プリーモ・レーヴィのレビュー一覧
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「これが人間か 」と問われたら、その通り人間である、としか言いようがない。例えば今のガザを見ても、そういう思いが強くなる。「被害者だと思っていたら加害者にもなってしまった」。アウシュヴィッツで非業の死を遂げた人たちの意味が薄められてしまったようで残念だ。まことに、「アウシュヴィッツは終わらない」。
「人間の極限状態」などと大げさに構える必要はない。日常生活の場においても、「被害者だと思っていたら加害者にもなってしまった」という話はたくさんあるようだ。
それほど、どんな人間でも抱えている闇(正と邪を合わせ持つこと)は底なしに深い。
若干話が逸れるが、ハンナ・アレントによると、アウシュヴィッツの -
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ネタバレ人間の生死を他人が勝手に決めて殺していく状況に心の底からおぞましさを感じた。「選別」によって死を決定された者の描写があまりにも苦しかった。
ろくに栄養もなく、体力がなく、ものを正常に考えられない状況で、自分の死を宣告される。著者は、あまりにも疲れ切っていて、絶望などという感情も感じなくなったと記述している。
著者の言うように、彼らは逃げようとか、最後に反乱を起こして逃亡のチャンスをつくるだとか、そんな力はもうどこにも残っていなかったのだろう。
自分の身近な者の生死が不明、またはすでに死んでしまっている人が多い状況で、生きようとする本能は極限まで弱まっていたに違いない。
何らかの思想・信仰をも -
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ここ数年の世界情勢の変化のなかで、全体主義がわたしのテーマの一つとなっていて、全体主義を考えるときの基本文献の一つともいえるのがプリーモ・レーヴィの「これが人間か」。
読む必要は感じつつも、アウシュビッツの記録を読むのはつらい。数年前に頑張って、フランクルの「夜と霧」を読んだのだが、なかなかそれ以上に読み続けるのはしんどい感じがしていたのだが、ジュディス・バトラーのユダヤとイスラエル問題について論じた「分かれ道」でレーヴィについての言及があって、やっぱ読む必要があるのかな〜と思い購入。
が、なかなか読み始めることができなかったのだが、ついに読んでみた。
内容について、なにか書くことは難し -
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プリーモ・レーヴィ(1919~1987年)は、ユダヤ系イタリア人の化学者・作家。
レーヴィは、トリノに生まれ、第二次世界大戦中、ナチスに対するレジスタンス活動を行ったが、1943年12月にイタリア・アルプスの山中で捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所に送られた。1945年1月にアウシュヴィッツが解放され、1947年に『これが人間か』 を発表して注目される。同作品は、アウシュヴィッツ収容所からの生還者が、自らの壮絶な体験を描いた記録として、オーストリアの精神科医V・フランクルの『夜と霧』(1946年)と並んで有名なものである。その後、様々な作品を出したが、1986年に『溺れるものと救われるもの』を -
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プリーモ・レーヴィ(1919~1987年)は、ユダヤ系イタリア人の化学者・作家。
レーヴィは、トリノに生まれ、第二次世界大戦中、ナチスに対するレジスタンス活動を行ったが、1943年12月にイタリア・アルプスの山中で捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所に送られた。1945年1月にアウシュヴィッツが解放され、1947年に『これが人間か』 を発表して注目される。1987年、自宅アパートの3階(日本式の4階)の階段の手すりを乗り越え、階下に飛び降りて死亡した。
本作品は、アウシュヴィッツ収容所からの生還者が、自らの壮絶な体験を描いた記録として、オーストリアの精神科医V・フランクルの『夜と霧』(1946年 -
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強制収容所での体験談を読むのはこれが初めてだと思う。一人の体験談として読んでやっと実感が湧いてきたというか、移送の段階を含めて収容されていた人たちが何を思っていたのかとかが今までは自分の想像力を超えていた。
2011年にアウシュビッツ・ビルケナウ収容所を見てきたけど、あそこからは数キロ離れたところに入れられていた。というかあのアウシュビッツの収容所が管理していた収容所群というのがいっぱいあったとまず驚かされるのが最初に出てくる地図。
それから人々が内面を破壊されていく過程。木靴や縦縞の服。囚人のヒエラルキー。食事。選別。いろんなことがぶっ飛んでいる。人類史の中で出てきたユダヤ人の絶滅という政策 -
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鶏が検閲をしたり、天使を作ろうとして鳥の化物ができてしまったり、創世記でヒトを作ろうとしているときの会議の様子やケンタウロスや車の性についての話、営業マン・シンプソン氏によって勧められる不思議な機械。。化学者でもあり、アウシュビッツを生き延びた著者によるものであるからなのか、科学的で自由な発想で書かれているのだが、どことなく皮肉めいている。あまり読んだことはないんだけど、星新一や渋澤龍彦のような感じもした(個人的に)。
4,5話くらいあるシンプソン氏の機械の話は、本全体を読みすすめていくと楽しみになってくる。今度はどんな機械が出てくるのだろう・・・と。シンプソン氏が出てくるものでは「完全雇用 -
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人類は天使になる途中のネオテニーである、という仮説のもと行われた残酷な人体実験をめぐる表題作ほか、ブラックユーモアに満ちた幻想SF短篇集。
今の気分に合っていて一気に読んだ。シンプソン氏という営業マンが登場するシリーズが楽しい。藤子AでもFでもあるような、アシモフやフレドリック・ブラウンを思いだすような、漫画的でライトな読み味が懐かしい。
シンプソン氏が売りつけてくる機械は、2025年から見るとハッとするほど正確に未来を予見している。ChatGPTそのものみたいな〈詩歌作成機〉、原子レベルから複製できる3Dコピー機〈ミメーシス〉、他人の思考と感情まで体感させてくれるVR装置〈トレック〉など