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Posted by ブクログ
自伝?と表現している人もいるが、執筆時期と著者の年齢を照らし合わせると関連はあるかもと思った。冬子が母親、友人、自分の3点から老いと死を見つめている。
認知症を患う母親の介護から看取りまでが前半、後半は友達を見送りながら自己の老いをしっかりと受け入れていく様が描かれている。前半部分は母親の介護を通して冬子自身が制御しようとしている心の叫びみたいなものを感じて少し気持ちがざわついた。それに相対するように後半は冬子の落ち着いた心の語りに聞こえた。
やはり母親は特別だし、自分のことではないからこそ自分にはどうにもできないもどかしさを受け入れるための葛藤に苦しんでいるように見えた。母親を看取った後に冬子も歳を重ねていくことで、自分の老いについてはむしろ自分のことだけを抱えればよく、気持ちはむしろ気楽に感じているようにも感じた。友人の看取りについては、冬子も年が近い分、母親に対するものとは別の思いで、少し冷静に受け止められていたのではないか。
それにしても最後の最後で友人とのお別れが多すぎ…詰め込みすぎではないかとも感じた。
最後、冬子が涙をこぼしたのは悲しみなのか、私にはなぜか喜びのようにも感じた。
ぱっと面白かったわけではないが、妙に印象に残るラストだった。
Posted by ブクログ
子どもが小さかった頃、お世話になったクレヨンハウス。
最近またご縁が出来て、本を購入するようになった。
懐かしくて、若い頃夢中になって読んだ落合さんの本を
再び手に取ってみた。
この本は落合さんにとっても21年振りの小説らしい。
あの頃はわからなかったことが、20年以上たってようやくわかるようになってきた気がする。
ずっと子どもの頃から落合さんが社会に対して感じていた疑問や違和感は、
令和の世の中になっても、ちっとも解消していないんだろうなぁ。
体験者にしか書けないであろう認知症介護のリアルな姿や、人生の終い方について・・・
やっぱり私にとって落合さんの本は、いつも人生の先を行く素敵なお手本だと改めて感じた。
Posted by ブクログ
【母と娘の血縁と解放】
語りての冬子が認知症になった母を介護しているシーンから始まり、
半ば、7年にわたる介護を終えますが、
自身の人生の終わりを意識した終わりにいたるまで、
母の生き様が冬子の生き方の土台にあるような、
そんなお話でした。
フィクションですが、著者の体験記的小説となっているようです。
・・・
シングルマザーとして冬子を育ててきた母。
神経症を患いながらも、一人娘を育て上げる。
冬子は10代から、母とは一定の距離を置き生きてきていた。
22歳で新卒で入った出版社を31歳まで勤めたのち、独立し、絵本書店「ひろば」を始める。
そして今は自分が母の世話をする。
子どものような無垢な母。
すぐ、「あっち側」に行ってしまう母。
母に育てられた日々を思い返さずにはいられない。
母はどんな思いで生きてきたのか。
__子どもという存在が、大人を「こっち側」に引き留めておくのだ。(本文より)
神経症の症状がなくなったのは、祖母(母の母)が他界したとき、冬子の実の父が他界したとき、だったか。
それは母にとっての何かしらの解放だったのか。
そしてふと訪れた7年の介護への終止符。
いつしか自分も老いていく。
__いくつかの死を体験して、子どるの頃の重圧であり、母の介護が始まってから再びの重圧となった死への恐怖は、すでにいまのわたしにはなかった。
わたしが子どもを迎えたいと思わなかったのも、子であることの重さに耐えられないと思ったからかもしれない。この母のために死んではならないという思い詰めた日々。なんという重さだったろうか。わたしという子どもを迎えた母も、同質の重さをずっと抱えていたに違いない。血縁という鎖を先に解くことができたのは、認知症になった母のほうだったが。(本文より)
72歳になった冬子が、41年間続けてきた「ひろば」の経営を、信頼する同僚に譲り渡すところで、ストーリーは終わる。
・・・
かけがえのない親との関係、
それを分かっていてもどうにもならない何かがある。
解放でもあり、未練でもあり、常に両面が合わさっているような経験。
どんなに考えても知ることはできないお互いへの思いが二人をつなぎ、突っ放し、引き戻し、その存在を受け入れるときに、緩まるような。
私たちもそれぞれに避けては通れない、関係の変化をもたらす出来事を経て、この奇妙なつながりを思い返し、付き合い方を学んでいくのだろうと思いました。
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