芳川泰久のレビュー一覧
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長い旅に出ていました。
この本を読んでいると没頭して、まるで広大無辺な暗い海を漂う小舟に乗ったようで、予測不能な感情の荒波が襲ってきては途端に凪になって。しかし、こうした経験は決して初めてだとは思えなかったのです。なぜならこの小説の限りなく不安な航海は、私がこうして過ごしている生活とさして変わらない状況であるからです。
とどのつまり、この本の魅力をお伝えするのは難しいです。芸術作品であるために、安易に解釈や物語の内容を述べ立てて未だ読んでいない方の先入観の枠に嵌めてしまうことを恐れます。
まずこの本は3章構成となっており、それぞれに異なる味があります。1章目は冗長な描写も多く、退屈に感じるかもしれません、しかし2章目は大天才フローベールの魔法によって、段落毎に加速度的に面白くなっていくのです。これは圧巻でした、170年間の時の洗礼を乗り越えてきたのにも納得します。そして3章目はどんな結末を迎えるのか、秘密です。一つだけ言えるのは、あの時私はどうすればよかったのか、どう捉えればこの苦しみから解放されるのか、そんな省察を読みながら行うのをおすすめします。 -
Posted by ブクログ
読み応え十分でした。翻訳者の方の描写力が素晴らしい。引き込まれます。またまた、すごい小説に出逢ってしまった。
ボヴァリー夫人、彼女の名はエンマ。不倫街道まっしぐらに突き進む姿に、恐れおののき、「そのへんで、やめとけば!」と声をかけたくなるも、続きを知りたくなってしまう、悪魔的な面白さにハマります。相手の男性は2人。よくもまあ、人妻に手を出したなという感じ。この男性の描き方も悔しいぐらい上手いのです。
エンマの内面の葛藤を、何も気づかない夫の存在が何とも、もどかしく、一人娘が不憫です。
結婚というものに、同一歩調で歩んでいけない夫婦の末路はいかに.......
結婚、嫁姑の関係、男女の気持ちの温度差などなど、19世紀の小説を現代の今読んでも、全く古さを感じません。
ボヴァリー夫人(エンマ)、本の中だけでなく結婚前に、もっともっと実際に恋愛していればなあ....
現実を知ることって大事!しかし、小説の世界なので、とーっても面白かったです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『ボヴァリー夫人』
「そろそろやばいかな」とかこの若妻は思いません。
元祖ゴーイングマイウェイな”ボヴァリー夫人”。
若い時の夢見がちな空想って、
いつしか現実と向き合う時間が増えるにつれ
にこやかに送り出せるものだと思うのですが、
(と言うかサヨナラせざるを得ない…?)
この妻、諦めない。
夢想で無双。
ナボコフは『ナボコフの文学講』の中で、
「俗物の中の俗物」みたいな勢いで彼女を評していましたが、今で言うと
スイーツ大好きインスタ映え命の韓流ドラマ大ファン女子って感じでしょうか。
(悪気はないです。例えね例え。)
もうね、ここまで貫かれると賞賛しちゃう。
あっぱれだよあっぱれ。
最後のほうなんてむしろちゃんとやりきってくれよって若干思ってた。
1857年の作品が、2023年に新訳で読めてるってもうやべーことだと思うのですが、
何でそこまで語り継がれているかって言うと、
当時のフランス文学をガッツリ変える革命を起こしているからなんですねぇ。
起こっている事を何もかも知っている俯瞰の第三者に語らせるという物語進行をせず(神の視点の排除)、
話者がかわるがわる交代することにより
それぞれの主観を際立たせ、感情移入を容易にしている。
つまり話者が、
誰かがこちらへ向かっているけどそれが誰かは分からないという状況なら、
我々読者も誰が来るのかわからない。
こういったミステリアスな仕掛けが、個々の文章や小説全体から受ける印象を形作っており、
まさにハラハラドキドキソワソワの追体験を読者に提供してくれています。
そして当然ストーリーとしても面白い。
これは当時のフランスで意欲作というか、
最早喧嘩腰作ですね。やるやんフロベール。
うまいなこの料理ってなって、
複雑な調理法や意外な材料を考えながら食べることもできるし、
「とりあえずうまい」とそのものの全体の味を楽しむこともできちゃう、と盛り沢山でありました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレどうしようもない女性の話。真っ当で愛情深い夫を退屈で凡庸だと軽蔑。夫は安定した稼ぎがあるのに、この人でなければ自分はもっと裕福な暮らしができたはず、と自惚れ。そんな女性の話でも一応の格調を保っている。文章の美しさもさることながら、女性の一途さ故に。ただ物語のような恋愛をひたすら求める様は、哀れだけども純粋である。
高評価にしたのは、主に話の筋から。予想はできながらも終結はやはり圧巻である。それと上記にみるような、低俗さと高貴さの絶妙なバランスから。
しかし、男性には不評かもしれないと思う。この女性は完全に恋愛脳で、メンヘラだからだ。 -
Posted by ブクログ
でたらめな父親と、気位の高い母親にふりまわされて
シャルル・ボヴァリー氏は自分では何もできない男だった
親の言うまま勉強して医者になり
親の言うまま資産ある中年女を嫁にとった
しかし患者の家で出会った若い娘と恋におち
初めて自らの意思を持ったシャルルは
熱愛のさなか妻が急死する幸運?にも恵まれ、これを成就させるのだった
この第2の妻が、物語の中心人物エンマ・ボヴァリー夫人である
シャルルは自分の意思を達成したことに満足していたが
エンマはすぐに幻滅を味わった
彼女をおそう退屈は、ただの退屈ではない
