山川健一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「ブログ文章教室」となっているが、もっと幅広く「文章」というものの本質について深い考察をしている。著者は作家なので文学について見識が深いのは納得なのだが、そこにITやウェブの分野での経験も加わることによって独特の文章読本となっている。というよりも、インターネット上での書き込みが一般化して現在では、むしろこうした視点での「書き方講座」のほうが普通なのかもしれない。
鉛筆で書こうがキーボードで打ち込もうが文章の本質は変わらない。ただ「書く」という行為を一つの「運動」としてみた場合、やはり筆記具をクルクル回しながら考えるのとパソコン画面を見ながらのそれでは頭の動き方も異なる。そうなれば文面に現れてくる思想の色合いもズレてくることは容易に想像できるだろう。しかし著者はそれでも文章、というよりもっと広く「自己表現」というものの原点を論じる。このへんが「初心者のブログ教室」的な類似本にはない特徴。自分の思想をどう表現するか。ここまで踏み込んだ文章教室は著名な文豪が書くものでも稀ではないだろうか。
「オレは機械が苦手だから」とか「変色した古本なんて読みにくいから」という理由によって、貴重な情報を逃していることはないだろうか。自分に必要な情報はどこに潜んでいるかわからない。デジタルだろうとアナログだろうと、それは表現の一手段にすぎないのである。それは文章も絵画も音楽も映画も彫刻も表現の一手段であることと同様なのだ。あらゆるものに分化した現状で物事の本質に迫るには、こうした手段の垣根を取り払うことが必須ではないかと思う。
キモは「表現」というもの一般についての考察だが、ブログの発展史やブログ本の出版を手がけた著者の経験の記述も興味深い。 -
Posted by ブクログ
大好きな山川健一氏のノベライズ本。やっぱり、この人の文体というかタッチは肌に合うようで、しっとりじっくり楽しく読めました。
さっそく動画を見てみたところ、小説の第2章「出会い」は存在しなかったので、これは山川氏により追加された部分です。(確かに、”水平対向エンジン”の黄色いビートルや”単気筒の”オートバイ、ロックミュージック(ビートルズやロッド・スチュワート)、さらにはSE/30など、氏の好きなものがわんさか出たので間違いなし!)
2016年に公開されたこの映画は、「池中玄太80キロ」を作った石橋冠監督によるもので、佑馬役に竹野内豊、瞳役に新人の高橋ひかるを起用、その他、豪華俳優陣より、富山県射水市新湊地区を舞台にして撮影、と。 -
Posted by ブクログ
カフェテラスの待ち合わせ。叩きつけるように降る雨の中のクルマ。コーラ・ブラウンのストッキング。ストリートの上のキス。
女の子達は、DJの「ぼく」がかけるレコードに合わせて踊っている。THE POLICE/MESSAGE IN A BOTTLEのリクエスト・カードに添えられた、別れのメッセージ。
友人の山口が書こうとしている『カンサー』というタイトルの小説。二人の共通のヒロイン、宏子のアート。不思議に優しい、三角関係。真夏のビーチに建てられたピンクのハウスが、三人のベースだった。
スーパートランプ、ポリス、オーティス・レディング、スプリングスティーン。ビートの中を駆け抜ける、アスファルトの上の青春を描く、長編小説。
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学園闘争を背景にした作品で、ラストシーンで逃げるために走り出し、走ることが大切なんだということを再認識するストーリーが山川健一にあったことを思いだした。それが読みたくて探したがとりあえずなかったのでこの作品を選んだ。タイトルから以前読んだことがあるような気がしたが、あらためて読むと新鮮な感動があった。大学の頃、バンドを組み、真夜中のドライブをしていた頃を思い出す。松村雄策の「苺畑の午前五時」にも通じる感覚だ。
「青い空との別れ」・・・自由奔放に生きる智子への僕の気持ちの揺れが瑞々しく感じられた。ラスト近くの「もし、彼女がずっととどまってくれたなら、とぼくは夢想した。お互いのことなどお構いなしで、だから失敗してもどちらを責めることもなく、この退屈と鈍い苦痛の中を千鳥足で歩いて行くことができたならば。」という思いが相手を所有することのない男女の関係を示しているような気がした。
「壜の中のメッセージ」・・・DJの「ぼく」にポリスの「ソー・ロンリー」をリクエストする自殺願望の少女。これは以前読んだことがあるのを思い出した。伸子が死んでしまった病院の窓に朝焼けが映るラストが印象的。昔はDJっていえばこんな感じだったんだよな。
「八月のトライアングル」・・・隣の部屋の彼女に聴かせるために、ステレオの「ボリュームを少し上げ、バスを下げトレブルを効かして、」という描写はこの小説だったんだ。こちらもまた自由に生きる宏子(不二子ちゃんを思わせる)と山口とぼくとの、南の島でのオープンな三角関係は時代の雰囲気を感じさせる。宏子に裏切られた後でも彼女のことを恨みきれない男二人がいい。二人の友人と自分自身のために乾杯するラストもいい。
この手のストーリーは青春もの(?)としてはよくあるものだろう。だからそうしたストーリーでも感動するということは、なにかストーリー以外に自分に響くものがあるということだ。この小説の場合はそれがロックなんだろうか。智子と宏子という二人のヒロインに寄るところが多いような気もするんだけど。