログ 2024年04月16日

この本は2年前にある本屋さんの企画で『一万円選書』と言う、本屋さんの質問に答えて人物をわかってもらったうえで、お勧めの本を1万円分チョイスしてもらうと言うのに応募して紹介された本である。
その時に読み始めたものの、途中までで読破しないまま本棚に置いていた。
再度最初から読んでみようと思いたち、読み始...続きを読むめたものの最初は米国における今から40年前の高齢者施策がずっと並んでいて引き込まれることもなかった。やはり自分の読みたい本ではなかったのかなと思いつつ中盤にさしかかるとグングンと迫ってくるモノを感じ、涙しながら読む頁も増えて、一気に読み終えてしまった。
本の中にあった主治医が患者に言った「私は心配しています」のシーンで何と素晴らしい言葉だろうと感心した。
相手に押し付けるでもなく、自分を気取るでもなく、でも相手の心を安心させるんじゃないかなと読んだ瞬間感じたし、普段の生活の中でも取り入れてみたいとも思った。
この本はこの先も何度となく読み返してみたくなる本だなとも思い、この本を紹介してもらった本屋さんにも感謝している。教
老と最期をどう迎えるかはやはり人類のテーマだと思った。2年前の自分と今の自分も変化しているし、その都度で本から感じ取る事柄も変化するのかなと思ったりする。

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Posted by ブクログ 2024年01月18日

これはぜひ超高齢化社会を生きる日本人全員に読んでほしい。
終末期医療にかかわる筆者が、自らみとった患者の例を共有しながら理想のターミナルケアとは何かを論じる。
例えばがんを宣告されたとしよう。しばらく闘病したのち、打てる手はすべて打って、予後が不良で余命間もないとしよう。主治医が「最後の手段はこちら...続きを読むの新薬です、もしかしたら効くかもしれない(効かないかもしれない)」と提案して来たとして、どこまで戦うべきなのだろうか。それは自分の年齢にもよるかもしれない。若ければ若いほど、治る可能性にかけてしまうかも。でもそれは最善の選択なのだろうか。きかなかった場合は?病院のベットで独り弱りながら最後には口もきけなくなって死んでいくのか、それとも自宅で家族とともに最後の時を過ごすのか。
大事なのは「自分にとって何ができなくなったら死んだ方がましなのか、どれだけつらくても何ができれば生きていられると思うか」を家族と共有しておくことだという。例えば食べるのが好きなわたしなら、ものを食べたり飲んだりできなくなったら死んだ方がまし。逆に大好きなチョコレートを食べられるなら苦痛の中でも生きていられると思う。
自分の最期なんてずっと先のことと思うが、その時のために今できることは「自分にとって何ができなくなったら死んだ方がましなのか、どれだけつらくても何ができれば生きていられると思うか」を探しながら生きていくことなのかもしれない。

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Posted by ブクログ 2023年06月09日

終末期を迎える人達に対して、医療が出来ることは延命。それを否定するかのような内容がこの死すべき定めには書かれていて誰しもが必ず訪れる死をどのように受け入れ過ごすべきかのヒントを教えてくれる。

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Posted by ブクログ 2022年12月29日

人生の老年期・終末期をどう生きるか、何が自分の幸せなのか、何を犠牲にできるかの指針となる本。

高齢者介護の現場において、生きる目的、生きがいは重要だが、測定しにくい。どうしても生存率や服薬の量など、測定しやすい指標で評価され、しばしば本当に重要なことが蔑ろにされる。
→施設に入っている祖母を見て感...続きを読むじる実態と合致する。


以下本書の印象的な文
人の能力が衰えていくにつれて、〈中略〉その人の生活をより良くしていくためには、純粋な医学的ルールを抑制する必要がある

通常医療のゴールは延命である。そのために今現在の生活の質を犠牲にする

命のために闘うことから、他のことのために闘うことへの転換

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Posted by ブクログ 2022年05月13日

人は誰しも死を逃れることができない。年老いて、だんだんと体の自由が効かなくなったり、病を得て病院や療養施設のベッドで日々を過ごすことになったりしながら、人は最後の時を迎える。
だが、自らの最期をどう迎えるのかということについて、明確な意志を持っている人は、いったいどのくらいいるのだろう。「病院ではな...続きを読むく、自宅で最後の時を迎えたい」と思っている人も多いと思うが、はたしてそんな希望を関係機関と相談しつつどう実現させていけばいいのだろう?
この本は、人が最後の時を迎えるに際して、医療や介護、そして本人や家族が何をどう考えるべきかについての大切な示唆を与えてくれる。全人口の3割近くを高齢者が占めるわが国は、喫緊の課題として議論していくことが必須であろう。

