落合恵子のレビュー一覧
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ネタバレ涙なくしては読めなかった。
著者の人生もさることながら、著者のおかあさまも随分苦労続きの人生だったこと。
早くに父を亡くし四人姉妹の長女として母の右腕としてだれにも甘えられずひたすら働きつづけ、そして多分初めて甘えられる好きな男性と恋に落ちた。その結果、未婚で子ども(著者)をどうしても産みたくて産んだ。そのことを誰が責められよう。
それからも、地域の差別的な環境の中、味方であってほしい自分の母親とも(著者にとっては祖母)考え方が合わず、それでも妹たちの学費のためとすごい張り詰めてぎりぎりがんばってきて、とうとう神経を病んでしまう。それを誰が責められよう。
救いだったのは著者がそうであるように、とても聡明でリベラルな考えの持ち主だったこと。(だからこそ生き辛かったのかもしれないが…。)
そしてその資質を受け継いだ素晴らしい娘(著者)を授かったこと。
その娘に七年の在宅介護の末、見取られて晩年はきっと
心安らかだったに違いない。
著者の自伝、”あなたの庭ではあそばない”をまた読みたくなった。
あと落合さんの高校時代のあだ名が”金太郎”ってのも意外だった。 -
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食べるものにはこだわっていた落合さん。それでも、がんになる。健康的な食生活をしていれば病気にならない、という単純なものではないのだと思いました。
一方で、落合さんは、抗がん剤治療の副作用が比較的軽かったのは、これまで食事に気をつけ、ファイトケミカルスープなどを取り入れてきたことも関係しているのではないか、と書いています。そのことがとても興味深かったです。
そのくだりを読んで、22歳で悪性リンパ腫になった息子のことを思い出しました。息子も抗がん剤治療を受け、自家造血幹細胞移植をする直前には大量の抗がん剤を投与しました。副作用が心配でしたが、本人は「吐き気がちょっとしんどかった」と言う程度で、脱毛はあったものの、思っていたほどひどくありませんでした。
もちろん、副作用の程度にはさまざまな要因があり、食生活のおかげだったとは言えません。それでも、普段の食生活も、病気になった身体を支える何かにつながっていたのだろうか、と息子のことを思いました。
病気を防げるわけではなくても、食べるもので私たちの身体がつくられていることを、改めて感じました。
もう一つ心に残ったのは、落合さんのように言葉を持っている人であっても、医師に聞きたいことを十分に聞けなかったということ。
私自身もそうでした。何を聞けばいいのか分からなかったり、こんなことを聞いていいのだろうかとためらったり。息子のことはとても心配なのに、気になることはあるのに、その心配事、すべてを聴けない。遠慮してしまう。でも、気になることは聴いていいんです。
落合さんの闘病の記録を読みながら、息子が22歳で病気になったあの頃のことを、もう一度思い出しました。 -
Posted by ブクログ
以前、クレヨンハウスに伺ったこともある。絵本やオーガニックの美味しそうな食材がたくさんあり、落合さんの好きなものが溢れているなと感じた。
ご自身でお店をされているくらいだから、口にするものや生活にはかなりこだわりがあったと思うけど、それでも癌になることもある。
「癌にならないためには…」の情報が溢れすぎると、いざ病気になってしまった時に、まるで不摂生だったかのような印象を持たれるというのは、確かにあるなと思った。
ファイトケミカルスープを飲み続けていたことで、抗癌剤の副作用が軽くてすんでいるという話も興味深かった。
タイトルのように「悲観にも楽観にも傾かず」というのは案外難しいかもしれないけど、私もそうありたいなと思った。 -
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ネタバレいろいろ考えさせられた。
私にとって憧れの女性。
まだ表参道にある頃のクレヨンハウスに何度行ったことか。
そこでの講演会もその場にいた著者とちょっとだけお話できたことも思い出した。
ラジオの”ちょっと待ってマンデイ”でコーヒーのエピソードを書いた葉書が選ばれ神戸の旅をして著者と一緒に写真も撮った懐かしい思い出。
いつも颯爽としていていつも何かに毅然と闘っていてその背をずっと憧れを持って追いかけていたというより見ていたって感じか。
ふたりにひとりは癌に罹患する時代。
でもなるまでは自分はならないと思っている。
落合さんも然り。
私もどこかで落合さんは癌にならないと勝手に思っていた。
