プリーモ・レーヴィのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
人類は天使になる途中のネオテニーである、という仮説のもと行われた残酷な人体実験をめぐる表題作ほか、ブラックユーモアに満ちた幻想SF短篇集。
今の気分に合っていて一気に読んだ。シンプソン氏という営業マンが登場するシリーズが楽しい。藤子AでもFでもあるような、アシモフやフレドリック・ブラウンを思いだすような、漫画的でライトな読み味が懐かしい。
シンプソン氏が売りつけてくる機械は、2025年から見るとハッとするほど正確に未来を予見している。ChatGPTそのものみたいな〈詩歌作成機〉、原子レベルから複製できる3Dコピー機〈ミメーシス〉、他人の思考と感情まで体感させてくれるVR装置〈トレック〉などなどをサラッと開発、商品化しているシンプソン氏の勤め先については、アメリカの企業であること以外謎のまま。作者のレーヴィは化学者でもあったらしいけど、シンプソン氏はあくまで科学をビジネス視点で評価する。
例えば顔の美醜を測る装置がでてくる話では、絶対基準の美とは何たるかを語る野暮は冒さず、基準を客に委ねることで購買意欲が上がるんだ、と意気揚々と語る。コント的なオチだけど、美の基準はわが社にあるなんてことは言いださないところがしたたかだ。
最後にシンプソン氏はVRにハマり、語り手にも売り込んでくる。これが体験提供者の視界だけでなく、感覚とか感情とか思考まで全部記録して追体験できるというシロモノなんだけど、面白かったのが、説明を聞いた語り手が「提供者側は全部記録されていることを意識しているだろうし、その意識すらもVR体験者は追体験することになりますよね」と疑問を投げかける。するとシンプソンは「そうです。でも記録されているという意識を脳の片隅に置きながら目の前のことをやるっていうのは、VR体験者が自分はVR装置をつけていると意識しながらVRを味わうのと同じようなものだから違和感もじきに慣れますよ」みたいなことを言う。このやりとりが今っぽいなぁと思った。
シンプソンもの以外では、車同士で感染する病から与太話が繰り広げられる「猛盛苔」、サナダムシの細胞からジョン・ダンみたいな詩を読み取る「人間の友」が〈異常論文〉系のSFで面白かった。「ケンタウロス論」ではノアの箱舟を降りた後の生き物たちはこぞって異種交接をした、その結果が現在の地上の豊かな生態系であってケンタウロスもそこで生まれたのだ、とまことしやかにケンタウロス視点の創世神話が語られるのも楽しい。
表題作「天使の蝶」は、レーブ教授という名前からプラハのゴーレム伝説のラビを連想した。もしそこから名前を引いているとしたら、ユダヤ人救済のシンボルを作った人がナチを思わせる人体実験をした研究者のモデルになっているという、キツい皮肉だけど。
今読んでも新しいとか、珍しいモチーフがあるというわけではないけれど、古典的なネタを上手に料理して、科学によって人類が陥る袋小路を描きながら、あくまで軽い作品に仕上げているところに凄味がある。だいたい同世代の同国人であるカルヴィーノが、小説の「軽さ」を重要視していたことを思いだす。 -
Posted by ブクログ
アウシュヴィッツは終らないの 改訂完全版ということですが
その本は読んだ事がありませんが
アウシュヴィッツから 生還した 著者が書いた本というので 読んでみました。
ラーゲルと いう 言葉を 見ると
シベリア抑留についての内容を思い出しましたが
かなり似ています。
劣悪な状況の中 著者はどうして 生きて出られたのか。
収容所の中では 誰もが 非人間的になると 書かれていました。
勿論 収容されてる人に 体罰などを加える人達は
非人間的ですが 収容されてる人達も 非人間的になると。
非人間的というと 悪者というイメージですが
収容されて 希望もなくなり 飢えと寒さなどに 襲われていき人らしい 心を失っていく。
この冬一番の寒さと言われる日でも
私達には 暖かい食事や 服があります。
だから 収容されていた 人達がどれほど過酷だったかは想像するしかできませんが
生きるか死ぬかの 境目は 収容所の中では
予測不能です。
著者は 最後伝染病になり 多くの仲間が移動していくけど 置いていかれた から 寒い中死なないでいられた。