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Posted by ブクログ 2021年08月12日

産まれた時から病院がある世代の医学を妄信している自分が目を覚ます本です。世界でもっとも影響力のある100人に選ばれたインド人の先生であり、日本の医師会の息がかかり当たり障りない本より素晴らしい。正直、最初からショックを受ける内容で医学を抉り医師として人間として生死を真正面から書いている本です。

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Posted by ブクログ 2021年05月02日

かけがえのない出会いだった。

自らの最期の瞬間を思い浮かべて欲しい。
病魔に侵され、悶え苦しみ、一体どこが最期の時なのか全く分からないまま、終わりゆくことを。

多くの人が死に臨んで思うことは、自分自身のやり方で自分のストーリーの終わりを飾りたい、という願いだという。

我々はどうしたら、死を自ら...続きを読むの手中に収めることが出来るのだろう。

この本には、そのヒントが書いてある。

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Posted by ブクログ 2020年12月27日

誰かを看取ることになった人は読むと良い本。
私は、友だちの癌宣告の時に読んで、父の癌宣告のときに読み返した。
母の余命宣告のときは、心の準備ができず向き合えなかったから。後悔を残さないためにも、死にゆく人と接する近しい人としての心構えの一助になります。
人により異なる精神世界や宗教の話ではないのも良...続きを読むい。

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Posted by ブクログ 2020年08月08日

医師は最善を尽くしているか、を読んでもう4-5年は経っただろうか?臨床の縁に立つようになってまだ数年だが、「死すべき定め」に向かう人々と関わる機会は何度かあり、そしてこれからもある。小さなことかもしれないが臨床での向き合い方に変化が出た。もう一度よく読み直したい本である(紙で買えばよかった)

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Posted by ブクログ 2020年07月31日

死ぬということは暗いイメージしかなかった。でも、死ぬことをしっかりと考えておかないと、死ぬ間際になって後悔するんだろうなと思った。
自分が後悔するだけであればまだいいものの、周囲の人を後悔させることにも繋がることがわかった。

機械につながれて生きるのは、本当に生きてるとはいえない。そんな最後は嫌だ...続きを読むと思った。

医学の進歩で、生きながらえさせることは可能だが、豊かに生きることができる人って、少ないと思う。それに、豊かという価値観も人それぞれであるため、豊かに生きる形も人それぞれだと思う。

最後の最後に、悔いを残さないために、今を精一杯生きていくことが大切だと感じた。時間には限りがある。今しかできないこと、自分にしかできないこと、やっていこう。

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Posted by ブクログ 2020年07月11日

厳しい会話をすることがその後を変える。では、誰がその役割を担うのか。
介護者も被介護者もお互いに覚悟が必要。ACPを簡単に考えすぎていた自分に反省。

まだまだ親は元気だけれど、まずはこの本を兄妹で共有からかな。

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Posted by ブクログ 2020年03月23日

眠るように安らかに死にたい、と、誰もが一度は思ったことでしょう。

しかし、医療の発達した現代では、死は急転直下の如く、突然やってくるものではなく、じわじわとにじり寄るようになってきています。

この本では、そんな「死にゆく人」、余命わずかな人に医学は何ができるのか、私たちがしていることは果たして正...続きを読むしいのか、という点に重きを置いている本です。

日に日に弱っていく父母を見て、少しでも長生きして欲しいと思うことは当然のこと。しかし、いざ自分が死に近づいているとき、同じ感情になるのでしょうか。

チューブだらけで薬の副作用に苦しめられながら死んでいくよりも、少しでも元の生活を取り戻したい、長生きしなくてもよい…そう考える人もいると思います。

死生観は一人一人異なり、またそれらは何も不自由なく過ごすことのできている現状では、ゆっくり考えることすらしないのです。

現代の環境は「死にゆく人」たちに対応できているようには思えない。外科医として、数々のそうした場面を見てきた著者は、そう語ります。

ナーシングホームと呼ばれる介護施設は、もちろん全てに施設がそうであるとは限りませんが、中には彼らを収容することが目的となり、外観の美しさや設備の充実ぶりを売り文句にしているところもあるのです。

