神野正史のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
予備校(河合塾)で世界史を教えている先生が書いた、世界史を「戦争・革命」という切り口で解説してくれた本です。現在起きている事件は、すべて何等かの繋がりがあるのだなと、最近ようやく理解できるようになりました。
そのような捉え方で世界史の勉強をしたら、さぞかし面白かったと思います。今から30年以上も前に高校で世界史の授業を受けていた時、その面白さが当時の私には理解できず、当時の歴史の先生には申し訳ないです。
この本はニュースで聞いている事件の解説から始めて、そこから時代を遡る形で書かれています。今の事件は、歴史で繋がっているのだなと痛感しました。
こうして考えると、欧米(西欧)中心の世の中のように見えますが、今まで私が関心をあまり寄せてこなかった、アジアの歴史も、この本のような切り口で見ていくと面白いのだろうなと思いました。
以下は気になったポイントです。
・ベトナム戦争でアメリカ軍がベトナムに落とした爆弾の火薬量は、第二次世界大戦で全世界の国々が使用した火薬量の2.7倍に及ぶ。これと並行して8.5万キロの枯葉剤を撒いた(p25)
・2003年3月19日、イラクがアルカイーダとつながっている証拠もない、大量破壊兵器を持っている証拠もない、宣戦布告もなし、国連決議もなし、戦後戦略もないなかで、イラク戦争(第二次湾岸戦争)がはじまった(p41)
・1979年に、イランではイラン革命、アフガニスタンでは、ソ連軍の侵攻が始まったことで歴史が新しい段階に入った。ここで諸問題の原型がつくられる(p51)
・イラクでは、少数派(30%)のスンニ派が、多数派を支配しているので、恐怖政治、独裁体制に頼らざるを得なかった(p62)
・イラクは、スンニ派アラブ諸国を代表をしてシーア派イラン人政権と戦った、という自負があったので、その戦費を賄うためにOPECが協力してくれると思っていたが、サウジ・UAE・クウェートは断ったので怒った。オスマン帝国時代にはイラクの一部(バスラ州)であったのを、1913年にイギリスが中東支配の橋頭保とするためにイラクから切り離した(p74、77)
・湾岸戦争はイラクの完敗で、524億ドルという莫大な賠償請求が科せられた、これがイラクを苦しめ、911テロ、イラク戦争へとつながった(p82)
・アメリカはベトナム戦争で国際的威信を低下させたが、ソ連はアフガニスタン侵攻により、滅亡の遠因となった(p89)
・第2次中東戦争(スエズ戦争)では、戦術的には連戦連勝であったにもかかわらず、世界の孤児と化して、撤退を余儀なくされた、エジプトの戦略的勝利となった。(p119)
・アメリカのトルーマン大統領は、1947年「トルーマン宣言」を発して、共産革命寸前だった、ギリシアとトルコに経済援助・軍事援助を行って封殺、49年にはNATOを結成した、ソ連への欧州への膨張は、西はNATO、南はトルーマン宣言で封じ込まれた(p131)
・日露戦争は、鴨緑江の戦い(雨雲は出てほしいが雨は降ってほしくない)、日本海海戦(霧は濃霧でなく薄霧がいい)、奉天会戦(史上最大の大砂塵)、黄海海戦(絶妙のタイミングで敵艦がエンジントラブル、敵旗艦司令部へ2連発命中)等、天が日本軍に味方した(p144)
・日露戦争に続き、第二次世界大戦でも、白人列強の軍隊が日本軍に駆逐されていく中から、戦後のアジアアフリカ圏の独立運動が広がっていった(p146)
・革命が起きたときに成功するか、政府が勝つかの重要な分水嶺は、軍がどちら側を支持するか(p161)