でも、でも、2023年の夏に癌と診断される。
しかも、増殖のスピードが早く転移しやすい小細胞肺がんのステージIII。
ステージ1でないと手術はできない癌らしく抗癌剤と放射線治療で癌をたたくしかないらしい。
幸いなことに副作用はほとんどないらしく、それは30年以上有機野菜とケミカルスープのお陰と著者は考える。
いろいろな葛藤、質問しずらい空気、忙しすぎる医師たち、
でも、自分の体、自分の命を大切にしたいと思う当然の権利の中で揺れ動く気持ちがほんとに痛いほどわかって読むのが辛くもあった。
病院をリゾートと呼び、パジャマではなくスエットで過ごすとこが著者らしい。
今のうちに墓仕舞いをして自身のは散骨する手はずらしい。
今は退院し、何ヶ月に一度かの通院でご自宅で庭の花を植えたり、原稿を書いたりと前と同じ生活を送れていることが(そりゃあ前と同じってわけにはいかないだろうけど)
喜ばしい。
願わくば、このままずっと小康状態で5年後を迎えて欲しいと切に願う。 -
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ネタバレ【母と娘の血縁と解放】
語りての冬子が認知症になった母を介護しているシーンから始まり、
半ば、7年にわたる介護を終えますが、
自身の人生の終わりを意識した終わりにいたるまで、
母の生き様が冬子の生き方の土台にあるような、
そんなお話でした。
フィクションですが、著者の体験記的小説となっているようです。
・・・
シングルマザーとして冬子を育ててきた母。
神経症を患いながらも、一人娘を育て上げる。
冬子は10代から、母とは一定の距離を置き生きてきていた。
22歳で新卒で入った出版社を31歳まで勤めたのち、独立し、絵本書店「ひろば」を始める。
そして今は自分が母の世話をする。
子どものような無垢な母。
すぐ、「あっち側」に行ってしまう母。
母に育てられた日々を思い返さずにはいられない。
母はどんな思いで生きてきたのか。
__子どもという存在が、大人を「こっち側」に引き留めておくのだ。(本文より)
神経症の症状がなくなったのは、祖母(母の母)が他界したとき、冬子の実の父が他界したとき、だったか。
それは母にとっての何かしらの解放だったのか。
そしてふと訪れた7年の介護への終止符。
いつしか自分も老いていく。
__いくつかの死を体験して、子どるの頃の重圧であり、母の介護が始まってから再びの重圧となった死への恐怖は、すでにいまのわたしにはなかった。
わたしが子どもを迎えたいと思わなかったのも、子であることの重さに耐えられないと思ったからかもしれない。この母のために死んではならないという思い詰めた日々。なんという重さだったろうか。わたしという子どもを迎えた母も、同質の重さをずっと抱えていたに違いない。血縁という鎖を先に解くことができたのは、認知症になった母のほうだったが。(本文より)
72歳になった冬子が、41年間続けてきた「ひろば」の経営を、信頼する同僚に譲り渡すところで、ストーリーは終わる。
・・・
かけがえのない親との関係、
それを分かっていてもどうにもならない何かがある。
解放でもあり、未練でもあり、常に両面が合わさっているような経験。
どんなに考えても知ることはできないお互いへの思いが二人をつなぎ、突っ放し、引き戻し、その存在を受け入れるときに、緩まるような。
私たちもそれぞれに避けては通れない、関係の変化をもたらす出来事を経て、この奇妙なつながりを思い返し、付き合い方を学んでいくのだろうと思いました。 -
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雑誌のフリーライター香川美沙子は、セクシャルハラスメントの被害者を取材する。だが、上司のごり押しで被害者の意思に反するキャンプションをつけられ、被害者を傷つけることになってしまった。
家庭内での性暴力に苦しむ女の子は、悲しい願いを手紙に書き続ける。
美沙子は、家庭内での性暴力の被害者が義理の父を刺してしまった事件の取材をする。
美沙子の友人でニュースキャスターの高木典子は、セクシャルハラスメントなどの報道ではより力が入る。典子は、人知れず家庭内での性暴力にあった過去に苦しんでいた。
ーー被害が一度ではとどまらず、それを告発する過程で、社会から再びレイプ、つまり人権侵害を受けること、これが「セカンド・レイプ」。
映画化もされ大きな問題提起となった『ザ・レイプ』の作者・落合恵子が、さらに一歩進んで世に問いかける名作。「セクシュアル・ハラスメント」「プレーキング・サイレンス」も収録。
落合恵子が放つ社会派小説の決定版。「ザ・レイプ」に続く衝撃の問題作!
