先崎彰容のレビュー一覧
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明治から昭和にかけて、西郷隆盛という人物にどのような思想が投影されてきたかを論じた本。
様々な思想家たちの西郷に対する考えが説明されてきたが、西郷の思想を表す言葉である敬天愛人の「天」をどう捉えるかが異なっているのだと理解した。つまり、思想家たちの間で反近代の象徴として、西郷を掲げることは一致しているが、その代わりに何を「天」として重視すべきかという考えが異なっているのだと思う。
西郷を論じてきた思想家たちと比べて私の知見はあまりに少ないが、それでも個人的な意見を述べるのであれば、もっとシンプルな思想の持ち主だったのではと考える。つまり、その時々で、理屈ではなく感覚的にこれが天命だと考えたものに全霊で向き合ったのが西郷であり、そのシンプルさ故に西郷像には大きな余白ができ、各時代の思想家たちの考えが投影される余地ができたのではないだろうか。 -
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『古今和歌集』や『源氏物語』にかんする本居宣長の思想を中心的にとりあげて、「もののあはれ」の解釈と「日本」のアイデンティティについて、彼がどのようなあたらしい見かたを提示したのかということが追求されています。
著者は、2023年におこなわれたG7広島サミットと、1943年におこなわれた大東亜会議の写真をならべて比較することで、本書の議論を開始しています。この二枚の写真は、普遍的な価値をもつ国際社会を意味する「西側」への日本のかかわりかたが、この間に大きく変わったことを示しています。しかし前近代においては、中国が普遍的な秩序を意味する「西側」の役割をになってきました。著者は、「西側」の秩序のなかにみずからを位置づけることでアイデンティティの確立をめざそうとする試みが、近代を境に大きな転換を遂げながらも、おなじ構図のもとでおこなわれてきたことを指摘し、それとは異なるしかたで「日本」を発見した宣長の思想の意義を掘り起こそうとしています。
仏教的ないし儒教的解釈をしりぞけて『源氏物語』における「もののあはれ」を重視した宣長の思想は、明治時代以降の日本文学における自我の解放とかさねて評価されることがあります。しかし著者は、こうした近代的自我の理解にもとづいて宣長を理解しようとする見かたを批判します。和歌とは、「詞」の伝統によって自他を架橋する役割を果たしているというのが宣長の考えであり、こうした考えは主観的な心情の発露が肯定される自然主義文学とは異なります。
こうして、近代的な枠組みにもとづいて宣長の思想を解釈する見かたをしりぞけた著者は、宣長による「日本」の発見を近代的なナショナリズムになぞらえる見かたに対しても、同様の批判を展開します。「西側」の普遍的な価値を前提に、自己のアイデンティティを対抗的に構築する試みは、日本人のなかに本来根づいていたやわらかな感受性を硬直化させるものでしかないと著者は主張します。
「日本」的なものを確定しようとする試みは、玉ねぎの皮むきになってしまうことを避けられませんが、本書はひとまず「西側」を皮に見立てることで宣長の思想を解釈しようとする試みといえるように思います。 -
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【福沢諭吉】
16
政体(政府の仕組み、立憲主義など)と政務(政府の事務、制度のあり方などの議論など)
【中江兆民】
26
「新しずき」=理論に傾きすぎ、時と場所を忘れる否定的側面
【高山樗牛ちょぎゅう】
33
「今後のわが日本は、快活に能動的に、日本の自己主張をせねばならない」
【北村透谷】
【石川啄木】
51
弱々しい個人主義
【岡倉天心】
62
アジアの連帯
【頭山満】
【三木清】
【保田與重郎】
【萩原朔太郎】
93
漂泊者、家郷喪失者
【伊藤静雄】
【丸山眞男】
【江藤淳】
119
文学者=政治を行わない。政治的連帯を叫ぶ丸山などの知識人を否定した。
【竹内好】
126
日本浪漫派
【橋川文三】
【柳田國男】
138
氏神信仰
【和辻哲郎】
【吉本隆明】
【三島由紀夫】
【坂口安吾】
169
政治
【網野善彦】
【葦津珍彦うずひこ】
【高坂正嶤まさたか】
193
絶対平和主義
203
福沢諭吉と西郷の評価
226
nationalismとpatriotismの対立の解消
275
三島の天皇観と後醍醐天皇
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最近夜はBSフジのprimenewsにハマっているのだが、先日登場されていた日大の先崎教授の著作。
日頃ビジネス界隈の本ばっか読む中、ひっさびさに思想、社会学系の本に触れたのもあり、初っ端から『ああ文系の論考ってこうだよなぁ〜』感を痛烈に感じた!
物事を、ファクトベースではあるんだけど、そこに個人の知識や知見、過去の思想家などの思考をふんだんに絡めて、独自の視点で喝破する。それはとてもブレもなくなるほどなぁと思わされるのも多いが、極めて分かりづらい...。論点や論拠があっち行ったりこっち行ったり、着いてくのがしんどい。
primenews登場時の論説は極めて分かりやすかったのだが、著作はむずかった。が、たまにはこういうものも読まねばと思った。
あと冒頭、なぜブラピの名作『リバーランズスルーイット』が“反知性主義”とされるのか、という問いがあり、その答えが本章で描かれてて、なるほどなぁと思った次第。深い。 -
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著者は、ナショナリズムをめぐる三つの誤解があるといいます。まず、ナショナリズムを全体主義とみなす誤解、次に、ナショナリズムを宗教とみなす誤解、そして最後に、ナショナリズムをデモクラシーの帰結とみなす誤解です。
まず著者は、アレントが問題にした「モッブ」や、ゲルナーが問題にした「大衆」は、伝統から切り離されており、全体主義を招き擬似宗教的なポピュリズムに陥ることを明らかにしたうえで、ナショナリズムがそれらの立場とはっきり異なっていると論じます。
つづいて、吉本隆明の『共同幻想論』が、なにを問題にしたのかということに議論は進みます。吉本は、習俗に基づく「黙契」と、そのような背景をもたない「禁制」を区別します。そして、両者の区別に気づかないままにつくられた共同体が、全体主義と個人崇拝を生み出すと主張し、政治支配に絡みとられることのない文学の言語をつくっていく個人幻想を、全体主義的な個人崇拝から区別しなければならないと主張しました。
さらに著者は、アジールにおける自由を称揚した網野善彦と、うしなわれつつある「家」を見守ろうとした柳田国男を対比し、荻生徂徠の思想に「作為」の論理を見いだそうとした丸山真男と、新しい思想と旧来の伝統の摩擦のなかに身を置いた藤原星窩を高く評価する江藤淳を対比しています。著者の共感は、柳田と江藤のほうに置かれており、戦後になって外からあたえられた普遍的な価値観に飛びつく知識人たちを批判する視座を、彼らの思索のなかに見ようとしています。そして、伝統的な価値基準が崩壊した「戦後」という時代のなかで、われわれはその空虚を安易な輸入思想によって埋めようとするのではなく、まずはそうしたわれわれ自身のありかたを直視し、そこから国家について、伝統について、生死について、言葉を紡ぎ出していくべきだという考えが示されます。
新書という小さなサイズの本で、多くの重要な思想家たちの議論を紹介しているため、この本だけでは著者の考えの根幹にあるものが、十分に理解できなかったように思います。「戦後」という時代が価値観の空洞化を抱え込んでいるという診断には納得ができるのですが、すくなくとも本書を読んだかぎりでは、「田吾作」的なものに飛びついたところでそうした問題がどうにかなるとは思えず、もうすこし著者自身の考えをくわしく知りたいところです。