森口朗のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
公立学校の教職員の労働組合である日本教職員組合、略して日教組について一般向けに解説した入門書的な本。
日教組というと、反日的な歴史教育、組合員たる教員の政治活動の参加、子供への過保護(体罰禁止など)といった事柄で悪名高いが、思えば自分は日教組について詳しいことは知らないので、参考のために読んでみることに。
著者は多くの日教組批判はデタラメであると述べた上で、日教組に関係する事件を取り上げつつ「戦後民主主義の申し子」と形容する。どういうことかと言えば、反日的教育=自虐史観は1947年5月15日、文部省(現・文部科学省)発表の「新教育方針」に従ったカリキュラムに基づくものに過ぎないし、政治活動についても文部省との労働協約で保障されたものだし、体罰禁止も既に1879年の「学校令」で定められていたもので、戦後になって初めて決まった方針ではない、といったことである。
日教組と文部省(+自民党)は文教政策を巡って対立関係にあることが認知されているが、それはプロレスショーに過ぎず、共犯関係にあったのだと言う。そうすることで日教組と文部省はそれぞれ自分に向けられた批判の矛先を相手に逸らすことができるし、自民党は日教組を叩くことで保守票を取り込める。
著者は日教組を一種の宗教組織に準える。戦後民主主義を布教するムラ社会的な組織だと。日教組が基本的人権の尊重を掲げる戦後民主主義と、人権を認めない共産主義という、相容れない思想を同時に標榜していたのは、インテリ層を取り込むためだったそうな。そう言えば日本のリベラル派はどこか共産主義的なイメージがある。
私も日教組に所属する教員の中に、「尊敬する人は金日成主席」と言う人や、自衛隊員を父に持つ小学生に対して「○○くんのお父さんの仕事は人殺しです」と言う人のような極端な思想の持ち主がいることを聞いたことから、悪い意味で左翼的な組織だとは思っていた。
だが、「日教組が日本を堕落させた元凶」といったような感情的、短絡的批判にも賛同できなかった。有力とはいえ、たかが一労働組合が1億人以上の人口を抱える国全体を左右すると考えるのは、過大評価が甚だしいと思っていたから。著者の主張に従えば、教育現場の現状や、文教政策について日教組だけを批判するのは片手落ちである。日教組を生かしてきた文部省(文科省)も視野に入れて批判するべきだと言う。
戦後の政治や社会にも密接に関わる話なので、結構勉強になった。 -
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今、小学校高学年から中学生くらいの子供を持つ親たちに二つの命題が突きつけられている。
「わが子がいじめられたらどうするか?」と
「わが子がいじめをしていたらどうするか?」である。
「学校に相談する」親もいれば、「子を殴る」親もいるだろう。
この本は、テレビなどでいじめが討論される際にでてくる「傍観者も加害者」「いじめっ子も被害者」「いじめられっ子に原因はない」といった言葉を妄言であるとばっさりと切り落とし、いじめの分類・解析をした上で、具体的ないじめ対処法を明示している。
その対処法は学校への警察介入を伴うものであり、学校側はかなり眉をひそめる内容だろう。しかし自殺者も多くでている現状では仕方ないことだし、逆に言えばいじめられている子を持つ親にとっては学校と対話をする中で警察の介入は武器にもなりうる。
教師たちはこの本をぜひ読んで欲しい。そして親も読んでおくべきだと思う。
少なくとも二つの命題のうち「わが子がいじめられたらどうするか?」には明確な答えが得られるはずだ。 -
Posted by ブクログ
日本でリベラルとか名乗ってる奴は、大体左翼。それもマルクス系の暴力革命肯定、自由主義国家の解体を目指す。少なくともそんな夢から覚めていない。
全体に書き散らかしで、嫌いなもんは全部左翼だ的な感じで、意見が違うところは特にちょっとなあ、と思ってしまう。
それでもところどころ、パンと膝を打つようなところがあって、世界一優秀な国民と、世界一無能な政府を有する国で、その原因は、東大法学部を頂点とする文系大学が腐っているから。
判る。
それでも何とかなってきたのは世界一優秀な国民だからなのだが、流石にそこを侵食されてきて、堪えきれなくなってきた感じはとっても実感できる。 -
Posted by ブクログ
スクールカーストという教室内の子どもの序列を現す言葉を用いて、いじめの起こるメカニズムを解説。
この本によればいじめのパターンは4つに分類できる。
1 集団のモラルが混乱・低下している状況で起こる
2 なんらかの社会的な偏見や差別に根差すもので、基本的には<異質性>排除の論理で展開する。
3 一定の持続性をもった閉じた集団のなかで起こる
4 特定の個人や集団がなんらかの接点をもつ個人にくりかえし暴力を加え、あるいは、恐喝の対象にする。
一般的に理解されているいじめの形というのは過去においてのモデルである。現在のいじめの形というのは社会が変化をとげているのに伴って当然変化している。
それをうまく理解しないと現実的な施策は打てない。