板谷敏彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2020/12/18金融の世界史 板谷敏彦 金融の歴史について博識
人類は進歩せず 同じ過ちを繰り返している
1.冒険貸借 航海ビジネス→プロジェクトファイナンス
利子ではなく保険料
財産権の侵害 国王への貸付は踏み倒される
→破産 預金封鎖も同じ
エリザベス女王ドレイクの海賊ビジネス=ベンチャービジネス
2.大航海時代で欧州の優位性
コロンブスの「多様性」vs中国「明の永楽帝」鄭和の大遠征
価格革命-新大陸の銀・インフレ-新興勢力の活躍、
印刷-宗教革命
グローバル化 閉鎖的な価値体系 異質が価値 利益をもたらす 資本が差異を失わせる
東インド会社 全ての航海を一事業 永久資本
3.鉄道事業 大規模な資金調達 株式会社の発明 エージェンシー問題
1899年時価総額の63%が鉄道株
1861年南北戦争国債発行に苦慮 投資銀行クックが個人向けに販売
4.ワイマール共和国 ハイパーインフレ
賠償金負担 物価上昇 マルク安 輸出堅調 ドイツ経済は好調
国債発行 短期債を中央銀行引き受け 長期債の発行へ振り替えが難航 通貨増発へ
仏国の賠償金過大 ドイツ経済の疲弊 ナチスの台頭 対仏戦争 戦勝 復讐の連鎖 -
Posted by ブクログ
すげえ面白かった。日露戦争における資金調達の模様を、当時日銀副総裁としてロンドンで実際に調達に奔走した高橋是清の動きを中心に紐解いていく。当時の国際金融市場の様子、日本の立ち位置、いかにして絶望的な状況から資金調達に成功し日露戦争勝利へ向かっていくのか、証券価格の推移と戦況を絡めてリアリティのある考察がなされている。具体的なお金の動きが絡むとすごく物事がビビットになるんやなと思った。単純に現存する資料をまとめているに留まらず、時節筆者の鋭い推論が展開されてて歴史の解釈ってのはこういうもんなのかと感心した。一流の登場人物たちはそれぞれ魅力的だが、ユニークな経歴と高いリレーション能力で日本の土台(資金)を土壇場で支えた高橋是清にはもっと辿りたい興味が湧いた。
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Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白かった。そしてすごい勉強になった。日露戦争はホントに奥深い。
・日露戦争近くの頃、ロシアのGDPは日本の3倍だったが、1人あたりGDPは日本と略同水準。
・日本の金本位制導入後の初めての外債発行は失敗だった、IR不足、リスクプレミアムの不足、有力マーチャントバンクに頼ってなかったこと等。
・東京、ロンドン、NY、何も金融は狭い所で営業していたが、昔は証券の受渡しが手渡しだったから。
・19世紀のイギリス、シティではなくもっと狭い「ロンバード街」
・19世紀のイギリスの発展は、中産階級の増加で民間資本が形成→銀行を通して産業資本として貸出に回った。
・金本位制はデフレ、金の供給量が限られるから。
・ヤコブ・シフ(クーンローブ商会)は、日露戦争の戦費調達で日本(高橋是清)の救世主。
・日露戦争は、黄色人種且つ非キリスト教徒のアジアの国が白人キリスト教国と堂々と戦う初めて(?)の戦争
・日露戦争当時、先進国は期待収益率が低下→新興国、日本は有力な投資対象先。
憲法と議会を持つ立憲君主制、金本位制、教育制度の急速な整備、産業が少し興りはじめた日本は良い投資対象国。
・日露戦争が発生直後、ロシアの公債利回り下落/日本の公債利回り上昇→ロシアが勝つ予想。
・日本は戦費調達の目処が立たないうちに開戦。
・ロシアは当時、アレクサンドルⅢ世、ニコライ2世、国内の不満をそらす為にユダヤ人を迫害→多くのユダヤ人がアメリカに逃避(ポグロム)。
・ロシアは開戦前にすでに多額の借金、42億ルーブル、うち3/4がフランスからの借入。
・8億ルーブルの見積り。日本の国家予算3億ルーブル、ロシアの国家予算20億ルーブル。
