中村安希のレビュー一覧
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沢木耕太郎さんの紀行小説「深夜特急」を彷彿とさせるノンフィクション。
300頁にも満たないこの1冊に、広大な世界が広がっていた。
異国の文化や国民の気質、それらを著者の目を通して感じたり疑似体験できることが、たまらなくおもしろい!
これだから読書はやめられない。
その国、人の考え方や感じかたによって交わされる会話も違う。
◯◯人というカテゴリーでしか知らない異国に住む生身の一人一人と向き合い、肌でその人の暮らしや思想、体験と向き合えることが、私の目にはとても眩しく映った。
まさに一期一会の世界が広がっていました。
日本にも言えることだけど、その土地の食文化や気候、慣習に身を置いて過ごすのは、想像するだけで楽しそう。
素晴らしい読書体験でした!
沢木耕太郎 著「深夜特急」を初めて読んだのは昔、新卒入社の夏。あの時、「もっと早くこの本に出会ってたら旅に出てたのに…」と思いましたが、こちらの作品もそうかもしれない。
『子供たちは、声には出せない大きな思いと、言葉にできないたくさんの意図を、その小さな体の深いどこかに密かに隠し持っている……そんなふうに感じられた。』
『臆せず抗せず慌てずいれば、地球は勝手に自転を続け、やがてすべてはあるべき場所へと落ち着いていく気がしていた』 -
Posted by ブクログ
子供の頃はすべてが新鮮だった。
父親と一緒に捕まえたカブトムシの光沢や
ここからどこまでいけるのかと
自転車を漕ぎまくったときの足の痛み。
パチパチと喉で弾けるコーラの味。
そして初めて握った女の子の手の柔らかさ。
すべての物事を自分の中に刻み込み
新しい明日、新しい刺激に心を震わせる。
しかしどうにもならないことだが
人は年を重ねるたびに心の震えを失っていく。
代わりに心のうえに積み重なっていくのは
いろいろなものを失っていく喪失感だ。
主人公であり書き手のアキは
友人のミヅキを死というかたちで失う。
ぽっかりと空いてしまった心の穴を埋めるため
アキは世界一綺麗といわれる
ラダックの星を見に行こうと思い立つのだ。
とにかく我慢ならないくらい
澄んでいて輝いている綺麗な星を。
アキはラダックへ行く道中で考え続ける。
なぜミヅキは死んだのか
死ななければならなかったのか。
けれど誰も何も答えてくれない。
それでもアキは考える
ミヅキの死だけでなく
私たちの心に降り積もっていく喪失感を
じっくりとひっそりと黙々と。
そしてアキは気づくのだ。
大切なのは喪失から目を背けることではなく
いつかの子供のときのように
その喪失をしっかりと受け止め
自分の中に刻み込むこと。
子供の頃のようにもう心は震えることはない
しかし刻み込んだ喪失を抱えて
また新しい明日を生きなければならないのだ。
アキの目の前に突然現れた
こぼれるようなラダックの星の光。
それは立ち向かったものしか
見ることのできない救いという名の光。 -
Posted by ブクログ
開高健ノンフィクション賞を受賞した時から気になっていたけれど、今まで読まずにいた。読み終えた今思うのは、『15年間損した。もっと早く読んでおけばよかった。』と。
文章は簡潔でいて筋肉質。それでいて情緒はあり、読後は感慨深い。
ユーラシア大陸からアフリカ大陸を旅して2年。序盤のアジアと終盤のアフリカではタッチが異なるが、それは国情の違いか、流れた旅の経験がそうさせているのか。
あったことをそのまま並べ、全てをアピールするのではない。
大きく心を動かされたこと、強く感じたことを、その出来事と著者の心を両方描写しているので、より著者の心の内が強調されている。読者である僕に伝わるのは、著者の個人の尊厳のとらえ方と幸福の感じ方が一貫して変わらないことだ。この感覚が旅行記に深い読後感を与えていると思う。 -
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各国での印象に残った出来事を繋いで行くスタイル。答えがない、唐突なエピソードも多いので初め慣れるまで戸惑った。旅をつらつら書いた旅行記かと思ってた。
