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第2次世界大戦時の強制収容所から生還した著者が、その体験を人間の極限状態として克明に、静かに描き出す。35言語に翻訳され、世界中で読み継がれてきた古典的名著。旧版『アウシュヴィッツは終わらない』を改題し、増補、完全版としておくる。
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Posted by ブクログ
かれらは人間ではない。 そこには一日に何万も の人間を焼く焼却炉が あった。 三才の少女エミーリア が、 好奇心に溢れ朗らかで 見えっぱりで頭のよい 少女が、 一顧だにされずガス室 に送られて、 呆気なく殺されていく。 活発な少女の姿が幼き 日の娘の面影と重なり、 胸が塞がりました。 ...続きを読む体験した者にしか綴れ ない貴重な記録書です。 戦争がもたらす悲劇を 心に深く留めて・・・。
アウシュビッツの記録として「夜と霧」という映画があり、それを観た後で呼んだので、内容が勝手に脳内で映像化されて、メンタルにきつかった。気軽が気持ちで読んじゃダメなやつだった。著者の方が自殺されたことを知って、さらに追い打ち…
タイトルの「これが人間か」が疑問の投げかけなのか、納得の言葉なのか。 アウシュヴィッツ生還者(こういう表現が適切か不明だが)のレーヴィが感情を極力抑えて、一種の記録資料として後世のために書いた作品。思い出すだけで血が凍るという表現が文中にあるように、彼がどれだけの苦しみを味わいながら本書を完成させ...続きを読むたのか、想像は到底できない。 最後にある若者からの質問への回答に、彼の人間性がよく伺える。 必読書。
著者が強制収容所から生還した経験を書いたノンフィクション。過酷すぎる飢えや労働、伝染病の蔓延する劣悪な環境で、名前もアイデンティティも奪われ、人間が人間で無くなっていく様子がよくわかる。強制収容所は世界中にあれど、ナチスが他と違うのは抹殺を目的にしたところだそう。ひとつの民族を根絶やしにするなんて愚...続きを読むかな考えだが、殺す側も殺される側ももはや人間ではなかった。ただの昔話でなく、地続きな現代においても必読書だと思いました。
ここ数年の世界情勢の変化のなかで、全体主義がわたしのテーマの一つとなっていて、全体主義を考えるときの基本文献の一つともいえるのがプリーモ・レーヴィの「これが人間か」。 読む必要は感じつつも、アウシュビッツの記録を読むのはつらい。数年前に頑張って、フランクルの「夜と霧」を読んだのだが、なかなかそれ以...続きを読む上に読み続けるのはしんどい感じがしていたのだが、ジュディス・バトラーのユダヤとイスラエル問題について論じた「分かれ道」でレーヴィについての言及があって、やっぱ読む必要があるのかな〜と思い購入。 が、なかなか読み始めることができなかったのだが、ついに読んでみた。 内容について、なにか書くことは難しい。私的には、「夜と霧」以上のインパクトであった。 つらい話しであるが、こういうことが現実に起きたのだということは、やはり知っておくべきな義務、責任だな。
プリーモ・レーヴィ(1919~1987年)は、ユダヤ系イタリア人の化学者・作家。 レーヴィは、トリノに生まれ、第二次世界大戦中、ナチスに対するレジスタンス活動を行ったが、1943年12月にイタリア・アルプスの山中で捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所に送られた。1945年1月にアウシュヴィッツが解放さ...続きを読むれ、1947年に『これが人間か』 を発表して注目される。1987年、自宅アパートの3階(日本式の4階)の階段の手すりを乗り越え、階下に飛び降りて死亡した。 本作品は、アウシュヴィッツ収容所からの生還者が、自らの壮絶な体験を描いた記録として、オーストリアの精神科医V・フランクルの『夜と霧』(1946年)と並んで有名なもので、34ヶ国で翻訳され(2017年時点)、仏高級紙ル・モンドの「20世紀の100冊」(1999年)、英高級紙デイリー・テレグラフの「110冊の必読書」(2008年)にも選ばれている。 また、本作品は、1947年に初版、1958年に第二版、1973年に学生版が発表されたが、現在世界中で広く読まれているのは第二版である。本書は、1980年に学生版を底本に刊行された日本語訳『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版であるが、学生版のみにある「若い読者に答える」と地図をそのまま収録し、かつ、今回、学生版ゆえに省かれていた部分を加えたものとなっている。 本書において中心的なテーマとして提示されているのは、「人間の内面の破壊」である。飢えと強制労働と(冬は)寒さいう極限状態の中で、人間はいかに変化するのか、特に、その内面がいかにして破壊されるのか、そしてそうされた人間はどうなるのか、という問題が提示されているのだ。ナチスの強制収容所に関してまず第一に語られるのは、膨大な数のユダヤ人をガス室で殺戮したという残虐行為である。その一方で、僅かな食糧で過酷な労働をさせられ、肉体も精神も破壊されて、(解放まで生き残った人びと以外は)消耗して死んでいった多数の人びとがいる。後者は、ある意味では、前者の瞬間的な死よりも更に惨い死ともいえるが、本書は、その過程を詳細に描いているのである。 次のような記述がある。 「カー・ベー(診療所)とはラーゲルから肉体的不自由を除いたものなのだ。それゆえ、まだ意識の核を失っていないものは、ここでまた意識を取り戻す。