著者が説く、医師としての務めは、厳しい現実を伝えること。そして、それに対してどのような選択を取ることができるかを正しく伝えること。そして何より、自分が何ができるかを伝えることにあると説きます。

「豊かに生きる」だけではなく、「豊かに死ぬ」にはどうするべきか。死ぬことをただ終わり、と考えることなく、事実として向き合ってみる時間を取るべきなのかもしれない。そしてそれをするべきは、今なのだ。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2020年02月28日

終末医療のあり方について、実例を踏まえながら書かれていた。人間は誰しもが死ぬわけであり、それは自分自身にも当てはまることであるため、「どう生きるべきか」というよりも「どう死ぬべきなのか」ということに関して考えるきっかけが欲しいと思いこの本を読んだ。読み進めるうちに高齢者の実情が見えてきて、胸が締め付...続きを読むけられるような感情に襲われると同時に、やはり死という現実から目を背けてはいけないのだろうということを感じた。長く生きることによる快楽を苦痛が勝ってしまった時点で、おそらく生きることが辛くなっていくのだろう。当たり前なのかもしれないが、人生はただ長く生きていればいいということではない。どのように生きて、どのように自分の人生を締め括るかという、一連のストーリーを意識しなければならないということを痛感した。医療関係者のみならず、多くの人に読んでもらい、生きるとはどういうことなのか、死ぬとはどういうことなのかということを考えるきっかけとしてほしいと思えるような本であった。

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Posted by ブクログ 2020年02月03日

‪自分にその時が来るまで寄り添っていてほしい、本当に素晴らしい一冊。著者は現役のお医者さん。死に怯える中、正解がわからないままどんな治療をするか、しないか決めたり、人生最後の日々の過ごし方を選んだりする人々の姿が胸に重く響きます。心を揺さぶるとともに、とても勉強にもなる堂々たる名著です。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2019年10月30日

こうであればよい、がアイスクリームとテレビか。私だったらお茶が飲めて、話がきける、かな。親子ともに医者だからこれが可能だけれど。

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Posted by ブクログ 2019年07月23日

参った
すっかり、ドライなところと勘違いしていました、アメリカよ、まだいるのかこんな外科医と感服。もうやることはなくったと匙を投げ緩和ケアのマニュアルをあさっり「しかたない」と時間切れ、なんとか最期まとめたらOK。医者よそれでいいんか?と鼓舞される一冊。

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Posted by ブクログ 2019年05月18日

父を見送る前に読みたかった。家族はどうしても未来の寿命だけを、本人の意志や尊厳ということを見ないふりして考えてしまう。どうしたい?何がしたい?何が不安?という質問を死がよぎる人にするのは家族にも本人にもとても酷だけれど、ちゃんと聞いて本人、医師、家族と共有してそれを乗り越えた人や家族は、「ちゃんと生...続きを読むきた」を全うできるのかもしれないと思う。

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Posted by ブクログ 2018年03月26日

前著『医師は最善を尽くしているか』に続き、読んだ後に色々と教えてしまう本。身近な人ー親や祖父母、場合によっては妻や夫などーが人生の最後を迎えるというのは誰にでも起こり得る。しかも唐突に。そんな時、私ならどう対処できるか。たぶん、多くの人はそんなことを考えたことがないはず。でもそれは誰にでも必ず起きる...続きを読むことで、前もって考えておかなければならない。


本書は今こそ読まなければならない本の1冊。

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Posted by ブクログ 2018年02月18日

人の死を看取った人、看取ることになる人はもちろん、いつか死ぬ全ての人が、死について考えられる良い本。

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Posted by ブクログ 2017年11月21日

これまで読んだ本の中で、もっとも深く考えさせられる本。私たちは「何が原因で死ぬのか」を考え恐れるが、「どのように死ぬのか」、つまり「どのような経過をたどって死を迎えるのか」についてはあまり考えない。そして実際に死が避けられないとわかった時に混乱し、不安のどん底に突き落とされ、決して平穏とは言えない時...続きを読む期を長く過ごす。さらに悪いことに、その場所は病院や施設であり、ほとんど見込みのない(ことが多い)奇跡的回復を信じて、どんな苦痛や屈辱的な状態であっても、最新の医療技術(ただし、その人や家族に最適とは限らない)を受け入れたりする。「死」という不吉で縁起の悪い最悪な話題ではあるが、自分にとっても家族にとっても避けられない一大事であり、その日のために準備が必要であり、話し合いの勇気を持つことが必要だと感じた。ただ、どうして良いかわからない。