・1861年同時、ドイツが統一するにあたって障害となる国は、東:ロマノフ朝ロシア帝国、北:グリュックスブルク朝デンマーク王国、南:ハプスブルク朝オーストリア帝国、西:ボナパルト朝フランス帝国であった、統一前に最後に戦ったのはフランス、負けたフランスはこの屈辱を忘れていなかった(p177、184)
・原始より人間の産業は基本的に「手作り」という点においてほとんど進歩していなかったが、1770年代半ばから産業界に革命が起きた(p187)
・産業革命は、石炭(一次)から、ガソリン・ガス・電気(二次)となり、自動車や飛行機が作れるようになった(p191)
・大量生産された産業革命商品は国内だけで消費できなくなり、さらに原料の輸入先を押さえるためにも商品の輸出先を確保するためにも、植民地が必要となった、こうして帝国主義という新しいイデオロギーが生まれた、その地域が、中国・インド・中東世界であった(p191、192)
・アメリカ先住民をインディアン(インド人)と呼び、蛮族と決めつけ、自分たちの宗教・文化・制度を押し付けつつ、駆逐・虐殺を続けた。インディアンの絶滅は、初代大統領ワシントン、7代ジャクソン、26代ルーズベルトにより支持されている(p195)
・30年戦争後に締結されたウェストファリア条約で、その内容を守るために、これを破る国が現れた場合には、国際的に制裁を加えることで秩序を保とう=国際秩序、とした。しかし、アジアにはそのような概念はない。なくても秩序を保てたので(p232)
・ウェストファリア体制(1648-)は、フランス革命(1789-99)で崩壊してナポレオン戦争に、2番目にウィーン体制が構築されるが、フランスの2月革命(1848)で崩壊、3番目のビスマルク体制(1871)も第一次世界大戦で崩壊、4番目のベルサイユ体制(1919)も第二次世界大戦で崩壊、5番目のヤルタ体制(1945)も、マルタ会談(1989)で終焉を迎えて今に至る(p234)
・産業革命がイギリスから興ったのは、当時のイギリスが奴隷貿易によって莫大な資本を手に入れていたから、そしてこの産業革命こそが、欧州を地球の辺境から、世界の覇者へと押し上げた(p256)
・戦争の第一形態:従来型(石器時代~19世紀)、第二形態:総力戦(20世紀前半)、第三形態:冷戦(後半)、第四形態:テロ(21世紀)である、テロは戦争形態の一つであり、良いとか悪いの問題でない(p266)
2017年11月19日作成 -
Posted by ブクログ
途中途中に歴史を見る上でのヒントが書いてあるのはいいと思った。
但し作者が文章に熟語や慣用句を使いすぎて、全体的に文に簡潔さがなく、また一つ一つの固有名詞や出来事がどういうものだったのかという解説があまりない。所々にある作者の見解を見ると、少し日本人の視点に寄り過ぎていて、客観さが乏しい部分もあるように感じた。
作者の「歴史はこう見る物なんだ」という思いが先走っていて、世界でこれまでどういう事件があって、どういう人がどんな影響を与えてきたのか、そういった世界の歴史を知識として得たいと思い、世界史の本を取った人には、不満が残るような気がした。
歴史の知識ではなく、歴史から教訓を得たいと考えている人には、向いているかもしれない。 -
Posted by ブクログ
歴史に学ぶことは大事なことだと常々感じています。私達がいまいるのは、多くの偉人達が下した決断の結果にあると思います。
この本では人生を切り開く成功法則として、日本のみならず世界に目を向けて、15のテーマ・23人の偉人達がどのような意思決定をしてきたかを紹介しています。重要な局面では、どこの国でも同様な決断がされてい様で、この本で書かれていることは、ビジネスの世界でも大いに活用できると感じました。
本の帯に書いてあるように、この本をただ読むだけで終わりにするのではなく、どのようにすれば「偉人の叡智を武器とできるのか」を考えながら過ごしていきたいと感じました。
