あらすじ
「自分の人生にどう決着をつけていくか」は、人生の終盤を迎えた中高年にとって大きな課題である。定年を見据えたうえでの仕事への向き合い方、避けては通れない家族問題、いつか必ずやらねばならない生活環境の整理、老いていく自分への対応……。いわゆる“終活”にとどまらない、リアリティを持った人生の締めくくり方、始末のつけ方とは何か。自身の死生観や倫理観に対峙しながら、「自分の人生にどうかっこよく幕を引くか」をテーマに新しい生き方を考える。【目次】第一章 おとなの始末とはなにか――そのうちきっと、と思っているだけでは、「そのうち」は決してこない。/第二章 仕事の始末――仕事は楽しいか。あるいは苦痛でしかないか。楽しいと苦痛の様々なグラデーションを往復しているのが、おおかたの現実というものだろう。/第三章 人間関係の始末――血縁がすべてか? 「家族」と呼ばれる人間関係で、「家庭」と呼ばれる空間で、傷ついているひとはいないか? 友人関係においてもまた。/第四章 社会の始末――自由に生きたい。平和に生きたい。差別は、したくも、されたくもない。「殺し、殺される」法律など、まっぴらごめん。だからわたしは、声をあげる。/第五章 暮らしの始末――暮らし、というこの愛おしくも懐かしくも、けれど、時に、うっとうしいもの。『Good Morning Heartache』でも聴きながら、暮らしと向き合ってみよう。/第六章 「わたし」の始末――第一章から第五章まで、なんとか辿りつけたとしても……。最も高いハードルがまだある。/あとがきにかえて
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Posted by ブクログ
現在55歳の自分には"仕事の始末"が非常に参考になり、心の拠り所になった。「仕事以外の居場所を作る」自分はいったい何がやりたいのか??。「名刺の肩書を削除する」皆最後は手放す椅子、椅子は綺麗に手放すのが素敵、人生は自前。椅子の数は決まっていて決められた椅子とりゲームに一喜一憂するのは無駄、ボロくても自分の椅子を作っていく方に。。綺麗に椅子を譲る姿勢が良い。。「過去ではなく現在」元○○は肩に止まったトンボ、チョット動いたら飛んでいくもの。
Posted by ブクログ
人生の終わりに向けての「始末」という視点とともに、日頃からの責任の取り方という視点でも書かれていて興味深く読んだ。はっきりと意見を示されているようにみえるが、その裏に責任をとれる範囲で行動するという信条をお持ちであることがわかりなるほどと思った。たくさんの本や絵本が引用されていて、日頃から本に触れるとこうやって参照できる引き出しが増えるんだなあと思った。
Posted by ブクログ
読む前の自分にアドバイスするとしたら、まあ読んでもいいし、読まなくてもいいかもと答えると思う、そんな一冊でした。
疲れが取れず、寝ても寝ても眠くて、花粉症のせいかと思っていたけれど、この本を読み、あれ?加齢か?加齢のせいなのか?と気づけたのがよかったこと。
老化してるんだ、自分。できないことが増えて、オカシイと感じていたあれこれは老化だとは。
モーツァルトの言葉に出会えたのもよかった。人生の最良の友である死と親しむ。
自分だけじゃなかったのだと安心できた。
Posted by ブクログ
毎月届くクレヨンハウス通信の「クレヨンハウス日記」を楽しみにしているので、落合さんの著作を初めて読んでみた。
70歳を迎え、人生の終焉を見据えて自分の人生にどう決着をつけてゆくか、大きく5項目に分けて語られている。
・仕事の始末
・人間関係の始末
・暮らしの始末
・社会の始末
・わたしの始末
他人に寄りかからずともStand Aloneのスタンスで生きていけるよう、持ちすぎず抱え込みすぎない工夫、意識をする。
「思想も姿勢も、自分で立っていないと他人ともつながれない。」
反原発の意見をはっきりと掲げている方でいながら
始末は永遠のテーマであり、完結出来ないまま人生を終えるであろうという諦め、緩さを自分に許すところが逆に潔さを感じて好ましく感じた。
<心に響いたフレーズ>
会社や誰かからの必要ではなく、生きていく為に「私が私を必要」というのが自分にとって最も確かな必要であり、必然であるのだ。