娘だった時分、小説を読み過ぎた彼女にとってそれは
自尊心を貶め、つまらない女であることを強要する暴力の日常であり
そして彼女はその凡庸さに仕える自分を被害者と信じていた
自分ではなにも決められないという部分で
実はエンマもシャルルも似たものどうしだったが
ただ曲がりなりにも巡ってきたチャンスを掴み
自己実現を果たしたシャルルの余裕に対し
エンマはわけもわからず焦れていた
美しさは人並み以上だったので、不倫の相手に恵まれるが
相手との温度差にも気づかず、真剣にのめり込んでいく始末
悲しい人だった
夫の凡庸さを軽蔑することで自意識を保ち
また自分を高めようとショッピングにのめり込み、散財を重ねれば
あとは破滅への道をまっしぐらに突き進むのみであった
エンマのそういう有様は
ひょっとするとあり得たかもしれない若き日のシャルルの
人生の可能性でもあった
その運命を分けたのは神のみわざか作者の意図か
少なくとも語り手は、観察者の立場を逸脱しないよう配慮している -
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ネタバレ初夜のあとシャルルがむしろ処女だったみたいでエンマはスンとしてたのウケる
「彼女が知らない場所で寝るのはこれで四度目だった。(中略)そして、そのどれもが自分の人生に新たな段階の幕開けをもたらしてきた。場所が違うので、同じことがまたしても起こるかもしれないなどとは思えず、これまで体験してきた部分がなにしろ辛いものだったので、たぶんこれから味わうべきものは、もっとましになるだろう。」
「男の子を持つというこの思いは、これまでできなかったさまざまなことに対するひそかな復讐のようなものだった。少なくとも、男なら自由で、どのような情熱もたどれるし、いかなる国々も駆けめぐることができ、あらゆる障害をくぐりぬけ、どんなに遠くにある幸福でも食らいつくことだってできる。ところが女はしじゅう思うようにいかない。女は活発さに欠けるだけでなく従順だし、意に反して肉体の軟弱さを持ち、法に縛られやすい。」
「自分の魂を奪ってくれるなら、生活をまるごと消し飛ばしてくれるなら。どんな深い信仰にも身をささげてみようという気になっていた。」
「エンマもほかのどの情婦とも似たり寄ったりで、そして、目新しさの魅力は少しずつ剥げ落ち、衣服と同じことで、そうして目にする裸は、お定まりの恋情の単調さで、恋情はいつも同じ形をしており、同じ言葉づかいをするのだ。じっさいの経験をつんでいるこの男も、同じ表現を浴びせられると、感情の違いなど見きわめようもなかった。というのも、放埒な唇や金で買った唇にも同じ文句をささやかれていたからで、彼はエンマの言葉の純真さをろくすっぽ信じられず、凡庸な情熱を秘めている大げさな愛の言葉は割り引いて聞くべきだと思っていて、まるで心が充ち足りると、ときどきじつに空虚な比喩がこぼれでるようなもので、なにしろだれであれ自分の欲求や想念や苦悩が正確にどれほどのものか示すことなど決してできないからで、さらに人の言葉は音の狂ったひどい楽器のようなものだからで、空の星までほろりとさせようとしても、熊を踊らせる節回しを打ち鳴らすことにしかならないのだ。」←心当たりありすぎ -
Posted by ブクログ
19世紀フランス文学の名作。モームの世界十大小説のひとつ。原文に忠実な訳文を目指したという日本語最新訳。
恋愛小説のような情熱的な恋に憧れていた少女が、うっかり平凡な結婚をしてしまった反動で引き起こしてしまう壮絶な不倫劇。不倫にまつわる情動の燃え上がりや苦悩の激しさをあますことなく描き切り、恋愛と結婚の本質に芸術的な迫力で切り込んでいる。こういうドロドロとした話を目にすると「昼ドラ」という単語が頭に浮かんでしまうが、内容そのものは実際、現代においては目新しいものではないのかもしれない。しかし酸いも甘いも噛み分けたようなフローベールの筆致は並みのエンタメでは味わえない凄まじさがあり、読み継がれるべき名作なのは間違いない。
この新潮文庫版、裏表紙の紹介文で盛大なネタバレをかましているので、これから初見の人は注意。いくら有名な古典といっても初めて触れる読者もいるだろうし、配慮がほしかったところ。 -
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吉田健一の『文学人生案内』第一章「文学に現われた男性像」に小説には女性が華やかに、かつ悲惨に焦点を当てられ中心になって描かれているのが多い、男性には光が当てられてない、 という記事にはわたしは目をひらかれる思いだった。
吉田氏はこの本の中で「フローベルの『ボヴァリー夫人』」という章で詳しく、文学論のような感想をも書いていてらっしゃるのだけど、第一章のように副主人公の男性ボヴァリー氏については掘り起こしていない。
ただ、「フローベルは人生など何ものでもなく、充実か虚無かのふたつであると思っている思想のもとに描いた」と結論付けている。
しかし先の「文学に現われた男性像」に吉田氏が触れられているのは、田舎娘エンマをボヴァリー夫人にするだけのボヴァリー氏ではない、読者に印象付けられる特異な人物なのであるという。
そう、ボヴァリー氏は脇役ではない、最初から最後まで登場するというだけではない、夢見るばかりで実人生をふわふわ追いかけ、きれいなものが好きで、浮気や浪費を限りなくするエンマ・ボヴァリー夫人を強烈に愛するエネルギーある人物なのである。
どうしょうもない女性を愛してしまったら、一緒に奈落に落ちるしかない、強い強い男性なのである。だからエンマが破産して自殺してしまったら、抜け殻となり死んでしまう、生ききった男性主人公なのである。
それで「ボヴァリー夫人はわたしだ」と作者は言ったのだと思う。