宮沢章夫のレビュー一覧

  • シティ・ポップ文化論

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    大学の講義の文字起こしでありまた講師陣も豪華である事から正直ありがたく読ませていただいた。
    多分まともに講義を申し込んだら数万円は下らないだろうな。
    内容は多面的、かつ深掘りするところはしっかりしており少し難しかったけど参考になった。
    自分の感覚ではシティ・ポップが流行った80年代の音楽はかなり特殊なのでその理由なり背景を知りたかったけどそこまでは至らなかった。

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    2024年07月21日
  • NHK ニッポン戦後サブカルチャー史

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    NHKで放送されていたときに観ていたので本でも読んでみました。
    「サブカルチャーとは逸脱」という。葉が印象的。
    逸脱していてこそ面白い。
    皆が好きになっちゃったらただの王道。

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    2019年12月17日
  • 時間のかかる読書

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    タイトルに魅かれて購入。
    横光利一の『機械』を11年かけてゆっくりゆっくり読む試み。
    やっぱり遅読はええですな。

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    2015年03月13日
  • 時間のかかる読書

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    おおいに奇妙な小説を、おおいに奇妙な読み方をする。
    狂人かもしれない語り手の、時間を曖昧にした語りをひとつひとつ丹念に読み解いていくことで、
    最後に「語りによるからだ」を見出す地点まで至った。

    私
    主人
    軽部
    屋敷

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    2015年01月28日
  • NHK ニッポン戦後サブカルチャー史

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    多岐にわたるサブカルを一望することに成功している。要所は抑えた良書である。
    10年ごとに区切ってその時代のトピックをまとめた前半、各年の主要なトピックをまとめた後半に分かれている。どちらも、思いの外広くポイントを押さえていると思う。筆者の目利きと知識の深さがモノを言う。
    前半の記載は「俺知ってる」的な臭さがなく、淡々と書ききっているところに好感が持てる。後進の我々には伝わりにくいコンテキストを立ち上げることで、リアリティを持ってその次代を捉え直すことができるだろう。
    後半を見て思ったのは、自分の調子の悪い時期と、サブカルへのコミットが小さいことがあまりに関連していることであった。つまり、自分にとってサブカルとどう向き合って行くかが、元気で活動的でいれるのかのバロメータなのだろう。
    サブカルの発生をつぶさに観察することは、これからを占う上で役に立つ。サブカルの源泉はクリエイターの揺るがざる想いであり、相互に触発されることにより高まる。信念を持って行動し続ける、独特の視座で社会や事件に切り込み咀嚼する、そして、自分の得意な表現を使って新たな価値観を提示する。多かれ少なかれ表現者であれば、この部分に長けているのだと改めて思った。そして、この本で取り上げられた人々はその頂点の人々であり、他者を容易に真似ない自分らしさを貫いた人々なのだろう。

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    2014年12月10日
  • NHK ニッポン戦後サブカルチャー史

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    本書はNHK Eテレで『ニッポン戦後サブカルチャー史』として2014年8月から10月3日まで、全10回にシリーズとして放映したものをベースに構成したものである。
    当然のことながら、毎週リアルタイムでボクは視聴した。
    以前、宮沢章夫の『東京大学「80年代地下文化論」講義』を読んだくらいで、人物像を知らなかったが、TV画面を通じてはじめて観た本著者の印象は、ボクがサブカルチャーに目覚めたときにすでに活躍していたYMOの細野晴臣や糸井重里、川﨑徹、浅田彰、中沢新一といった面々と同様、どこか巫山戯たような斜にかまえたような脱力感を滲ませており、案の定、いわゆるサブカルチャーの中で語られるクリエーターと同様のニオイを感じさせるものだった。

    そんな『ニッポン戦後サブカルチャー史』がさっそく書籍化されるというので、脊髄反射でポチッとしたのである(笑)

    『サブ』であるカルチャーは『本体』がなければ存在しない。
    中心と周縁。上位と下位。体制と反体制。
    すべては、ある時代の雰囲気の中で、またある舞台装置としての場所の中で、同時発生的な『逸脱』によりサブカルチャーというものが生まれてく。もはや戦後が終わったらしい50年代からのこうしたサブカルチャー創世記はこれまでまとめて触れたことがなかったので新鮮だ。

    一方、本書で残念なのは昨今の『サブカル』全盛に至る直近の経緯である。
    昨今、サブカルチャーは『サブカル』という言葉の方が一般に流通してしまっている。本書を読んでみてもらえれば明快だが、おそらく『サブカルチャー』と『サブカル』は違う。
    サブカルチャーという枠組みの中の特定の分野としての『サブカル』ではないかとボクも感じているところだ。
    このあたりのサブカルになっていく時代、これはまさに『おたく』が『オタク』に変容する時代の流れであり、現在に通ずる話になるのだが、この90年代の整理が多少に比べて浅いのである。
    まぁ、でもこのあたりは東浩紀はじめ様々な人が批評し尽くしているから他書を読めってことなのかも(笑)