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Posted by ブクログ 2017年06月04日

現役医師ガワンデ氏が実際関わってきた人達のエピソードが書かれている。死に行く人にどう向き合うか。気持ちの整理ができる。
姉の余命をしりこの本に救われた。

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Posted by ブクログ 2017年05月19日

死すべき定め

数多くの死を見続けた医療従事者が自らの医療体験ならびに家族の死から、現代の高度に医療が発達して寿命が延ばせる時代に死とは何か?幸福な死とは何かを問う本。

現代医学の介入がない時代は人々は命にかかわる病気に自分が冒されていると気がつくのと死ぬまでの間隔は数日から数週間の単位であった。...続きを読む
しかし現代はCTスキャンなどの早期発見や延命技術によって年単位にまで伸びている。
それだけ、その余命期間は人や家族は思い悩むことになる。
重い病気にかかってる人は単に長生きしたい以外に大切なことがあり、調査によると、苦しまないこと、家族や友人と絆を深めること、意識をたもつこと、他人の重荷にならないこと、自分の人生を完結させたという感覚をもつことになる。

とくに余命宣告をうけると人は時間をより意識する。人が自分の時間をどうつかうかは与えられた時間がどのくらいあると認識するかによって影響をうける。
人は単に存在してるだけでなく、衣食住のためだけでもなく、己自身をこえた大義を人は求めている。

死を無意味にしない方法は自分自身を家族や近隣、社会、神、歴史などなにか大きなものの一部とみなすことだ。
そうしなければ死すべき定めは恐怖でしかない。
マズロー理論だとまず安全安心の次に自己実現となる。そう考えると余命宣告の人は生きがいよりまずは余命を伸ばすことが最重要になるはずだが、患者のQOLはそれではいちじるしくさがる。限られた時間のなかで医療の依存状態にある人が生きる尊厳を保てるようにえんじょすることが大事だ。

だからこそ家族は事前にもし自分が余命宣告をうけた場合、どうするか?何を望むかをはなしあっとくべきだ。
たとえばラ・クロッセ市はエンドオブライフ(人生の終焉)にあたって組織的キャンペーンを行い以下の4つの情報を集めた。
1、心臓がとまったときに心肺蘇生を希望しますか?
2、気管内挿管や人工呼吸器のような積極的治療を望むか?
3、抗生物質の投与を希望するか?
4、自分の口で食べれなくなったらチューブや点滴で栄養補給を希望しますか?
このことで、患者がICUにはいる前から大事なことについて時間をもって関係者と準備をできるようになった。
エンドオブライフをどうすごすのか?についてしっかり話し合ってないと、「私としたことがなんてことなの!お父さんが本当にやりたいことをきいてなかった」という事態になりうる。


そのうえで終末医療の医師に切なのは治すことのできない病を相手にしてる自覚と、患者が残りの人生をどういきたいのか?を「問い、つたえ」ること。コーチングのような存在になるのだろう。

少子高齢化社会、超高度化社会にこれから日本は突入するがこれはうらをかえせば、歴史上、例をみないほど人がたくさん死ぬ時代になる。
いかに育てるか?いかいに生きるか?が問われたこれまでの時代から、いかに死ぬか?がおおきなテーマになっていくだろう。
自分も人生の折り返し地点を迎えてるので、いかに死ぬか?に向き合ってみたい、とおもわれる人生を考える上でおおきな転換点となる一冊であった

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Posted by ブクログ 2017年02月15日

母の闘病と看取りに迷いや後悔があって、それがこの本の序にあることと重なった。トルストイの「イワン・イリイチの死」を取り上げた授業からの提起。

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Posted by ブクログ 2017年01月29日

アトゥールガワンテ2冊目。終末期医療についてで、重苦しく目を背けたくなるエピソードも多いが、それでもなお多くの人に読んでほしい。前半は各種類の老人ホームについて。 患者サイドが手作りで理想の施設を作っていくというあたりはアメリカのすごさだなあ。後半は緩和ケアについて。現実を直視することの難しさ。完治...続きを読むするかもしれないが、成功率が低く苦痛も伴う選択肢を選び続けることから逃れられない。きちんと患者に判断材料を与え、優先順位を聞いて、それを守ること。バランス感覚の優れた著者がホスピスを選択したエピソードばかり選んでいることからも、現在の医療は戦うことに偏っているのだろう。