精神性の豊かさと貧しさについて考える。わたしも自分の哲学をもっていたい。
こういった旅をなぜするのか。特に危険地域だったり、国際援助も偽善やバランスなど考えると、何が正解か、何が個人にできるかはもとより、個人の数週、数ヶ月の体験で目に見えることも限られている。例えば"日本"という章があって、どのような1つのエピソードが相応しい?それに対しての筆者の考えがこの本に残されているのは読む価値があると思われる。先日テレビでみた、沢木光太郎の自由に対しての考えと多少重なる部分を感じた。言葉だけを取ると、現地で乗り物の手段を使いこなすことが自由にどう繋がるのか、と言う気がするが、その奥のいいたいことはなんとなくわかる気がする。言葉にするのはとても難しい。
2022.1.18 -
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友達のおすすめ本。英語で書いて和訳したような、簡潔ですっきりとした文章だった。本当にそうやって書いてるのかも?これを読んで行った気分になるのは傲慢すぎるけど、筆者が感じたその国の風景や、空気が鮮やかに伝わってくる。アフリカに根付いた、将来の計画や貯蓄はないけど、助け合って生きていけるという、いわゆる「その日ぐらし」の価値観は、やっぱりなかなか理解しがたいところもあるけど、あたりまえに尊重すべきだし、先進国がズカズカ立ち入って否定していいものではない。記録に残らなくても、他人に評価されなくても、目の前の人を助けるってことをちゃんとしようと思った。
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「インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸 684日」で開高健ノンフィクション賞を受賞した中村安希さんが、とある理由からインドのラダックに星を見に行くことになった紀行文。
紀行の描写もさることながら、その心理描写が大変に素晴らしい。
動作ひとつ、視線ひとつ、心の葛藤ひとつが、締め付けられるような苦しさや、虚無感を感じさせる。
一人の女性を巡って現在と過去が交錯していく表現がなんとも儚く、過去の美しさを知っているからこそ、それがなくなってしまった現在の虚無感が響いてくる。
一歩づつ歩き続けたくなる一冊。
ちなみに僕の2018年第2位にランクした本です。 -
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26歳の女性が、アジア・中東・アフリカ・ヨーロッパを684日間、貧乏旅行でまわる。訪問した国数は47カ国。野宿は当たり前で、途中で身体を壊したり、とっても過酷な旅だ。旅行記は、たくさん読んでいるが、女性の旅行記で、ここまで過酷なものは読んだことはない。
文庫本で、だいたい280ページ程度の本だけれども、約50の短い章に分かれている。旅行の記録も書かれているが、彼女自身の感情の動きを示している部分も多い。物事を、とても真っ直ぐに見て、真っ直ぐに書いている。読んでいて、清々しく感じる部分も多かった。
書名の「インパラの朝」は、ケニアでサバンナ旅行に参加した3日目の朝に、一頭のインパラに遭遇した出来事を書いた章の題名でもある。
そこの部分を引用したい。
【引用】
すると、私の眼前に一頭のインパラが現れた。黄金の草地に足を着き、透き通る大気に首を立て、たった一頭でたたずんでいた。インパラは草を食むこともなく、歩きまわることもなく、緊張している様子でもなく、だからと言って気を抜いてくつろいでいるふうでもなかった。誰かに追われることもなく、何かを追いかけることもなく、静かにそこに立っていた。インパラの濡れた美しい目は、周囲のすべてを吸収し、同時に遠い世界を見据え、遙か彼方を見渡していた。
ヴァンは速度を緩めることなく、近くをそのまま走り過ぎた。私は体を乗り出してインパラの姿を追いかけた-そのしなやかな筋肉と悠然としたまなざしを。
【引用終わり】
書名にしているぐらいなので、彼女にとっては、とても印象に残った場面だったのであろう。