・陸軍の戦費は12.8億円、海軍の戦費は2.3億円
・日露戦争の資金調達に協力した金融機関やバンカーには、勲一等〜勲三等瑞宝章等が与えられた。
・血の日曜日事件は、日露戦争のなかでも特に大きなターニングポイント。
・奉天会戦後、日本は資金調達ができるが、ロシアは困難となっていった。日本公債の利回り低下
・仏と露は開戦前は関係良好だったが、奉天会戦後は、露へのファイナンスを仏がやめた。
・奉天会戦後、公債利回り上昇、「東株」も軟化、但し戦争銘柄の日本郵船、鐘紡は上昇。
・鉄道抵当法案成立し、兜町は外国語話せる外務員の需要高まる。
・バルチック艦隊が勝つと、東株急上昇、日本公債の利回り急落。
・ポーツマス条約、小村寿太郎-ウィッテ、日本は賠償金取れず、外交上では露の大勝利と報じられる。
・日本は天候不順等で米が不作だと、外米を輸入→正貨流出の恐れがあった。
・戦後の整理公債の発行条件が良くて4%.無担保、日本は一流国の末席に仲間入り。
・南満州鉄道の株主は、ポーツマス条約で日本と清だけに限定。桂ハリマン覚書は破棄された。株主は実際、100%日本人。
・日露戦後、東株はバブルに49円→318円
レベルストーク卿ベアリング商会、ボーア戦争、ノーザンパシフィック、クーンローブ商会ヤコブ・シフ、末松謙澄、金子謙太郎、クレディ・リヨネ、深井英五、血の日曜日事件、ポリシェヴィキ、マカロフ、ヘンリー・ラミー・ビートン、アーネスト・カッセル卿、黒木為禎、クロパトキン、奥保鞏、HSBCキャメロン卿、パーズ銀行、ハル事件、奉天会戦、大山巌、児玉源太郎、乃木希典、山縣有朋、マックス・ウォーバーグ(ドイツ)、ウィッテ、鈴木久五郎、呉錦堂、麦小鼓、ポチョムキン号、徳富蘇峰、桂ハリマン覚書、後藤新平、 -
Posted by ブクログ
高橋是清自伝によると日露戦争開戦前の戦費の見積もりは4億5千万円だった。戦前の1903年の一般会計歳出は2億5千万円程度、当時の銀行預金残高は7億6千万円ほどである。日露戦争臨時軍事費特別会計の決算額収入17億余りの内外国債で6億9千万、内国債で4億3千万を調達している。金本位制度を守ることは外国で公債発行をするための必須条件であり、例え内国債の発効であっても裏付けとなる準備金つまり金かあるいは金と等価とされるポンドを持ってなければならない。日清戦争を例にとると戦費の1/3が外国に流出しているので同じ比率だと当初の見込みでも1億5千万が流出する。当時の日銀所有正貨は1億1700万円で開戦時に正貨として持てる余力は5200万従って流出分の不足1億円だけではなく準備金も必要になる。政府は開戦前にポンド建て外債2千万ポンド(2億円)の募集枠を閣議決定し、高橋をロンドンに派遣した。
1900年の国力の比較では人口、GDP、日露戦争当初予算のいずれもロシアは日本の3倍程度で、一人当たりGDPではほぼ並んでいた。日露戦争に関わる諸国の実質GDP/一人当たりGDP(億$)はアメリカ3125/40、イギリス1849/45、ドイツ1623/30、フランス1167/29、ロシア1540/12、日本520/12、中国2182/5であり、ロシアとフランスが同盟関係でイギリスとドイツはロシアを警戒、日英同盟はあるが日露戦争に対してはイギリスは中立、アメリカと日本も当時は比較的良好な関係で英米は微妙だ。清朝の弱体化でロシアは沿海州を取得し、不凍港の旅順を租借し東清鉄道と南満州鉄道の敷設権を手に入れ沿線都市を植民地化していった。日本がロシアの満州権益を認める代わりにロシアは日本の朝鮮半島の権益を認めるよう申し入れるがロシアは相手にせず、アメリカとイギリスは満州権益の門戸開放を求めていた。元々の日露戦争の目的からするとすでに勢力化に置いていた朝鮮半島の確保だったはすで、欲を出して満州鉄道をロシアに成り代わり支配しようとしたことが後の第二次大戦につながっていく。満州人からするとロシアも日本も欧米も迷惑なことには変わりないが清朝はもはや力を持たない。