つまり、労働のない日々が長々と続くと、飢えや労働以外のことが話題になり、何とみじめな状態にいることか、どれだけものが奪われたか、この生活は何とひどいことか、などと考えてしまうのだ。カー・ベーで束の間の平安を味わって、私たちははっきりと学ぶことができた。人の人格は崩れやすい。特にここでは、命よりもずっとあやうい状態にさらされている、と。」 「彼らこそが溺れるもの・・・名もない、非人間のかたまりで、次々に更新されるが、中身はいつも同じで、ただ黙々と行進し、働く。心の中の聖なる閃きはもう消えていて、本当に苦しむには心がからっぽすぎる。彼らを生者と呼ぶのはためらわれる。彼らの死を死と呼ぶのもためらわれる。死を理解するにはあまりにも疲れきっていて、死を目の前にしても恐れることがないからだ。」 「私たちは古参の囚人になっていた。私たちの知恵は、「分ろうとしないこと」、未来のことを考えないこと、いつ、どのように終わりが来るか考えて、身をさいなまないこと、質問をしないこと、されないことだった。」 等 レーヴィは、本作品を通して『これが人間か』と問い続けたのだが、更に、自分は、ガス室送りになる人間が選ばれる際に、取り違えの結果生き残った、自分は他人に取って代わって生きている、と死ぬまで思い続けたのだ。。。(遺書は残っておらず、自死か否かはいまだにわからないという) 人間として絶対に忘れてはならないことが書かれた、全人類必読の書の一つと思う。 (2020年5月了)
「これが人間か 」と問われたら、その通り人間である、としか言いようがない。例えば今のガザを見ても、そういう思いが強くなる。「被害者だと思っていたら加害者にもなってしまった」。アウシュヴィッツで非業の死を遂げた人たちの意味が薄められてしまったようで残念だ。まことに、「アウシュヴィッツは終わらない」。 ...続きを読む「人間の極限状態」などと大げさに構える必要はない。日常生活の場においても、「被害者だと思っていたら加害者にもなってしまった」という話はたくさんあるようだ。 それほど、どんな人間でも抱えている闇(正と邪を合わせ持つこと)は底なしに深い。 若干話が逸れるが、ハンナ・アレントによると、アウシュヴィッツのホロコーストを遂行した人は、悪魔のような人ではなく、私のような凡庸な人であるらしい。MicrosoftのAIが次のように語ってくれた(内容に重複あり)。 <ハンナ・アーレントは、アイヒマンの裁判を傍聴した際に、彼の行動が「悪の凡庸さ」に該当するのではないかと感じたとされています。アイヒマンは、ユダヤ人を絶滅収容所へ移送する計画と実行において中心的役割を果たしたナチス親衛隊(SS)中佐であり、彼の裁判は人類史に残る犯罪であるホロコーストを指揮した人物の行動を詳細に記録したものです。アーレントは、アイヒマンがユダヤ人問題の最終的解決に深く関与した人物であるにもかかわらず、彼の行動には「悪魔的」な深みを見出すことができなかったと述べています。彼女は、アイヒマンが上からの命令に忠実に従い、組織の歯車として効率的に「業務」を遂行した平凡で陳腐な小役人の姿を目の当たりにしたと述べています。この裁判ルポルタージュを通じてアーレントが提示した「悪の凡庸さ」の概念は、世界に衝撃を与えました。> <ハンナ・アーレントはアイヒマンを「悪の凡庸さ」として評価しましたが、これはユダヤ人から非難されたという事実と関連しています。アイヒマンはナチスのユダヤ人問題担当官としてホロコーストに関与し、裁判でその責任を問われましたが、アーレントは彼を「凡庸な官僚」として描き、個人的な悪意からではなく、単に上司の命令に従っていたことにありました。この見解は当時の読者に衝撃を与え、戦争犯罪や倫理に関する新たな視点を提供しました。アーレントの見解はユダヤ人やシオニストから厳しい非難を受けることになりましたが、彼女はその見解を一貫して擁護し、「アイヒマンを非難するかどうかは、ユダヤ人としての誇りとは無関係だ」と述べました。>
事実は小説より奇なりというが、想像を絶する体験談 証言として自分が見聞きしたものしか記述せず、そこに意見もほとんど載せなていない、淡々とした灰色の文章 終わりという名の希望にさえ光が見えなかった 1973年、改訂版に収録された若い読者に答えるはラーゲルから28年後、収容所は世界各地にあった 202...続きを読む4年 まだある
アウシュビッツを生き延び、イタリアに帰還した後、自らの体験を書き留めた著者による主著。 完全版として翻訳された本書は、読む者の魂を揺さぶるに違いないです。
強制収容所での体験談を読むのはこれが初めてだと思う。一人の体験談として読んでやっと実感が湧いてきたというか、移送の段階を含めて収容されていた人たちが何を思っていたのかとかが今までは自分の想像力を超えていた。 2011年にアウシュビッツ・ビルケナウ収容所を見てきたけど、あそこからは数キロ離れたところに...続きを読む入れられていた。というかあのアウシュビッツの収容所が管理していた収容所群というのがいっぱいあったとまず驚かされるのが最初に出てくる地図。 それから人々が内面を破壊されていく過程。木靴や縦縞の服。囚人のヒエラルキー。食事。選別。いろんなことがぶっ飛んでいる。人類史の中で出てきたユダヤ人の絶滅という政策というか事象というか、あれは一体なんだったんだろう。いまだによく理解できていない。
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改訂完全版 アウシュヴィッツは終わらない これが人間か
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