新渡戸稲造のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
■全体として何に関する本か
本書は新渡戸稲造氏が、1908年から1912年までの間、雑誌「実業之日本」の中で、働く青年向けに連載していたものを纏めて本にしたものである。本書が現代語訳され再度出版されることになったのは、東日本大震災という危機を多くの若者達に乗り越えて欲しいという願いによるものである。熱心な教育者として知られ、当時の国際連盟の事務局長まで務めた新渡戸稲造氏が、どういう考えの持ち主だったのかを知るのに適した一冊である。
■何がどのように詳しく述べられているか
本書は「人が逆境に立たされたとき、どのようにして乗り越えてゆくべきか」について書かれており、大きく分けて「①キリスト教の考え」と「②逆境の善用」の2つの方法がある。
①キリスト教の考え
氏は熱心なキリスト教徒であったため、本書にはキリスト教の話が多く登場する。「天は人間をひどい目に合わせるものではない」という考えに基づいて、今の状況を逆境と感じていたとしても、それが永遠に続くものではないので、順境が来るのを信じて耐えるべきであるという考えである。
②逆境の善用
逆境は避けるだけではなく、むしろこれを善用することを氏は勧めている。逆境を精神の修養に役立てるのである。身をつねってこそ人の痛さを知れというように、逆境に陥りそれがどういうものか知った者でなければ、本当の人情を知ることはできない。氏によれば「武士はもののあわれを知るといい、これを知らない者は本当の武士ではない」という。
■その本は全体として真実か、どんな意義があるのか
本書の考え方は現代を生きる若者にとっても、非常に参考となる素晴らしい考え方であり、今から100年も前に書かれたことには驚く。しかし、私自身は本書の考え方はある程度身についていると感じている。
実は私は、昨年の8月に少々無理をしたため、体調を崩してしまったことがある。仕事は何とかやり抜いたが、しばらく他のことは何もできず、気力さえ失っており、正に逆境そのものであったが、幸いにも乗り越えることができた。私が乗り越えることができたのは、ただ、この逆境が続くはずが無いという希望を持つことができたからである。
私自身、この逆境から本当に多くの事を学んだ。それまでほとんど病気というものをしたことがなかったため、病人や弱者の苦しみがあまり理解できなかったが、この出来事を切欠に大きく変わった。以来、自分の仲間や大切な人には、無理だけはしてほしくないと思うようになり、自分に関しても健康管理を大切な仕事と位置づけて日々を過ごすようになった。また、人生が有限だという事を病気によって強く自覚することができ、以前より人生に燃えられるようになったと感じている。あの出来事は私にとってはとんでもなく厄介な逆境であったが、今となれば得たものの方が多かったと考えている。本書を読みながら、ちょうど1年前の私に起きた逆境を思い起こしていた。
本書の考え方には大いに賛成できるのだが、今まさに逆境にいる者にとって、氏の言葉が伝わるのかは疑問である。仮に昨年の私が本書を手にしたとしても、氏の崇高な考えを受け入れることはできなかったであろう。本当の逆境にいる者に「ポジティブに考えたらいい」や「逆境を活かせばいい」と言ったところで、とても受け入れられるものではない。心に傷を負えば癒す時間が必要であるし、最終的には、本人の気力で乗り越えるしかないというのが私の考えである。もちろん、周囲の人達のフォローや愛情などは、本人が気力を取り戻すためには役立つが、これらは本などの媒体で補えるものではないと考える。本書は、今、逆境にいる者には、考えが崇高すぎて受け入れられないかもしれない。
■一番面白かったのはどこか、なぜ自分は面白かったのか
本書で、徳川家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」が引用されている。氏の解釈によると、「重荷を負うことは大きな苦しみである。それも一時だけ背負うなら大概の人にはできるだろうが、重荷を背負ったまま遠くまで行くことはとても苦しいことだ」としている。
多くの若者が夢ややりたいことに燃える瞬間があるであろう。誰でも、そのための重荷を一時だけは全力で背負うことができる。しかし、その重荷を背負ったまま遠くまで歩み続けることができるのは、ほんの一握りの人達だけなのであろう。その一握りの人達が逆境を越えて、自分の終着点までたどり着くことができるのだ。私自身も逆境を一時は乗り越えることができたが、今後も数多くの逆境に出くわすことは避けられないであろう。逆境を過度に恐れる必要は無い。どんな逆境に陥ったとしても、決して重荷を放棄することなく、歩み続けていきたいと強く思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ新渡戸稲造の「修養」と「自警」を編集した本。今まさに自分は逆境にいると思っているので、心にくるものがあった。昔のひとだけれど、言っていることは今でも新しく聞こえる。徳という言葉を聞いたのは高校の古文依頼だけど、大人になった今こそ思い出すべき言葉だと感じた。
以下心にきたフレーズ
青年が学校にいる期間は最も大切な時で、習い性はこの時代の修練によると言ってもいい。
最も必要なことは、常に志を忘れないよう 心にかけて記憶することである。
一人の利益は万人の利益、
一人の苦しみは万人の苦しみ、
一人の喜びは万人の喜びと考えれば、
世界は美しい調和に達する。
普通の人間が不満とすることも、着眼点を変えれば、愉快の種とすることができる。
いわゆる逆境があるから、我々は他人に対し思いやりの心を持つことができる。もし毎日浮かれ騒いでおもしろおかしく人生を過ごすならば、どうして人に対する思いやりの心を持つことができよう。思いやりの心を持たない者がどうして人情の本当の味を知ることができるだろう。
逆境逆境と言って、逆境ながらにその境遇を利用しようとしない者が多い
罪を他人のせいにするのは知恵が少ないからである
自分で逆境をつくりながら、他人に逆境に陥れられたかのように社会を怨む人が多いのは、とても残念なことである。
窮地に陥り勢いのなくなった人は常に初心に帰るべし
他人を羨むということは心の狭さから起こるものであるから、そうならないためには心を広く持ち、他人に及ぼす善は自分にも善であると思うように努めることだ
自分の知っていることを他人に教え、自分の知らないことを他人から教わる。知識は他人に教えても減るものではなく、その交換は物品の交換と同じにお互いの利益になるものである
同僚が出世し自分が後れても、あるいは意見が異なり敵のように気にくわない相手であっても、その人間が日本の国の力となり、国の評判を高める者なら、喜んでその者に協力する気にもなるし、羨みの気持ちなど起きないであろう
金持ちが財産を失って点を怨むのは、金を重く見すぎた過ちである。名誉も同様で、世間からもてはやされた人が、なにかの理由で評判が落ちても、それが禍いと言えるだろうか
一事に上達すればそれが他事にも通ずるのである。
どんなに技量がある者でも、最初に立てた志を継続して行わなけれ
ば、そのことは決して成功しない
嫌味や皮肉に対して取るべき手段は、僕は自分の意思を身体で表現するしかないと思う。すなわち殴るとよい。
殴るというと野蛮に聞こえるが、これは相手を苦しめようとするのではなく、自分の決心を固めるのに最も有力だからである。
徳は失うおそれも妬まれるおそれもない。むしろ妬む人を教化する力がある
徳の貯蓄はそれを行おうという意思さえあれば誰にでもどこででもできる。職業の貴賎、筋力の有無、社会的地位の上下、身体の強弱に関係なくできるのだ。