壺井栄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
名作だけどどんな内容だったけ?シリーズ
子供の頃から良く目にしたタイトル、
映画化もされてかなり有名な小説。
どんな内容の物語?と聞かれると
戦争と先生と生徒の話くらいしか覚えていない。というより読んだことがない。
ということで読んでみた。
本書は戦争の描写が直接描かれているわけではないので戦争小説という感じは余りしない。
教え子達の無邪気さや変わらない童心と先生の深い愛情、著者の優しい文体が読み手の心をあたたかくしてくれる。
物語前半は岬の分教場での無邪気で幼い12人の生徒達とのほのぼのとした交流、生徒達を優しい目で見守る大石先生に心あたたまります。
赴任して直ぐに生徒の瞳が個性豊かにきらきら輝いているのを見て、「この瞳をどうして濁してよいものか」と決意とも思える生徒への深い愛情が伝わってくる。
こんなに純粋で無邪気な子供達が戦争に巻き込まれていくかと思うと胸が痛みます。
次第に戦争という闇がじわじわと先生と生徒の身も心も飲み込んでいき、厳しい言論統制、軍国主義、やがて生徒達も戦場へ。
「名誉の死などしなさんな。生きて戻ってくるのよ。」この先生の言葉が印象的。
当時このような言動は「赤」非国民、革命思想の持ち主として刑務所へつながれる。
大石先生も自由に発言出来ない学校、正しい教育が出来ない教師生活に窮屈さを感じるようになり…。
戦場へ教え子を送り出さなければならない先生の気持ちを考えると絶望しかない。
自分の力ではどうにもならない大きな力に抗えず、大きな声も上げられない、自分の無力さをどんなに嘆いたか。
志願兵、名誉の戦死、靖国の母となることが英雄とされていた当時の信じさせようと方向付けられた教育に戦争の不条理さを感じる。
ラストで教え子達との再会のシーンは胸にグッときました。
時代は変わっても子供の頃のままの変わらぬ師弟愛、失明した磯吉が写真を指差す描写は涙腺が緩みます。
失明した磯吉は戦時下の三匹のサルへの比喩にも感じた。
いろいろなことを見えない振りをして目をつぶり、耳を抑えて、貝のように口をふさぐ。
人の幸せより名誉の戦死が重んじられる間違った教育。当たり前が当たり前でない日常。
タラレバだけど戦争がなければと何度も考えてしまう。
大きな時代の流れのなかで懸命に生きた先生と12人の生徒達。
不朽の名作と謂われるにふさわしい傑作。
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Posted by ブクログ
戦争による空襲の被害が克明に描かれているわけでもなく、戦時下の圧迫された学校生活や日常の様子を丁寧に描写しているわけでもありませんが、1人の若い女性教員の一生を通して、戦争の悲惨さや命の尊さをひしひしと感じさせてくれる作品です。
もちろん、田舎の寒村ですから戦争だけでない根本的な貧困や、家父長制のような古い社会の慣習から苦労せざるを得なかった、という事情もあるでしょう。
けれども、戦争がなければ起こらなかった悲しみもあるでしょうし、「戦死」を名誉なこととして求める子どもたちに無邪気な姿に心を痛める主人公の姿には強く共感します。
決して、殺したり殺されたりするために、愛して育ててきたわけではない、というのは親としても教員としても譲れない心情ではないでしょうか。
ちょっと思想が強い言葉ではありますが「教え子を再び戦場に送らない」という誓いは破ってはならないものだと感じます。 -
Posted by ブクログ
先日小豆島に観光しに行ってそこで24の瞳映画村に行った際この本を手に取った。実際にその土地に行ってきたからか作品の描写がイメージしやすかった。本作は小豆島が舞台で第二次世界大戦前から始まり戦後すぐまでが描かれている。小豆島の中でも岬の寒村に派遣された大石先生とその時の12人の一年生が戦争という状況の中でどういうふうに成長していくか書かれており戦争の悲惨さを改めて感じた。洋服に自転車通勤という当時ではハイカラな姿だった大石先生は閉鎖的な岬では最初避けられていたが彼女の明るい性格により子供たちは懐き、そこから13人の付き合いが始まる。大石先生がアキレス腱を切りしばらく学校にこなかった先には12人の一年生が片道8キロを歩き見舞いに行き先生の住んでいる一本杉のところで集合写真を撮る所が印書的。戦争が進み、徴兵が行われ男子は全員戦死してしまう。
12人の純粋な子供の瞳を通して戦争下での生活が描かれており読み応えあった。
最後生き残った生徒たちと先生が集まり歓迎会をしているのが今後復興していく日本のように明るく描かれていてよかった。 -
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小学校の先生になってみたくなった
小学生の頃に読んだきりの本
20年前の私はどう感じたんやろう
大人になるまで沢山の選択肢の中で
選べる自由が私にはあって
お金にもご飯にも衣服にも困らず生きてきた
今も何にも困らず生きてるけど
今の私の幸福度は…。
十二人のこの時代の離島の子供たち
生まれたときから
それぞれにそれぞれの少ない選択肢の中で
疑いもせず
疑ったところで抗えず
純粋すぎて優しすぎて
捨てれば良いものも捨てられず
そんな選択肢すら誰も教えてくれず
ささやかなささやかな幸せと
恵まれていないことも恨まず生きていく
死んだ方がましとまでは言わなくても
死んでもそれほど惜しくない世界
私も今死んでもそれほど惜しくなくて