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Posted by ブクログ 2022年07月18日

もうよくなる見込みはない、という病状にある人たちに本当は何をするべきか?という問いを探るハードな本。多くの人は苦痛のない平穏な死を望みながらも、過酷な闘病生活の沼にはまって苦しみ、孤独の中で亡くなることになる。また、施設は安全と医療が行き届いてはいても孤独でプライバシーのない、尊厳を奪われた状態にな...続きを読むりがち。いったい私たちは、科学と医療の進歩で何を追い求めてきたのか?どのようにすれば、死地に立つ人たちとその家族に現実を受け入れる勇気を与え、尊厳を取り戻せるのか?という話が、著者の家族を含め実在の人々のエピソードを通じて語られる。

その人たちの病状や生活を奪われる苦しみも克明に語られるので、読んでいてぞっとしたり重い気分にもなるけれど、自分や身近な人たちにもその時は必ずやってくることを強く意識させられた。私の祖父は病苦で自殺していて、それが彼の尊厳を守る方法だったことは受け止めているが、祖父や家族にとってもっといいやり方があっただろうともずっと思っている。結局のところ、お前は、お前の親のことはどうするのだ、と繰り返し問われている気がするのだ。
死に瀕する人は生き方を鮮明にする。そして考えるのは死ぬこと自体ではない。一生涯かけても答えが出ないかもしれないことに、ある時いきなり清算を求められるのは厳しいものだ。

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Posted by ブクログ 2022年03月13日

名著だと思う。おそらく自分がICを至上主義とするような情報提供的医師として生きてきたのであればこの本が人生を変えてくれる本になっただろう。しかしこれほどまでにACPの意味や終末期の難しさが論じられている今読んでみると、この本によって医者人生が変わるということはなかった。
とはいえ、死が迫った患者と厳...続きを読むしい会話をすることによって本人や家族がいかに救われるのかということは内省的な気持ちも持ちつつ読むことができた。

多分bad newsの伝え方とか、予後の伝え方のようなものは、方法論で解決する問題ではない筈だ。
相手は患者であるまえに人間なのである。

だからやはりACPとは主治医がするべきなのだ。

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Posted by ブクログ 2021年12月13日

本書は、ガンを経験し死を身近なものとして少しは意識したこともあり、前から気にはなっていたが手に取るのを避けてきたような気がする。
読み終えて、呼んで良かったと強く感じている。
死にあたって何が大切なのか、もう一度考え直してみる必要がありそうだ。
日本でも、もっと患者の生きる意義に寄り添った医療やケア...続きを読むが普及することを望んで止まない。

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Posted by ブクログ 2020年12月25日

「生まれ落ちたその日から、私たち全員が老化し
はじめる。」(序P9)

人は生まれたからにはいつか死なないといけない。
「死ぬべき定め」に直面したとき、死に直面した
本人や家族そして医師はどのように終末期を選択し
その選択に従って実行していけばいいのか、を模索した
例が挙げられている。

前半は老い...続きを読むによる死、中盤は病気(主にがん)による死
後半は著者の父と著者の家族が「死すべき定め」に
対してどのような行動を取ったのかがつづられている。

現在、高齢者は敬われる存在ではなく希少価値を失った
ため、家族の在り方も変わってしまった。生き方の
自由と自立に恵まれた反面、家族システムの地位は
下がった。

老いに対して人は奇跡のストーリーに飛びつくが、
それは逆にそういったファンタジーについて
行けなくなってくると申し訳ない気持ちにしてしまう。
現在アメリカは高齢者のケア、終末期に入所する施設は
移行期にあり、様々な人が様々な方法にトライしている。
昔の救貧院は「救う」の文字が入っているのに
姥捨て山のようだった。ナーシング・ホームが進化した
「アシステッド・リビング」は「言うは易く、行うは
難い。」ため、質がどんどん下がっていった。
ナーシング・ホームの三大伝染病「退屈と孤独と絶望」
を叩くには、命、例えば観葉植物、畑と花園、動物は
とても有効だった。

病気による終末期はある日突然直面することになる。
本人、家族そして医師すらも模索しながらベストな
ものを提供したい…とはならず、あれこれと治療を
勧め、結果、患者の体力を削り、穏やかな最期を
迎えられない結果となることが多かった。死期を
穏やかに伝え、最期はどうするのか、どうしたいのかを
患者本人に決定させているいくつかの例が挙げられている。