    本書では1950年代から主に2000年まで、各時代におけるサブカルチャーとその時代における意味と次の時代への架け橋が述べられている。
    サブカルチャーの時代の通史を読んでみて、やはり痛感したのはコレまで自分が触れてきたサブカルチャー。特に西武文化事業全盛時のPARCO文化というか、いわゆる80年代までのサブカルチャーとバブル崩壊以降、現在に至るサブカルとは断絶ではないにせよ、成り立ちが異なっているのだということ。

    これまでのサブカルチャーには、『舞台装置』としての場所。
    これは60年代の新宿から80年代の原宿〜渋谷に至る経路や、新宿から端を発した周辺文化圏となる下北沢、高円寺、吉祥寺といった中央線沿線文化圏の形成。
    それと、舞台装置の誕生を裏付けする社会的な思想。政治的な思想から企業が提示する思想、クリエーターが独自の感覚で捉える思想。
    さらに舞台装置の中の時代感覚を捉えて新たな逸脱を遂げるクリエーター、そこに集まる人々。

    この、『場所』と『思想』と『人』が奇跡的に結びつくことでパワーのある『逸脱』が発揮され、文学、音楽、演劇といった身体的なサブカルチャーが花咲いては散りを繰り返してきたと思うのだ。

    それが、特にパソコンとインターネットの発展により、もはや身体的なサブカルチャーの時代は過ぎ去り、「テクノ」以上に無機質的で0と1の羅列で創造されたデジタルな文化に移行している。
    全ては細分化し、データベース化していくと看破したのは東浩樹だったと思うが、まさにサブカルとして定着した感のある現在のサブカルチャーはもはや舞台装置としての場所はない。
    全てはネットの世界の中で大きな物語は失われ、クリエイトするという行為はデータベース化した素材を元に誰もが手がけられる世界となっている。

    ボクが求めてきた『サブカルチャー』はもはや存在の余地はないのだろうか?

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    2014年11月17日
  • 茫然とする技術

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     茫然かどうかは不明だが、のんべんだらりと思考?をつなぐように見えて、一部そうそうとうなづきながら読んだ。筆者は、たまには「どうもただ思いつくように見せかけてて、ちょっと恣意的になってないか」などとチェックしながら連載してたのかな?とか余計な想像をしてしまった。それくらいにくだらないが良い。
     氏が演劇系のひとで、色々知っている人が出てきたのが最後にあ、っとなる一瞬であった。川勝氏などもつながるのだろうか?(ちょっと意味不明)

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    2013年05月31日
  • ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集

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    帯にもあるように、私も一気読みしてしまった。
    『ボブディラン〜』よりも『返却』の方が私は好きだ。
    二つの小説が収録された本なのだ。
    感動したり、しみじみいいなぁと感じる事はないんだけれど、すらすらと読めて、夢の中の話のよう。不思議な感覚。
    新しい。

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    2011年11月01日
  • ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集

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    著者のことは知らなかったが、9.11から10年というテーマにひかれて読み始めた。淡々とした叙述が味わい深い。歌舞伎町の火事を含め、あの夏のことが思い出されて感慨深かった。

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    2011年09月18日
  • ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集

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    あの歌舞伎町の風俗ビル火災と911テロが同じ年、同じ月に起こった出来事だったってことをちょうどあれから10年経った夏にこれを読んで知る。

    おそらく多くの読者が見聞きして同時に体験した事件を小説に盛り込む手法は、おそらくすべての読者にそれそれの記憶にある映像を呼び覚ます効果がある。
    ところでこの小説が発表された直後に311東日本大震災が起こった。この半年間の出来事、今から10年後どんな小説となって描かれるんだろう。

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    2011年09月12日
  • 『資本論』も読む

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    難解な古典『資本論』を四苦八苦しながら読んでいく実録。『牛への道』レベルのオモシロ路線を求めるとちょっと読みにくいかな?と思うムキもあるかもしれませんが、それでも宮沢章夫のノリに馴れた読者にはかなり楽しめる一冊。と思います。

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    2011年09月11日
  • 茫然とする技術

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    最初の「カタカナの方法」はとてもおもしろかったけど、途中から古くなったPCネタが多くちょっと退屈。それでも文章による無意味さにかけては、このひとの右に出るものはいないんじゃないかと思う。

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    2011年04月22日
  • 茫然とする技術

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    呆然じゃなくて、茫然です。

    最初、呆然・・・と勘違いしていたので、読み始めてからなんだか変だなと思ったのです。
    そうしたら、茫然でした。

    私は、いっつも呆然としているのでねぇ。

    ちなみに・・・呆然とは、「気ぬけしてぼんやりとしたさま。あっけにとられるさま。」
    茫然とは、「広大なさま。また、とりとめのないさま。判然としないさま。」
    以上、広辞苑より。

    茫然の意味の中には、呆然と同じ意味もあるらしいですが・・・

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    2009年10月04日
  • 茫然とする技術

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    第一章「カタカナの作法」は宮沢文体の面目躍如といったところだが、あとはコンピューター用語など時代的に鮮度の落ちたものが多く、ちょっと残念。ていうかごめん、俺これ最後まで読んでないかも(笑)。

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    2009年10月04日