ちなみに支出の裏付けでは陸軍が12億8300万円に対し海軍2億2500万円となっていて陸軍が進出するほど財政的には破綻が近づく。公債価格の動きは戦争継続で売り、短期講和で買いとなっていて日本の局地戦の勝利はあまり影響していない。ただしロシア公債価格は下がっていく。
高橋は第一回の公債発行に苦慮していたがそれを助けたのがクーン・ローブ商会のヤコブ・シフでユダヤ人を迫害するロシアに対しこれまでロシアのファイナンスに協力してきたが一向に改善されずならば日本に協力してロシアを弱体化させる方がましだと開戦前に日本の公債引き受けを密かに決めている。それでも開戦直前の日本公債発行が実施できるかは危ぶまれており、ジャンク債同様だったのでシフも慈善活動をするつもりはない。日本が有利になりそうならそこで恩を売るというのがシフの計算だった様だ。3月31日に高橋がロンドンに到着後一旦公債発行を諦めた高橋が4月22日にイギリスの銀行家カッセル卿配下のビートンに合い「もしも日本が、海戦同様陸上戦でも敵を打ち負かす決心なら、その時まで待った方がいい、ただし待ってる間にもチャンスには備えておるべきだが」と言う手記を残している。公債発行の目論見書準備には時間がかかる。そして24日に公債発行を決意し、26日に銀行団が6%、償還7年、1000万ポンドの部分発行という案を提出しよく27日に政府に打電した。4月30日に鴨緑江の戦いに日本軍が勝ち、政府からは5月2日に条件改善要求が届く。そして3日に晩餐会で高橋はシフに引き合わされた。クーン・ローブ商会の公債参加表明が翌4日なので、シフからすれば鴨緑江の勝利でようやく参加条件に見合う物になったと言える。
日本の公債利回りは3/31の6.43%からこの勝利で5%台にやや下がったがそれでもロシア公債の4.3%に対して1%以上のスプレッドがついており6/16に一旦0.76%と縮めたが203高地攻略に失敗した10月中旬には1.34%にまで拡がり、旅順要塞攻略に成功した12月末でもまだ0.74%ついている。スプレッドをオッズに例えるとロシアの人気の方がまだ高く、欧米投資家にとっての日本はハイリスク商品のままだった。
ロシアが売られるきっかけはバルチック艦隊がイギリス近くの北海でにわとり艦隊というイギリスの漁船団を砲撃したハル事件から、日本の幻の水雷艇におびえ戦艦アリョールだけで500発の砲弾を発射し漁船1隻を撃沈し5艘が中破で2名が死亡し6名が負傷した。またこの時誤爆により巡洋艦2隻が被弾し1名が死亡し、数名の負傷者を出している。ついでニコライ二世がデモ隊を武力鎮圧した血の日曜日事件でさらに売られ3月にはとうとうスプレッドがなくなった。3/10の奉天会戦に勝った後も日本国債は売られ投資家の興味はいつ講和するかに移っている。バルチック艦隊は10/15に出航してからわざわざ近海運行用で船足の遅い艦船を随伴させ、マダガスカルで2ヶ月カムラン湾でも3週間停泊し5月末の日本海海戦に現れた。艦隊行動をとるにも遅い艦に合わせることになり敵前回頭がなくてもバルチック艦隊に勝ち目は薄かった様だ。
ポーツマス講和については「歴史を変えた外交交渉」に詳しく描かれておりロシアのウィッテの見事な交渉と小村寿太郎の決断で賠償金請求と占領していた樺太の北半分を放棄したが戦争の当初目標は全て達成している。しかし旅順攻略の犠牲と多額の戦費をかけたことが満州鉄道で元を取るという発想につながってしまう。高橋はアメリカの鉄道王ハリマンを満州鉄道の経営に引き込むつもりだったが果たされず、ハリマンの娘婿ウィラード・ストレイトが働きかけ桂・タフト密約(アメリカが朝鮮権益を認める代わりに日本はフィリピンには手を出さない)は事実上反古にされる。ポーツマス講和を主導したローズヴェルト大統領はパナマ運河完成までは太平洋で日本を事を構えるつもりはなく満州の門戸開放がされていればまた違った歴史になっていたかも知れない。この辺りは「日米衝突の萌芽」に詳しく描かれている。