以下は気になったポイントです。
・人生というものは不思議なくらい、悪いことの後に良いことがある。しかし多くの場合、人は失意の中にあっては自分の不幸を呪うことに心が奪われてしまって、幸運が舞い込んでいることに気が付かない(p31)
・ひとつの夢や目標に向かって努力するのは当たり前、問題はその夢が破れたとき、失意に打ちひしがれることなく、すぐに気を取り直せるか、次に向かって努力を続けられるか、ここが人生の岐路となる(p35)
・ナポレオンの栄華から没落を見ると、成功というものは周りの人の協力なくしてありえない、ということを教えてくれる(p37)
・努力が無駄になることはない、努力することを止めた瞬間にそれまでの努力が無駄になるだけ(p42)
・気の滅入るような期間の過ごし方(人生のゲームの休憩時間)こそが次に飛躍できるかを決定する(p44)
・成功の対義語は、「行動を起こさぬこと」行動を起こさなければ、成功できないどころか、失敗すらできない(p99)
・どんな優れた人物であっても、どこかしら劣った部分はある。それを素直に認め、優れた人物に頭を下げて教えを請うことができるかどうかが、人間の「器」「度量」の分かれ目となる(p106)
・実現が極めて難しい夢を叶えた人たちを調べてみると、彼らは必ず他人とは違った努力をし、他人とは違った価値観を持ち、他人とは違った行動をとっている(p117)
・ハンニバルは、歩兵9万・騎兵1.2万・軍象37頭を、2万・6000・3頭に減らした。通常、軍とは兵の3割を失えば「全滅」(軍として機能しなくなる)、5割で「潰滅」と表現される。それでも行軍できたのは、ハンニバルが兵に信頼されて慕われていた証拠(p119)
・うまくいかない人は、物事を深く掘り下げて考える、習慣がないことが挙げられる。そのため、すべてにおいて物事の定義が曖昧となり、努力が分散され、成功を遠ざけることになる(p134)
・戦略:最終目的を達成するための大まかな計画方針、作戦:戦略を成功に導くための個別的・具体的計画、戦術:作戦を成功に導くための現場での手段・方術をいう。これを現代の会社に喩えると、戦略:幹部会議で経営方針が決定、作戦:その方針に基づいてプロジェクトの立ち上げ、戦術:プロジェクト達成にむけて現場が臨機応変に対応、となる(p237)
・1863年、デンマークが、シュレスウィヒ・ホルシュタイン両州の併合宣言を行った、ビスマルクはこれを奪取することに成功したが、この両州をめぐって、プロシア・オーストリアの主張は紛糾し、ついに全面衝突となった。当時のプロシアとオーストリアでは、国力に大きな差(オーストリアが大国)があった。(p148)
・首相ビスマルクは常に「戦略」を見ながら指示を出し、陸相ローンが「作戦」を下し、参謀総長モルトケが「戦術」で最善の成果を出した、この3人が一丸となり、それぞれが己が領分で才能を如何なく発揮することで、ドイツ統一が成し遂げられた(p156)
・上杉謙信は、15歳で初陣を果たしてから49歳で亡くなるまで、その生涯戦績は71戦中、61勝2敗8分という凄い勝率。この数字は戦国大名の中でナンバーワン、信長は、49勝15敗4分である(p159、163)
・上杉謙信に欠けていたものは、才でもなく、運でもなく、彼の才を正しい方向へ導いてくれる優れた軍師の存在であった。偉大な業績を挙げるものの側には、必ず、その才を導く助言者がいる(p160)
・見る眼のない人にはそれが危機に映るが、優れた洞察力を持っている人はそこに隠された好機を見逃さない。それは、一見不利に見える側の心理状態にかかっている、まだ勝負を諦めていないか、依然として勝機を探っているか(p170、172)