でもそれならこの十二人の子供たちのように
先生のように生きてみたかった
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Posted by ブクログ
戦前期の日本の生活がわかる小説。この物語を読むと、庶民の生活水準が現在と比べて低かったと想像できる。それは物資の欠如はもちろんのこと、家庭環境の影響が、現代と比べて大きく、そのせいで自分の夢を諦めて、若いうちに家庭、さらに国家に貢献するように働くのである。そのため現代人がこの本を読むと、自分たちが昔の人たちよりも、いかに裕福でかつ自由気ままに生活を送っていられるのかと感じるのではないだろうか。
しかしその一方で、たとえ全体の生活が貧しかったとしても、近隣に住んでいる人々の交流から、お互いを心配したり助け合ったりと、いわゆる共助、協働の精神がこの物語から読み取れる。このように本作は、昔と現在の日本の生活に注目し、一体何を得て何を失ってしまったのかを考える題材として適切だと思われる。 -
Posted by ブクログ
この小説を読む随分昔の幼い頃から何度も小豆島の祖父に連れられて、ロケで使われていた岬の分校へ遊びに行っていました。
当時はまだ今の新しい方ではなく古い方だけでした。
程なく小学生になった私に誰が手渡したのかは覚えていませんが、二十四の瞳の分厚い本と出会うことになります。
幼い頃の私は読んでも読んでも「戦争反対」以外の意図を読み取ることは出来ず、ただ聞きなれた方言のセリフに親近感を覚えていたのははっきり覚えています。
そこから30年以上経った先日、ふと思い出して読んでみようと思いました。
私は大石先生が泣きみそ先生と呼ばれる歳になっていたことも忘れて。
やはり年月が経ってから読むと違いますね。
戦争はよくないという主張だけではない、ヒューマンドラマが色濃い作品だと思いました。
重くない作風は壺井栄先生の軽やかな言い回しだからでしょう。
それとも30年以上経った今でも、生徒や岬の大人たちが話すセリフのイントネーションが正しく言える故郷の言葉のせいでしょうか…
小豆島に帰りたくなりました。 -
Posted by ブクログ
終戦から7年ほど経過した1952年、女流作家・壺井栄によって書かれました。
「瀬戸内海べりの一寒村」を舞台に、島の岬の分教場に赴任してきた女性教師と、同年に小学校に入学してきたお少年少女たちのふれあいが描かれた作品となります。
終戦から年月が経ったとは言え、まだ敗戦の空気は色濃く、文壇でも第一次、第二次戦後派の文学者たちが登場し、あの戦争の意味について振り返る風潮があった中、本作は発表されました。
個人的には二十四の瞳は、同時期に書かれた文学作品と同列に語るには異質な感じを受けます。
本作は現代も、文学というよりも一娯楽小説として読まれている気がしていて、他の文学小説に比較すると手に取る人の層が異なっている気がするためです。
戦争を挟んだ時間の流れにより引き裂かれ、また、長い年月の末、戻ってきたことによる女教師の感情の坩堝の描写が美しく、"感動の作品"だと思いますが、本作の主題は太平洋戦争への疑問や戦争の生んだ悲劇であり、本作を文学作品として読む場合、そこに目を向ける必要があると思います。
1928年、女学校を卒業した「大石久子」は、島の岬の分教場に赴任します。
子どもや島の人々との穏やかな日々が描かれますが、ある日、大石先生は子供の作った落とし穴にはまり、足に大怪我を負い通勤ができなくなってしまいます。
その後、完治したのですが、大石は、そのまま元々約束していた本校への転勤が決まり、子どもたちと再会することを約束して分教場を去ります。
数年後、5年生になり、分教場から本校へ通うことになった子どもたちと再会、再び、少し大きくなった子どもたちとの日々が始まりますが、戦争の色濃くなっていく世相の中、子どもたちや島の人々、大石の生活にも影を落とし始める展開です。
壺井栄の夫、壺井繁治氏はプロレタリアの詩人として著名です。
壺井栄自身も、プロレタリア文学運動を行っており、その活動によりプロレタリア文学家たちと交流がありました。
その縁で交流の会った佐多稲子より、作風から未来を担う子供のための文学(児童文学)を書くことを勧められ、文壇デビューした経緯があります。
本作の中でも、そんな彼女の思想が現れる部分が多くあります。
例えば、彼女の教職中、近くの小学校の教師が、受け持ちの子供に反戦教育を吹き込んだということで警察にひっぱられる事件が発生します。
その後、大石は、生徒たちに"あか"や"プロレタリア"、"資本家"という言葉を知っているか質問をするのですが、その授業が元で校長から注意を受け、『消しがたいかげりをだんだんこくして』いきます。
また、戦争が激化する中で、受け持ちの生徒の中でも兵隊を志望する子供が出てきます。
国家総動員で対処すべき渦中においても、大石はそれに疑問を持ち、兵隊を志望する子供を複雑な目で見ます。
やがて敗戦し、戦時中に生まれた息子の船で分教場に戻ってきた大石は、目の前の新しい子供たちを見て涙します。
その彼女の頭の中には、まずあの戦争があって、そして目の前に広がっている未来そのものがある、この感情は、戦争を経験しない私には計り知れないものがあるのだろうと思います。
戦争をテーマにした名著だと思います。
若干偏った思想を感じる部分もあるのですが、イデオロギーは抜きにしても楽しめる作品です。
単純に"戦争は悲惨だ"、"戦争反対"と唱えるのではなく、戦争体験をした作者の著作からはもっと深い想いを感じることができると思います。