後のデフレ退治でリフレ派がモデルとして讃える高橋是清だが日露戦争当時は財政均衡を重視している。緊急時には禁じ手も辞さないでモラトリアムや金本位制からの脱退もやったがリフレ策の後は軍事費の削減に動いたのが原因で暗殺されてしまった。日露戦争後の軍事費と国債費は一般会計歳出のそれぞれ30%で6割が固定されている。平成22年の国債費は約21兆円、社会保障費が約27兆と一般会計92兆の半分を占める。それでも日露戦争後の政府債務のGDP比率は60%ほどと1995年くらいの水準で第一次大戦の輸出ブームで解決した。第二次大戦後のGDP比率は350%を超えたがこれは厳しいインフレによって解消された。2014年の対GDP比は230%を超えた。これを日本国民の貯金だという人がいるがどうだろう? -
Posted by ブクログ
メソポタミアで農耕が始まった頃に原始的な徴税のしくみが生まれた。穀物の再分配のためには記録が必要になりシュメールの粘度板には在庫管理だけでなく不動産取引も記録され所有権移転のしくみがあった。ハムラビ法典には銀や穀物の貸し借りに対する利子の規則が定められている。ちなみにまだ貨幣は発明されていない。小麦であれば順調にいけば1年後には当時のメソポタミアでは20倍以上に増える。1年後の小麦が貸した方から借りた方に移転していると考えれば返す時には量を増やして返すのは当然のように思える。これが利子の発明だったのかもしれないのだ。
コインの発明は金、銀を一定の比率で同じ重さに切り分けたものから。原料費と額面の差額が発行者の利益になった。紙幣の場合は素材には価値が無く信用が元になっている。宋の時代には手形が発達しこの証書が貨幣の変わりとして使われたことから紙幣が使われる下地になった。政権の権威が凋落すると紙幣は流通できなくなり金貨や銀貨が復活する。ミクロネシアで使われた大きな石の貨幣も信用が元になっており現物の引き渡しは無くてもよかった。有る時には先祖が削りだした石を持ち帰る時に船ごと沈没したが証言者がいたため貨幣として認められた例もあるらしい。島に来たドイツ人は石にX印をつけ返して欲しければ道路整備のために働けと脅した。島民は破産を怖れて一生懸命働いたそうだ。道路完成後にはX印は消され島民は金を取り戻した。笑い話の様だが同じことは先進国でも起こっている。大恐慌の直後にフランスはニューヨーク連銀にある手持ちのドルを金に換えた。金本位制の停止を怖れたのだが金はそのまま連銀に預けて帰った。ラベルを張り替えただけなので石にX印をつけるのと変わらない。アメリカでは金が国外に流出していると騒ぎになった。
金融派生商品デリバティブの歴史も古い。世界最初のオプション取引はギリシャ時代にアリストテレスから世界初の哲学者と紹介されたタレスがやったものだ。タレスはある年のオリーブが豊作だと予測しあらかじめオリーブオイルの搾油機の使用権を買い占めた。予定通り豊作になるとタレスは搾油機の権利を売り大もうけした。手付金をオプション料と考えればいろんなものが取引できる。
銀行、為替、株式、保険などいろいろなものが大きく発展を始めたのは大航海時代からだ。複式簿記、減価償却などもこのころにはできて来ている。グーテンベルクの印刷機は書類の偽造を困難にしヴェネチアに銀行が生まれた。それまでも現物の貨幣の両替は行われていたが、帳簿と手形だけで決済や資金の移動ができるようになったのだ。一方で信用の創造は17世紀のロンドン、預かった金に対する預かり証が貨幣の代わりに使われ、ゴールドスミス(金の保管業者)は預かった金以上の貸し出しが可能なことに気づいた。新大陸で発見された大量の銀はメキシコ・ドルとして世界中で流通した。イギリスの海賊フランシス・ドレイクがペルーからパナマ経由で大量の銀を持ち帰り次いで太平洋横断から世界1周公開を企画した。これに投資したエリザベス1世は大儲けし対外債務を全て返済しさらに余った金で東部地中海のイスラエル辺りを開発するレヴァント会社に出資した。この会社が儲けた金で作られたのが東インド会社だ。東インド会社を首になった中には有名な海賊ジャック・スパローもいる。イギリスの東インド会社は1航海1事業とした特許会社で出資者が無限責任を持つ共同事業体だった。これに対してオランダの東インド会社は出資者の責任は出資金の範囲の有限責任であり、21年間の全ての航海を一つの事業とした。また株式は誰でも買える近代的な株式会社でアムステルダム証券取引所で株の取引が行われた。