最後に、著者の父が「死ぬべき定め」と向き合うこと
になり、著者とその家族は戸惑いながらも、それを
彼らなりの方法で完遂する。

自分や自分の家族が「死すべき定め」に直面したとき
どうするべきか、なにを一番に置くのかということを
常に考えておきたい。

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Posted by ブクログ 2019年02月11日

アメリカのインド系二世の外科医であるアトゥール・ガワンデ氏が、自身の父親の死についても触れながら老年期医療、終末期医療について書いたもの。
実は内容にとても心動かされるものがあり、何度も書評、感想を書こうとしたのだが、結局どれも薄っぺらなものになってしまう気がして、消してしまった。
老年期には病気だ...続きを読むけではなく、自然な老いによる経年劣化で身体に様々な問題を持つようになる。医療はその問題に立ち向かうための技術だが、常に克服できるとは限らない。死という崖に追い詰められて、徐々に撤退するしかない、撤退のスピードをいかに遅らせるかというくらいしか出来ないときも多々ある。
そのときに医療は、医療従事者はどうやって患者と向き合えばいいのか?という医師としての考えを、実際の患者の事例や、自身の父親のケースも取り上げながら語っている。
いろいろと語りたいことは多いのだが、やはりうまく伝わるとは思えない。とりあえず、一度「死すべき定め」を読んでほしい。

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Posted by ブクログ 2020年04月25日

 誰しも向き合わなければならない問題である。そしてそれは、本人だけでなく、家族のことも含めて。


 衰えは人の運命である―いつの日か死がやってくる。しかし、人の中の最後のバックアップ・システムが壊れるまでは、そこまでの道を医療によって変えることができる。一気に下る断崖にすることも、緩やかな下り坂に...続きを読むして、生活の中でもっとも大切なことができるようにすることも可能である。医療に携わるわれわれのほとんどがこの可能性を考えていない。特定の個別の問題を取り上げるのは得意である―…しかし、高血圧と膝関節炎、他のいろいろな病気を抱えた高齢女性を担当させられたら―…―われわれは何をしたらいいのかわからず、しばしば事態を悪化させるだけに終わる。

 …ナーシング・ホームに蔓延する三大伝染病を叩くことである―退屈と孤独、絶望である。三大伝染病を退治するためには何かの命を入れる必要がある。ホームの各部屋に観葉植物を置く。芝生を剥がして、野菜畑と花園を作る。そして動物を入れる。

 …退屈な場所で、生き物は自発性を呼び起こしてくれる。孤独な場所で伴侶になってくれる。絶望の場所で、他の存在を世話するチャンスを与えてくれる。

 死を無意味なものにしない唯一の方法は、自分自身を家族や近隣、社会など、なにか大きなものの一部だとみなすことだ。そうしなければ、死すべき定めは恐怖でしかない。

 重い病気にかかっている人には単に命を永らえること以外に大切なことがある。患者がもっとも気にかけていることを調査すると、苦しまないこと、家族や友人との絆を強めること、意識を保つこと、他人の重荷にならないこと、そして自分の人生を完結させたという感覚を得ることがトップにあがる。今の高度医療システムはこうしたニードを満たすことに完全に失敗していて、この失敗のつけは失ったドルだけでは測れない。

 老いと病いにあっては、少なくとも二種類の勇気が必要である。一つ目は、死すべき定めという現実に向き合う勇気だ―何を恐れ、何に望みを持つかについての真実を探し求める勇気である。この勇気は難しく、持てないのも当然だ。真実から目を背けたい理由はいくらでもある。しかし、さらにもっと厳しいのは二つ目の勇気だ―得た真実に則って行動する勇気である。何が賢明な道なのかはしばしばあいまいであり、それが人を悩ませる。長い間、私はそれを不確実性のせいだと単純に考えていた。この先の予測が難しければ、何をすべきか決めるのが難しくなる。しかし、いろいろ経験するうちに本当のハードルは不確実性よりももっと根本的なことだと気づいた。恐れか望みか、どちらが自分にとってもっとも大事なのかを決めなければならないのだ。

 …医療者の究極の目標とは、あれこれ言っても結局のところ、良い死を迎えさせることではなく、今際の際までよい生を送らせることなのだ。

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