雑誌のライター美沙子が、取材しているセクシャルハラスメントの被害者や家庭内の性暴力の被害者への取材。
セクシャルハラスメントなどの報道に力を入れているニュースキャスター高木典子が、人知れず抱えている家庭内の性暴力のトラウマが交錯して炙り出される、性暴力を下ネタのように消費したり被害者を揶揄したり中傷する男性のミソジニーやセカンドレイプを恐れて沈黙を強いられる構造やセクシャルハラスメントなどの残酷さが、徐々に描かれているので読んでいて惹き込まれるので、男女問わず必読の社会派小説。 -
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「あの男」を裁く! 女は訴え、闘い、傷つき、多くを失った。あなたなら、その時どうする? ーー沈黙を守ることは、犯人と共犯になってしまう……
最後の誇りが、矢萩路子を告訴に踏み切らせた。
襲った犯人はすぐ割れたが、男は和姦を主張。事件は裁判に持ち込まれた。
被害者であるのに過去を暴かれ、好奇の目に晒され、路子は職場を、恋人を、ささやかな日々を失った。強者の論理、レイプを告発する問題作。
レイプという性犯罪は、肉体だけでなく自尊心や魂を傷つけ、警察での事情聴取では事件当時の行動や服装や過去の男性関係や学費を稼ぐためにしていたホステスの経験や中絶したことを「被害者の処女性を証明するため」という名目で男性刑事から興味本位であげつらわれ、服装や恋人に送ってもらわなかったことなどを被害者の落ち度として責められるセカンドレイプを警察の事情聴取や裁判で被り、恋人との関係や社会生活を狂わされてしまう。
また性犯罪が、刑事裁判で重い刑になるかどうかが、死の危険がある脅迫下にあったか必死になって抵抗したかなどなどが一番重要視される法律上の不備。
レイプという性犯罪の被害者になった矢萩路子の目線を通して、被害者となった屈辱感や警察に自分の被害を訴えるべきか忘れてなかったふりをするべきか躊躇する葛藤や警察の事情聴取と裁判で「被害者にも隙があったんじゃないか」「和姦だったんじゃないか」「慰謝料目当てだったんじゃないか」と世間の偏見に苦しめられる苦悩が生々しく描かれている。
落合恵子さんが、この小説に込めたメッセージは、裁判での唐沢杏子検事の「強姦が、犯罪として立証しにくい社会は女性の人格を軽く見てる社会と言える。それは、人間そのものを軽視し切り捨てる社会と言える。性犯罪の裁判は、日本の文化の成熟度が問われる裁判」という最終論告に込められている。
落合恵子さんが、強姦という性犯罪の被害者の苦しみや法律の不備を啓蒙してくださったおかげで、性犯罪に関する刑法が改正され「不同意性交罪」が成立した点でも男女問わず必読の社会派ヒューマンサスペンス小説。 -
Posted by ブクログ
読んだのは二度目だと思う。たぶん。
有名人、著名人、文化人の手による肉親の介護&看取りの実録本の類いは少なくなく、いずれも「表現のプロ」の手に掛かればどれもそれぞれ興味深く読むことが出来る。しかしこの著者の書には、やはり彼女ならではの個性というか、感性が滲み出ているように思えた。独特の詩情、とでもいうのだろうか。
考えてみれば、今の僕より若い当時から、今の僕の母より若い母親を自宅で、しかも仕事を続けながら介護し、看取ったという、大変な体験談。同じ環境で在宅の看護に携わる全ての「同志」たちへの強力なエールとなり、バイブルとなったであろうこと、想像に難くない。
肉親を在宅で介護する人にとっては、年齢性別問わず必読の一冊だと思う。