国債の誕生はイギリスの名誉革命から。それまでは戦費を国王の個人的な借金でまかない、たびたびデフォルトしたり、貨幣の作り替えでインフレにして借金を返済したりしていたが、権利の賞典により王の権限が制限され主権が議会に移った。これにより借金の主体は王個人ではなく国家に変わった。保険の歴史も古いが1678年にロンドンのロイズ・コーヒーハウスでは海上保険が売買されるようになった。投資家は航海が無事に終われば分け前がもらえる変わりに損失が出れば無限責任を負う。
ナポレオン戦争でも資金調達は争点になっている。オランダを支配下に置いたナポレオンは金融業者を追い出し、アムステルダムに変わってロンドンが金融の中心になった。戦費調達に困ったナポレオンは1803年フランス領ルイジアナをアメリカに1500万ドルで売った。アメリカ中部15州をまたぎ現在のアメリカの23%の面積を締める。1867年日本では坂本龍馬が暗殺され大政奉還があり、マルクスが資本論を書いた年に世界で初めての国際通貨会議が開かれた。ナポレオン戦争の復興資金は金本位制のロンドンでのポンド建て公債として調達されており、フランスを始めとする国は金本位制を導入し世界的な通貨同盟を支持した。しかし肝心の金の現物なしでは話にならず、銀を売って金を買ったこのため金と銀の交換比率は15倍からアメリカが金本位制を採用した1900年代後半には30倍を超えるようになている。日本は日清戦争での賠償金を元に金本位制を導入し、また日露戦争の戦費調達は金本位制だからこそ可能だった。後に第二次世界大戦に突入する原因となったのは資源の確保が原因だが、これはドル建てであり日本は絹のストッキングをアメリカに輸出してドルを稼いでいた。しかしナイロンの発明とともにいずれは無くなる運命だったことが1996年に機密解除になった外交文書に書かれている。高橋是清の積極財政が始まるまで1ドル2円ほどだったのが金本位制からの離脱により一気に4.7円への急激な円安が進行している。1941年7月以降アメリカの預金封鎖により決済資金のドルは上海などで闇で入手するしか無くなったがこのレートは1ドル8〜9円だった。売るものは無く円安のため資源は高騰と資金面で首が絞まっている。ここだけ見ると今の北朝鮮のような状況に置かれていた様だ。その後は東南アジアに侵攻し自給自足を目指し更なる経済封鎖を受け、例え金を持っていてもドルとは交換できなくなった。東京株式市場は大本営発表を受けて1943年半ばまで上昇を続けたがダウ・ジョーンズ工業指数の底は1942年の4月が底でまだ日本が勝ち続けている時に反転している。
戦後のターニングポイントは1971年のニクソンショック。このころ日本の一人当たり実質GDPはイギリスに追いついた。ニクソンショックから生まれたのがシカゴの先物市場、為替やモーゲージ債、原油など値のつくものは何でも商品になるのはここからが。そして76年には金利先物が生まれ81年に適法になる。現物決済が不要な商品が生まれたことでマネーの受け皿ができてしまい後のサブプライムローン問題につながっていく。そして85年のプラザ合意で円高が進むとともに政府の低金利政策は続きバブルが生まれた。ドル建てで日経平均を見るとニクソンショックから89年の最高値まで年率30%で上がり続けた。
