粟飯原文子のレビュー一覧
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ネタバレ2021年度ノーベル文学賞受賞作品。
読後は不穏感で終わり、
中々に解釈が多そうな作品という印象、、でしたが、
後書き読めば、舞台は二十世紀初頭のドイツ領東アフリカであり、ドイツ帝国から支配されているという歴史的背景や、イスラム教の聖典を題材としている所もあり、もしかしたら伝えたい事はそんなに難しいことでは無いのかな…と思いました。
作者自身、書くことに対して強い思いがあると書かれてあり、色んな経験されてます。
私たちの日常では中々知る機会が多くない、理解することがもしかしたら大事なのかなとも思いました。
歴史がとんでもなくポンコツ、、な私ですが、何とか情景描写や、登場人物の心情、場面はどんな事が起こってるのかを頼りに読めていけたので、(途中で挫折しかけたけど。。)、100%理解した!とは言いきれませんが、、
今回初めて、グルナさんの作品に触れることが出来て良かったなと思います。
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Posted by ブクログ
アフリカの作家は初。昔ながらの部族のしきたりを守って暮らしている村の英雄が、ふとした事故で7年間の追放の憂き目にあう。戻ってきた頃にはイギリスの宣教師が入り込み、村の様子は一変している。ストーリーとしては、二つの面があると感じた。一つは植民地化する前、その過程の両方で、住民、特に部族内で虐げられていた女性や子供、差別されていた村民にとって、何が幸せかを考えさせられる。もう一つは主人公と村全体の運命。文明化の旗印のもと、過去の風習等は全て否定される。ただ、不潔なことや迷信に基づいた子捨て、双子の廃棄などは解消されるわけで、どこに線を引くのかは難しい。
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ネタバレ小さきものたちのオーケストラ
著者:チゴズィエ・オビオマ
訳者:粟飯原文子(あいはらあやこ)
発行:2021年7月25日
早川書房
唯物Vs観念
ナイジェリア出身、アフリカ文学の若手作家の第2作。英国の最高賞であるブッカー賞の最終候補作。現在はアメリカのネブラスカ大学で教鞭をとりつつ執筆。
本作はナイジェリア南東部にいるイボ人の話。60年代後半、この地域はビアフラ共和国として分離・独立宣言をしたため、ナイジェリア内戦となり、イギリスやソ連など大国の干渉も受けた。ムスリムではなくキリスト教徒が多く、登場人物たちもキリスト教徒だが、教会へ通いつつも、イボの宇宙観や宗教が行動原理の根底にある。最も偉い神はチュクワ(創造主)で唯一だが、人にはそれぞれ「チ」と呼ばれる守り神がつき、誕生から死亡まで見守り、導く。人は「宿り主」と呼ばれる。「チ」は死なず、「宿り主」が死ぬと別の人間に「チ」として宿る。
この「チ」は常に観念論で「宿り主」に語りかけ、アドバイスを行う。他の人間の「チ」と交渉をしたり、時空を越えて移動して例えば「宿り主」の先祖などと対話したりする。しかし、神とはいえ実質は人間(宿り主)の心の内であり、葛藤する気持ちであり、メタ認知をする視点でもある。現実社会を生きる「宿り主」は、当然のことならが唯物の世界に生きている。主人公は喜怒哀楽の中、唯物志向でセックスをしたり、仕事をしたり、人に復讐をしようとしたりする。それに対して主人公の「チ」は、観念論で彼を止めたり、アドバイスをしたり、諭したりしていく。常に、唯物と観念の闘いで語られていく。小説は、主人公の「チ」の一人称で語る物語だ。
小さな養鶏場を営む主人公は、ある自殺をしようとしている女性を見かけて思いとどまらせる。やがて2人は恋仲になる。主人公は大学に行っていない。父親の具合が悪くなって養鶏場の仕事をしなければならなくなったために諦めたのだ。彼は若い内に両親をなくし、妹はかけおちをし、孤独の身だった。しかも、恋をした相手は首長でお金持ちの娘。大学に行っていない彼との結婚は許されなかった。そこで彼は養鶏場や家を処分し、キプロスへ留学することを決意する。
キプロスはヨーロッパ。ナイジェリアの人たちからすると白人の別世界であり、自由が手に入る夢の世界。しかし、彼は欺されていた。養鶏場や家を売った大金を旧友に預けて留学手続きを頼んだが、そのお金は持ち逃げされた。しかも、旧友に薦められた大学は北キプロスであり、トルコからしか承認されていない。自由の島は南キプロスだということを知る。
旧友に対して激怒を覚える中、彼は冤罪に巻き込まれ20数年の懲役刑となる。刑務所では男性囚人からレイプされ、絶望に追い打ちがかかる。ナイジェリアで待っている婚約者に手紙すら出せない環境だった。しかし、4年後、冤罪がわかって再審となり、ナイジェリアに帰国できた。しかし、学位も取れず、養鶏場もない。そして、婚約者も行方知れずとなった。欺した旧友に対する激怒と復讐心、冤罪で囚われとなった経験、そして警察や刑務所で受けた陵辱・・・PTSDと闘いながら生きていかなければいけない。
旧友は、主人公を癒やしてくださいと神に祈る。しかし、主人公はこう思う。
苦悩の核心にあるのは、失ったものを取り戻したいという願望なのだ。自分が求めているのは、ジャミケ(旧友)が言うような癒しや許しではない。そんなことより人生を取り戻したい。
観念論的な話しではなく、唯物論的な物理的な時間であり損失なのである。しかし、人生を取り戻すことなどできっこない。結局、その埋め合わせは観念論的な癒ししかないのか・・・
ナイジェリアの文学作品を読んだのはおそらく初めて。友人が書評を書いていたので興味を持って読んだ。イボのことなどを知ったし、物語としても退屈することはなかったが、一言でいうと長すぎた。会話がほとんどない地の文で560ページには、無駄と思われる文章も多かった。しかし、訳者後書きを読むと、そうした繰り返しや回りくどさはイボの特徴だとのことだった。読む価値は十分にあった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレナイジェリア出身のイボ人作家 Chinua Achebe (1930-2013)による、アフリカ文学の金字塔と言われる作品です。
前半は、19世紀後半の植民地化前のイボ族の共同体が、複雑かつ精緻な統治、信仰、慣習システムにより運営されている様子が、主人公であるオコンクウオを中心に描かれています。後半では、それが白人の宣教師たちによるキリスト教布教を境に瓦解していく様へと進行していきます。このあたりが、題名である”崩れゆく絆”をよく体現しています。
この小説は1958年に出版されてますが、そのわずか2年後の1960年にナイジェリアが独立を果たしており、時代は違うものの過度期の不安定や焦燥といった気分が、当時の世相を反映していた、とも言われているようです。
しかし、この小説をそうした歴史的あるいは民族史的側面からよりも、私はオコンクウオという男一人の生き様からとらえるほうが、面白く読めるような気がしました。そして、守護神であるチが運命を先導しつつ、個人の努力にもある程度呼応していく、という宿命論と自力更生的考え方の対置など、自省を促すようなテーマも込められており、多面的な側面を持つストーリーで一気に読んでしまいました。