・ローマが生まれたばかり、北アフリカにカルタゴがあったころ、燦然と輝いていたのが、アケメネス朝ペルシア帝国、その支配地域は、オリエント世界(西アジア)を中心として、東は中央アジアからインダス川、西はアナトリア半島からエジプトまでの広大な「世界帝国」であった(p175)
・本物の悪党というのは、顔や表情は見るからに温厚そうである、物腰はやわらかで、その口は思いやりのある言葉しか発せず、その手で慈善事業を行い、誰からも「いい人」と評価を受けている人である(p177)
・満州など捨ててしまえ、という声に対して「それでは10万の英霊に申し訳が立たぬ」という一言で圧殺され、ついには「300万もの英霊」を出すことになった(p216)
・無能な怠け者には使い道がある、だが「無能」と「働き者」の組み合わせだけはダメ。使い物にならないどころか、生かしておけば害しか及ぼさないから殺すより他ない、というのはドイツのゼークト将軍の言葉(p223)
・ペタン将軍の取った兵法は、どんなに時代が移り変わり兵器が近代化し、戦術が変わったように見えても基本精神は通用する。1)わざと敵に弱点をさらけだし、そこを攻撃させる、2)あまり抵抗せず、わざと兵を退かせる、3)敵軍がさらに押してきても敵軍の包囲体制づくりに尽力する、4)敵軍が気づいたときには包囲が完成し、潰滅する(p225)
・人間は歳を取ればとるほど、新しいものを受け容れる能力が衰え、過去の古いやり方がそのまま未来に通用すると思い込む、それが老害である(p227)
・戦力集中とは、その代償として強化一点以外のすべての部分は弱体化する、一点で勝利を収めたとしても他の各部分で全敗し、全体では負けてしまうのではという思いが残る。しかし、実際にはその心配はほとんど杞憂、不思議な事に戦力を集中すると、その強化された一点だけでなく、全体としても勝利することができる(p235)
・豊臣秀吉は知恵者として名高く、墨俣一夜城、金ヶ崎撤退戦・中国大返し、等の逸話を残しているが、意外にもそうした面白みのある戦いは、ほとんどなく、持てる兵力を出し惜しみせず大軍で押し寄せて、敵を圧倒して破っている。5万の島津に対して、20万での九州征伐、8万の北条に対して、20万での小田原征伐(p237)
・大帝国は今まで多くあるが(歴代の中華帝国、ローマ帝国、ナポレオン帝国、アケメネス、アレクサンドロス、ウマイヤ朝等)、アジア・ヨーロッパ・アフリカ大陸の要衝を抑え、13世紀末から20世紀初頭まで600年以上にわたって君臨したのが、オスマン帝国である、日本では、鎌倉幕府・室町、戦国時代、安土桃山、江戸幕府、明治時代、大正時代に相当する(p259)
・常に状況を見ながら、臨機応変にやり方を変えることを考えることができる者だけが、栄光を掴むことができる(p289)
・勝利の秘訣とは、毎回毎回「次」のことは考えず、「今」に全力を出し切ること(p276)
・城を護る人の心がバラバラでは、どんなに堅牢な城であろうとも、何の用もなさない(p289)
・歴史の流れに逆らうものが必ず滅ばされるように、人生の流れに逆らうものには、たちまち不幸や災いが襲いかかり、その身を滅ぼすことになる(p291)
・ヘラクレイオス1世以前は、東ローマ帝国は「帝国」としてローマの理想を追求していたが、彼以降は「地方政権」に落ちぶれ、ローマの理想の追求も非現実化した。そこで、彼以降を「ビザンツ帝国」として区別する(p299)
・兵法は、敵を殲滅するよりも、自軍の消耗を最小限に抑えることであるが、欧州人はこれが理解できず、敵のせん滅を繰り返した結果、二度にわたる総力戦(世界大戦)で、自滅していった(p305)