現代史では市場は効率的かそれともそれとも投資家がインデックス投資に勝てるのかの議論が興味深い。1896年から2012年までのNYダウの日時収益率をデーターに取ると中心部はきれいなベルカーブを描きランダムウォークをしているように見える。しかし、正規分布であれば合計29850日のデーターのうち5%以上の上下をする確率は0.22日分しか無いはずなのに現実にはブラックスワンは97日も存在していた年に1度は異常値がでることになる。それでもインデックスに勝ち続けるのはウォーレン・バフェットなどの1部の投資家だけのようだ。バフェットも重視している時価総額/GDPという値を見るとバブル崩壊後は60〜100%で推移しており2013年はおよそ90%になっている。
100年後の金融史にアベノミクスと各国の通貨切り下げ競争はどう評価されるのだろうか。弱い通貨のインフレは既に起こっている。 -
Posted by ブクログ
日露戦争の際の資金調達に関して、当時日銀副総裁であった高橋是清とそれに随行した深井英五の活躍は多くの人が知るところだが、『是清自伝』などの記述には曖昧で不明な部分も多い。とくに高橋とユダヤ人資本家ヤコブ・シフとの関係はよくわかっていなかった。
本書は先行研究に依拠しながらも、シフをはじめとする欧米のバンカー達の立ち位置や考え方にも多く言及し、当時の国際的金融市場の中でこの日露戦費調達がどのような形でおこなわれたのか、またそれが日本にとってどのような意味を持ったのかを丁寧に、かつスリリングに叙述している。複雑でわかりにくい部分も図表を多用しながら解説しているので、初心者にもとっつきやすいのではないだろうか。
今さらながらオススメである。 -
Posted by ブクログ
高橋是清が日露戦争時にそのような働きをしたということを本書で初めて知った。
手元にあった山川の日本史教科書(詳説日本史)では、高橋是清の名前は原首相刺殺後のp.301「立憲政友会の高橋是清は後継内閣を組織したが短命に終わり、」と二・二六事件のp.327「斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らを殺害し、」の二箇所のみであり、日露戦争p.272-273の項では触れられていない。
当時の世界情勢、金融の様相、日露戦争の経緯を知れるのみならず、近代社会の成立を捉える上で金融を知ることが肝要であり、金融史を知ることで動的な世界の歴史がわかるということを実感させた一冊だった。 -
Posted by ブクログ
【「坂の上」までの物入り】日本にとっては文字通りの総力を費やすこととなった日露戦争。しかし、工業化も道半ばの日本にとって、もっとも重要な「金」の工面の見通しが立たなかったことから、高橋是清と深井英五は欧米バンカーとの交渉を通じて日本国債の発行を行うよう政府から指令を受ける。いかにして彼らは魅力に乏しかった日本国債の市場を開拓していったのか。金融という新鮮な観点から、日露戦争を鋭く切り取った話題の一冊です。著者は、投資顧問会社を2006年に設立した板谷敏彦。
名著。戦地からはほど遠い国債金融市場を舞台として繰り広げられたもう一つの熱い(されど極めて静かな)戦いに、読者の知的好奇心がぐらぐら揺さぶられること間違いなし。しっかりと20世紀初頭の国債金融がどのような状況にあったかまでも記述されていますので、読んでいて置いてけぼりを喰らうようなこともないかと。かなりの大著ですが、その厚みが120%意味を持つものですので、ぜひ手に取って読んでいただきたい作品です。
著者が高橋是清の公債募集談から汲み取った3点の教訓はまことに明確でありながら、同時に見落とされがちな点として顧みておく必要が十分にあるものだと思います(この教訓は本書を読み進めると本当になるほどと思わざるを得ません)。歴史についての新たな視点が獲得でき、国債金融に関する知識も身に付く、それでいて単純に面白い人間ドラマも味わえるというのですから、こういう本を名著と言わずしてなんと呼べばいいのでしょう。
〜東京市場での株式の暴騰ぶりとロンドン市場での公債価格の変化を比べれば、日本国民の戦勝に対する価値判断が欧州の金融市場と少し乖離し始めた状態が見てとれる。これまでバルチック艦隊に圧迫されていた日本の世論が明らかに増長し始めていたのである。〜
☆10があれば☆10にしたい☆5つ