周囲のすべてを吸収し、遠い世界をも見据えることができる悠然としたまなざしを持つことを彼女は強く望んだのであろう。
確かに本書は、そのような本だ。
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Posted by ブクログ
2019年9冊目。
著者の旅のテーマのひとつといえそうな、世界の人々にとって「何が必要なのか。何が適切な支援なのか」。
授業でも単元計画の軸に据えたりしている。
この作品を読み進める中で、「やっぱり」と思う部分と、「そうか」と気づかされる部分があり、大変勉強になった。レビューをみると批判もあるようだが、個人的には示唆を受けた。
先進国と途上国。支援とは?国際貢献とは?そして、真の幸福とは何なのか。
支援することによって地域社会のバランスが崩れ、紛争の火種になる可能性もあること。
バランスが崩れることで、モラルやその類の「大切なもの」が消えたと嘆く人の存在。
特に印象深い箇所メモ。
p246
「国の宣伝や未来投資から場合によっては距離を置き、もう少しだけ純粋に地域の実態を考慮しながら、素朴な支援を試みている。だから日本の協力は、質や金額に見合うほどには世界で評価されていない。国際競争にしっかり負けて、真の協力で勝利する。評価されないことを謙虚な姿勢でやっていく。もっともっと評価されずに、それでも淡々とやっていく。」
p248
「助け合うということは、予算額の大きさではない。慈悲の精神の量でもなければ、それをどれだけ大々的に宣伝するかということでもない。(中略)数千億円の予算を使って世界を救済できなくても、東京の満員電車の中で妊婦に席を譲れる人は、十分深い「思いやり」を心の中に秘めている。(中略)大きな評価は得られなくても、相手の気持ちに耳を傾け、今日目の前にいる人々に、そっと手を差し出せばいい。それを教えてくれたのは、当のアフリカ自身だった。」 -
購入済み
2回目
一回目はハードカバーで、二回目が今回。
正直に、一回目のことは忘れて今回読んだことだけ念頭に置いて書くと、一回目より感動は薄れた。一回目は「途方もなく壮大な女性の旅」という印象で沢山の人に勧めて回りたくなったほど感動したものだが、二回目は「一人旅世界一周したことを書いた本」という平凡に近い感想を抱いた。完全にただ二回目で、知ってるつもりで読んでしまった自分の問題なのかもしれない。でも、だからといって自分の中でこの本の価値が下がった訳でもない。
一回目はなんか感動がでかすぎて発言のほとんど全てを盲目的に吸収した部分があったけど、二回目の今回は、冷静に批判も含めながら読んだことに要因があると分析できる。
二回目で知ってるつもりになってる部分があることは否めない。また、半ばもう読んでるから飽きて読んでる部分があったかもしれないことも否めない。長いし。
ただ、書いたときと、一回目と、今回、それぞれで時代が移り変わって変化していることと、自分の状況も微々たるものだが、あのときよりはこの本に託していた理想に近づいてることも、感じかたが変わった要因になってるのかもしれない。
一方でもしそうだとして、それで傲慢になって上から目線で批判を与えているのであれば情けない話だが。
二回目。一回目と感想が変わった。一回目より感動が薄れた。当たり前かもしれないけど、今回の感想。
魅力的な旅を綴った魅力的な本であり、一番好きな本の一つであることに変わりない。 -
Posted by ブクログ
久々に旅行記が読みたくなって、手に取った本。
最初は、やけに淡々と書く人だなあ。なんて感じたが読み進めていくにつれて、この著者の性格が率直で、なかなかの切れ者なんだと気づいた(良い意味で)
根性と体力、精神面においても非常にタフ。
相手が誰であろうと、主張するべき時はしっかり主張する。
だからこそ、この過酷すぎる旅を成し遂げる事が出来たんだろう。
そして、この本では特に中東〜アフリカ地域に関しての現実と理論が大きくかけ離れている事を初めて知った。
私は中東やアフリカ地域に関しては、ニュースやネットで得た情報、もしくは学生時代に社会科で勉強した事がほぼそのままだと思っていた。