つらかったでしょうけど
こうして 何があったかを 記録に残してくれて
良かったです。
さらっと 読んでしまいましたが
また ジックリ再読したい本の一つになりました。 -
Posted by ブクログ
アウシュヴィッツ強制収容所から生還した著者が解放後すぐに執筆に取りかかり出版した収容所の記録。淡々とした筆致はそこで起こったことを、それ以上でも以下でもなく、怒りが荒ぶることもなく克明に後に残している。あの場所を生きた人にしか書けない本だった。
読むのがとても困難だった。次々いろんな人たちが入れ替わり立ちかわり出てくるけど、人の出入りが激しいのはきっとみんなそれぞれ途中で死んでってるからなんだろうなと思うし、ダッハウやマウトハウゼン、ザクセンハウゼンを訪れたときのあの突き抜けるような快晴の、空っぽの空気が蘇ってきて。
これが人間かと聞かれたら、人間ではないと思う。ズルをするとか抜け駆けするとか、それをいちいち咎めてたらこの人たちは死んでる。生き延びるにはなにも考えないこと、とレーヴィは語る。自尊心や希望は人を殺す、から、体を壊さないように人格の方を先に自ら壊してしまう。
一度でも自尊心を完膚なきまでにボコボコにされた人はその経験にはできるだけ蓋をしたい、語りたくない、わたしは同じ体験なんてできないけど、きっとなにも語りたくない惨めだから。だけどこの人はただ語るのだという強い思いでこの本を残してくれた。すごい勇気だと思うし、大事にされるべき本。 -
Posted by ブクログ
1919年にトリーノに生まれた作者は44年2月アウシュビッツ強制収容所に抑留。45年1月ソ連軍に解放され、同年10月イタリア帰還。
実話。
ナチ統治下のドイツ地図があり主要収容所および抹殺収容所の場所が点在していてその数の多さに驚かされる。
ユダヤ系のイタリア国民だというだけで生きる権利を奪われる。
人でなく物として、いくつあるか数えられる。
何百人も軍用列車で運ばれて、たまたま列車の片側に降りたものが収容所に入り、残りはガス室行きになった。
ここでは、収容所の中での暮らしが事細かに書かれている。私たちの常識のような規範で生きていたらすぐ命はなくなる。
こういうことがあった歴史を知ると、いまがどんなものでもありがたくなった。
あんまり、本を誰かに勧めたりはしないけどこれは読んでほしい。と思った。
それにしても、よく生き延びたな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレめっちゃ書いてあることがむずかった。
一番重要そうな章は「灰色の領域」っぽそう
以下が重要そう
・過去に起きたことなので、また同じ条件が重なれば同じような悲劇は起きる可能性は否定できない
・関わった者たちは犠牲者、加害者など、明確にわけられない。全員素質は似たような普通の人間であった。
・過去のことは様々な情報が入って曖昧になってしまう、そのためそれぞれの立場を明確に解釈してしまおうとしてしまう。
会社でも働いている人のやる気、活力を根こそぎ奪ってしまえば、忠実な社員になってしまうんだよな…
ある程度活力がないと、転職のやる気が失せてしまうってことだよね。完全に落ち込む前に転職しなきゃ〜〜〜
この本から得たものを自己反映させようとするとだいぶ浅はかになっちゃうのは、今まで日本が平和だったからだよね -
Posted by ブクログ
原著1955年刊。
ユダヤ系イタリア人で、戦時中アウシュヴィッツに収容されたが、大学で化学を学んだことが幸いし、奇跡の生還。その後出版したアウシュヴィッツについての証言『これが人間か』(旧邦題『アウシュヴィッツは終わらない』)を出版し、これがじわじわと評判を呼ぶ。
そんな特異な経歴を持つ作家レーヴィはどんな小説を書いたのだろう、と素直な興味を持った。しかし実際に読んでみると、ソフトなSFといった趣の軽いエンタメ物語で、ここには「異常な体験」も「人間存在の深淵についての意識」も認めることはできない。
まあ、暇つぶしに読むような、軽いエンターテイメントという感じがした。あのアウシュヴィッツ生還者のレーヴィの、と思って手に取るのでなければ埋もれてしまいそうな小説集である。
この短編集の中では「天使の蝶」「ケンタウロス論」辺りはわりあい面白かったか。