・大坂夏の陣で豊臣陣営が総崩れして落城したのは、「冬の陣で濠を埋めておいたから」というより、「欠囲の陣:城の北側をがら空きにしておく(欠囲)こと」による効果が大きかった(p318)
・仕事を強制するのではなく、意義を与え競わせる、人の上に立つ者の心得をすでに理解していた秀吉は、その手柄を丹羽長秀に譲ることも忘れなかった、何よりも怖いのは嫉妬だと理解していた(p321)
・スズメを撲滅した中国では、その結果、天を真っ黒に染めるほどのイナゴの大軍が発生し、全国で数千万規模の餓死者を出す大飢饉を招いた(p336)
・自分の懐に入れていておいてもどうせ消えゆくのであれば、消えてしまう前にどんどん人に感謝を込めて与えてしまう、そうすることで必ず自分の下に何倍にもなって戻ってくる(p385)
・日清戦争の勝敗の行方は、物資・兵員を満載した輸送船を海上で叩くこと、日本艦隊は清の輸送艦隊を索敵でき、撃破できた(豊島沖海戦)、そして黄海海戦では唯一優っていた「速力」を活かして勝つことができた、護衛艦「比叡」は、巨大戦艦「定遠」「鎮遠」のど真ん中に突っ込んでいった、大きな変化を起こすには、誰もが予想だにしない、意外性のある行動であればあるほど良い、比叡の行動はそれにあたる(p397、399、400)
・関が原の戦いにおいて事実上の総大将であった、石田三成には人望が無く、側面の小早川・背後の毛利、長曾我部、そして正面の島津も日和見であった。皮肉なことに、動かなかった、長州・薩摩・土佐が300年の時を経て維新勢力として立ち上がった(p409)
・知識の蓄積(インプット)は、あくまでもスタート地点に立ったに過ぎない、それをいかに実践(アウトプット)して、試行錯誤の中から、言葉で得た知識の真の意味を体感し、血肉とするか、そこにかかっている(p413)
・15の成功法則で最も難しいのは、学びて思わざれば即ち罔(くら)し、である。だからこそ、これを実践できる者は確実に「大いなる成功」を遂げ、名を残すことができるのであろう(p428)
2017年9月10日作成 -
Posted by ブクログ
正しい歴史の学び方は年号や出来事だけではなく、そのウラにある、人の考えや行動。
世界史を成功するための哲学書として読んでみる。
目次
第1章 逆境は飛躍の糧
不遇時代をどう過ごすか。それが未来の飛躍を決める。
第2章 天は自ら助く者を助く
絶望にあっても諦めない。その者にのみ幸運の女神は微笑む。
第3章 百戦百勝は善の善なる者に非ず
勝てば勝つほど敗北へと近づく。強い者ほど弱く、弱い者ほど強い。
第4章 戦術と戦略を見極めよ
目先の勝利に囚われて大略を見失ってはならない。
第5章 最大の危機こそ好機
ピンチとチャンスは同じ形をしているもの。
第6章 方針貫徹か、転換か
状況が変われば方針も変わる。ひとつの方針に執着してはならない
第7章 常勝の秘訣は戦力集中
水滴とて一点に集中させれば石をも穿つ。
第8章 小出し遅出しは兵法の愚
押すときは一気に、退くときも一気に。しかもタイミングを逃さない。
第9章 小さな躓きは神の助言
行動を起こそうと思った矢先の小さな躓き。それは神の助言である。
第10章 囲む師は必ず闕く
窮鼠は猫を噛むもの。あえて敵に逃げ道を与えることが楽に勝つコツ。
第11章 押さば引け、引かば押せ
敵が強大であるとき、正面から戦うのは愚。堪え忍ぶことが肝要。
第12章 能ある鷹は爪隠せ
優れた才能は「諸刃の剣」である。ときに我が身を亡ぼす。
第13章 才ある者に任せよ
人の上に立つ者は優秀である必要はない。使いこなせればよい。
第14章 死中に活あり
追い詰められたときに弱気は禁物。あえて敵陣に突っ込む。
第15章 学びて思わざれば即ち罔し
知識を得たことで満足する者は多い。しかし、実践の裏打ちなき知識など無意味である。