けれど、この本の中ではこれまでの意識をガラリと変える出来事の連続だった。
ネットやテレビが伝えられない、人々の表情、優しさ、おもてなし。。。
テレビやネットでは伝えられていない、現実、問題。。。
あたかも当然のように伝えられている情報は、実はその何十分の一でしかない。
本当の事は、実際に行って確かめてみないと何も分かりはしない。
私はこの本を読んで本当に、良かったと改めて感じる。
著者のフィルターを通してではあるが、著者の言う”騒音”から少しだけ離れることができたからだ。
ぜひ、できるだけ多くの人に読んでもらいたい一冊。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ2年間で、ユーラシア大陸とアフリカを旅する。めちゃくちゃよかった。特に、アフリカでの旅についての記述は、秀逸としか言いようがない。日頃思ってもいなかったようなアフリカの援助についての考えに驚く。日本は、国連の常任理事国になりたいがために、援助をする海外協力隊を比較的安全な国へ送り込む。中国もヨーロッパも日本も、先進国がインフラを整えるが、中古の自動車を輸出して大気汚染をばらまき、気管支炎にさせ、高価な医療機器を輸出するようにする。そして、アフリカ人たちは援助に頼るようになり、外国人が高い金額を払うことを当たり前だと思うようになる。そしてそれが、先進国の思うつぼで、先進国が金を出した援助の仕組みがあっても、実際現地で作業にあたる人たちに支払われる金額がなんと小さいことか。"そして、セネガルの小学校でクラスを受け持って輝く目の子供たちの素朴な質問、かわいらしさに気を失いそうになる様子、めちゃくちゃわかる。なんでも、「わ~!」っていうの、子供たち。そして、トーゴとベナンの国境越えの話。バイクが5倍の金額をふっかけてくるので、見限って一人で歩き始めた著者。途中からどこかの部族の女の人が付かず離れず歩き出す話。おしつけがましくなく、にっこりしながら歩く話。とてもよい。
アフリカは本当は、だれも困ってない、豊かな大地なのだ。それなのに、先進国がそれをダメにしている部分がある。
移動にトラックを使うアフリカ。女ひとりでは旅行できないため、偽装結婚を2度もしている。トラックが故障して、日陰もなく、水もなくなっていき、自分は生理になり、つかれきりどうにもならない。やっと乗れた代わりのトラックでは、木に頭をぶつけて、流血。すっげ。すっげえ。旅。" -
Posted by ブクログ
1979年生まれの著者が、ユーラシアとアフリカ大陸の47ヶ国を684日間かけて巡った旅の記録。2009年の開高健ノンフィクション賞受賞作。
著者がバッグパックを背負って日本からユーラシア大陸へ旅立ったのは、バッグパッカーのバイブルである『深夜特急』の沢木耕太郎と同じ26歳のとき(本書は「26歳の春が来て・・・」と明らかにそれを意識した書き出しとなっている)である。両者の間にある30数年という年月は、世界の情勢も、著者の意識や判断の基盤も大きく変え、作品全体のトーンは大きく異なったものとなっている。
著者は、現地の衛生状態に不快感を覚えたり、人々に騙されたり、盗難に遭ったりもするが、それは、1979年生まれの著者が、冒頭で「私の行く手には、貧困と紛争が待ち構えていて、汚染や疫病の脅威があった。腐敗した政治やテロが噂され、悪魔が寄り集う“軸”か何かの存在も無視できない。世界は「危ない」らしかったし、「気をつけなくてはいけない」という一般的な認識があった」と書いている、2000年代初頭の世界と正面から向き合った、自然の成り行きであったし、それがむしろ本書をリアリティのある紀行作品としている。
そして一方では、世界の隅々で日々の営みを送る人々との温かい触れ合いも数多綴られており、時代を経ても大多数の人々の日常は変わらないことに、安堵の気持ちを抱くのである。
僅か10年前に著者が巡った国々の中でも、今や紛争の激化や感染症の発生等で訪れることすらできなくなってしまった国も少なくないが、バッグパックを背負って世界の国々を巡り、人々と触れ合える世界が戻ってくることを願って止まない。
(2013年3月了)